↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深層汚染  作者: 真夜不寝
PR
10/21

第十話 場所がない

 午前九時十一分。

 県警本部。

 黒瀬は報告書の一行を見ていた。

《対象呼称:ましろ》

「これでいいのか」

 朔が横から見る。

「何が」

「表記」

「ひらがな」

「本人がそう言ったんだろ」

「音だけ」

「なら勝手に字を当てるな」

 黒瀬はペンを置く。

「珍しく警察の方が慎重ですね」

「珍しくは余計だ」

 向かいには御厨。

 その隣に玲奈。

 澪も呼ばれている。

 榊原は少し遅れて来るらしい。

 机の上には、昨夜から今朝までの記録が並んでいた。

「名字らしい音は」

 黒瀬が澪を見る。

「分からない?」

「はい」

「一文字も?」

「何か言ってた気はするんですけど」

「何となくでも」

「やめた方がいいと思います」

 澪が言う。

「私がそれっぽい音を言ったら、それが残りそうなので」

 朔が見る。

「慎重」

「伊東君に言われたくない」

「確かに」

 黒瀬は報告書へ戻る。

「じゃあ現時点では《ましろ》だけ」

「本人が選んだ呼び名なら」

 玲奈が言う。

「少なくとも、こちらから別の名前を足す必要はないと思います」

「人として扱う?」

 朔が訊く。

 玲奈は少し考えた。

「呼び名を尊重することと、人間だと断定することは別です」

「人じゃない?」

「それも決めてません」

「ずっと決めない」

「決める材料がないので」

「正しい」

 黒瀬が言う。

「名前がついたから住民票が生えるわけじゃない」

「住民票」

 朔が少し笑う。

「急に現実」

「こっちは現実の仕事してるんだよ」

「怪異担当なのに」

「だから余計にだ」

 黒瀬は別の紙を出す。

「名前よりこっち」

 昨夜からの事案。

 帰宅行動。

 十九件。

 前日より少し増えている。

「また増えた」

「内容が変わってる」

 御厨が資料を示した。

「昨日までは、自分が帰ろうとするケースが中心でした」

「今日は?」

「誰かを帰そうとする人が出ています」

 朔が顔を上げる。

「帰す?」

「一件目」

 御厨が読む。

「六十代男性。深夜、自宅の玄関を開けたままにして、靴を何足も並べていた」

「誰の」

「本人にも分からない」

「何て」

「『帰ってくるから』」

 次。

「三十代女性。空き部屋に布団を敷いて、食事を二人分用意していた」

「誰か来る?」

「『帰す場所がないと困るから』」

 次。

「大学生。駅のベンチに毛布と飲料水を置いて回っていた」

「何で」

「『帰れない人がいる』」

 朔は資料を見る。

「誰が帰れないかは」

「全員、説明できていません」

 静かになる。

 澪が口を開く。

「ましろ?」

 誰もすぐには答えない。

「可能性はある」

 黒瀬が言った。

「ただし決めつけるな」

「はい」

「昨日まで《帰りたい》だったものに、《帰してやりたい》が混ざり始めてる」

 朔は報告書を見る。

 帰る。

 帰す。

 一文字。

 違う。

「ましろは」

 朔が言う。

「ずっと帰す側だった?」

 玲奈が見る。

「どういう意味ですか」

「みんなに帰る場所を見せてた」

「そう見える場面はあります」

「自分は?」

 誰も答えない。

 朔も。

 答えがあるとは思っていなかった。

*

 午前十時二十八分。

 榊原が到着した。

「遅い」

 朔が言う。

「大学が休講でも、教員が休みになるわけではありません」

「何してたんですか」

「書類」

「現実」

「あなたも提出してください」

「何を」

「先週締切のレポート」

「……」

 久世がいれば笑っていたと思う。

「怪異」

「免罪符にはなりません」

「警察」

「なおさら証拠が残っています」

「逃げ道がない」

「帰りますか」

 朔が黙る。

 榊原も。

 一拍。

「今のは」

「先生から言った」

「失言でした」

 黒瀬が頭を押さえる。

「お前ら、言葉を雑に使うな」

「すみません」

 榊原が素直に謝った。

 少し珍しい。

 資料を読む。

「帰す側、ですか」

「どう思います」

 澪が訊く。

