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誰にも頼らないと決めた日

ヴィオレッタは、朝食の席で一人、紅茶を口に運んでいた。


いつもなら侍女が今日の予定を読み上げ、彼女はそれを聞きながら必要な指示を出す。


何も変わらない朝。


けれど、彼女の心には二度の死の記憶が残っていた。


ノアが倒れた光景。


エミリアの手が伸ばされた瞬間。


そして、自分自身が光に貫かれた感覚。


「お嬢様、紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」


「……結構よ」


カップを置く。


指先が少し震えていた。


ヴィオレッタはそれを隠すように、テーブルの上の書類へ目を向けた。


今日は王立記録院へ行く予定だった。


ただし、誰にも同行を頼むつもりはない。


ノアにも、エミリアにも。


自分一人で調べ、必要な情報だけを集める。


それが、二人を守るために選んだ方法だった。


王立記録院に到着すると、ヴィオレッタは古い王都の建築記録を閲覧した。


調べたいのは、北西部の旧倉庫と、その周辺に存在する地下構造についてだ。


前回の人生では、ノアと一緒に地下通路を発見した。


そして、その先で灰色のローブをまとった人物と遭遇した。


今回も同じ場所へ向かえば、同じ人物に会える可能性がある。


しかし、彼女はすぐには現地へ向かわなかった。


先に地上の記録を調べる。


危険を冒す必要はない。


そう考えたからだ。


「旧倉庫の管理記録……」


閲覧申請を済ませ、古い書類を受け取る。


そこには、倉庫の所有者や修繕履歴、土地の管理番号が記されていた。


だが、数十年前の記録を境に、地下部分に関する記述が不自然に消えている。


さらに、ある年度の管理記録には、短い一文が残されていた。


『地下構造に関する報告は、王宮特別保全室へ移管すること』


「やっぱり……」


ヴィオレッタはその一文を手帳に書き写した。


そのとき、背後から声が聞こえた。


「一人で調べているんですね」


振り返る。


そこにはノアが立っていた。


「……どうしてここに?」


「あなたが来ていると聞いたので」


「誰から?」


「記録院の職員です。以前から私も古い管理記録を調べていましたから、不思議ではないでしょう?」


ヴィオレッタは書類を閉じた。


「私の調査に関わらないでほしいと言ったはずよ」


「ええ。聞きました」


「なら、どうして?」


ノアは彼女の前にある書類へ視線を落とした。


「あなたが調べているものは、私が以前から追っている記録と関係している。ここで手を引く理由はありません」


「あなたには関係ないわ」


「それを決めるのは、あなたではないでしょう」


静かな口調だった。


けれど、以前よりも距離を感じる。


ヴィオレッタは視線を逸らした。


「……好きにすればいいわ。ただし、私についてこないで」


「分かりました」


意外なほどあっさりとした返事だった。


ノアは別の閲覧机へ移動した。


ヴィオレッタはその背中を見つめた。


本当は、そばにいてほしかった。


彼の知識も、冷静な判断も、何度も助けられてきた。


それでも、彼が隣にいると、あの最期を思い出してしまう。


今は距離を置くべきなのだ。


そう自分に言い聞かせた。


昼過ぎ、ヴィオレッタは記録院を出た。


そのまま王都の北西部へ向かうつもりだったが、通りの向こうに見慣れた蜂蜜色の髪が見えた。


エミリアだった。


彼女は花屋の前で、店員と楽しそうに話している。


その姿を見た瞬間、ヴィオレッタの足が止まった。


「ヴィオレッタ様?」


気づかれた。


エミリアが嬉しそうに駆け寄ってくる。


「こんなところでお会いできるなんて! お買い物ですか?」


「少し用事があっただけよ」


「そうなんですね。実は私、今からお花を届けに行くところなんです」


エミリアは抱えていた小さな花束を見せた。


白い花を中心に、淡い青色の花が添えられている。


「綺麗ね」


「ありがとうございます。お世話になった方への贈り物なんです」


「そう」


ヴィオレッタは花束を見つめた。


白い花。


あの地下空間で、エミリアの手が床に落ちていた光景が蘇る。


「ヴィオレッタ様?」


「……何でもないわ」


「顔色が悪いですよ。どこか具合が悪いんですか?」


「大丈夫よ」


「でも――」


「エミリア」


ヴィオレッタは彼女の言葉を遮った。


「今後、私に会いに来る必要はないわ」


エミリアの笑顔が止まった。


「え……?」


「しばらく、私とは距離を置いてほしいの」


「何か、私が悪いことをしましたか?」


「あなたは何も悪くないわ」


「それなら、どうして……?」


