↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/95

繰り返された朝、失われた笑顔

小鳥のさえずりが聞こえた。


ヴィオレッタは目を開けた。


白い天蓋。淡い色のカーテン。窓辺に置かれた花瓶。朝日が差し込む、見慣れた自室。


また、この部屋だった。


「……戻ったのね」


声が掠れていた。


彼女はゆっくりと上半身を起こし、自分の手を見つめた。


傷はない。


身体にも異常はない。


昨日、地下通路で浴びた青白い光も、身体を貫いた激痛も、すべて消えている。


けれど、記憶だけは残っていた。


ノアが手を伸ばしていた。


エミリアが自分の名前を呼んでいた。


そして、自分は二人の手をつかむことができなかった。


「……また、失敗した」


ヴィオレッタは両手で顔を覆った。


涙が頬を伝う。


前回の人生でも、二人を失った。


そして今回も、同じように失った。


違う方法を選んだつもりだった。


二人を遠ざければ守れると思った。


一人で調査すれば、危険に巻き込まずに済むと思った。


それなのに、結局は二人を危険な場所へ引き寄せてしまった。


「どうして……」


声が震える。


「どうして、何をしても……」


そこで言葉が途切れた。


胸が苦しい。


息を吸っても、肺の奥まで空気が届かないようだった。


彼女は寝台の端を強く握りしめた。


大丈夫。


今はまだ何も起きていない。


二人は生きている。


そう考えようとした瞬間、頭の中に別の光景が蘇った。


床に倒れたエミリア。


動かなくなったノア。


最後に離れていった二人の手。


「いや……!」


ヴィオレッタは耳を塞いだ。


聞こえるはずのない声が、頭の中で何度も繰り返される。


『あなたを置いていけるわけがないでしょう!』


ノアの声だった。


彼は最後まで、自分を助けようとしていた。


「もう、やめて……」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


しばらくして、扉を叩く音がした。


「お嬢様、お目覚めでしょうか?」


侍女の声。


ヴィオレッタは慌てて涙を拭った。


「ええ。入ってちょうだい」


侍女が入室し、朝の支度について説明を始める。


家庭教師の訪問。


午後の王宮からの招待。


何も変わっていない。


すべて、以前と同じだった。


「……今日は何月何日?」


侍女が答える。


その日付を聞き、ヴィオレッタは目を閉じた。


また、同じ起点。


永遠記憶機構は、何度でも彼女をここへ戻す。


そして、何度戻っても、死の記憶だけは消えない。


「お嬢様?」


「何でもないわ。少し一人にしてちょうだい」


侍女が退室すると、ヴィオレッタは机へ向かった。


手帳を開く。


前の人生で書いた記録は残っていない。


あの地下通路についても、灰色のローブの人物についても、何も記されていなかった。


けれど、最後のページには見覚えのない文字が浮かんでいた。


『候補一、起点への帰還を確認』


『候補二、生存を確認』


『候補三、生存を確認』


続いて、以前と同じ言葉が現れる。


『未登録の変数――ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン』


ヴィオレッタは手帳を閉じた。


今回は、前回とは違う。


自分は二度の死を経験した。


ノアとエミリアの死も、二度見届けた。


もう、何も知らない少女のように振る舞うことはできない。


「……次は、絶対に二人を近づけない」


その言葉を口にしたとき、彼女の表情から感情が消えた。


前回は二人を遠ざけようとして失敗した。


今回はもっと徹底する。


調査の情報を共有しない。


二人に危険な場所を教えない。


自分の行動を知られないようにする。


たとえ嫌われても構わない。


二人が生きてさえいれば、それでいい。


その日の午後、ヴィオレッタは王都の街へ出た。


最初に向かったのは、ノアの屋敷だった。


「ヴァレンシュタイン公爵令嬢ですね。ノア様でしたら書斎にいらっしゃいます」


案内された部屋で、ノアはいつものように書類を読んでいた。


暗い灰褐色の髪。銀灰色の瞳。


彼はヴィオレッタを見ると、少しだけ眉を上げた。


「珍しいですね。今日は何のご用件でしょう?」


その声を聞いた瞬間、ヴィオレッタの心臓が強く跳ねた。


生きている。


目の前にいる。


あのとき、自分の手を握ってくれた人が。


「……少し、お話があるの」


「どうぞ」


「今後、私の調査には関わらないでほしいわ」


ノアの表情が変わった。


「突然ですね」


「あなたには、あなたの仕事があるでしょう。私の調査に付き合う必要はないわ」


「理由を聞いても?」


「必要ないからよ」


ノアはしばらく彼女を見つめた。


「昨日までとは、随分と態度が違いますね」


「気が変わったの」


「そうですか」


彼はそれ以上追及しなかった。


ヴィオレッタは立ち上がった。


これでいい。


嫌われてもいい。


もう、彼が自分のために命を落とす姿を見たくなかった。


「それでは、失礼するわ」


扉へ向かう。


背後から、ノアの声が聞こえた。


「ヴィオレッタ嬢」


彼女は振り返らなかった。


「あなたは、何かを恐れているんですか?」


足が止まった。


「……いいえ」


「そうですか」


ノアはそれ以上何も言わなかった。


屋敷を出たヴィオレッタは、馬車の中で目を閉じた。


胸の奥が痛かった。


自分から距離を置いたのに、彼の声が聞こえなくなることが怖かった。


それでも、これでいい。


彼を守るためには必要なことなのだから。


次にエミリアのもとへ向かおうとしたとき、ヴィオレッタは馬車の窓から見覚えのある少女を見つけた。


蜂蜜色の髪。


柔らかな笑顔。


エミリアだった。


彼女は買い物袋を抱え、通りを歩いている。


その姿を見た瞬間、ヴィオレッタの胸が締めつけられた。


呼び止めたい。


今すぐ駆け寄って、無事でいてくれてありがとうと言いたい。


けれど、彼女は窓のカーテンを閉めた。


「そのまま進んでちょうだい」


「かしこまりました」


馬車が動き出す。


ヴィオレッタは閉じたカーテンを見つめたまま、唇を噛んだ。


今度こそ二人を守る。


そのためなら、二人に嫌われてもいい。


二人に忘れられてもいい。


自分だけが苦しめばいい。


しかし、その夜。


机の上の手帳がひとりでに開いた。


青白い文字が、ゆっくりと浮かび上がる。


『候補一、行動方針の変更を確認』


『候補二との接触、減少』


『候補三との接触、減少』


ヴィオレッタは目を細めた。


「……見ているのね」


さらに文字が現れる。


『記録修正の必要性を再評価』


そして、最後の一文。


『候補一、孤立傾向を確認』


彼女は手帳を閉じた。


孤立している。


それが何だというのだろう。


二人が生きているなら、それでいい。


そう思った。


けれど、部屋の静けさに耐えられなくなったとき、彼女は無意識に口を開いていた。


「……ノア」


返事はない。


「エミリア……」


誰もいない。


ヴィオレッタは一人で寝台に座り込んだ。


二人を守るために、二人から離れた。


それなのに、二人のいない時間は、あの地下空間よりもずっと長く感じられた。


そして彼女は、まだ知らなかった。


今回の記録では、二人が彼女から離れていることそのものが、機構にとって新たな異常として記録されていたことを。


『観測条件の変更を確認』


『次段階への移行を準備』


その文字が浮かんだとき、手帳の奥で、小さな青白い光が瞬いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。