崩落の向こう側
最初の爆発音が響いたのは、夜明け前だった。
王立記録院の窓が震え、机の上に積まれていた書類が一斉に床へ落ちた。
「……今の音は何?」
私は椅子から立ち上がった。
向かいで資料を読んでいたノアも、すでに窓際へ移動していた。夜明け前の薄暗い街並み。その北方の丘陵地帯から、青白い光が空へ伸びている。
一本ではない。
三本の光が、ほぼ同時に立ち上がっていた。
「ヴィオレッタ様!」
扉を開けて駆け込んできたエミリアが、息を切らして叫んだ。
「北方観測施設の方向です! 記録院の警備兵が、地面が揺れたと報告しています!」
「地震ではないの?」
「分かりません。でも、光が見えた直後に、北門付近の石畳が割れたそうです!」
私は机の上の地図を広げた。
北方の三つの観測点。
エーバーハルト家の塔。
そして、昨日まで所在を追っていた地下空間。
青白い光が立ち上がった方角は、そのすべてと無関係ではなかった。
「ノア、護衛隊の副官に連絡を。北方へ向かう準備を整えてもらって」
「もう動いているはずだ。だが、何をするつもりだ?」
「ディートリヒ隊長の捜索を待つだけではいられないわ。あの光が昨日の機構と関係しているなら、地下で何かが起きている可能性がある」
「同感だ。ただし、現地に着いたら勝手に突っ込まないこと。昨日の教訓を忘れたわけではないだろう?」
「もちろんよ」
私は外套を手に取った。
「今回は、突っ込む前に危険がこちらへ走ってくる可能性も考えておくわ」
「それは少しも安心できない返答だな」
「安心させるために言ったのではないもの」
エミリアが青ざめた顔で私たちを見た。
「お二人とも、そういう話を普通にしないでください!」
その瞬間、二度目の爆発音が響いた。
今度は遠くからではなかった。
王立記録院の建物そのものが揺れ、窓ガラスに細かな亀裂が走る。
廊下の向こうで悲鳴が上がった。
「全員、窓から離れて!」
ノアが叫ぶ。
私がエミリアの腕を引いた直後、窓の一部が内側へ弾け飛んだ。飛散した破片が床に散らばり、机の上のランプが倒れる。
青白い光が、割れた窓の向こうを横切った。
まるで、目に見えない何かが空気を切り裂いていったようだった。
「今のは……!」
エミリアが息を呑む。
「魔法の攻撃なの?」
「分からない。だが、通常の魔術なら、こんな距離で建物の窓だけを狙って破壊する理由がない」
ノアは床に落ちた破片を避けながら、窓の外を確認した。
北の空に、細い光の筋が走っている。
その光は一度消え、別の場所に現れた。
遠くの屋根の上で、石造りの煙突が崩れ落ちた。
「避難を優先しましょう」
私は二人に告げた。
「ここで原因を推測していても、建物が崩れたら意味がないわ」
私たちは廊下へ飛び出した。
記録院の職員たちは、すでに中庭へ避難し始めていた。警備兵が負傷者を支え、別の者が建物内に残された人々を誘導している。
階段を下りたところで、外から駆け込んできた兵士が私たちの前に立った。
「ヴィオレッタ様! 北門から報告です!」
「何が起きているの?」
「石畳の下から青い光が走り、地面が次々と隆起しています。門の一部が崩壊し、街路が封鎖されました!」
「負傷者は?」
「数名が負傷しましたが、現在、救護所へ搬送しています。まだ被害の全容は分かりません!」
私は地図を取り出した。
北門は、古い街道が王都へ入る地点にある。
その街道は、かつて北方観測施設へ向かう道の一部でもあった。
もし地下の構造が王都の地下にまで伸びているなら、昨日の崩落は始まりにすぎなかったのかもしれない。
だが、なぜ今になって作動したのか。
第三観測点での調査が引き金になったのか。それとも、私たちの知らない場所で別の何かが動いたのか。
まだ、何も断定できない。
「ヴィオレッタ!」
中庭の入口から、護衛隊の副官が走ってきた。
「北方の捜索隊と連絡が取れました。崩落地点の地下から、複数の発光反応が確認されています。さらに、地下空間の一部で、壁が動いているとの報告がありました」
「壁が動いている?」
「はい。自然の崩落では説明できない動きだそうです。それから……」
副官は一度、言葉を切った。
「地下から、合図のような音が聞こえたそうです。三回、間隔を置いて」
私の背筋に冷たいものが走った。
三度の低い音。
あの石板が光ったときに聞こえた音と同じだった。
「ディートリヒ隊長の捜索は?」
「続行しています。ただし、地下の構造が変化しているため、隊員たちだけでは安全に進めません。追加の専門家が必要です」
「分かったわ。現地の状況を記録しながら、無理な進入は止めて。救助のためであっても、二次被害を出してはならない」
「承知しました」
副官が去ると、ノアが私の隣に立った。
「どうする?」
「北方へ向かうわ。王都の被害状況を確認し、専門家と合流する。現地の安全が確保できなければ、地下には入らない」
「それでいい」
ノアは短く答えた。
「ただ、ひとつ問題がある」
「何?」
「北門へ向かう街路が封鎖されている。馬車では進めないだろう」
私は崩れた窓の向こうを見た。
遠くで、また青白い光が走った。
その光を追うように、地面が低く唸る。
「なら、歩いて向かうしかないわね」
「危険が増すだけだぞ」
「ここに残っても、状況が分からないままよ。それに、地下の機構が王都にまで影響しているなら、現地の記録と照合できる人間が必要になる」
「その役目を自分で引き受けるのか?」
