すべてを支配するために
目覚めた朝から、私は一つのことを決めていた。
もう、誰にも私の行動を邪魔させない。
ノアにも、エミリアにも。
そして、私自身にも。
失敗するたびに、私は彼らを守ろうとしてきた。秘密を隠し、距離を置き、時には自分の命を差し出した。
それでも、結果は変わらない。
ならば、方法を変えるしかない。
「……守るという言葉は、便利ね」
鏡の中の私は、いつもと変わらぬ銀灰色の髪を整えていた。紫紺の瞳には、以前のような迷いがほとんど残っていない。
「相手の自由を奪っても、本人のためだと言えば許されるのだから」
自嘲気味に笑う。
その笑顔が、ひどく気味悪く見えた。
朝食を終えた私は、屋敷の執事を呼び出した。
「王立学園に通うノア・ヴァルケインとエミリア・ローゼンについて、今日から報告を受けたいわ」
「お二人の行動を、でございますか?」
「ええ。誰と会い、どこへ行き、何を調べているのか。私に関係することはすべて」
執事は一瞬だけ戸惑った。
「……承知いたしました」
「それから、王立記録院にある古代遺構関連の資料。エミリアが閲覧できないように手配して」
「ローゼン嬢の閲覧権限を制限するのですか?」
「彼女が危険な場所へ近づくのを防ぐためよ」
言い終えた瞬間、自分の言葉に違和感を覚えた。
危険から遠ざける。
それは、かつて私が何度も口にしてきた言葉だった。
しかし今、私が行おうとしていることは、彼女を守るためだけではない。
彼女が私の知らない場所へ行くことを、許せなくなっているのだ。
「……何か問題でも?」
執事の視線が、わずかに揺れた。
「いいえ。ご命令に従います」
彼が退出したあと、私は机の上に広げた地図を見つめた。
王都の地下構造。
古い倉庫。
王宮北西区画。
そして、永遠記憶機構へ繋がると考えられる複数の地点。
これまで私は、断片的な情報を頼りに進んできた。
だが、今度は違う。
人を動かす。
情報を集める。
必要なら、相手の弱みを握る。
貴族として生まれた私には、それができる。
「ヴィオレッタ様」
扉の外から声がした。
「ノア・ヴァルケイン様がお見えです」
私は地図を伏せた。
「通して」
ほどなくして、ノアが部屋へ入ってきた。
灰褐色の髪はいつも通り少し乱れ、銀灰色の瞳には落ち着いた光がある。
その姿を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。
彼は生きている。
今は、まだ。
「急に呼び出された理由を聞いても?」
「あなたに頼みたいことがあるの」
「珍しいですね。以前は、私が協力を申し出ても断られていましたが」
「状況が変わったのよ」
私は彼の前に一枚の紙を置いた。
そこには、王宮地下の調査計画が記されている。
「この計画に参加してほしいわ。ただし、調査範囲は私が指定する場所に限定する。エミリアを同行させないこと。あなた自身も、私の許可なく地下区画へ入らないこと」
ノアは紙を読んだ。
しばらく沈黙したあと、顔を上げる。
「……これは協力依頼ではなく、命令ですか?」
「必要なら、そう受け取っても構わないわ」
彼の瞳から、微かな温度が消えた。
「ヴィオレッタ様。何が起きているのですか?」
「あなたには関係ないことよ」
「それなら、なぜ私を呼んだのです?」
答えられなかった。
彼の問いは、あまりにも正しかった。
私は彼を守りたい。
彼を失いたくない。
けれど、その本心を口にすれば、彼はきっと私の計画に反対する。
だから私は、別の言葉を選んだ。
「あなたが従わなければ、ヴァルケイン家の過去の記録を調査することになるわ。王立記録院には、あなたの家に関する未解決の問題が残っているもの」
ノアの表情が変わった。
彼の家は、長年にわたって衰退している。
過去の記録に不都合な事実があれば、家の立場はさらに悪くなるだろう。
私はそれを知っていた。
知った上で、口にした。
「……脅迫ですか」
「交渉よ」
「呼び方を変えても、意味は同じでしょう」
彼は紙を机に戻した。
「承知しました。調査には参加します。ただし、エミリアを遠ざける理由を、いつか説明してください」
「その必要はないわ」
「それでは、私はあなたを信用できません」
ノアは静かに頭を下げ、部屋を出ていった。
扉が閉じる。
私は机の端を握り締めた。
信用されなくてもいい。
嫌われてもいい。
彼が生きてさえいれば。
そう考えたはずなのに、胸の痛みは消えなかった。
午後、私はエミリアと会った。
彼女は私の姿を見つけると、いつものように笑顔を浮かべた。
「ヴィオレッタ様! お会いできて嬉しいです」
その笑顔を見て、私は一瞬だけ言葉を失った。
前の記録で、彼女は私に向かって手を伸ばしていた。
あの時、私は彼女の手を取れなかった。
「エミリア。あなたにお願いがあるの」
「はい、何でしょう?」
「しばらく、王立記録院と王宮地下の調査に関わらないでほしいわ」
彼女の笑顔が消えた。
「……どうしてですか?」
「危険だからよ」
「でも、私にも調べたいことがあります。夢の中で見た場所が、最近の調査と関係している気がするんです」
「その夢のことも、もう話さなくていいわ」
自分の声が冷たく響いた。
エミリアは驚いたように目を見開く。
「ヴィオレッタ様……?」
私は彼女から視線を逸らした。
「これは命令よ。あなたのために言っているの」
「……私のため?」
彼女は小さく繰り返した。
「私は、ヴィオレッタ様に信頼していただきたいんです。何かを隠されるより、一緒に考えたい」
その言葉が、心の奥に突き刺さる。
一緒に考えたい。
以前の私なら、その言葉を嬉しく思ったはずだ。
だが今は、恐怖しか感じない。
一緒にいれば、また失う。
彼女が私の目の前で死ぬ。
ノアが私の手を離す。
その光景が、脳裏に蘇った。
「……あなたは、私の言うことを聞いていればいいの」
エミリアはしばらく私を見つめていた。
やがて、悲しそうに目を伏せる。
「わかりました」
彼女は頭を下げた。
「でも、ヴィオレッタ様。あなたが本当に苦しんでいるのなら、私は……」
「もういいわ」
私は彼女の言葉を遮った。
彼女が去ったあと、私は一人になった。
窓の外では、王都の街並みが夕暮れに染まっている。
私は机に戻り、手帳を開いた。
そこには、私の知らない文字が浮かび上がっていた。
『候補一、行動制御の強化を確認』
『記録への介入度、上昇』
『強制修正の可能性、増大』
私は手帳を閉じた。
「……構わないわ」
声に出す。
「今度こそ、私が決める」
その瞬間、手帳の表紙が青白く光った。
『警告』
『記録保持者の精神状態に変化を検出』
『選別条件が更新されます』
光は、すぐに消えた。
私は手帳を見つめたまま、動かなかった。
やがて、口元に小さな笑みが浮かぶ。
「あなたたちが私を選別するというのなら……」
指先で手帳の表紙をなぞる。
「私も、あなたたちを選別してあげる」
その言葉を聞いていた者は、誰もいない。
ただ、王都の地下深く。
古い石壁の向こうで、何かが静かに動き始めていた。




