失われた記録の行き先
旧北方区画の記録が分離されていた。
その事実が分かってから、私たちの調査方針は少し変わった。
これまでは、古い記録に残された番号を追い、現在の保管場所を特定することに重点を置いていた。
しかし、現地調査記録と応答記録が意図的に分けられていたのなら、片方だけを見つけても全体像は分からない。
問題は、もう片方がどこへ移されたのかということだった。
「保全資料の管理部門から返答が届きました」
エミリアが、朝一番に受け取った書類を机に置いた。
「例の補助台帳に記載されていた管理番号について、移管記録との照合が可能になったそうです。ただし、閲覧できるのは移管履歴までで、資料そのものの閲覧には別の許可が必要だそうです」
「一歩進んだ、と考えていいのかしら」
「はい。少なくとも、どこを探せばいいのかは分かりました」
ノアは書類に目を通し、静かに頷いた。
「移管先が分かれば、次の申請理由も明確になる。以前よりはましだな」
「その言い方だと、昨日までが相当ひどかったみたいね」
「昨日までというより、ここ数週間だ」
「ずいぶん長い期間を対象にしたわね」
「記録の量に比例しているだけだ」
私は反論を諦めた。
この男と口論しても、資料が一枚増えるわけではない。
私たちは保全資料の管理部門へ向かい、担当官の立ち会いのもとで移管履歴を確認した。
古い台帳は、何度も修正された跡があった。分類番号の書き換え、保管場所の変更、担当部署の統合。
その中に、旧北方区画に関する一連の記録が見つかった。
現地調査記録は、通常の施設管理資料とともに再分類されている。
一方、応答記録は別の管理番号へ移されていた。
そして、その移管先の欄には、次のように記されていた。
『特殊保全資料群・未整理区分』
「未整理区分……」
エミリアが読み上げた。
「そこには、まだ分類されていない資料が保管されているということですか?」
「必ずしもそうとは限りません」
担当官は慎重に答えた。
「古い管理体系から移管された資料の中には、現在の分類基準に対応できず、仮の区分に置かれたままのものがあります。ただし、名称が同じだからといって、すべてが同じ保管場所にあるとは限りません」
「つまり、また照合が必要なのね」
私が言うと、担当官は申し訳なさそうに頭を下げた。
「はい。保管台帳と移管履歴を照合し、現物の所在を確認する必要があります」
ノアが台帳の一行を指した。
「この番号の横にある記号は何ですか?」
担当官は目を細めた。
「古い管理記号です。現在の凡例には対応するものがありません。過去の記号一覧を確認しなければ、意味は判断できません」
私はその記号を手帳に写し取った。
記号の形は、三つの星を結ぶ線とは異なっていた。
それでも、見覚えのない印が記録の移管に使われているという事実は、気になった。
「この記号が使われている資料は、ほかにもありますか?」
「同じ時期の移管資料に、いくつか確認されています。ただし、用途は不明です」
「それらも閲覧できますか?」
「申請を出していただければ、確認します」
私は礼を述べ、必要な手続きを進めることにした。
すぐに答えが得られるわけではない。
それでも、今回は単に資料の番号を追っているのではなかった。
どの記録が、どの時点で、どの区分へ移されたのか。
その履歴そのものが、過去の調査体制を知る手掛かりになる。
管理部門を出たあと、私たちは中庭のベンチで資料を整理した。
エミリアは申請書の控えを確認し、ノアは移管履歴の写しを並べている。
「ヴィオレッタ様、ひとつ気づいたことがあります」
エミリアが言った。
「何かしら?」
「現地調査記録と応答記録は、別々の番号で管理されていました。でも、移管された時期は同じではありません。現地調査記録のほうが先に移されていて、応答記録はその後、別の部署を経由しています」
「移管時期に差があるのね」
「はい。しかも、応答記録の移管理由は空欄です」
私は二つの記録を見比べた。
単なる整理の遅れかもしれない。
部署の統合によって、手続きが複雑になっただけかもしれない。
しかし、応答記録だけが別の経路をたどったことは、確認しておく必要がある。
「移管された時期の前後に、何があったのかを調べましょう。施設管理部門の組織変更や、旧北方区画の調査計画に関する記録が残っているはずよ」
「また別の資料を探すんですね……」
エミリアが小さく呟いた。
「ええ」
「もしかして、この調査が終わるまで、私はずっと資料室にいるのでしょうか」
「その可能性はあるわね」
「……道に迷わないよう、今のうちに出口の位置を確認しておきます」
ノアが顔を上げた。
「賢明な判断だ。資料室の中で遭難されたら、捜索隊を編成する必要がある」
「ノア様、私は遭難しません!」
「昨日、廊下の反対側から戻ってきたとき、君は自分がどこにいるのか分かっていなかっただろう」
「それは……!」
「二人とも、そこまでにしましょう」
私は二人を制した。
「今は、遭難者の捜索計画ではなく、資料の捜索計画を立てる時間よ」
「承知しました」
ノアは平然と答えた。
エミリアは、少しだけ頬を膨らませていた。
その様子を見て、私はようやく肩の力を抜いた。
昨日から続く緊張が消えたわけではない。
ディートリヒの捜索は、まだ終わっていない。
地下空間の安全性も確認されていない。
それでも、今できることを一つずつ進めるしかなかった。
午後になり、私は移管履歴の写しをもう一度確認した。
応答記録の移管理由は空欄。
現地調査記録とは別の部署を経由している。
そして、現在の分類体系には対応しない古い管理記号が付されている。
これらは、まだ何かが隠されている証拠ではない。
ただ、過去の管理方法が現在の分類体系では十分に説明できないことを示していた。
私は記録帳に、確認できた事実だけを書き留めた。
そのとき、最後のページの隅に、以前自分が書いた一文が目に入った。
『入口は、記録されていない』
かつて、理由も分からず頭に浮かんだ言葉だった。
私はしばらく、その文字を見つめた。
入口が記録されていないのなら、誰かが意図的に記録しなかったのか。
それとも、そもそも入口という概念が、私たちの理解と異なっているのか。
今の段階では、どちらも推測にすぎない。
だが、現地の石板、古い地図、塔の壁に残された線、そして分離された応答記録。
それらを結びつけるものがあるとすれば、私たちはまだ、その全体像を見ていない。
「ヴィオレッタ」
ノアが声をかけた。
「そろそろ戻ろう。申請の結果が届くまで、ここで考え続けても進展はない」
「そうね」
私は記録帳を閉じた。
「明日は、移管時期の前後に何があったのかを調べましょう。応答記録が別の部署へ移された理由が分かれば、次に探すべき場所も見えてくるはずよ」
「それで、現地の捜索は?」
「副官からの報告を待つわ。新たな情報が届いたら、地図と照合する」
エミリアも資料をまとめ、立ち上がった。
記録は、まだ断片のままだ。
地下に残されたものも、過去に記録を分けた理由も、ディートリヒの行方も分からない。
けれど、ひとつだけ以前と違うことがある。
私たちは、ただ古い番号を追いかけているのではない。
記録がどのように扱われ、どこで分かれ、どこへ移されたのかを調べている。
それは、過去の出来事そのものではなく、過去を残そうとした人々の判断を追うことでもあった。
私は資料室を出る前に、一度だけ振り返った。
無数の記録が並ぶ棚の奥に、まだ誰も見つけていない答えが眠っているのかもしれない。
しかし、その答えを急いで引き出すつもりはなかった。
確かめる前に開いてはいけないものがある。
それが古い機構だけでなく、記録そのものにも当てはまるのだとしたら。
今度こそ、私たちは順序を間違えてはならない。




