目覚めても消えない罪
冷たい朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
小鳥のさえずり。 遠くから聞こえる馬車の音。 侍女が廊下を歩く、規則正しい足音。
すべてが、あまりにも日常的だった。
「……っ」
私は目を開けた。
見慣れた天蓋。 白い寝具。 壁に掛けられたヴァレンシュタイン家の紋章。
そして、枕元に置かれた小さな手帳。
「……また、なの?」
声が震えた。
身体を起こそうとしたが、腕に力が入らない。
心臓が激しく鼓動している。
目を閉じると、あの光景が蘇った。
崩れる石柱。 青白い魔力。 ノアの叫び声。 エミリアの涙。
そして、私自身の死。
「……嫌」
私は両手で耳を塞いだ。
「もう、嫌……!」
呼吸が乱れる。
息を吸っても、胸の奥に空気が入ってこない。
私は寝台から降りようとした。
だが、足が床に触れた瞬間、身体が崩れた。
「……っ、あ……」
床に手をつく。
指先が震えていた。
何度も死んだ。
何度も、同じ朝に戻ってきた。
そのたびに、私は何かを失っていった。
そして、今度は。
自分が、彼らを壊した。
「……私が、殺したの?」
ノアとエミリア。
あの二人が、最後に私へ向けた表情。
恐怖ではなかった。
怒りでもなかった。
悲しみだった。
私を信じようとしていた二人の、悲しい顔。
「……ごめんなさい」
私は床に額をつけた。
謝っても、何も変わらない。
彼らは、この記録の中では生きている。
だが、私の記憶の中では、何度も死んでいる。
その事実だけが、私の心を少しずつ削っていた。
しばらくして、扉がノックされた。
「ヴィオレッタ様。お目覚めでしょうか?」
侍女の声。
私は顔を上げた。
「……入らないで」
「ですが、お時間が……」
「入らないで!」
声が、思った以上に大きく響いた。
廊下が静まり返る。
私は自分の声に怯えた。
以前の私は、こんな風に誰かを怒鳴ったことがあっただろうか。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
「少し、一人にして」
侍女は何も言わず、扉の向こうで静かに頭を下げた。
足音が遠ざかる。
私は寝台に戻った。
枕元の手帳を開く。
そこには、見慣れた文字が浮かび上がっていた。
『記録巻き戻し、完了』
『起点、再設定』
『候補一、ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン』
その下に、以前とは異なる記述があった。
『精神状態、著しく不安定』
『記憶保持による自己認識の崩壊傾向』
『未登録変数、再確認』
私は手帳を閉じた。
「……もう、何もしたくない」
その言葉が、心の底から出てきた。
誰かを救いたい。 真実を知りたい。 この繰り返しを終わらせたい。
そう思っていた。
だが、今は。
ただ、眠りたかった。
何も思い出さずに。 誰の死も見ずに。 自分が何者なのかを考えずに。
けれど、眠ることが怖かった。
夢の中で、また彼らの死を見るかもしれない。
私は目を閉じた。
その瞬間、扉の向こうから声がした。
「ヴィオレッタ様?」
ノアの声だった。
私は、息を止めた。
「……ノア?」
「お目覚めになっていると聞きました。少し、お話しできませんか?」
私は立ち上がろうとした。
だが、足が動かない。
彼が生きている。
今、この瞬間は。
その事実に、胸が締め付けられる。
私は扉へ向かった。
ゆっくりと、手を伸ばす。
けれど、指先が触れる直前で止まった。
もし、扉を開けたら。
彼の顔を見たら。
また、失う恐怖が蘇る。
「……ごめんなさい」
私は扉の前で呟いた。
「今日は、会えないわ」
沈黙。
やがて、ノアの声が聞こえた。
「……承知しました」
足音が遠ざかる。
私は扉に背を預けた。
涙が、頬を伝った。
その時。
手帳が、再び光った。
『候補三、接触を確認』
『記録保持者の心理的拒絶を検出』
『第七の記録、再起動準備』
私は手帳を見つめた。
「……まだ、終わらないの?」
その問いに、答える者はいなかった。
ただ、手帳の最後の頁に。
私の知らない筆跡で、一文が浮かび上がった。
『彼女が罪を認めたとき、記録は初めて彼女を解放する』
私は、その文字を見つめた。
罪。
それは、私が彼らを失ったことなのか。
彼らを支配しようとしたことなのか。
それとも。
私が、自分自身を許せなくなったことなのか。
答えは、まだ分からない。
私は手帳を閉じた。
そして、震える声で呟いた。
「……今度は、誰も傷つけたくない」
その願いが、叶うかどうか。
私は、もう信じることができなかった。




