第九話 母
翌日。
大学は休講だった。
正確には。
《安全確認のため、全学休講》
だった。
「都合いいですね」
朔が言った。
「何がです」
榊原が顔を上げる。
「安全確認」
「実際、安全確認中でしょう」
「何の」
「それを確認しているんです」
研究室。
机の上には、本と紙と、いつ淹れたのか分からないコーヒー。
朔は椅子に座っている。
向かいに澪。
榊原は本棚から一冊抜いた。
「飲みますか」
「コーヒー?」
「はい」
「いつのですか」
「今朝です」
「何時」
「質問が細かい」
「命に関わるので」
「そこまでではありません」
澪がカップを見る。
「私は遠慮します」
「賢明ですね」
「先生が言うんですか」
「私も飲みません」
「何で淹れた」
榊原は答えなかった。
朔は机の上の資料を見る。
中央に大きく、
《母》
と書いてある。
「これ」
指す。
「嫌な字面」
「母親に失礼ですね」
「そういう意味じゃなくて」
「分かっています」
榊原は座る。
「昨日の現象について、いくつか仮説を並べています」
「一番上が母」
「暫定です」
「またユング?」
榊原が朔を見る。
「今回は早いですね」
「前に怒られたので」
「怒ってはいません」
「似たようなものでは」
「違います」
澪が資料を覗く。
「母性元型?」
「その言葉も、今のところは比喩に近い」
榊原は言った。
「《母》という像は、実母だけを意味しません」
「家」
「家も」
「帰る場所」
「それも」
「胎内」
澪が言う。
榊原が頷く。
「保護される場所。包まれる場所。自分で決めなくていい状態。危険から隔てられた内部」
朔は昨日の実家を思い出す。
食卓。
母親。
何も起きていない世界。
「戻る場所」
「そう」
「だから母」
「一つの説明としては」
「木は?」
澪が答える。
「世界樹、生命樹、宇宙樹、母樹。地上と地下、こちらと向こう、生者と死者を繋ぐ木の話は色々あるよ」
「水城の卒論っぽい」
「境界なので」
「何でも卒論に入る」
「伊東君ほどではないよ」
榊原が二人を見る。
「問題は、そこです」
「どこ」
「今出てきたものを全部、一つの神話体系に押し込まないこと」
朔が資料を見る。
「似てるからって同じではない」
「そうです」
「先生、その言い方好きですね」
「大事なので」
榊原は資料をめくる。
「現時点で確認できているのは、白い女性が多数の人間に《帰還》を想起させること」
「はい」
「その帰還先は、地理的な家とは限らない」
「はい」
「安心、未選択、過去、母親、幼少期、死者、存在しない場所。内容は人によって違う」
澪。
「でも、感じ方は似てる」
「どういう意味」
朔が見る。
「帰りたい、って思う時の」
澪は少し考える。
「胸の奥が緩む感じ」
「俺は頭痛かった」
「その前」
「その前?」
「呼ばれた時」
朔は昨日を思い出す。
実家。
匂い。
温度。
何も決めなくていい。
「……安心」
「そう」
澪が頷く。
「私は夢で、ずっと懐かしいと思ってた」
「知らない場所なのに?」
「うん」
榊原が口を挟む。
「そこが重要です」
「記憶じゃない」
「少なくとも、個人の記憶だけでは説明しにくい」
朔は少し考える。
「じゃあ、人間に共通する何か」
「その程度にしておきましょう」
「名前つけないんですか」
「名前をつけると、人は分かった気になりますから」
「教授が言うと職業否定っぽい」
「哲学は、分かった気になるのを邪魔する仕事でもあります」
「嫌な仕事」
「あなたには向いていますよ」
「嫌です」
澪が笑う。
「先生は、あの人が《母》そのものだと思いますか」
榊原はすぐに答えなかった。
「いいえ」
「違う?」
「そう呼ぶには、最近の彼女は具体的になりすぎています」
朔が顔を上げる。
「具体的?」
「最初はもっと曖昧だった」
白い服。
長い黒髪。
