封鎖線を越える影
王都の地下で発見された構造物は、夜明けを迎えても沈黙を保っていた。
だが、その沈黙を安全の証拠と考える者は、昨日の現象を見ていない人間だけだろう。
「封鎖区域を拡大しました。北門へ続く三つの街路は通行禁止です。建物の損傷も確認されていますが、現時点で新たな崩落は起きていません」
警備隊の副官は、地図を広げながら報告した。
私たちは王立記録院の臨時会議室に集まっていた。窓の外では、負傷者を運ぶ荷車と、崩れた石畳を片づける作業員が行き交っている。
「地下構造の発見地点は?」
私が尋ねると、副官は地図の一点を示した。
「こちらです。昨日の崩落地点から北へ少し離れています。周囲の亀裂は、現在も測量を続けています」
「地下で確認された光の線は、どの方向へ伸びていましたか?」
地質調査員のマルタが尋ねた。
「穴の内部から奥へ向かっていた、と報告されています。ただ、現場にいた者の証言だけでは正確な方向を特定できません」
マルタは難しい顔で地図を見つめた。
「内部へ入らずに分かることには限界があります。しかし、地盤が安定するまでは進入させるべきではありません」
「その判断を支持するわ」
私は即座に答えた。
「昨日のような作動が再び起きた場合、逃げ道がない状態で地下にいるのは危険すぎるもの」
ノアが腕を組んだ。
「だが、何もせずに待っている間にも、地下の状態が変化する可能性はある」
「だから、外から確認できる範囲の調査を続けるのよ。地下に入らないことと、何もしないことは同じではないわ」
「正論だな。珍しく反論の余地がない」
「珍しく、は余計よ」
エミリアが小さく咳払いした。
「それで、今日は何を調べるのでしょうか?」
「地下構造の位置と、昨日までに見つかった三つの観測点の関係。それから、王都の地下に古い施設が存在していた記録がないかを確認するわ」
私は机の上に、北方の古地図と王都の旧市街図を並べた。
「北方の地図には、三つの観測点を結ぶ線が記されている。王都の地下で見つかった構造物が、その線の延長上にあるのなら、両者が関係している可能性がある」
「ただし、地図の縮尺と基準点が異なる」
ノアが指摘した。
「そうね。だから、古い街道の位置や、残っている石造建築の基礎を使って照合する必要があるわ」
私たちは調査を始めた。
最初の数時間は、比較的順調だった。
古い街道の記録には、現在の道路とは異なる経路が記されていた。旧市街の一部では、建物の基礎に古い加工石材が再利用されていることも確認できた。
しかし、それらを結んでも、地下構造の位置を正確に割り出すことはできなかった。
「この石材は、北方旧施設のものと同じ加工方法かもしれません」
クラウスが、調査記録の写しを示した。
「ただし、同じ時代に造られたとは限りません。後世の職人が古い技術を模倣した可能性もあります」
「つまり、石材だけでは年代を決められないのね」
「その通りです」
エミリアは古地図を見比べながら、慎重に印をつけていった。
「こちらの旧街道と、北方の線を合わせると、地下構造の候補地点は少し東へずれます。でも、別の基準点を使うと、今度は西へずれてしまいます」
「どちらか一方が間違っているとは限らないわ」
私は答えた。
「地図が作られた時代によって、基準点そのものが違う可能性もある。無理に一致させるのではなく、ずれた理由を探しましょう」
「はい!」
エミリアは真剣に頷いた。
そのとき、会議室の扉が開いた。
一人の警備兵が駆け込んでくる。
「報告します! 封鎖区域内に侵入者が確認されました!」
全員が顔を上げた。
「侵入者?」
副官が立ち上がる。
「はい。北門付近の崩落地点から、立入禁止区域へ入った人物がいます。警備兵が発見した時には、すでに地下構造の近くまで移動していたとのことです」
「身元は?」
「確認できていません。黒い外套を着用し、顔を隠していたそうです」
私の頭に、エーバーハルト家の温室で遭遇した黒衣の人物が浮かんだ。
銀色の粉。
古い幾何学模様。
そして、追跡の末に姿を消した影。
「……まさか、同じ人物?」
エミリアが呟いた。
「まだ断定はできないわ」
私は副官に向き直った。
「侵入者は今、どこに?」
「警備兵が追跡しています。ただし、現場の地盤が不安定なため、接近には危険が伴います」
「追跡を続けるにしても、崩落地点の縁には近づかないよう伝えてください。侵入者を捕らえるために、さらに負傷者を出すわけにはいきません」
「承知しました!」
副官が駆け出していく。
ノアはすでに外套を手に取っていた。
「現場へ行こう」
「ええ。ただし、警備隊と合流してからよ。独断で追いかけるつもりはないわ」
「分かっている」
「本当に?」
「君に言われたくはないな」
「その言葉、そっくり返すわ」
エミリアが慌てて資料をまとめた。
「私も行きます。侵入者が古地図や記録を狙っているなら、何か手掛かりがあるかもしれません」
「危険よ」
「分かっています。でも、私は地図の照合を続けられます。現場の位置関係を確認するのにも役立つはずです」
私は一瞬だけ迷った。
だが、彼女の言うことにも一理ある。
「分かったわ。必ず警備兵の指示に従うこと。異常があれば、調査よりも退避を優先して」
「はい!」