「考え方としてはあり得ます」

「母?」

 朔。

「その話は昨日で十分でしょう」

「打ち切られた」

「一つの枠組みに居座ると、別のものが見えなくなります」

 榊原は資料を机へ置く。

「ただ」

 指先で一枚を押さえる。

「他者を帰す場所として機能している存在に、自分自身の帰還先があるとは限らない」

「家そのものは家に帰れない」

 朔が言う。

 榊原が見る。

「悪くない比喩です」

「珍しく褒められた」

「比喩だけです」

「撤回が早い」

 澪は資料を見ている。

「家というより」

「何」

「入口かも」

「入口」

「帰るための境界」

 澪は少し考える。

「駅とか門とか、そういうもの」

「本人はそこを通れない?」

「分からない」

 朔が頷く。

「それでいい」

「何が」

「水城が分からないって言うの」

「まだ気にしてる?」

「ちょっと」

 榊原が二人を見る。

「一つだけ」

「はい」

 朔。

「彼女に直接確認しよう、とは考えないでください」

「……」

「今、考えましたね」

「少し」

「やめてください」

「でも本人のこと」

「だからです」

 榊原の声は静かだった。

「名前を自分で選ばせたことと、答えを要求することは違います」

「要求は」

「あなたの場合、聞くだけでも圧になる可能性がある」

 朔は黙る。

 昨日。

 待った。

 ましろ。

 返事。

「分かりました」

 御厨が朔を見る。

「今のは録音しましたからね」

「そこまで信用ない?」

「はい」

「即答」

*

 午前十一時四十七分。

 朔は県警本部の廊下を歩いていた。

 飲み物。

 トイレ。

 戻る。

 それだけ。

 一人で行かせることに、御厨は最後まで少し嫌そうだった。

「建物の中ですよ」

「あなたの場合、それで安心できないんです」

 と言われた。

 否定材料がない。

 洗面台。

 水。

 顔を上げる。

 鏡。

 自分。

 後ろ。

 白。

 朔は振り向かなかった。

「……」

 鏡の中。

 ましろ。

 立っている。

 白い服。

 長い黒髪。

 輪郭は昨日より少し濃い。

 でも。

 顔はまだ。

 見るたびに微妙に違う。

「ましろ」

――はい。

 返事。

 朔は鏡を見る。

「出てくる場所、そこなんだ」

――ここ。

「ここ県警だけど」

――ここ。

「俺の後ろ?」

 ましろが首を傾げる。

 質問。

 やめる。

 朔は口を閉じる。

 昨日。

 聞きすぎるから。

 榊原。

 直接確認するな。

「……」

 ましろ。

 見る。

――帰る。

 朔の手が止まる。

「誰が」

 聞いてから。

 しまったと思う。

 ましろは答える。

――みんな。

「みんなを帰す?」

――帰す。

「……」

 報告。

 玄関。

 布団。

 駅の毛布。

 繋がる。

「ましろは」

 止まる。

 聞かない。

 でも。

 ましろの方が続けた。

――わたし。

 自分を指す。

――帰る。

 少し。

――ない。

 朔は鏡を見る。

「ない?」

――帰れない。

 最初の朝。

 駅前。

 白い女。

 帰りなさい。

 どこに。

 答えられなかった。

 今なら。

 少し。

 違って聞こえる。

「帰す場所はあるのに」

 朔が言う。

 ましろ。

 頷く。

「自分が帰る場所はない?」

――場所。

 ましろが胸へ手を置く。

――ない。

 朔は黙る。

 聞くな。

 そう言われた。

 でも。

 これは。

 質問ではない。

 たぶん。

「じゃあ」

 言葉が出る。

「作ればいいんじゃない」

 ましろが動きを止めた。

 朔も。

「あ」

 遅い。

――作る。

「……」

――場所。

「うん」

――わたし。

「自分の」

――わたしの。

 鏡。

 白くなる。

 朔の背中が冷える。

「待って」

――場所。

「今のなし」

――作る。

「ましろ」

――わたしの。

 鏡の奥。

 広がる。

 洗面台が消える。

 壁。

 床。

 白。

「ましろ」

――場所。

 音。

 遠く。

 家。

 扉。

 いくつも。

 開く。

 知らない玄関。

 学校。

