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深層汚染  作者: 真夜不寝
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19/21

SS「夢を見ない夜」

 水城澪は、夢を見なかった。

 正確には。

 覚えていなかった。

 目を開けた時、最初に見えたのは自分の部屋の天井だった。

 白い。

 普通。

 木はない。

 枝も。

 根も。

 女も。

 澪はしばらく布団の中で天井を見た。

「……ない」

 声に出す。

 何年も。

 何度も見た夢。

 大きな木。

 知らない場所。

 なのに懐かしい。

 そこへ帰らなければならないような。

 誰かに待たれているような。

 そんな夢。

 昨夜は。

 なかった。

 嬉しい。

 はずだった。

*

 午前十一時。

 大学図書館。

 休講期間は明けたが、人は少ない。

 澪はいつもの棚の前にいた。

 民俗。

 宗教。

 神話。

 境界。

 手に取った本。

『樹木信仰と他界観』

 表紙を見る。

 戻す。

 隣。

『異界訪問譚の構造』

 取る。

 戻す。

「集中できない」

 自分で言う。

「珍しいね」

 横。

 朔。

「いつからいたの」

「今」

「驚かせないで」

「普通に歩いてきた」

「足音薄い」

「何それ」

 朔は棚を見る。

「卒論?」

「一応」

「進んでる?」

「一応」

「便利」

「何が」

「一応」

 澪は本を一冊抜いた。

「伊東君は何してるの」

「返却」

「本読むんだ」

「失礼」

「質問してるイメージが強いから」

「読むよ」

「何を」

 朔が持っていた本を見る。

『他者の心はいかにして知られるか』

「そのままだ」

「何が」

「伊東君」

「本が?」

「うん」

 朔は少し嫌そうな顔をした。

「水城の本は」

 澪の手。

『異類婚姻譚研究』

「そのまま」

「何が」

「水城」

「仕返し雑」

 少し。

 笑う。

 普通。

 事件の前と。

 同じ。

 たぶん。

「真白さんは?」

 澪が訊く。

「家」

「一人?」

「久世がいる」

「大丈夫?」

「どっちが」

「家」

「そこ?」

 朔は本を返却台へ置く。

「真白が久世に料理教えてもらってる」

「逆では」

「俺もそう思った」

「何作ってるの」

「カレー」

「無難」

「火が怖いらしい」

「真白さん?」

「久世」

「何で」

「真白が火に近い」

 澪は少し想像する。

「止めた方がいいのでは」

「俺がいた方が危ないって言われた」

「妥当」

「水城まで」

*

 図書館を出る。

 昼。

 空。

 よく晴れている。

 大学の中庭。

 あの場所。

 木。

 今は。

 普通の木しかない。

 澪は足を止めた。

「どうした」

 朔。

「何でもない」

 言ってから。

「やっぱり」

 訂正する。

「夢」

「夢?」

「見なくなった」

 朔が止まる。

「木の?」

「うん」

「いつから」

「真白さんが出てきてから」

 風。

 葉。

 音。

「よかった?」

 朔が訊く。

 澪は中庭を見る。

「分からない」

「そっか」

 それだけだった。

 もっと。

 聞かれると思った。

 なぜ。

 寂しい?

 怖い?

 また見たい?

 そういう。

 質問。

 でも。

 来ない。

 澪が朔を見る。

「聞かないの」

「何を」

「夢がなくなってどう思うか、とか」

「聞いてほしい?」

 澪は少し考える。

「今はいい」

「じゃあ聞かない」

「変わったね」

「何が」

「質問」

「減った?」

「少し」

「病気かな」

「御厨さん呼ぶ?」

「やめて」

 澪は笑った。

 中庭を見る。

「嬉しいと思ってた」

「うん」

「小さい頃から何度も見てたから。怖い時もあったし」

「うん」

「でも」

 木。

 ない。

「なくなると、少し寂しい」

 朔は何も言わない。

「変だよね」

「別に」

「嫌だったものなのに」

「嫌いなものがなくなって寂しいこともあるんじゃない」

「ある?」

「知らない」

「知らないんだ」

「水城が今そうなら、少なくとも一件ある」

 澪は少し。

 止まった。

「そういうところ」

「何」

「たまにいいこと言う」

「たまに?」

「たまに」

*

 午後二時。

 大学近くの喫茶店。

 澪は紅茶。

 朔はブラックコーヒー。

「苦くない?」

「苦い」

「なんで飲むの」

「好きだから」

「矛盾」

「そう?」

「苦いの嫌じゃない?」

「嫌じゃない」

「じゃあ矛盾じゃないか」

 澪は紅茶へ砂糖を入れる。

「真白さん、何が好き?」

「プリン」

「早いね」

「黄色いの」

「種類じゃなくて?」

「黄色かったから選んだ」

 澪は少し笑う。

「かわいい」

「言うと嫌がるかも」

「何で」

「分からない」

「聞いた?」

「聞いてない」

 澪はスプーンを止める。

「本当に変わった」

「さっきも言った」

「前なら聞いてた」

「そうかも」

「何が違うの」

 朔はコーヒーを見る。

「聞いたら」

 少し。

「答えようとするから」

「真白さんが?」

「人が」

 澪は黙る。

「答えたくなくても?」

「たぶん」

「伊東君、答えを聞きたいだけじゃないの」

「そういう時もある」

「今も?」

「今?」

「私が夢を見なくなって、どう思ってるか」

 朔は澪を見る。

「知りたい」

「聞かないの」

「今はいいって言ったから」

 澪は紅茶を飲む。

 甘い。

「そっか」

 少し。

 嬉しい。

 なぜかは。

 考えない。

 考えると。

 意味をつけすぎる気がした。

*

 夕方。

 澪は一人で帰る。

 駅。

 ホーム。

 夕焼け。

 電車。

 窓。

 流れる街。

 木。

 一つ。

 二つ。

 何本も。

 全部。

 普通の木。

 でも。

 目が行く。

 昔なら。

 夢の木に似ているかを考えた。

 今は。

 考えない。

 家。

 夜。

 布団。

 目を閉じる。

 夢。

 来るかもしれない。

 来ないかもしれない。

 どちらでも。

 少し怖い。

 どちらでも。

 少し楽しみ。

 朝。

 目を開ける。

 天井。

 夢。

 覚えている。

 木ではなかった。

 駅。

 知らない町。

 猫。

 なぜか。

 赤い傘。

 それだけ。

「……普通」

 澪は笑った。

 スマートフォンを取る。

 朔へ。

《夢見た》

 送る。

 すぐ。

《木?》

 澪。

《猫》

 既読。

 少し。

《なんで》

 澪は画面を見る。

「結局聞くんだ」

 笑う。

 返信。

《知らない》

 少しして。

《そっか》

 それで終わった。

 夢に。

 意味がある日も。

 ない日も。

 ある。

 たぶん。

 今は。

 それでよかった。

SS 了

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