私たちは護衛兵を伴い、北門付近の封鎖区域へ向かった。
現場では、すでに数人の警備兵が周囲を囲んでいた。
崩落地点の近くに、黒い外套の人物の姿はない。
ただし、石畳に新しい足跡が残っていた。
「こちらです」
警備兵が指し示したのは、崩落地点から離れた建物の陰だった。
足跡は、地下構造の穴へ向かうのではなく、その手前で方向を変えている。
「侵入者は穴に近づいたあと、引き返したのかしら」
「その可能性があります。ただ、途中から足跡が途切れています」
私は周囲を見渡した。
建物の壁には、古い石材が使われていた。壁の下部には、目立たない幾何学模様が刻まれている。
その模様を見た瞬間、私は足を止めた。
三つの星。
星を結ぶ線。
そして、線の始まりにある小さな円。
「ヴィオレッタ様?」
エミリアが私の視線を追った。
「この模様……」
「ええ。古地図や石板にあった図形と似ているわ」
クラウスが壁を調べた。
「石材の一部が周囲と異なっています。後世に埋め込まれたものかもしれません」
「この壁の向こうに空間がある可能性は?」
「否定はできません。ただし、壁を壊して確かめるのは危険です」
「壊す必要はないわ」
私は模様を注意深く観察した。
小さな円の近くに、細い傷がある。新しい傷のように見えた。
さらに、その下には銀色の粉がわずかに付着していた。
私はしゃがみ込み、触れずに観察した。
「エーバーハルト家の温室で見つけたものと似ているわね」
ノアが周囲を警戒しながら答えた。
「同じ人物が関係している可能性はある。ただし、証拠を採取して比較するまでは断定しないほうがいい」
「分かっているわ」
私は警備兵に、粉の周囲を踏まないよう指示した。
その直後、建物の向こう側から金属音が響いた。
カン、と一度。
続けて、何かが石にぶつかる音。
「向こうだ!」
警備兵が走り出す。
「待って!」
私は声を上げたが、すでに数人が角を曲がっていた。
次の瞬間、地面が揺れた。
建物の壁に刻まれた模様が、青白く光る。
「全員、離れて!」
クラウスが叫んだ。
光は小さな円から線へ広がり、壁の継ぎ目をなぞるように走った。
地面の下から、低い音が響く。
ゴン。
私は息を呑んだ。
石畳に亀裂が走り、警備兵たちの足元が沈み始める。
「戻れ! そこから離れろ!」
ノアが叫び、近くにいた兵士の腕を掴んだ。
私はエミリアの肩を抱き、壁から距離を取った。
次の瞬間、石畳の一角が崩れ落ちた。
土砂が噴き上がり、通路の一部が地下へ沈み込む。
警備兵の一人が転倒したが、後方にいた仲間がすぐに引きずって安全な場所へ移した。
幸い、誰も穴へ落ちることはなかった。
しかし、崩れた地面の下から、青白い光が漏れ始めていた。
「また作動した……!」
エミリアが震える声で言った。
「いいえ」
私は、壁の模様を見つめた。
「今回は、石板ではないわ。壁の中にある何かが反応したのよ」
光は弱まりながらも、地下へ向かって伸びていた。
そして、その奥から、かすかな金属音が聞こえた。
カチリ。
まるで、何かの留め具が外れたような音だった。
私は地図を取り出した。
この壁の位置を、古地図に記された線と照合する。
完全な一致ではない。
だが、位置関係は無視できなかった。
北方の観測点。
王都の地下構造。
そして、今回見つかった壁の模様。
それらは、別々の場所にありながら、同じ図形を共有している。
その意味は、まだ分からない。
ただ、黒い外套の人物がここへ来たことと、壁の機構が作動したことが、偶然だったと決めつけることもできなかった。
「侵入者を追うのは中止しましょう」
私は副官に告げた。
「まずは負傷者の確認と、周辺の封鎖を優先してください。壁にも地下の穴にも触れないこと。作動条件が分からない以上、これ以上の刺激は危険です」
「承知しました」
警備兵たちが周囲の安全確認を始める。
ノアは崩落した場所を見つめていた。
「侵入者は、この壁の仕組みを知っていたのかもしれないな」
「あるいは、何かを探していて、偶然作動させたのかもしれない」
私は答えた。
「どちらにしても、今は推測の域を出ないわ」
エミリアが古地図を抱き締めるように持った。
「でも、もしこの壁が地下施設につながっているなら……」
「ええ。王都の地下には、まだ確認されていない構造が残っている可能性が高い」
私は壁の模様を最後にもう一度見た。
小さな円。
三つの星。
線の始まり。
そして、銀色の粉。
今度の調査で、私たちは新たな手掛かりを得た。
同時に、古い機構が今も危険な状態にあることを、再び思い知らされた。
侵入者の正体も、壁の向こうにあるものも分からない。
けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
誰かが、私たちより先にこの場所を調べている。
そして、その人物は、地下の機構が作動することを恐れていないのかもしれない。
私は記録帳を閉じた。
次に追うべきものは、地下の構造だけではない。
この機構を知り、王都の封鎖区域へ侵入した黒い影。
その正体を突き止めなければ、私たちはいつまでも相手の行動に振り回されることになる。
北の空には、まだ朝の光が残っていた。
しかし、私には、王都の地下で何かが動き続けているように思えてならなかった。




