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王立記録院への申請

古い記録ほど、嘘をつくのが上手い。


 そう考えるようになったのは、いつからだっただろう。


 アーデルハイト王立学園の図書室。窓から差し込む朝の光の下で、私は机に広げた三枚の記録を見比べていた。


 一枚目には、ある文書が焼却処分されたと記されている。


 二枚目には、同じ文書が別の保管場所へ移されたとある。


 そして三枚目には、焼却されたはずの文書が、その後に閲覧されたという記録が残っていた。


 単純な記載ミス。転記時の誤り。あるいは、古い分類方式による混乱。


 どれも可能性としては十分にある。


 問題は、それらの説明を一つずつ当てはめても、どうしても埋まらない空白があることだった。


「……やはり、原本を確認する必要があるわね」


「同意する。ただし、簡単にはいかないだろう」


 向かい側に座るノア・ヴァルケインが、手元の資料を閉じた。


 彼はいつもの黒い制服を着崩すこともなく、落ち着いた表情で私を見ていた。灰褐色の髪が額に少しかかっている。初対面のときから思っていたが、この人は何かを隠しているときほど、普段と変わらない顔をする。


 もちろん、私も人のことは言えない。


「王立記録院の資料は、学園の図書室とは管理が違う。閲覧には正式な申請が必要だ。文書によっては、教員か貴族家の推薦も求められる」


「つまり、面倒な手続きを踏めということね」


「簡潔に言えば、そうなる」


「あなた、説明を省略するのが上手なのね」


「君が理解するのも早いからだろう」


 褒められたのか、単に話を打ち切られたのか。


 判断に迷ったので、私は返事をしなかった。


 ノアが机の中央に一枚の紙を置いた。そこには、王立記録院の閲覧申請に必要な項目が整然と並んでいる。


「調べる対象を絞る必要がある。記録院には膨大な資料があるからな。曖昧な申請では、受理されない可能性が高い」


「今回の対象は、文書そのものと、その移動履歴。それから、旧目録ね」


「旧目録?」


「記録が食い違っているなら、現在の台帳だけでなく、分類方法が変更される前の目録も確認したいの。文書の名称や番号が変わっている可能性があるから」


 ノアはわずかに目を細めた。


「……なるほど。文書が消えたのではなく、別の分類に移された可能性か」


「ええ。逆に、現在の分類が正しいとは限らない。記録の誤りを疑うなら、記録を作った仕組みそのものも調べるべきよ」


 彼はしばらく黙った後、申請書に目を落とした。


「君は、こういう調査に慣れているのか?」


 心臓が、かすかに跳ねた。


 古い文書を扱う手順。紙の傷み方。後世に加えられた注記の見分け方。


 そうした知識が、自分の中にあることはわかっている。


 けれど、それをいつ、どこで身につけたのかと問われると、答えられない。


 頭の奥に、知らない部屋の光景が浮かんだ。


 窓辺に置かれた修復道具。薄い手袋。黄ばんだ紙の上を滑る細い筆先。


 その光景は一瞬で消えた。


「……古い記録を読むのが好きなだけよ」


 私はそう答えた。


 嘘ではない。


 ただし、真実のすべてでもなかった。


     *


 申請書を提出するため、私たちは学園の教員棟へ向かった。


 歴史学を担当する教授に事情を説明し、調査の目的と対象資料を明記した書類を見せる。教授は最初こそ興味深そうに聞いていたが、三枚の記録を確認すると、難しい顔になった。