顔が見えない。
見る人によって違う誰かに見える。
「最近は」
榊原が続ける。
「同じ姿を複数人が見る」
「カメラにも」
「言葉も使う」
「なぜ。どこ。選ぶ」
「そして」
榊原は朔を見る。
「自己を指す言葉を使い始めた」
わたし。
朔は黙る。
「集合だったものが」
澪が言う。
「一人になろうとしてる?」
「そう見える部分はあります」
「俺のせい?」
榊原の眉がわずかに動く。
「その質問は雑です」
「また」
「因果を一本にしすぎています」
「でも」
「伊東君」
榊原は真っ直ぐ見る。
「あなたが関与した後に変化している。それは事実です」
「はい」
「しかし、あなた一人が作ったとは言えない」
「はい」
「あなたの問いが、向こう側の現象に何らかの変化を与えている可能性はあります」
「考えさせてる?」
「そう見える場面はある」
「人間にも」
澪。
「かなり」
「水城まで」
「事実なので」
少し。
嫌。
でも。
否定しにくい。
榊原が続ける。
「ただ、問いを与えられることと、自分で問うことは違います」
「どういう意味です」
「あなたに『選ぶ』という言葉を与えられたから使ったのか」
「はい」
「それとも、自分で選ぶ必要を感じて、その言葉を使ったのか」
昨日。
――選ぶ。
何も選ばなかった女。
「まだ分からない」
「そうです」
「言葉だけ覚えた可能性もある」
「あります」
榊原は資料を閉じた。
「一人になるというのは、姿や言葉が一つになることだけではないでしょう」
「じゃあ何」
「それを私に聞きますか」
「先生なので」
「自分で考えてください」
「仕事放棄」
「教育です」
*
午後零時十二分。
県警本部。
白い花の検査結果が出た。
「成分としては、ほぼ普通です」
御厨が言った。
「ほぼ」
朔が返す。
「既知の植物に非常に近い」
「種類は?」
「シロツメクサに近いそうです」
「近い?」
「完全には一致しません」
「それ普通じゃない」
「だから『ほぼ』と言いました」
黒瀬が資料を机へ置く。
「DNA解析でも一部一致しない領域がある」
「知らない植物?」
「既知種の変異なのか、そもそも比較の仕方に意味があるのかも分からん」
玲奈が資料を読む。
「毒性なし。既知の病原体もなし」
「食べても」
「食べないでください」
御厨。
「聞いただけ」
「あなたの場合、その次に実行するので」
「信用がない」
「実績があります」
黒瀬がため息をつく。
「花は後だ」
「よくないけど」
「もっとよくないのがある」
別の資料が出る。
「今朝から、帰宅行動が再発してる」
朔が見る。
「また?」
「規模は小さい。現時点で十三件」
「大学?」
「今回は向かってない」
朔は止まる。
「昨日と違う」
「そうだ」
黒瀬が一枚めくる。
「一人は昔住んでた家。今は他人が住んでる」
「はい」
「一人は産婦人科」
「生まれたところ?」
「本人はそう言ってる」
「覚えてないだろ」
「だから面倒なんだ」
玲奈が補足する。
「本人の言葉では、『ここから出る前に戻りたい』」
朔が見る。
「出る前」
「はい」
「生まれる前?」
「そう解釈することもできます」
「死にたいとは」
「言っていません」
玲奈の返答は速かった。
「そこは分けます」
「はい」
「安心できる以前の状態へ戻りたい感覚と、死を望むことは同じではありません」
「なるほど」
黒瀬が資料を閉じる。
「榊原先生から《母》の話は聞いた」
「はい」
「俺は名前はどうでもいい」
「警察なので」
「そうだ」
黒瀬が指を一本立てる。
「昨日で終わってない」
「はい」
二本目。
「昨日、お前が何かした後に、現象の出方が変わった」
「はい」
三本目。
「変わったからって、弱くなったとは限らない」
朔が顔を上げる。
「群衆はばらけた」
「昨日はな」
「今日十三人」
「そうだ」
