秘密を握る者
翌朝、王立記録院から一通の報告書が届いた。
ヴァレンシュタイン家の紋章が押された封筒を開くと、昨夜命じた調査結果が記されている。
ノア・ヴァルケイン。
エミリア・ローゼン。
二人の行動は、すでに私の管理下に置かれ始めていた。
ノアは王立記録院へ向かい、古代遺構に関する資料を閲覧。
エミリアは学園に残り、魔法理論の授業に出席。
表面上は、何も変わっていない。
それでも私は、報告書を読み終えたあと、妙な安堵を覚えていた。
彼らがどこにいるのか。
何をしているのか。
それを知っているだけで、心が落ち着く。
「……随分と歪んだ安心ね」
私は報告書を机に置いた。
かつて、誰かの行動を監視することなど考えもしなかった。
今では、それを当然のように受け入れている。
失うことへの恐怖が、私の倫理を少しずつ削っていた。
「ヴィオレッタ様」
侍女が入室する。
「王立記録院の管理官がお見えです。先日お話しされていた旧王宮地下保全室の記録について、報告があるとのことです」
「通して」
管理官は緊張した面持ちで入ってきた。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢。ご依頼の資料についてですが、正式な閲覧許可を得るには、王宮管理局の承認が必要となります」
「承認が得られない理由は?」
「旧保全室の記録は、現在の管理体系に登録されていないためです。さらに、関連資料の一部は、過去の調査において閲覧禁止措置が取られたと……」
「誰が措置を取ったの?」
管理官は言葉を詰まらせた。
「記録上、責任者の名前は残っておりません」
私は微笑んだ。
「それでは、あなたが責任者を見つければいいのよ」
「しかし……」
「あなたの家が過去に受けた特別免除。あれは、王立記録院の管理権限を利用したものだったわね?」
管理官の顔が青ざめた。
私はその情報を、昨夜のうちに調べさせていた。
彼の家は、かつて王宮の記録整理に協力した功績によって、税の一部を免除されている。
制度そのものに問題はない。
だが、記録の再審査が行われれば、彼の家はその恩恵を失う可能性があった。
「私は、あなたの家を困らせたいわけではないの」
「……」
「ただ、必要な資料が欲しい。それだけよ」
管理官は深く頭を下げた。
「承知いたしました。可能な限り、調査いたします」
彼が去ると、私は椅子の背に身を預けた。
交渉は成功した。
それなのに、胸の中に残ったのは達成感ではなかった。
誰かを脅して得た情報。
その事実が、重く沈んでいる。
だが、私はその感情を無視した。
今は、立ち止まるわけにはいかない。
昼過ぎ、私は王宮管理局へ向かった。
旧王宮地下保全室。
その名称は、すでに現在の管理図から消えている。
しかし、かつての記録には、保全室の管理責任者として一人の人物が記載されていた。
――セドリック・ヴァイス。
王宮管理局の元技術顧問。
十年前に職を辞し、現在は王都郊外で隠居している。
彼の名前を見た時、私は小さく息を吐いた。
「ようやく、手掛かりが見つかったわね」
私は面会を申し込んだ。
返答は、予想より早かった。
『令嬢との面会は拒否する』
短い一文。
私はその紙を見つめた。
拒絶。
以前なら、相手の事情を考え、別の方法を探しただろう。
今の私は違う。
彼が拒む理由を調べればいい。
その日の夕刻、私はヴァイスの過去の記録を手に入れた。
十年前、王宮地下で発生した小規模な魔力暴走。
事故による負傷者は三名。
そのうち一人は、彼の直属の部下だった。
事故報告書には、原因不明と記されている。
そして、調査終了後、ヴァイスは職を辞していた。
私は報告書を閉じた。
「……あなたも、何かを見たのね」
翌日。
私は彼の屋敷を訪れた。
古びた門の前には、庭木が伸び放題になっている。
出迎えた老執事は、私の訪問を歓迎していなかった。
「ヴァイス様は、どなたともお会いになりません」