「私が始めた調査だもの。少なくとも、何が分かっていて、何が分かっていないのかを説明する責任はあるわ」
ノアは私を見つめたあと、小さく頷いた。
「分かった。ただし、僕から離れないこと」
「命令?」
「忠告だ。君は危険を前にすると、記録に残すべきことを優先して、自分の身を後回しにする傾向がある」
「そんなことは……」
「昨日も、崩落地点へ近づこうとした」
「それは、状況を確認するためで……」
「理由は聞いていない。事実を述べている」
私は反論を飲み込んだ。
どうやら、記録の不一致を追うだけでなく、自分自身の行動も検証する必要があるらしい。
「分かったわ。危険があれば退く。それでいいでしょう?」
「約束だ」
「はいはい」
「ヴィオレッタ様、私も同行します!」
エミリアがすぐに声を上げた。
「古地図と測量図の照合なら、私にもできます。それに、今回の光が三つの観測点と関係しているなら、地図を持っていく必要があります」
「危険よ、エミリア」
「分かっています。でも、危険だから何もできないと決めてしまったら、ディートリヒ隊長の捜索にも協力できません」
彼女の声は震えていた。
それでも、目は逸らさなかった。
私は少しだけ微笑んだ。
「分かったわ。ただし、私たちの指示に従うこと。勝手に危険な場所へ近づかないこと」
「はい!」
「それから、地図を飛ばさないこと」
「そ、それはもう忘れてください!」
ノアが小さく笑った。
「無理だろう。あの地図は、今後も語り継がれる」
「ノア様!」
ほんの一瞬だけ、いつもの空気が戻った。
しかし、その直後だった。
王都の北側で、巨大な轟音が響いた。
地面が波打つように揺れ、中庭の石畳に亀裂が走る。
「全員、建物から離れろ!」
警備兵の叫びが響く。
私たちは中庭の中央へ駆け出した。
石畳の隙間から青白い光が漏れ、一本の線となって北へ走っていく。
線は途中で三つに分かれ、それぞれ別の街路へ伸びた。
その先で、地面が次々と隆起する。
石畳が跳ね上がり、街路の一角が崩れた。
人々の悲鳴。
兵士たちの誘導する声。
砕けた石が地面を転がる音。
王都の地下で、何かが確実に動いていた。
そして、私の目には、その光の線が古地図の図形と重なって見えた。
三つの星。
それらを結ぶ線。
そして、線の始まり。
私は鞄から古地図を取り出しかけ、思いとどまった。
今は、地図を確認する時間ではない。
まず人々を安全な場所へ避難させなければならない。
「ノア、東側の通路へ! エミリアは警備兵と合流して、避難経路を確認して!」
「分かった!」
「はい!」
私たちはそれぞれ走り出した。
私は崩れた石畳の向こうで、立ち往生している老婦人を見つけた。近くでは、倒れた荷車が通路を塞いでいる。
「こちらへ! 足元に気をつけて!」
老婦人を支えながら、私は安全な広場へ誘導した。
そのとき、頭上から石片が落ちてきた。
反射的に身をかがめる。
石片は肩先をかすめ、地面に砕け散った。
「ヴィオレッタ!」
駆け寄ってきたノアが、私の腕を掴んだ。
「怪我は?」
「大丈夫よ。かすっただけ」
「本当に?」
「今は確認している時間がないわ!」
私は彼の手を振りほどくのではなく、逆にその腕を引いた。
「まだ避難できていない人がいる。手伝って!」
ノアは一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐに頷いた。
「分かった。だが、次は君の安全も確認する」
「検討しておくわ!」
「検討ではなく約束だ!」
私たちは再び走った。
避難誘導が一段落した頃、青白い光はようやく消え始めた。
地鳴りも遠ざかっていく。
しかし、王都の北側には、いくつもの亀裂と崩落した街路が残されていた。
負傷者の救護が進む中、私は広場の端で古地図を広げた。
光が走った経路を、警備兵たちが報告した位置と照合する。
完全な一致ではない。
それでも、複数の地点が古い線の近くに並んでいた。
「やはり、王都の地下にも何かがあるのね……」
エミリアが隣から地図を覗き込んだ。
「北方観測施設と王都が、地下でつながっているのでしょうか?」
「可能性はある。でも、まだ断定はできないわ。地表の現象だけでは、地下の構造までは分からない」
ノアは崩れた街路を見つめていた。
「ただ、今回の現象が昨日の機構と関係しているなら、第三観測点だけの問題ではなくなった」
「ええ」
私は地図を閉じた。
これまで私たちは、古い文明の遺跡を調べていた。
しかし、今やその遺跡は、遠い過去に閉じ込められたものではない。
王都の足元で動き、街路を崩し、人々の生活を脅かしている。
そして、地下にはまだ、行方不明のディートリヒがいるかもしれない。
私は北の空を見上げた。
青白い光は消えていた。
だが、あの光が再び現れないという保証はない。
「北方へ向かいましょう」
私は二人に告げた。
「現地の専門家と合流して、地下構造と王都で起きた現象を照合する。原因が分からない以上、次の作動を待つわけにはいかないわ」
「了解した」
「はい!」
私たちは、崩れた街路を背に歩き始めた。
王都の地下で何が目覚めたのか。
なぜ、今になって動き始めたのか。
そして、ディートリヒはどこにいるのか。
答えはまだない。
ただ一つ確かなのは、これ以上、過去の記録を机の上だけで追いかけているわけにはいかなくなったということだった。
今度の謎は、私たちが追いかける前に、こちらへ襲いかかってきたのだから。




