消えた記録の行方
翌日の放課後、私は王立記録院について調べるため、学園の図書館を訪れていた。
アーデルハイト王立学園の図書館は、中央棟の北側に位置する三階建ての建物だ。高い天井を支える石柱には古い文字が刻まれ、壁一面に並んだ書棚には、魔法学、歴史学、貴族の系譜など、さまざまな分野の書物が収められている。
窓から差し込む午後の光が、空中を漂う細かな埃を照らしていた。
私は歴史資料の目録を机に広げ、ノアから聞いた情報を整理していた。
彼が見せてくれた文書は、原本が破棄されたとされる一方で、別の記録では保管庫へ移されたことになっている。
まずは、その移動記録を確認する必要がある。
「王立記録院の旧目録……王家の文書管理……」
小さくつぶやきながら、索引をめくる。
記録院の資料を直接閲覧するには、身分や目的に応じた手続きが必要になる。公爵家の人間だからといって、何でも自由に見られるわけではない。
むしろ、立場があるからこそ、余計な疑いを招く行動は避けるべきだろう。
私は該当する項目を見つけ、手帳に書き写した。
そのとき、机の向かい側から声がした。
「ずいぶん熱心だね」
顔を上げると、ノアが立っていた。
「あなたも、ずいぶん図書館がお好きなようですわね」
「ここなら、無駄な会話をしなくて済むから」
「私との会話も無駄だと?」
「今のところは、調査に必要な情報が増えている。無駄ではないよ」
私は手帳を閉じた。
「……あなた、褒めるのが下手だと言われませんか?」
「褒めたつもりはない」
「でしょうね」
ノアは向かいの椅子を引き、私が調べていた目録をのぞき込んだ。
「何かわかった?」
「いくつかの資料の所在は確認できました。ただ、原本の移動記録を調べるには、もう少し古い目録が必要です」
「それなら、こちらを見てほしい」
彼は鞄から薄い冊子を取り出した。
表紙には、数十年前の記録院が使用していた分類番号が記されている。
「これは?」
「学園の図書館に寄贈された旧目録の写しだ。以前、別の調査で使ったものがあった」
私は冊子を受け取り、ページをめくった。
古い分類番号と現在の分類番号が、対照表の形でまとめられている。
すべてが一致しているわけではないが、資料の移動先を探すには十分役立ちそうだった。
「助かります。これなら、調査を進められそうですわ」
「その言葉が聞けただけでも、持ってきた甲斐があった」
「今のは、褒め言葉として受け取っても?」
「好きにすればいい」
私は小さく笑った。
どうやら、彼との会話では、こちらが勝手に意味を補う必要があるらしい。
気を取り直して、冊子と目録を照合する。
しばらくして、私は一つの分類番号に指を止めた。
「……おかしいですわね」
「何が?」
「こちらの目録では、ある文書が別の保管区画へ移されたことになっています。でも、移動先の分類番号が見当たりません」
ノアが身を乗り出した。
「見せてくれ」
私は該当する箇所を示した。
彼はしばらく文字を追い、眉を寄せた。
「確かに、番号が合わない」
「分類方法が変更された可能性は?」
「ある。だが、その場合は通常、変更後の番号か、分類の改訂を示す注記が残される」
「それがない?」
「そうだ」
私は別のページを開き、同じ時期に移動された資料を調べた。
すると、いくつかの記録には、移動先の番号が明記されていた。
しかし、問題の文書だけは違う。
移動したという記録はある。
けれど、どこへ移されたのかがわからない。
「この文書だけ、扱いが不自然ですわね」
「少なくとも、ほかの資料と同じ方法では管理されていないようだ」
ノアは冊子を見つめたまま答えた。
私は、ふと別の可能性を考えた。
「記録が失われたのではなく、最初から別の分類で管理されていた可能性はありませんか?」
「つまり、一般の目録には載らない保管区画があったということか?」
「ええ。王家に関係する文書なら、閲覧を制限するために別管理されていても不思議ではありません」
ノアはしばらく考え、ゆっくりとうなずいた。
「その可能性はある。ただし、今の資料だけでは断定できない」
「ですから、次は原本の移動記録を調べる必要がありますわね」
「王立記録院へ問い合わせることになるな」
私は手帳に必要事項を書き加えた。