黒瀬は朔を見る。
「一つの大きい現象から、複数の小さい現象に変わっただけかもしれん」
「個別化した?」
「そういう言葉にするのは先生に任せる」
「でも」
「怪物が一体から百体に分かれて、全部少し弱くなったとして」
黒瀬が言う。
「それを改善と呼ぶか?」
朔は少し考える。
「……呼ばない」
「だろ」
昨日の群衆。
一人ずつ。
理由が違った。
帰りたい。
母に会いたい。
疲れた。
戻りたい。
「自己を持つ方が」
朔が言う。
「危ないこともある?」
「人間見てれば分かるだろ」
「警察が言うと重い」
「個人には個人の理由がある」
黒瀬は言った。
「だから止めにくい」
玲奈が少しだけ笑う。
「心理士としても、それは同意します」
「でしょうね」
朔は資料を見る。
「じゃあ」
「何だ」
「白い女も」
言葉を持つ。
理由を持つ。
自分を持つ。
「一人になったら、もっと危ない?」
黒瀬はすぐには答えなかった。
「分からん」
「はい」
「ただ」
少し間。
「今までより話が通じるようになることと、安全になることは別だ」
朔は頷いた。
*
午後二時四十六分。
澪は県警本部の面談室で玲奈と話していた。
朔は外で待つように言われている。
「何で俺だけ」
「本人の話だからです」
御厨。
「夢、俺も出るのに」
「だからです」
「何で」
「影響している可能性がある人を同席させません」
「合理的」
「珍しく納得しましたね」
「一応」
廊下。
自販機。
朔は缶コーヒーを買う。
「甘いやつ」
御厨が見る。
「珍しいですね」
「頭使ったから」
「普段は使ってないみたいな言い方ですね」
「普段も」
「はいはい」
プルタブを開ける。
「御厨さん」
「何ですか」
「母って言われたら何浮かびます」
「急ですね」
「今の仮説」
「分かってます」
御厨は少し考える。
「実家」
「安心?」
「面倒」
「逆」
「帰ると色々聞かれるので」
「仕事とか」
「結婚とか」
「大変」
「他人事ですね」
「俺にはまだ」
「来ますよ」
「何が」
「そのうち」
「怖」
御厨は自販機で水を買う。
「でも」
「はい」
「何で母なんでしょうね」
「榊原先生は保護とか胎内とか」
「父ではだめなんですか」
朔が止まる。
「確かに」
「家でもいい」
「うん」
「白い女性だから《母》に寄せているだけかもしれない」
「見た目に引っ張られてる」
「可能性はあります」
御厨は水を開ける。
「そういう決めつけ、危ないでしょう」
「先生も言ってた」
「ならいいです」
「御厨さん」
「何ですか」
「哲学向いてる?」
「殴りますよ」
「何で」
「向いてないからです」
面談室のドアが開く。
玲奈。
「終わりました」
「水城は」
「少し休んでます」
「夢」
「昨夜から今朝にかけて、また見たそうです」
「何を」
玲奈は朔を見る。
「あなたです」
「また」
「今回は、白い女性の前にはいなかった」
「じゃあ何してた」
「遠くで見ていた」
「それだけ?」
「はい」
朔は少し安心する。
「よかった」
「何が」
「俺が何もしてない」
「その評価はまだ早いです」
「はい」
玲奈は続ける。
「ただ、水城さんの説明で一つ気になる点があります」
「何」
「あなたが夢にいない時、白い女性はあまり形が安定していない」
「形?」
「顔が変わる。年齢が変わる。服も」
「前みたいに」
「そう」
「俺がいると?」
「今見えている姿に近づくそうです」
白い服。
長い黒髪。
まだ、よく見えない顔。
「俺が固定してる?」
「そうは言ってません」
「でも」
「可能性としては考えます」
玲奈は静かに言う。
「伊東さんは、分からないものを何かとして理解しようとする傾向が強いですよね」
「みんなそうでは」
「程度の話です」
「はい」
「水城さんは逆です」
「逆?」
「分からないものを、分からないまま受け取ることが多い」
