悪役令嬢の最後の選択
青白い光が、地下保全室を満たしていた。
三つの石柱が激しく震えている。
ノア・ヴァルケイン。
エミリア・ローゼン。
ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン。
刻まれた名前の下で、古代の魔法陣が複雑に組み替わっていく。
『選別対象、三名』
『記録接続、臨界状態』
『候補一の選択を要求』
「……何を選べというの?」
私は中央の石柱に手を置いた。
灰色のローブの人物が、背後から答える。
「候補二と候補三のどちらかを切り離せ。分岐装置は、一度に一つの記録しか救済できない」
エミリアとノア。
二人のどちらかを選べば、もう一人が犠牲になる。
そんな選択を、私は何度も見せられてきた。
「嘘でしょう?」
「機構の制約だ」
「あなたたちが作ったのではないの?」
「我々は、古代の装置を管理しているにすぎない」
私は彼を睨んだ。
「……最初から、私に選ばせるつもりだったのね」
灰色のローブは沈黙した。
その沈黙を、私は肯定と受け取った。
「ヴィオレッタ様!」
エミリアが叫ぶ。
彼女の足元に、青い光が広がっていた。
ノアも同じだった。
魔法陣から伸びた光の鎖が、二人の身体を拘束している。
「装置を止めてください!」
エミリアの声が震える。
「私たちのために、そんな選択をしないで!」
ノアは鎖を引きちぎろうとした。
「ヴィオレッタ様! あなたが一人で決める必要はありません!」
私は彼らを見つめた。
その言葉を信じたい。
信じたかった。
けれど、彼らの言葉は、私が経験した死の記憶を否定するものに聞こえた。
私は何度も失った。
何度も、彼らの死を見た。
そのたびに、私だけが目覚める。
そのたびに、彼らは何も覚えていない。
「……もう、嫌なの」
声が漏れた。
「何度も、何度も……あなたたちが死ぬのを見るのは、もう嫌なのよ!」
二人が息を呑んだ。
私は中央の装置に視線を戻す。
石柱の表面に、選択肢が浮かび上がった。
『候補二、分離』
『候補三、分離』
その下に、薄い文字が現れる。
『未登録変数による強制介入』
私は目を見開いた。
「……これなら」
灰色のローブが、初めて動揺した。
「待て。それは選択肢ではない」
「あなたたちは、私を未登録の変数と呼んだわね」
私は石柱に指を押し当てた。
「ならば、登録されていない選択をすればいい」
「やめろ!」
灰色のローブが魔法を放つ。
だが、光は私に届く前に弾かれた。
装置が私の記憶に反応している。
頭の中に、無数の光景が流れ込んできた。
知らない街。
崩壊した王宮。
見覚えのない少女。
誰かの泣き声。
そして、何度も繰り返される死。
私は歯を食いしばった。
「……全部、私のものにすればいい」
『警告』
『候補一、記録の統合を開始』
『精神負荷、限界値を超過』
ノアが叫ぶ。
「ヴィオレッタ様! 手を離してください!」
エミリアも、必死に私を呼んでいる。
「お願いです! 私たちを助けるために、あなたが壊れないで!」
私は二人を見た。
その顔が、滲んでいく。
「……ごめんなさい」
本当は、謝りたかった。
今までのこと。
脅したこと。
自由を奪ったこと。
信じることを拒んだこと。
そして、何度も彼らを失う恐怖から、二人を自分の所有物のように扱ってしまったこと。
「私は……あなたたちを守りたかった」
装置が、轟音を上げた。
『未登録変数、介入を確認』
『記録の矛盾を検出』
『修正不能』
灰色のローブが後退する。
「そんな……機構が、選別を拒絶している!」
魔法陣の光が、赤く変わった。
石柱が次々と砕けていく。
ノアの鎖が緩んだ。
彼はすぐに私へ駆け寄ろうとした。
「ヴィオレッタ!」
だが、床が崩れた。
巨大な魔力の奔流が、地下保全室を呑み込む。
エミリアの悲鳴。
ノアの叫び。
灰色のローブの人物が放つ魔法。
すべてが、混ざり合った。
私は、装置から手を離そうとした。
しかし、指が動かない。
記憶が流れ込んでくる。
私の人生。
私ではない人生。
誰かの後悔。
誰かの絶望。
その中に、一つだけ鮮明な光景があった。
ノアが、私に手を伸ばしている。
エミリアが、泣きながら私の名前を呼んでいる。
私は彼らに向かって手を伸ばした。
けれど、届かなかった。
「……ああ」
ようやく、理解した。
私は彼らを守ろうとしていた。
だが、いつの間にか、彼らを失わないことだけが目的になっていた。
彼らが何を望んでいるのか。
彼らがどんな未来を選びたいのか。
私は、それを聞こうとしなかった。
「……私は、本当に……」
言葉が続かない。
胸の奥に、激しい痛みが走った。
魔力が身体の内側から弾ける。
膝が崩れた。
ノアが私を抱き止めようとする。
その手が、触れる寸前で止まった。
青白い光が、彼を押し戻した。
「ヴィオレッタ様!」
私は、彼の顔を見つめた。
今度こそ、彼を守れなかった。
エミリアも、助けられなかった。
それどころか、私の選択が二人を危険に巻き込んだ。
「……ごめん、なさい」
視界が暗くなる。
最後に見えたのは、ノアが必死に私の名前を叫ぶ姿だった。
そして、エミリアが涙を流しながら、私に手を伸ばす姿。
私は、その手を取れなかった。
身体から力が抜ける。
心臓の鼓動が、遠ざかっていく。
『候補一、生命反応の消失を確認』
『記録保持状態、崩壊』
『起点への巻き戻しを開始』
私は、死んだ。
今度は、誰かを守るために死んだのではない。
自分の恐怖から逃げようとして、すべてを壊した結果だった。
暗闇の中。
誰かの声が聞こえた。
『……彼女は、まだ自分の罪を理解していない』
別の声が答える。
『次の記録では、彼女に選択させてはならない』
そして、最後に。
聞き覚えのある声が、静かに呟いた。
『……今度こそ、彼女を救わなければ』
その声を聞いた瞬間、私は再び、深い闇へと沈んでいった。




