目録に記された許可
翌朝、ヴィオレッタ・ヴァレンシュタインは、王立記録院へ向かう馬車の中で一冊の手帳を開いていた。
昨日までに確認した事実と、まだ仮説にすぎないもの。その二つを混同しないよう、彼女はページを分けて記録している。
古い文書の所在が複数の記録で食い違っていること。
文書の移動先が記されているにもかかわらず、受け入れを示す記録が見つからないこと。
そして、失われたとされる文書が、消失したはずの日付より後に閲覧された可能性があること。
どれも不自然ではある。しかし、現時点で誰かが記録を改竄したと断定することはできない。
「……疑うのは簡単。でも、疑っただけで真実になるわけではないものね」
ヴィオレッタは手帳を閉じた。
「お嬢様、何かおっしゃいましたか?」
向かいに座る侍女が尋ねる。
「いいえ。自分の推理に、余計な期待をしないよう言い聞かせていただけよ」
「ご立派です」
「そうかしら。できれば、推理する前に答えが見つかる人生を送りたかったわ」
侍女は返答に困ったように微笑んだ。
馬車が王立記録院の前で止まる。
重厚な石造りの建物は、朝の光を受けて静かに佇んでいた。正面の扉をくぐると、紙と古い革の匂いがヴィオレッタを迎える。
受付で手続きを済ませ、彼女は前回と同じ閲覧室へ向かった。
そこには、すでにノア・ヴァルケインがいた。
机の上には、目録の写しと数冊の記録簿が整然と並んでいる。
「早いのね」
「君こそ。貴族令嬢は朝食の後、昼まで優雅に過ごすものだと思っていた」
「その認識を改める機会を与えられて光栄だわ」
「どういたしまして」
ノアは平然と答え、手元の紙を差し出した。
「昨日、古い目録の分類番号を現在の体系に対応させてみた。いくつかの食い違いは、分類方式が変更されたことで説明できる」
「すべてではないのでしょう?」
「残念ながら」
彼は別の紙を机に広げた。
「問題はここだ。この番号で登録されている文書は、現在の目録では閲覧申請の対象外になっている」
ヴィオレッタは紙面に目を落とした。
そこには、古い分類番号と新しい番号の対応関係が記されていた。その横に、小さな注記が添えられている。
『閲覧に際しては、所定の許可証を要する』
「この規定、現行の閲覧規則には見当たらなかったわ」
「僕も確認した。一般公開されている規則には記載がない」
「つまり、規則が存在しないのに許可が必要だと?」
「正確には、現在の規則からは確認できない、だな。過去の規則が廃止されたのか、別の規程に移されたのか、それとも単なる記載漏れなのか。まだ判断できない」
ヴィオレッタは小さく頷いた。
結論を急がない。その原則は、こういうときにこそ必要だった。
「まずは、この注記がいつ追加されたものなのか調べましょう」
「同意見だ」
二人は記録簿を一冊ずつ確認し始めた。
古い分類番号が使われていた時代の閲覧規則。改訂された規則の写し。過去に閲覧許可を発行した記録。
一時間ほど調べたところで、ヴィオレッタの指が一つの記載の上で止まった。
「ノア、これを見て」
そこには、数十年前の日付とともに、閲覧許可の発行を示す記録が残されていた。
しかし、申請者の欄には個人名がない。
代わりに記されていたのは、ひとつの役職名だった。
『記録管理監督官』
「当時の職員名簿を確認する必要があるわね」
「そうだな。ただし、この役職が閲覧申請者を意味するのか、許可を出した責任者を意味するのかも確認しないといけない」
「本当に慎重なのね」
「君がすぐに犯人探しを始めないよう、見本を示しているんだ」
「安心して。今のところ、犯人がいるという証拠すらないもの」
「それはよかった。僕の疑いが晴れた」
「あなたを疑っていた覚えはないのだけれど」
「では、これからも疑わないでくれ」
ヴィオレッタは返事の代わりに、職員名簿の請求用紙を手に取った。
受付の職員は申請内容を確認すると、少し困った表情を浮かべた。
「申し訳ありません。その時期の監督官名簿は、別の保管区画にございます」
「閲覧申請を行うには、追加の許可が必要でしょうか?」
「通常は必要ありません。ただ、該当する年代の資料については、現在、閲覧前の確認をお願いしております」
「確認とは、どのようなものでしょう」
「資料の状態と、記録上の分類を確認するだけです。特別な意味はございません」
職員は丁寧に答え、二人に申請書を返した。
その説明に不自然な点はない。資料の保存状態によって閲覧方法が変わることも、分類の確認が必要になることも十分に考えられる。
だが、ヴィオレッタは一つのことに気づいていた。
彼らが求めているのは、文書そのものの閲覧許可ではない。
その文書が、なぜ特別な確認の対象になっているのかを知るための手続きなのだ。
閲覧室へ戻る途中、ノアが口を開いた。
「どう思う?」
「まだ何とも言えないわ。古い規則が残っているだけかもしれないし、分類の変更に伴って手続きが複雑になった可能性もある」
「それでも、調べる価値はある?」
「もちろん。何も問題がないと確認することも、調査の成果でしょう?」
ノアはわずかに口元を緩めた。
「君は思ったより、地味な作業が好きなんだな」
「好きではないわ。必要だからしているの」
「なるほど。では、僕も必要に迫られて付き合うことにしよう」
「あなたの場合、最初から自分で調べていたのでしょう?」
「……細かいことを覚えているな」
「記録を扱う場所にいるのですもの。忘れる練習をするわけにはいかないでしょう」
二人は申請書を提出し、回答を待つことにした。
その日の午後、ヴィオレッタは手帳を開き、新しい項目を書き加えた。
古い分類番号に付随する閲覧許可の注記。
過去に発行された許可記録。
申請者欄に記された役職名。
そして、現在も残っている追加確認の手続き。
彼女は最後に、短く書き添えた。
『手続きの存在は確認できた。理由は未確認』
ペンを置いた瞬間、ふと、別の考えが脳裏をよぎった。
もし、この手続きが誰かの意図によって作られたものだったとしたら。
誰が、何を守るために設けたのだろう。
だが、ヴィオレッタはその考えを結論として記録しなかった。
まだ証拠がない。
それだけは、確かなことだった。