「それでも、伝えてちょうだい」
私は封筒を差し出した。
中には、十年前の事故報告書の写しが入っている。
「彼が隠しているものについて、私はすでに調べ始めていると」
老執事の表情が変わった。
数分後、私は屋敷の書斎へ通された。
そこにいたのは、白髪の老人だった。
彼は私を見るなり、険しい目を向けた。
「……ヴァレンシュタイン家の令嬢か」
「お時間をいただき、感謝いたします」
「礼儀正しい挨拶だな。だが、私は何も話すつもりはない」
「十年前の地下保全室について、何をご存じなのですか?」
老人は答えなかった。
私は机の上に、事故報告書を置いた。
「事故の原因は、記録上では不明となっています。しかし、当時の調査資料には、地下構造の異常反応が記されている」
「……それ以上、調べるな」
低い声だった。
「あなたが調査を続ければ、また同じことが起こる」
「何が起こるのです?」
老人の瞳が揺れた。
「記録が人を選ぶ。選ばれた者は、過去を見せられる。そして、過去を見た者は……」
彼は言葉を切った。
私は身を乗り出す。
「その先を教えてください」
「帰れ」
老人は立ち上がった。
「お前は、何も知らないままでいるべきだ」
私は彼を見つめた。
その言葉は、これまで何度も聞いてきた。
何も知らないままでいろ。
調べるな。
近づくな。
そして、そのたびに私は失敗した。
「……私は、もう何度も同じことを聞いてきました」
老人の動きが止まる。
「何?」
自分でも、なぜその言葉が口から出たのか分からなかった。
私はすぐに口を閉じた。
記憶の断片が、頭の奥で揺れる。
暗い部屋。
青白い光。
誰かの声。
――もう、間に合わない。
私はこめかみを押さえた。
「ヴィオレッタ様?」
老人の声が遠く聞こえる。
私は顔を上げた。
「……失礼しました」
そのまま立ち上がる。
「本日は、これで失礼いたします」
屋敷を出た後、私は手帳を開いた。
新しい文字が浮かび上がっている。
『候補一、過去記録への接触を確認』
『記憶の再活性化、進行中』
『介入による修正可能性、低下』
私は手帳を握り締めた。
「……修正できないのなら」
夕暮れの王都を見つめる。
「壊れる前に、私が先に動くしかない」
その時、背後から声がした。
「ヴィオレッタ様」
振り返ると、ノアが立っていた。
彼は私の手帳を見て、それから私の顔を見つめる。
「あなたは今、何をしようとしているのですか?」
私は答えなかった。
ノアは静かに続けた。
「あなたが何かを隠していることは分かっています。ですが、誰かを脅し、管理し、自由を奪うことが、本当に守ることなのですか?」
私は彼を見つめた。
その問いは、正しい。
正しいからこそ、腹立たしかった。
「……あなたには分からないわ」
「そうでしょうね」
ノアは視線を逸らさなかった。
「ですが、あなたが私たちを守ろうとしているのなら、私たちにも選ぶ権利があります」
私は一歩、彼に近づいた。
「選んだ結果、あなたが死ぬとしても?」
ノアの表情が固まった。
私は、言ってしまったことに気づいた。
だが、もう遅い。
彼はしばらく沈黙した後、静かに答えた。
「それでも、私の命は私のものです」
その言葉が、胸に深く刺さった。
私は何も言えなかった。
ノアは一礼し、去っていく。
彼の背中を見送りながら、私は手帳を開いた。
そこには、先ほどまでなかった文字が刻まれていた。
『第三候補、抵抗を確認』
『選別条件を再調整』
そして、その下に。
『候補一の選択が、他候補の生存率を低下させています』
私は手帳を閉じた。
夕暮れの空が、赤く染まっている。
私は、彼らを守るために行動している。
そう信じていた。
しかし、もしかすると。
私が彼らを失うことを恐れるあまり、彼らの未来そのものを奪おうとしているのかもしれない。
「……そんなこと、認められるわけがない」
私は歩き出した。
もう、引き返すつもりはなかった。