朔は澪を思い出す。
泣いてる。
困ってる。
覚えようとしてる。
「意味」
「そう」
「俺は」
「構造」
「榊原先生みたい」
「先生より乱暴です」
「ひどい」
「褒めてません」
玲奈は続ける。
「水城さんは、あの女性から何かを受け取る」
「はい」
「伊東さんは、それを分けて考える」
「はい」
「その結果、向こうの反応まで変わっているように見える」
朔は黙る。
「俺が」
「伊東さん」
玲奈が止める。
「すぐに全部自分のせいにしない」
「でも」
「関係している可能性と、全部あなたが起こしていることは違います」
「はい」
「そこは分けてください」
朔は缶を見る。
甘い。
一口。
「まずい」
「買ったんでしょう」
「失敗した」
「それはあなたのせいです」
「そこは断定する」
*
午後四時十三分。
久世が県警本部へ来た。
「何で」
朔が訊く。
「呼ばれた」
「誰に」
「御厨さん」
「何で」
「お前の生活情報」
「俺の?」
「友人として」
「嫌」
「俺も」
御厨が資料を持ってくる。
「必要です」
「何を聞くんですか」
久世。
「伊東さんが普段どういう人間か」
「面倒です」
「即答」
「あと遅刻する」
「それは知ってます」
「部屋汚い」
「久世」
「提出物ギリギリ」
「久世」
「人の話聞いてるようで、途中から別のこと考える」
「それは」
「合ってます?」
御厨。
「かなり」
「やめて」
久世は椅子に座る。
「で」
「何ですか」
御厨。
「白い女、まだ白い女って呼んでんの?」
朔が止まる。
「他にない」
「名前とか」
「ない」
「本人に聞けば」
御厨が即座に言う。
「聞かないでください」
「警察に止められた」
「だろうな」
久世。
「でもさ」
「何」
「もう喋るんだろ」
「少し」
「『わたし』とか」
「うん」
「それでも白い女って呼ばれてんの」
「そう」
「雑じゃない?」
朔は少し考える。
「誰が決める」
「本人じゃね」
「……」
「何」
「いや」
「聞く気?」
「まだ」
「まだって言うな」
御厨。
「久世さん」
「はい」
「煽らないでください」
「すみません」
「反省してます?」
「少し」
「似てきましたね」
「嫌だ」
「俺も」
「二人とも嫌がらないでください」
*
午後十一時四十二分。
朔は自宅にいた。
古い二K。
机。
本。
洗っていないカップ。
黒瀬から。
《今日は何もするな》
御厨から。
《外出しないでください》
久世から。
《寝ろ》
三者三様。
内容はだいたい同じ。
「信用ない」
スマートフォンを伏せる。
布団へ入る。
目を閉じる。
眠い。
すぐに。
落ちる。
*
白い。
また。
何もない場所。
遠くに木。
その下に女。
朔は立っている。
「また」
女が見る。
今日は顔が少し見える。
でも。
目を離せば変わりそうな。
そんな程度。
「呼んだ?」
女。
首を傾げる。
――呼ぶ。
「俺を?」
――あなた。
「何で」
――なぜ。
「返された」
女の口元が少し動く。
笑ったのかは。
分からない。
「水城は?」
――いない。
「今日は俺だけ」
――あなた。
「何」
女が胸へ手を置く。
――わたし。
「うん」
――わたし。
「それ前も言ってた」
――わたし。
止まる。
次が出ない。
「何」
――ない。
「何が」
女はまた、自分を指す。
――ない。
朔は少し考える。
久世。
名前。
「呼ばれるもの?」
女が止まる。
――呼ぶ。
「名前?」
――名前。
「欲しい?」
長い沈黙。
――欲しい。
朔は少し驚く。
「欲しいんだ」
――欲しい。
「誰に呼ばれたい」
――あなた。
朔は黙る。
「俺が決めるの?」
――決める。
「いや」
すぐに出た。
女が動きを止める。
「それは違うだろ」
――なぜ。
朔は少し考える。
「俺が決めたら」
女を見る。
「俺が呼びたいものになるから」
