許されるためではなく
庭園の地面が震えたのは、エミリアが私の手を握った直後だった。
小さな揺れだった。
しかし、私には分かった。
この感覚を、私は知っている。
王宮地下の魔法陣が起動した時。 旧倉庫の壁の向こうから声が聞こえた時。 そして、私の記録が巻き戻される直前。
「……また、始まるのね」
思わず呟く。
ノアが私の表情を見た。
「ヴィオレッタ様。何かご存じなのですか?」
私はすぐに答えられなかった。
以前の私なら、情報を隠していた。 二人を遠ざけ、自分だけで解決しようとしていた。
だが、それでは何も変わらなかった。
私はエミリアの手を離さず、ノアに向き直った。
「王都の地下で、古代の機構が動いているわ。私たちの名前が記録されていて、何らかの選別が進められている」
二人の表情が変わった。
「選別……?」
エミリアが小さく繰り返す。
「詳しいことは、まだ分からない。でも、あなたたちが危険に巻き込まれる可能性がある」
ノアは腕を組んだ。
「それで、あなたは何をするつもりですか?」
私は一瞬、答えに詰まった。
以前なら、彼らを屋敷に閉じ込めると言っただろう。 調査を禁止すると命じただろう。
けれど。
「……一緒に調べたい」
自分の声が、思いのほか弱く聞こえた。
「私が知っていることを、少しずつ話すわ。あなたたちの意見も聞きたい」
ノアは私を見つめた。
「それは、私たちに判断を委ねるということですか?」
「ええ」
「危険があると分かっていても?」
「……それでも、あなたたち自身が決めてほしい」
沈黙が落ちた。
私は、二人の返答を待った。
逃げ出したい気持ちがあった。
拒絶されるのが怖かった。
それでも、今度は相手の意思を無視したくなかった。
エミリアが、私の手を少し強く握った。
「私は、協力したいです」
彼女は微笑んだ。
「怖いです。でも、ヴィオレッタ様が一人で苦しむのは、もっと嫌です」
ノアは小さく息を吐いた。
「私も協力します。ただし、条件があります」
「……何かしら?」
「あなたが危険な行動を取る時は、事前に相談してください。自分の命を犠牲にするような計画は、認めません」
私は目を伏せた。
「……分かったわ」
「本当に?」
「本当に」
その返答に、ノアは微かに笑った。
「では、約束です」
約束。
その言葉が、胸に重く響いた。
私は何度も約束を破ってきた。
彼らを守るという約束。 自分を失わないという約束。
けれど、今度は違う。
私は二人に、正直でありたいと思った。
その日の夕刻。
私たちは王立記録院へ向かった。
旧王宮地下保全室に関する資料を調べるためだ。
閲覧室の奥にある古い書架。
ノアが記録番号を照合し、エミリアが魔力反応の痕跡を探す。
私は、過去に発見した資料を並べた。
「ここにある記録は、すべて同じ構造を示しているわ」
古い地図の上に、複数の地点が記されていた。
王宮北西区画。 旧倉庫。 エーベルハルト家の温室。 北方観測所。
それらを結ぶ線は、王都の地下へと続いている。
「……まるで、巨大な魔法陣ですね」
エミリアが呟いた。
ノアは地図を見つめた。
「いや。魔法陣というより、記録を保存するためのネットワークに近い」
私は彼の言葉に頷いた。
「永遠記憶機構……」
その名称を口にした瞬間、手帳が青白く光った。
『第七の記録、反応を確認』
『記録保持者三名、接続状態を再評価』
私は手帳を閉じた。
以前のように、恐怖だけで動くつもりはない。
「……この機構が何を目的としているのか、調べましょう」
ノアが頷く。
「まずは、記録の起点を探す必要があります」
エミリアも続いた。
「私の夢に出てきた場所も、関係しているかもしれません」
私は二人を見た。
まだ、すべてを話せたわけではない。
私が経験した死。 私が犯した過ち。 そして、何度も繰り返された人生。
それらを語るには、まだ勇気が足りなかった。
けれど、少なくとも。
私はもう、一人で決めようとはしなかった。
その時、書架の奥から、紙が擦れる音がした。
三人が同時に振り返る。
誰もいない。
だが、机の上に置かれた古い記録の頁が、勝手に開いていた。
そこに記された一文。
『記録保持者が自らの罪を認めた場合、起点の再設定は停止される』
私は息を呑んだ。
ノアが、その文字を覗き込む。
「……罪、ですか」
エミリアが私を見た。
「ヴィオレッタ様……?」
私は、頁に触れた。
指先が震える。
これは、私の罪を指しているのだろうか。
それとも。
記録そのものが、何かを隠しているのだろうか。
私は静かに頁を閉じた。
「……まだ、分からないわ」
だが、今度は逃げない。
自分の過ちからも。 彼らの問いからも。
そして、私自身の記憶からも。
窓の外では、夜の王都が静かに輝いていた。
その地下深く。
誰も知らない場所で、古代の機構が再び動き始めていた。