その瞬間、ふと、あることに気づいた。
「ノア様。一つ確認したいことがあります」
「何だ?」
「この目録は、誰が作成したものですか?」
彼は冊子の表紙を見た。
「記録院の職員が作成したものだと聞いている。ただ、正確な担当者までは確認していない」
「では、目録そのものに誤りがある可能性も残りますわね」
「もちろんだ。だから、目録を正しいものと決めつけず、ほかの資料とも照合する必要がある」
私は満足してうなずいた。
その考え方には同意できる。
一つの記録だけを信じてしまえば、そこに誤りがあったとき、すべての推論が崩れてしまう。
記録は証拠になる。
しかし、記録そのものが間違っている可能性もあるのだ。
私たちは、さらにいくつかの資料を照合した。
すると、問題の文書に関する記述が、別の古い目録にも残されていることがわかった。
こちらでは、文書が破棄されたとされる日付よりも後に、内容を確認したという記録がある。
私は、その一文を何度も読み返した。
「破棄された後に、内容を確認した……?」
「そう読めるな」
ノアの声が低くなった。
「ただし、日付の写し間違いや、後から追記された可能性もある」
「ええ。だからこそ、原本が必要なのですね」
私は手帳に記録を書き加えた。
破棄の記録。
移動の記録。
破棄後の閲覧を示す記述。
三つの情報は、互いに矛盾している。
けれど、どれか一つが間違いだと決めつけることはできなかった。
「今日はここまでにしましょう」
私がそう言うと、ノアは少し意外そうに顔を上げた。
「もういいのか?」
「ええ。これ以上続けても、同じ資料を何度も読むことになりそうですわ。それに、閉館まで残り時間も少ないでしょう?」
ノアは窓の外を見た。
傾き始めた日差しが、書棚の端を黄金色に染めている。
「確かに、その通りだ」
「それに、空腹のまま調査を続けると、記録の矛盾より先に自分の機嫌が悪くなりますもの」
ノアは私を見た。
「それは、君の場合だけでは?」
「では、あなたは空腹でも常に冷静でいられるのですか?」
「少なくとも、空腹を理由に記録を読み間違えたことはない」
「そう。では、次回は昼食を抜いて調査をなさってください。成果を期待していますわ」
「……それは遠回しに、昼食を取れと言っているのか?」
「ご自分で判断なさってください」
ノアは短く息を吐いた。
そして、ほんのわずかに笑った。
私はその表情を見て、少しだけ意外に思った。
この青年にも、冗談が通じる瞬間はあるらしい。
図書館を出る前に、私は調査した資料の番号をもう一度確認した。
原本の所在はわからない。
誰が記録を作成したのかも、まだ不明だ。
けれど、矛盾が生じている箇所は絞り込めた。
次は、王立記録院で正式な閲覧申請を行う必要がある。
その手続きには時間がかかるだろう。
それでも、何もわからなかった昨日とは違う。
私は手帳を閉じた。
「ノア様。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。君がいなければ、分類番号の食い違いに気づくまで、もう少し時間がかかっていたかもしれない」
「では、今度こそ褒め言葉として受け取っておきますわ」
「今度こそ、褒めたつもりだ」
「それは失礼いたしました」
私たちは図書館の入口で別れた。
回廊を歩きながら、私は今日の調査結果を頭の中で整理した。
まだ、確かな答えはない。
誰かが意図的に記録を改竄したのか。
単なる管理上の混乱なのか。
それとも、現在では失われた分類制度が存在しただけなのか。
どれも可能性の一つにすぎない。
だからこそ、次の資料が必要だった。
王立記録院に残されているはずの、原本の移動記録。
私は窓の外へ目を向けた。
遠くに王都の街並みが広がり、その向こうには王城の尖塔が見えている。
あの場所には、アルベルトが話していたという、公式記録に存在しない人物の文書も保管されているのだろうか。
まだわからない。
けれど、別々に見えた二つの謎が、同じ場所へ向かっているような気がした。
私は歩みを止めず、心の中で静かに決意した。
次は、王立記録院へ行こう。
記録が何を語り、何を語っていないのか。
その両方を、自分の目で確かめるために。