 病室。

 畳。

 海。

 食卓。

 全部。

 鏡の中。

 重なる。

「……まずい」

 朔は後ろへ下がる。

 ドアを開ける。

 廊下。

 白い。

 違う。

 県警本部。

 まだ。

 ある。

「御厨さん!」

 返事。

 ない。

「御厨さん!」

 遠く。

「伊東さん?」

 来る。

 足音。

 御厨。

 角を曲がる。

「何ですか」

「俺」

「はい」

「多分やった」

 御厨の顔が変わる。

「何を」

 背後。

 鏡。

 ひび。

 入る。

 音。

 ではない。

 でも。

 全館の照明が。

 一度。

 白く。

 消えた。

*

 午後零時三分。

 県警本部の三階で、異常が発生した。

 廊下の窓が、一時的に別の場所を映した。

 会議室のドアを開けると、誰も使っていない和室が見えた。

 給湯室の蛇口からは水ではなく、海の匂いがした。

 階段の踊り場。

 そこには。

 存在しない玄関。

 靴。

 子供用。

 男物。

 女物。

 何十足。

 並んでいた。

 触れる前に消えた。

 警察官の一人は、廊下の先に実家を見た。

 別の一人は、亡くなった祖父の部屋。

 別の一人は。

「何もないところ」

 そう答えた。

「何もない?」

 玲奈が訊く。

「白くて」

 警察官は言う。

「静かで」

「安心しました?」

「……はい」

 その返答に。

 朔は少し寒くなった。

 会議室には黒瀬、御厨、玲奈、榊原、澪、朔が集まり、今度は全員が普通に座っていた。

 普通ではない話をしている。

「説明しろ」

 黒瀬。

「鏡にましろがいました」

「そこから」

「みんなを帰すって」

「それで」

「自分は帰れないって」

「それで?」

 朔は少し言いにくい。

「場所がないって」

「それで?」

「……作ればいいって」

 黒瀬が目を閉じた。

 御厨も。

「言いましたね?」

「はい」

「質問しないようにって」

「質問では」

 御厨が見る。

「今そこ争います?」

「争いません」

「なら続けろ」

 黒瀬。

「ましろが、自分の場所を作るって」

「言った?」

「多分」

「多分じゃ困る」

「『わたしの場所』『作る』とは」

「それで現象が始まった」

「はい」

 黒瀬は机を指で叩く。

 一回。

 二回。

「なぜ言った」

 朔は少し考える。

「場所がないって言ったから」

「だから作れと?」

「……はい」

「実験したかった?」

「違う」

「何が起きるか見たかった?」

「違います」

「じゃあ何だ」

 朔は鏡の中のましろを思い出す。

 帰す場所。

 ある。

 自分の場所。

 ない。

「かわいそうだと思った」

 静かになる。

 自分で言って。

 少し。

 嫌になる。

「たぶん」

 玲奈が朔を見る。

「そこは『たぶん』なんですね」

「……はい」

「でも、知りたいからではなかった?」

「今回は」

 玲奈は頷いた。

 黒瀬が言う。

「善意なら安全だと思うな」

「はい」

「お前の言葉で現象が変わる可能性がある以上」

 少し止まる。

「励ますのも、提案するのも、入力になる」

 朔は黙る。

「でも」

 澪が口を開く。

 黒瀬が見る。

「何だ」

「ましろが自分の場所を欲しがること自体は」

 少し。

「悪いことなんでしょうか」

「分からん」

 黒瀬は即答した。

「欲しがることは止めない」

 玲奈が続ける。

「ただ、その場所をどう作るかは別です」

 朔が見る。

「どういう意味」

「ましろが《家》を知らないとしたら」

「はい」

「何を材料にすると思います?」

 朔は答えられない。

 榊原。

「他人の帰りたい場所」

 玲奈が頷く。

「今まで受け取ってきたもの」

 母親。

 学校。

 病室。

 海。

 団地。

 食卓。

 数え切れない。

「全部?」

 朔。

「可能性はあります」

 榊原が答える。

「自分の場所を作ろうとして」

 澪が小さく言う。

「みんなの場所を混ぜる?」

「それでは」

 榊原は言う。

「結局、自分の場所にはならないでしょうね」

 朔は目を閉じる。

 また。

 やった。

 相手に。

 何かを。

