記録されなかった地下通路
第三観測点の崩落から二日目。
私は王立記録院の資料室で、五十年前の施設管理報告書を前に頭を抱えていた。
正確には、頭を抱えたい気分だった。
実際に抱えてしまうと、向かいに座るノアから余計な指摘を受けることが目に見えていたからだ。
「同じページを何度読んでも、文字が増えるわけではないぞ」
「分かっているわ」
「なら、なぜ五回も読み直している?」
「六回目で、書き手が突然親切になる可能性を検討しているのよ」
「その可能性は、限りなく低いと思う」
「あなた、希望という言葉を辞書で引いたことがある?」
「ある。今回の資料には載っていなかった」
私は報告書を閉じた。
やはり、ノアと資料調査をすると、精神力が別の方向へ消費される。
隣ではエミリアが古い索引を広げ、指先で行を追っていた。
「見つけました!」
その声に、私はすぐ顔を上げた。
「何があったの?」
「この報告書に記載されている資料番号です。通常の施設管理簿ではなく、旧北方区画の特別保全記録に対応しているみたいです」
「特別保全記録……」
私はエミリアの隣へ移動した。
索引には、該当する記録の名称と、保管場所を示す古い分類番号が記されていた。しかし、現在の分類番号との対応欄は空白になっている。
見覚えのある形式だった。
古い番号は残っている。資料が存在したことも確認できる。だが、その後どこへ移されたのかが分からない。
私たちが第二章で追い続けた記録の不一致と、よく似ていた。
「この記録も、再分類の際に所在が分からなくなったのかしら」
「可能性はあります。ただ、こちらには移管先の記入欄そのものがありません」
エミリアが答えた。
「最初から記載されなかったのか、後から失われたのかは分かりません」
「つまり、また記録の迷子ね」
ノアが索引を覗き込んだ。
「迷子というより、誰も現在地を確認していないだけかもしれない。資料が消えたと決めつけるのは早い」
「そうね。まずは保管場所を確認しましょう」
私は記録院の管理担当者に照会を出した。
返答が届くまでの間、私たちは昨日の捜索隊から受け取った測量図を広げた。
崩落地点の北側で発見された、地下空間の候補地点。
地表の亀裂。
石板から北西へ伸びる線。
それらを古地図に重ねると、ひとつの奇妙な特徴が見えてきた。
「地下空間の候補地点は、三つの観測点を結ぶ線の近くにありますね」
エミリアが言った。
「でも、線の真上ではありません」
「測量の誤差もあるわ。まだ位置を断定することはできない」
私は古地図の端に、測量図との照合結果を書き込んだ。
「ただ、昨日の崩落がこの線に沿って広がったのなら、地下空間との関係は調べる価値がある」
ノアが腕を組んだ。
「ひとつ気になることがある」
「何?」
「五十年前の報告書には、第三観測点の応答を確認してから再調査すると書かれていた。だが、昨日のような現象が起きることを知っていたなら、なぜ地盤の安定性だけで安全を判断してはならない、という注意書きが残されているんだ?」
「危険を予測していたからではないの?」
「それだけなら、応答の確認を再調査の条件にする理由が弱い。応答が確認されること自体に、何らかの意味があった可能性がある」
私は考え込んだ。
過去の調査担当者は、応答を待っていたのか。
それとも、応答が起きるまで調査を始めてはならなかったのか。
文章だけでは、どちらとも判断できない。
「原本を確認する必要があるわね」
そのとき、資料室の扉が叩かれた。
管理担当者が、薄い台帳を抱えて入ってきた。
「お問い合わせの旧北方区画に関する資料ですが、現行の分類では所在を確認できませんでした。ただし、移管時の補助台帳に該当する番号が残っています」
「補助台帳ですか?」
「はい。旧施設の管理記録とは別に、特殊な設備や構造物に関する資料を扱っていたようです。現在は通常の施設管理部門ではなく、保全資料の管理部門に分類されています」
担当者は台帳を机に置いた。
そこには、旧分類番号と移管時の番号が並んでいた。
そして、備考欄に短い一文が残されている。
『地下構造に関する応答記録は、現地調査記録と分離して保管すること』
私はその一文を見つめた。
「分離して保管する……」
ノアが低く呟いた。
「やはり、通常の調査記録とは別に管理されていたらしい」
「でも、どうしてでしょうか?」
エミリアが尋ねた。
「情報の性質が違ったのかもしれない。あるいは、記録を扱う部署が違っただけかもしれない」
私は答えた。
「理由は、まだ分からないわ。記録を分けたこと自体を、隠蔽の証拠と考えるのは危険よ」
担当者は頷き、台帳の後半を開いた。
「こちらに、移管先の管理番号があります。ただ、現行の保管台帳では、該当資料の所在が未確認となっています」
「未確認ということは、廃棄されたと決まったわけではないのですね?」
「その通りです。別の資料群へ統合された可能性もあります」
「では、その移管記録を調べる許可をいただけますか」
「申請を出していただければ、手続きを進めます」
担当者が退出したあと、私は椅子に腰を下ろした。
新しい手掛かりは得られた。
しかし、肝心の記録はまだ見つかっていない。
「進展したのか、後退したのか、分からなくなるわね」
私が呟くと、ノアは台帳を閉じた。
「少なくとも、以前よりは範囲が狭まった。何を探せばいいのかが、少し明確になった」
「そう考えることにするわ」
「君がそう考えないと、エミリアがまた資料室の中で迷子になる」
「わ、私は資料室では迷子になりません!」
「先ほど、同じ棚を三周していたように見えたが」
「それは番号を確認していただけです!」
私は小さく笑った。
エミリアの抗議を聞きながら、台帳に記された管理番号を写し取る。
まだ、何も解決していない。
それでも、昨日の出来事が過去の記録とつながり始めている。
第三観測点の応答。
地下構造の調査。
分離された記録。
そして、現地で確認された地下空間。
これらが同じ仕組みに関係しているのなら、私たちはようやく、その周辺に残された記録の入口へ近づいたのかもしれない。
だが、地下に何があるのかは分からない。
ディートリヒがそこにいるのかも、まだ分からない。
私は最後に、台帳の備考欄をもう一度確認した。
『地下構造に関する応答記録は、現地調査記録と分離して保管すること』
分離された記録。
別々に残された情報。
それらを正しく照合すれば、何かが見えてくるはずだ。
しかし、照合する前に、ひとつだけ確かめなければならないことがあった。
記録が分けられたのは、単に管理上の理由だったのか。
それとも、両方を同時に読むことに、何らかの危険があったのか。
私はその問いを、調査帳の最後に書き留めた。
答えを急ぐつもりはない。
けれど、次に地下へ向かうときには、昨日と同じ過ちを繰り返さないための知識が必要だった。