「この文書については、私も名前だけなら知っている。だが、実物を見たことはないな」


「現在の保管場所はわからないのでしょうか?」


「目録上では、王立記録院の旧分類に属するはずだ。だが、数十年前に分類体系が変更されている。古い資料の一部は、整理が終わっていないと聞いているよ」


 予想していた答えだった。


「閲覧の推薦状を書いていただくことは可能でしょうか。文書の移動履歴と、旧目録の記載を照合したいのです」


 教授は申請書を読み直し、しばらく考え込んだ。


「調査の目的は理解した。ただし、王立記録院は学園とは別の機関だ。私の推薦だけで閲覧が許可されるとは限らない。それでもよければ、必要な手続きを進めよう」


「ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。


 ノアも礼を述べたが、教員棟を出た後、彼はすぐに口を開いた。


「思ったより協力的だったな」


「教授にとっても、記録の矛盾は気になるのでしょう。研究者なら当然よ」


「君は、他人の善意を素直に信じないんだな」


「信じるための材料が足りないだけよ」


「それを世間では、疑り深いと言う」


「世間の評価は、今のところ調査対象外ね」


 ノアが小さく笑った。


 彼と話していると、時折、こちらの言葉を一歩先回りされるような感覚がある。だが、不思議と不快ではなかった。


 彼が私を信用していないのと同じように、私も彼を信用していない。


 その距離が、今はちょうどよかった。


     *


 推薦状を添えた申請書を提出したのは、その日の午後だった。


 王立記録院は、学園から馬車で少し離れた王都の中央区にある。白い石壁と高い窓を持つ建物で、正面玄関の上には王家の紋章が掲げられていた。


 その場に直接足を運んだ私は、受付の職員に必要書類を渡した。


「閲覧を希望する資料は、旧分類の保管文書と、それに関連する目録ですか?」


「はい。対象となる文書の移動履歴について、複数の記録に食い違いがあるため、原本と旧目録を照合したいと考えています」


 職員は申請書を確認し、推薦状にも目を通した。


「承知しました。まずは資料の管理状況を確認いたします。閲覧の可否については、後日ご連絡しますので、しばらくお待ちください」


「わかりました」


 手続きそのものは、拍子抜けするほど普通に終わった。


 少なくとも、受付の職員は何も不審な態度を見せなかった。申請を拒むこともなく、対象資料の存在を否定することもない。


 それがかえって、私の胸に小さな違和感を残した。


 もし単なる整理不足なら、確認には時間がかかるだろう。


 もし記録の誤りなら、原本を見れば解決するかもしれない。


 そして、もし――。


「ヴィオレッタ」


 ノアの声に、私は思考を中断した。


「帰るぞ。ここで考え込んでも、返事は早くならない」


「わかっているわ」


 記録院を後にしながら、私は建物を振り返った。


 高い窓の向こうには、無数の記録が眠っている。


 王国の歴史を証明するための記録。


 そして、王国の歴史からこぼれ落ちた何かを残しているかもしれない記録。


     *


 その夜、私は自室で調査の経過をノートにまとめた。


 申請書を提出したこと。教授の推薦を得られたこと。記録院が旧分類の資料を管理していること。


 確認できた事実と、まだ確認できていない推測を、意識して分けて書く。


 記憶を信じすぎてはいけない。


 それは、ノートに残されていた言葉だった。


 だからこそ、目の前にある記録も、頭の中にある記憶も、同じように検証しなければならない。


 最後に、私は一文を書き加えた。


 ――旧目録の原本を確認すること。欠落の有無を調べること。


 ペンを置こうとした、そのときだった。


 ノートの少し下に、見覚えのない文字列が目に入った。


 以前のページに書いた覚えのない、短い走り書き。


 私はページをめくり、文字の形を確かめた。


 筆跡は、私自身のものに見える。


 だが、その一文を書いた記憶はなかった。


 そこには、こう記されていた。


 ――目録から失われたものを、失われたと決めつけてはいけない。


 私はしばらく、その文字を見つめていた。


 誰が書いたのか。


 いつ書かれたのか。


 そして、なぜ今の私が、それを覚えていないのか。


 答えは何一つなかった。


 ただ一つ確かなのは、その言葉が、これから確認しようとしている旧目録と無関係だとは思えなかったことだった。

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