「伊東さん」

 玲奈。

「はい」

「今、自分を責めて終わらせないでください」

「終わらせてない」

「顔が終わらせようとしてます」

「顔で分かる人多い」

「分かりやすいので」

 黒瀬。

「反省会は後だ」

「はい」

「現象が続いてる」

 モニター。

 県警本部の監視映像。

 一階。

 二階。

 三階。

 時々。

 画面が白く飛ぶ。

 その一瞬だけ。

 違う部屋。

 違う家。

 違う場所。

 映る。

「大学は」

 御厨が訊く。

「今のところ変化なし」

「街は?」

「帰宅行動がまた増え始めてる」

「人数」

「二十六」

 朔が見る。

 黒瀬。

「倍」

「そうだ」

「俺が」

「因果はまだ決めるな」

 黒瀬が遮る。

「ただし、お前が何を言ったかは全部記録しろ」

「はい」

「省くな」

「はい」

「格好悪い部分も」

「はい」

「そこだけ返事いいな」

「怒られてるので」

*

 午後一時二十七分。

 ましろは。

 どこにもいなかった。

 鏡にも。

 窓にも。

 監視カメラにも。

 その代わり。

 場所だけが増えていた。

 三階の廊下。

 一瞬。

 昭和の団地。

 地下駐車場。

 一瞬。

 砂浜。

 取調室。

 一瞬。

 子供部屋。

 どれも。

 数秒。

 長くても十数秒。

 誰かにとって。

 懐かしい。

 場所。

「これ」

 朔がモニターを見る。

「人によって見えるの違います?」

「違う」

 御厨。

「同じカメラ映像を全員が確認しています」

「じゃあ外に出てる」

「少なくとも記録には」

 玲奈。

「昨日より一段階進んでますね」

 澪が別のモニターを見る。

「でも」

「何」

 朔。

「どの場所にも、人がいない」

 確かに。

 家。

 ある。

 食卓。

 ある。

 布団。

 ある。

 靴。

 ある。

 でも。

 誰もいない。

「帰る場所だけ」

 朔が言う。

「人がいない」

「誰かが帰ってくる前だから?」

 御厨。

「それとも」

 澪。

「帰る場所そのものだから」

 モニター。

 映像が切り替わる。

 古い家。

 夕方。

 玄関。

 誰もいない。

 でも。

 扉。

 開く。

 白い。

 向こう。

 何もない。

 朔の頭が痛む。

「……」

「伊東さん?」

 御厨が見る。

「聞こえる」

「何が」

 遠い。

 声。

――帰って。

 一つ。

――帰って。

 もう一つ。

――帰って。

 増える。

 男。

 女。

 子供。

 老人。

 知らない。

 全部。

――帰って。

――帰って。

――帰って。

「多い」

 朔がこめかみを押さえる。

「何人」

 玲奈。

「分からない」

「ましろは?」

「聞こえない」

「声の中に」

「いない」

 たぶん。

 ましろ。

 いない。

 代わりに。

 みんな。

 いる。

 帰って。

 帰って。

 帰って。

 どこへ。

 誰が。

 誰の。

 分からない。

 そして。

 その全部が。

 一つの場所を。

 作ろうとしている。

「まずい」

 朔が言う。

「何が」

 黒瀬。

「ましろ」

 頭痛。

 強い。

「自分の場所、作れてない」

「何が見える」

「みんなの」

 白。

 家。

 学校。

 病室。

 海。

「全部使ってる」

 澪が立ち上がる。

「木」

「何」

「夢で」

 目を閉じる。

「見える」

「今?」

「起きてる」

 澪の呼吸が浅くなる。

「水城さん」

 玲奈が近づく。

「無理に追わなくていい」

「違う」

 澪。

「向こうから」

 中庭。

 木。

 巨大。

 白い。

 枝。

 全部。

 家。

 吊られている。

「家が」

 澪が言う。

「木になってる」

 朔の頭。

 像。

 流れ込む。

 枝。

 無数。

 その先。

 玄関。

 窓。

 病室。

 教室。

 台所。

 ベッド。

 全部。

 帰る場所。

 全部。

 一つの木。

 根元。

 ましろ。

 小さい。

 白。

 立っている。

 家が。

 多すぎる。

 声が。

 多すぎる。

