記録から消えた名前
王立記録院での調査を続けるうちに、ヴィオレッタ・ヴァレンシュタインは、一つの事実に気づき始めていた。
古い資料の所在を追跡するには、文書そのものだけでなく、それを管理していた人々の記録も必要になる。
誰が受け取り、誰が分類し、誰が閲覧を許可したのか。
その過程をたどれば、失われた資料の行方を推測できるかもしれない。
翌朝、ヴィオレッタはノア・ヴァルケインとともに、過去の記録管理監督官に関する職員名簿を調べるため、指定された保管区画を訪れた。
そこは一般の閲覧室よりも奥まった場所にあり、壁際には年代ごとに整理された帳簿が並んでいた。
担当の職員は二人の申請書を確認し、該当する棚を案内した。
「こちらが当時の職員名簿です。閲覧後は、必ず元の位置へお戻しください」
「承知しました」
ヴィオレッタが礼を述べると、職員は軽く頭を下げて去っていった。
ノアは棚から指定された帳簿を取り出し、机の上に置いた。
「さて、記録管理監督官か。名前だけを見ると、ずいぶん立派な役職だな」
「役職が立派でも、仕事が立派とは限らないわ」
「君は本当に、他人の肩書きを信用しないんだな」
「信用するかどうかを決めるのは、肩書きではなく仕事の内容よ」
「なるほど。僕も将来の参考にしよう」
「あなたが将来、何かの監督官になる予定でもあるの?」
「今のところ、古い帳簿の監督官くらいしか候補がない」
「それなら、まずは帳簿を丁寧に扱うことから始めるべきね」
ノアは返事をせず、帳簿を開いた。
二人は年代を確認しながら、監督官の名前と在職期間を調べていった。
最初の数冊には、特に問題はなかった。
就任日、退任日、担当区画、引き継ぎ先。それぞれが一定の形式で記録されている。
ところが、ある年代の名簿に差しかかったとき、ヴィオレッタの指が止まった。
「ノア、ここを見て」
そのページには、記録管理監督官の交代が記されていた。
前任者の退任日は明確だった。
しかし、後任者の名前が記されていない。
代わりに、備考欄には短い一文があった。
『所定の手続きにより、職務を引き継ぐ』
「名前がないわね」
「そうだな。ただ、これだけでは不自然とは言い切れない。別の帳簿に記載されている可能性がある」
「まずは引き継ぎ記録を探しましょう」
二人は関連する帳簿を調べ始めた。
人事記録、職務引き継ぎ簿、保管区画の管理記録。
しかし、該当する期間の引き継ぎ簿には、監督官の名前が見つからなかった。
代わりに確認できたのは、いくつかの部署で担当者が変更されたという記録だけだった。
「少なくとも、この帳簿だけでは後任者を特定できないわね」
ヴィオレッタが言うと、ノアはページをめくりながら答えた。
「別の部署の人間が一時的に職務を代行した可能性もある。あるいは、役職の名称そのものが変更されたのかもしれない」
「その場合、変更の記録が残っているはずよ」
「必ずしもそうとは限らない。制度変更の記録が別の資料にまとめられていることもある」
ヴィオレッタは頷いた。
彼の言うとおりだった。
名前がないという事実と、名前が意図的に消されたという結論の間には、大きな隔たりがある。
彼女は該当するページの番号と、関連資料の所在を手帳に記録した。
そのとき、隣の帳簿に挟まれた薄い紙片が目に入った。
紙片には、別の分類番号と日付が記されている。
裏面には、短い注記があった。
『旧管理区画の引き継ぎ資料を参照』
「これは?」
ノアが身を乗り出す。
ヴィオレッタは紙片を裏返し、表面と見比べた。
「この帳簿の付属資料かもしれないわ。けれど、正式な記録の一部なのか、後から挟まれたものなのかは分からない」
二人は職員を呼び、紙片の扱いについて確認した。
職員は慎重に状態を調べたあと、記録上の付属資料ではないことを説明した。
「こちらは、以前の調査で使用された参照メモのようです。正式な帳簿の一部ではありません。別の資料に関連している可能性がありますので、出所を確認いたします」
「この分類番号の資料は閲覧できますか?」
ヴィオレッタが尋ねると、職員は番号を控えた。
「保管場所を確認する必要があります。少々お時間をいただきます」
その返答を聞き、ヴィオレッタは内心で小さく息をついた。
また保管場所の確認だった。
もっとも、同じ返答が繰り返されたからといって、同じ原因があるとは限らない。
今回は、正式な帳簿ではない紙片が出発点なのだ。別の資料を探す必要があるのは当然だった。
二人は参照メモの複製を申請し、追加の資料が見つかるまで待つことにした。
閲覧室へ戻る途中、ノアが口を開いた。
「一つ、気になることがある」
「何かしら?」
「もし単なる引き継ぎ漏れなら、後任者の名前が別の資料に残っていてもおかしくない。だが、今回の期間は、関連する記録そのものが少ない」
「それは確かね。ただし、当時の記録方式が違っていた可能性もあるわ」
「だからこそ、旧管理区画の資料を調べる必要がある」
ヴィオレッタは頷いた。
今回分かったのは、ある時期の監督官の名前を現在の帳簿から特定できないということ。
そして、その時期に関係する参照メモが、正式な帳簿とは別に残されていたということだった。
それ以上の結論は、まだ出せない。
帰宅後、ヴィオレッタは調査記録を整理した。
彼女は最後に、こう書き添えた。
『名前が記されていないことは確認できた。しかし、その人物が存在しなかったことも、誰かが名前を消したことも、まだ証明されていない』
書き終えたとき、ふと、見覚えのない言葉が頭をよぎった。
名前を失ったものは、存在しなかったことになるのだろうか。
それとも、記録されなくなっただけなのだろうか。
ヴィオレッタは目を閉じた。
その問いが、どこから生まれたのか分からない。
以前の人生で考えたことがあるのかもしれない。
あるいは、今読んだ帳簿から連想しただけなのかもしれない。
彼女は、その言葉を手帳に書かなかった。
まだ、調査の事実と自分の内面を混同したくなかったからだ。
机の上には、旧管理区画の資料番号を記した紙が残っていた。
次に調べるべき場所は、そこにある。
ヴィオレッタは紙を封筒に収め、明日の準備を始めた。
名前のない役職。
所在の分からない資料。
そして、正式な記録の外側に残された小さな参照メモ。
それらが一つの出来事につながっているのかどうか。
答えを出すには、まだ証拠が足りなかった。




