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深層汚染  作者: 真夜不寝
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18/21

SS「記載方法」

 午後七時十三分。

 県警本部の小会議室には、三人しか残っていなかった。

 御厨美冬。

 黒瀬宗一郎。

 宇佐見玲奈。

 机の中央には、厚さだけは立派な報告書の束がある。

 御厨はノートパソコンの画面を見た。

「確認します」

「まだやるのか」

 黒瀬は椅子へ深く座ったまま言った。

「まだ終わってません」

「現象は終わった」

「書類は終わってません」

「現場より強いな」

「何がですか」

「書類」

 御厨は無視した。

「《対象女性》の表記なんですが」

 玲奈が顔を上げる。

「対象女性?」

「これまでの報告書です」

「今後もそう書くんですか」

「そこを確認しています」

 黒瀬が紙コップを持ち上げる。

「神代真白でいいだろ」

「身元確認が取れてません」

「本人が名乗ってる」

「戸籍もありません」

「だからって《対象女性》に戻すのも変だろ」

 御厨は黙った。

 その通りなのが腹立たしい。

「《神代真白を名乗る女性》」

 玲奈が言った。

「長いですね」

「正確ではあります」

「毎回それ書くんですか」

「最初だけでいいでしょう」

 黒瀬が茶を飲む。

 顔をしかめる。

「冷めてる」

「いつもですね」

「いつ淹れたんですか」

「覚えてない」

「飲まない方がいいですよ」

「二人とも本題に戻ってください」

 御厨が画面へ視線を戻した。

「次。《当該存在》」

「それもやめません?」

 玲奈。

「どこですか」

「十九頁」

 御厨がスクロールする。

《当該存在は伊東朔との接触後、安定した身体構造を獲得したと推定される。》

「これです」

「何が問題ですか」

「本人が読む可能性は?」

「あります」

「なら、《当該存在》と呼ばれてどう感じるでしょうね」

 御厨は少し止まった。

「報告書ですから」

「そうですね」

 玲奈は否定しない。

「でも、報告書に書かれた呼び方が、そのまま現場の呼び方になることもあります」

 黒瀬が紙コップを置く。

「宇佐見は《神代さん》にしたい?」

「私は、呼べる名前があるなら名前を使えばいいと思っています」

「現象として扱う時は」

「現象と人を分けます」

 即答だった。

「神代真白さんに起きている現象と、神代真白さんは同じものではありません」

 黒瀬が少し笑った。

「そこは一貫してるな」

「仕事なので」

 御厨は文章を見る。

《当該存在は》

 カーソル。

 削除。

《神代真白は》

 止まる。

「……これで?」

「いいんじゃないですか」

 玲奈。

 黒瀬も頷く。

「次」

「まだあるんですか」

「あります」

「帰りたい」

「帰ってください」

「その言葉、最近使いにくいな」

 黒瀬が天井を見る。

 御厨も少しだけ思った。

 確かに。

*

 二十分後。

「《精神汚染源》」

 御厨が読み上げた。

 玲奈の視線が黒瀬へ向く。

 黒瀬は露骨に嫌そうな顔をした。

「俺を見るな」

「あなたが言った言葉です」

「現場でな」

「報告書にも入っています」

「誰が書いた」

「私です」

「消せ」

「なぜですか」

「本人が見たら面倒だ」

「そこですか?」

「そこもだ」

 玲奈が資料を引き寄せる。

「現象の説明としても粗いと思います」

「代案」

「《認知構造への逆方向的干渉が疑われる》」

 黒瀬。

「長い」

「《逆流型》」

 御厨。

「能力名みたいです」

「《精神汚染型》」

 黒瀬が言った。

 二人が見る。

「仮称だ」

「本人には?」

 御厨。

「言う」

「言うんですか」

「隠してどうする」

「さっき本人が見たら面倒って」

「《汚染源》よりはマシだ」

 玲奈が腕を組む。

「言葉を付けること自体が、本人の自己認識へ影響する可能性があります」

「分かってる」

「なら慎重に」

「だから三人で夜まで残ってるんだろ」

 少し。

 静かになった。

 御厨は黒瀬を見る。

 疲れている。

 いつもだが。

 今日は特に。

「黒瀬さん」

「何だ」

「伊東さんのこと、かなり気にしてます?」

「危険人物だからな」

「そういう意味ではなく」

「じゃあ聞くな」

 敬語が。

 少しだけ。

 抜けた。

 御厨はそれ以上聞かなかった。

 玲奈も何も言わない。

 黒瀬は新しい紙コップへ手を伸ばした。

「それ、古い方です」

「……どっちだ」

「右です」

「最初に言え」

「今言いました」

*

 午後八時二分。

 報告書はまだ終わらない。

 御厨のスマートフォンが震えた。

 伊東から。

《真白が警察に聞きたいことあるって》

 御厨は嫌な予感がした。

《何ですか》

 既読。

 少し間。

《住民票どうするの》

 御厨は画面を見る。

「何ですか」

 玲奈が訊く。

「神代さんの住民票」

 黒瀬が目を閉じた。

「来たか」

「何が」

「現実」

 玲奈が少し笑う。

「戸籍からでしょうか」

「笑い事じゃない」

「笑ってません」

「笑ってた」

 御厨は返信する。

《こちらでも確認します》

 すぐ。

《真白が「いつ」って》

「……」

 黒瀬。

「何だ」

「期限を聞かれました」

「怪異より役所の方が強いな」

 御厨が黒瀬を見る。

「それ、伊東さんが言いそうですね」

「言うな」

「なぜですか」

「腹立つから」

 玲奈が今度こそ笑った。

*

 午後八時十九分。

 三人は一階の自動販売機前にいた。

 夕食。

 というには。

 かなり悲しい。

 御厨はサンドイッチ。

 玲奈はおにぎり。

 黒瀬はカップ麺。

「健康」

 御厨が言う。

「警察官に言われたくない」

「私はサンドイッチです」

「大差ない」

 玲奈が包装を開ける。

「神代さん、今頃何してるんでしょうね」

 御厨は少し考える。

「伊東さんの家でしょう」

「それは知っています」

「なら」

「何をしてるか、です」

 黒瀬が湯を注ぐ。

「伊東に質問してるんじゃないか」

「逆かもしれません」

 玲奈。

「神代さんが?」

「伊東さんに」

「地獄だな」

「黒瀬さん」

「何だ」

「少し楽しそうですね」

「疲れてるだけだ」

 三分。

 待つ。

 黒瀬は蓋を押さえている。

 御厨はサンドイッチを一口。

 玲奈もおにぎり。

 誰も喋らない。

 普通の職場。

 普通の夜。

 今日。

 世界が一度。

 かなり危ないところまで行った。

 でも。

 今は。

 カップ麺の三分を待っている。

「御厨」

「はい」

「三分」

「自分で見てください」

「時計遠い」

「スマートフォンあるでしょう」

「手が塞がってる」

「私を何だと思ってるんですか」

「部下」

「殴りますよ」

 黒瀬が顔を上げた。

「警察が?」

 御厨は止まった。

 玲奈も止まる。

 一秒。

 二秒。

「……忘れてください」

 玲奈が吹き出した。

 黒瀬も。

 少しだけ。

 笑った。

「伊東さんですね」

「最悪」

「感染しました?」

 玲奈が言う。

 三人。

 少し。

 黙る。

 黒瀬が蓋を開けた。

「その言い方はやめろ」

「はい」

 湯気。

 上がる。

 それで。

 その日の仕事は。

 まだ。

 二時間続いた。

SS 了

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