――帰って。

――帰って。

――帰って。

 ましろ。

 動かない。

 自分の場所。

 ない。

「ましろ」

 朔が言う。

「伊東!」

 黒瀬。

 遅い。

 白。

 世界。

 落ちる。

*

 目の前に。

 家がある。

 知らない。

 隣にも。

 ある。

 その隣にも。

 団地。

 学校。

 病院。

 海。

 駅。

 森。

 部屋。

 廊下。

 玄関。

 無数。

 全部。

 繋がっている。

 空は白い。

 地面も。

 白い。

 中央。

 木。

 巨大。

 その下。

 ましろ。

 朔は立っている。

「……」

 ましろが見る。

 顔。

 定まらない。

 若い。

 幼い。

 大人。

 一瞬ずつ。

 変わる。

「場所」

 朔が言う。

「作った?」

――作る。

「これ?」

 周囲。

 無数の帰る場所。

――場所。

「ましろの?」

 ましろ。

 止まる。

――わたしの。

 少し。

 遅れる。

――みんなの。

 朔の胸が冷える。

「同じ?」

――同じ。

「違うだろ」

 反射的に。

 言う。

 ましろが見る。

「だって」

 朔は周囲を見る。

「これは、俺の帰りたい家も入ってる」

――入る。

「水城のも」

――入る。

「知らない人のも」

――みんな。

「じゃあ」

 朔はましろを見る。

「ましろのは?」

 沈黙。

 声。

 帰って。

 帰って。

 帰って。

 ましろの口が動く。

――みんな。

「それは答えじゃない」

――みんな。

「ましろ」

――みんな。

 声。

 増える。

 ましろの声か。

 他の誰かか。

 分からない。

――みんな。

――みんな。

――みんな。

 輪郭。

 薄くなる。

「ましろ」

 朔が一歩近づく。

――帰す。

「うん」

――みんな。

「うん」

――帰す。

「分かった」

――わたし。

 止まる。

――わたしは。

 声。

 消える。

 続かない。

 朔は聞こうとする。

 何を。

 誰を。

 どこへ。

 でも。

 飲み込む。

 ましろが自分を見る。

――わたしは。

 また。

 止まる。

 そして。

 初めて。

 違う言葉。

――帰れない。

 朔は何も言わない。

――みんな。

 白い手。

 胸。

――帰れる。

「うん」

――わたし。

 手。

 落ちる。

――ない。

 場所。

 ない。

 名前。

 音だけ。

 顔。

 定まらない。

 ましろ。

 誰かを帰す。

 そのためにいる。

 自分は。

「……」

 朔は周囲を見る。

 無数の家。

 全部。

 誰かの。

「これじゃ」

 言う。

「ましろの場所にならない」

 ましろが見る。

――なぜ。

 朔は答えようとする。

 でも。

 分からない。

 正しい答え。

 ない。

「だって」

 少し考える。

「全部、借り物だから」

 ましろ。

 黙る。

 白い世界。

 木。

 揺れる。

――借りる。

「悪いって意味じゃない」

――悪い。

「違う」

 強く言う。

「違う」

 ましろが止まる。

「人から来たものでも」

 朔は言葉を探す。

「自分のものになることはある」

 久世の言葉。

 榊原の言葉。

 御厨の問い。

 自分の中に。

 ある。

「でも」

 朔はましろを見る。

「全部一緒のままじゃ、どれがましろのか分からない」

――わたし。

「うん」

――わたし。

 また。

 続かない。

 木。

 枝。

 家。

 全部。

 一斉に。

 軋む。

 白。

 崩れる。

「ましろ!」

 ましろが顔を上げる。

 その顔。

 また。

 誰かになる。

 母親。

 知らない女。

 子供。

 老人。

 澪。

 違う。

 御厨。

 違う。

 誰でも。

 誰でもない。

――帰って。

 声。

 何千。

 何万。

 ましろの口から。

 出る。

 朔は動けない。

 白い世界が。

 全部。

 口を開く。

――帰って。

第十話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。