ヴィオレッタは答えられなかった。


あなたが死ぬところを見たから。


何度も、何度も。


そんな言葉を口にすることはできなかった。


「私には、やらなければならないことがあるの。あなたを巻き込みたくない」


「でも、私は……」


エミリアは花束を胸元に抱きしめた。


「私はヴィオレッタ様のお役に立ちたいんです」


その言葉に、胸が痛んだ。


「お願いだから、今は一人にしてちょうだい」


ヴィオレッタは背を向けた。


後ろからエミリアの声が聞こえた。


「……分かりました」


その声は、少しだけ震えていた。


ヴィオレッタは振り返らなかった。


振り返れば、きっと駆け寄ってしまう。


そして、また失うことを恐れてしまう。


彼女はそのまま歩き続けた。


夕方、旧倉庫へ到着したヴィオレッタは、周囲に人がいないことを確認した。


前回と同じ壁。


同じ継ぎ目。


しかし、今回は一人だった。


石を押すと、低い音とともに壁が動いた。


地下へ続く階段が現れる。


ヴィオレッタは小さな魔石灯を取り出した。


一歩、また一歩と階段を下りていく。


以前、ノアが先に進んでくれた場所。


今は誰もいない。


そのことに安堵する自分と、寂しさを感じる自分がいた。


通路の奥に到着すると、壁の紋様が淡く光った。


三つの円。


枝分かれした線。


その中央には、以前と同じ文字が刻まれている。


ヴィオレッタは手帳を開いた。


すると、ページに新しい文字が浮かび上がった。


『候補一、単独行動を確認』


『候補二との接触を制限』


『候補三との接触を制限』


「……これで満足?」


彼女は壁に向かって呟いた。


「二人は離したわ。これ以上、何を望んでいるの?」


返事はなかった。


しかし、壁の奥で何かが動いた。


コツ。


コツ。


以前と同じ音。


ヴィオレッタは息を呑んだ。


「誰かいるの?」


沈黙。


やがて、石壁の向こうから声が聞こえた。


『今度は、一人で来たのか』


灰色のローブの人物と同じ声だった。


「あなたね。姿を見せなさい」


『お前は、また同じ過ちを繰り返している』


「何が過ちなの?」


『二人を遠ざければ救えると思っていることだ』


ヴィオレッタは壁に手をついた。


「なら、どうすればいいのよ!」


声が思わず大きくなる。


「近くにいれば死ぬ。遠ざけても機構が接続を始める。何をしても二人を危険に巻き込むなら、私はどうすればいいの!」


しばらく返事はなかった。


そして、低い声が告げた。


『お前が守ろうとしているのは、二人の命だけではない』


「……何ですって?」


『お前は、二人が自分を必要としてくれる関係を失うことも恐れている』


ヴィオレッタの手が止まった。


『二人を遠ざけることで、今度は自分自身を孤立させている。だが、それで機構が止まるわけではない』


「あなたに、私の何が分かるの……」


『分からない。だが、記録には残っている』


その直後、壁の向こうから青白い光が走った。


ヴィオレッタの手帳が震える。


『候補一、感情記録の変化を確認』


『保護行動から隔離行動へ移行』


さらに、その下に文字が浮かんだ。


『次回選別対象、変更』


ヴィオレッタは息を止めた。


次の瞬間、三つの円のうち、中央の円が赤く染まった。


そして、新しい文字が現れる。


『候補一、単独選別を開始』


「……何?」


床が揺れた。


壁の紋様が一斉に輝き、通路の入口が閉じ始める。


ヴィオレッタは階段へ走った。


しかし、背後から伸びた青白い光が足首に絡みつく。


「離しなさい!」


彼女は魔力を放った。


光の鎖が一瞬だけ緩む。


その隙に前へ進もうとしたが、床の紋様がさらに広がった。


『候補一、記憶への接続を開始』


頭の奥で、何かが軋む。


二人の笑顔が浮かぶ。


ノアの銀灰色の瞳。


エミリアの優しい笑顔。


そして、二人が自分の名前を呼ぶ声。


「やめて……!」


ヴィオレッタは膝をついた。


「二人には触れないで……!」


しかし、機構の光は彼女だけを包み込んでいく。


そのとき、閉じかけた入口の向こうから、誰かの声が聞こえた。


「ヴィオレッタ!」


聞き覚えのある声だった。


彼女は顔を上げた。


そこに立っていたのは、ノアだった。


どうして。


どうして彼がここにいるの。


「来ないで……!」


叫んだ直後、彼の姿が光に遮られた。


最後に見えたのは、こちらへ手を伸ばす彼の姿だった。


ヴィオレッタは、その手に触れることができなかった。


そして、壁の奥から声が響いた。


『候補一、選別を開始する』


暗闇が、彼女の視界を覆った。

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