――わたし。
「そう」
朔は頷く。
「自分で決めた方がいい」
――自分。
「うん」
――決める。
「そう」
女は黙る。
白い世界。
遠くの木。
風もない。
音もない。
朔も。
待つ。
聞かない。
何がいい。
なぜ。
どうして。
浮かぶ。
全部。
そのままにする。
長い。
沈黙。
女が目を閉じる。
やがて。
――ましろ。
朔が瞬く。
「ましろ?」
――ましろ。
「そう呼べばいい?」
女が頷く。
「分かった」
少しだけ。
輪郭が濃くなる。
白い服。
黒い髪。
でも。
顔はまだ。
はっきりしない。
「ましろ」
――はい。
返事。
した。
朔は何も言わない。
胸の奥が少し変になる。
嬉しい。
たぶん。
呼ぶ。
返る。
それだけ。
それだけなのに。
「ましろ」
――はい。
もう一度。
今度は少し早い。
朔は笑った。
「何でその名前にしたの」
口に出しかける。
止める。
白いから。
そう思ったのは。
自分だ。
「……いや」
ましろが見る。
「今日はいい」
――なぜ。
「聞きすぎるから」
ましろは首を傾げる。
「怪異相手に質問しすぎると怒られる」
――怪異。
「そこは覚えなくていい」
――覚える。
「やめて」
ほんの少し。
口元が動く。
今度は。
笑ったように見えた。
でも。
次に見た時には。
もう分からなかった。
世界が白く薄れる。
「ましろ」
――はい。
最後まで。
返事だけは。
同じだった。
*
午前五時十八分。
目が覚めた。
朔はしばらく天井を見る。
「……ましろ」
声に出す。
何も起きない。
スマートフォンを見る。
御厨。
連絡。
迷う。
黒瀬。
怒る。
久世。
寝てる。
榊原。
たぶん起きてない。
澪。
「……」
その時。
着信。
水城澪。
朔は出る。
「もしもし」
『起きてた?』
「今」
『夢、見た?』
朔は起き上がる。
「見た」
『白い人』
「うん」
向こうで小さく息を吸う。
『名前』
朔が止まる。
「ましろ?」
『うん』
「水城も聞いた?」
『聞いた』
「本人が言った?」
『たぶん』
「たぶん?」
『私の夢だと、少し遠かったから』
「同じ音?」
『ましろ』
「一緒」
少し。
静かになる。
『でも』
「何」
『その前にも、何か言ってた気がする』
「前?」
『うん』
「何て」
『聞き取れなかった』
「名前?」
『分からない。名字みたいにも聞こえたけど』
朔は少し考える。
「ましろ以外にもある?」
『かもしれない』
「本人が決めた?」
『それも分からない』
朝。
まだ暗い。
カーテンの隙間。
空が少し白くなっている。
「先生に聞く?」
『何を』
「名前の意味」
『やめた方がいいと思う』
「何で」
『また伊東君が勝手に意味決めそうだから』
朔は黙る。
「それは」
『違う?』
「……昨日、一回やりかけた」
『何を』
「白いから、ましろなのかなって」
『聞いた?』
「やめた」
電話の向こうが少し静かになる。
『珍しい』
「失礼」
『でも、よかったと思う』
「何が」
『本人が決めたなら』
「うん」
『本人の理由でいいから』
朔は布団の上に座ったまま、窓を見る。
「水城」
『何』
「ましろ、返事した」
『返事?』
「名前呼んだら」
『何て』
「はい、って」
澪が少し笑う。
『へえ』
「何」
『伊東君、嬉しそう』
「そう?」
『うん』
「分からない」
『それは、今はそれでいいんじゃない』
朔は少し考える。
「うん」
通話が終わる。
スマートフォンを伏せる。
ましろ。
文字にはしない。
漢字も。
意味も。
まだ。
知らない。
昨日まで。
白い女。
そう呼ぶしかなかったものに。
呼べる音ができた。
呼べば。
返事が返る。
それだけ。
まだ。
それだけだった。
第九話 了
改行が多いから見た目に対して中身が薄い?
お客さん、それを言うのは野暮ってもんですぜ。




