守るための嘘
翌朝、ヴィオレッタは一通の手紙を受け取った。
差出人はエミリア・ローゼン。
封を開くと、丁寧な文字で短い文章が綴られていた。
『ヴィオレッタ様
昨日はお会いできて嬉しかったです。
実は、少し気になることがあります。最近、王都の古い建物について調べていると、以前にも同じ場所を訪れたような気がすることがあるんです。
もちろん、実際に行ったことがある場所もあります。でも、中には初めて見るはずなのに、懐かしく感じる場所もあって……。
もしよろしければ、今度一緒に調べていただけませんか?
エミリア』
ヴィオレッタは手紙を読み終えると、ゆっくりと机に置いた。
初めて見るはずなのに、懐かしい場所。
それは、以前にも聞いたことがある感覚だった。
エミリアは永遠記憶機構と接続している。
候補二として選別対象になった彼女の記憶には、まだ何かが残っているのかもしれない。
そして、手帳に浮かんだ警告。
『候補三の排除を推奨』
ノアだけではない。
エミリアもまた、機構にとって重要な存在なのだ。
「……二人とも、近づけさせるわけにはいかない」
そう呟いた直後、ヴィオレッタは自分の言葉に違和感を覚えた。
近づけさせない。
それは二人を守るためなのか。
それとも、自分が再び失うことを恐れているだけなのか。
答えを出せないまま、彼女は返事を書いた。
『お誘いありがとう。けれど、しばらく古い建造物の調査は控えた方がいいと思うわ。王都では最近、不審な魔術現象が確認されているの。あなたの安全を優先してちょうだい』
手紙を封じる。
本当のことは書かなかった。
書けなかった。
午後、ヴィオレッタはノアと会うため、王立記録院を訪れた。
彼は閲覧室の奥で、古い管理記録を調べていた。
「来ると思っていました」
「どうして?」
「昨日の地下通路の件です。あなたは、あの人物の言葉を気にしている」
ノアは書類から顔を上げた。
「候補一、候補三。それに、記録が変わったという言葉。あなたは何か知っているのでしょう?」
ヴィオレッタは黙った。
「話せないことがあるのは分かっています。ただ、私に関係することなら、知る権利はあると思いますが」
「あなたに関係することだから、話せないのよ」
「それは矛盾していませんか?」
「……そうね」
彼の言葉は正しかった。
だが、あの地下空間で倒れたノアの姿が、頭から離れない。
「ノア。しばらく私と一緒に調査するのはやめてほしいの」
「理由は?」
「あなたが危険だから」
「それだけですか?」
「それだけよ」
ノアは彼女を見つめた。
「昨日まで、あなたは私を一人にしないでほしいと言っていた。それなのに今日は、距離を置けと言うんですね」
ヴィオレッタは答えられなかった。
彼の言うとおりだった。
自分は彼を失いたくない。
だから、彼を遠ざけようとしている。
「……あなたが私のそばにいると、また傷つくかもしれない」
「それは私が決めることです」
「いいえ。今回は私が決めるわ」
その声は、自分でも驚くほど冷たかった。
ノアの表情から、わずかに柔らかさが消える。
「あなたは、私を信用していないんですか?」
「違うわ」
「では、なぜ何も話してくれない?」
ヴィオレッタは彼の瞳を見つめた。
銀灰色の瞳。
あのとき、光の中で閉じられた瞳と同じ色だった。
「……あなたを失いたくないからよ」
それだけは嘘ではなかった。
ノアはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「それなら、なおさら一人で抱え込まないでください」
「ノア……」
「私はあなたの護衛ではありません。ですが、あなたが危険な場所へ向かうなら、理由くらいは知りたい」
彼は書類を閉じた。
「あなたが私を遠ざける理由を、いつか話してくれることを期待しています」
ヴィオレッタは頷けなかった。
その日の帰り道、彼女は王立記録院の正門を出たところで足を止めた。
向かい側の通りに、灰色のローブをまとった人物が立っていた。
先日、地下通路で遭遇した人物と同じ姿だった。
「あなた……!」
ヴィオレッタが近づこうとすると、相手は人通りの少ない路地へ移動した。
追いかけるべきではない。
そう分かっていた。
それでも、彼女は足を進めた。
路地の奥で、灰色のローブの人物が待っていた。
「ノア・ヴァルケインから離れろと言ったはずだ」
「あなたに命令される筋合いはないわ」
「ならば、彼がどうなるか見届けるといい」
人物が手をかざす。
壁に青白い文字が浮かび上がった。
『候補三、接続不安定』
その下に、別の文字が続く。
『候補二、再接続の兆候』
ヴィオレッタの顔から血の気が引いた。
「エミリアにも、何かするつもりなの?」
「我々が何かをするわけではない。機構が選別を進めているだけだ」
「そんな説明で納得すると思う?」
「納得する必要はない。お前は、また同じ選択を迫られる」
「同じ選択?」
灰色のローブの人物は、フードの奥から彼女を見つめた。
「一人を守れば、もう一人を失う。二人を守ろうとすれば、お前自身が壊れる」
ヴィオレッタの指先が冷たくなる。
「……どうして、そんなことを知っているの?」
「お前がまだ知らないだけだ。機構は、すでに何度も同じ結果を記録している」
「待ちなさい!」
人物の姿が青白い光に包まれる。
次の瞬間には、誰もいなくなっていた。
ヴィオレッタは路地に立ち尽くした。
一人を守れば、もう一人を失う。
そんな未来を受け入れるつもりはない。
けれど、もし本当にそうなるのなら。
自分は何を犠牲にすればいいのだろう。
その夜、彼女は再び手帳を開いた。
ページには、見覚えのない文字が浮かんでいた。
『候補二、接続再開まで残り七日』
ヴィオレッタは手帳を握りしめた。
エミリアに何かが起きるまで、あと七日。
「……今度は、絶対に間に合わせる」
声に出して誓う。
そのとき、彼女はまだ気づいていなかった。
手帳の最後のページに、もう一つの記録が現れていたことに。
『候補一、保護行動の過剰化を確認』
『感情記録に異常あり』
『次回選別に向け、観測を継続する』
ヴィオレッタが守ろうとしている二人を、機構もまた観測していた。




