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深層汚染  作者: 真夜不寝
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16/21

SS「髪を切る」

 髪が邪魔だった。

 神代真白は、朝から三度そう思った。

 一度目は顔を洗った時。

 二度目は朝食のトーストへ髪が落ちた時。

 三度目は、ドライヤーを渡された時だった。

「これ、何」

「乾かすやつ」

 朔が言った。

「知ってる」

「じゃあ何で聞いた」

「どのくらい」

「何が」

「時間」

「髪?」

「うん」

 朔は真白の髪を見る。

 腰近くまである。

「十分くらい?」

「長い」

「乾かさないと風邪引くよ」

「切る」

「急だな」

「昨日も邪魔だった」

「じゃあ切れば」

 真白はドライヤーを持ったまま朔を見る。

「どこで」

「美容院」

「行ったことない」

「知ってる」

「朔は」

「俺?」

「切れる?」

「無理」

「使えない」

「髪切れないだけで?」

「今」

「範囲限定なら認める」

 真白はコンセントを見る。

 差す。

 スイッチ。

 風。

「うるさい」

「それはそう」

 十分。

 では終わらなかった。

*

「何で私なんですか」

 御厨が言った。

 午後。

 駅前。

 真白は御厨の隣を歩いている。

「朔が」

「あの人、自分で連れて行けばいいでしょう」

「美容院、苦手らしい」

「知りませんよ」

「予約も苦手」

「それは知ってます」

 御厨はため息をついた。

「電話一本でしょう」

「昨日、十五分画面見てた」

「何を」

「予約ボタン」

「……それはもう別の問題ですね」

 真白は御厨を見る。

「御厨は平気?」

「美容院?」

「電話」

「仕事で一日何本してると思ってるんですか」

「分からない」

「かなりです」

「嫌?」

「嫌でもします」

「仕事だから?」

「そうです」

 真白は少し考えた。

 嫌でもする。

 必要だから。

 自分で決めたわけではないことも。

 する。

 人間は面倒だった。

「何ですか」

「何も」

「伊東さんみたいな顔しないでください」

「どんな」

「何か考えてる顔」

「考えてた」

「でしょうね」

*

 美容院は明るかった。

 鏡。

 椅子。

 匂い。

 音楽。

 人。

 真白は入口で止まった。

「嫌なら別の店でも」

 御厨が言う。

「嫌ではない」

「緊張?」

「分からない」

「じゃあ、とりあえず入りましょう」

 受付。

 名前。

「神代真白です」

 言う。

 まだ。

 少しだけ。

 自分の名前を口にする時。

 身体の内側に引っかかる。

 でも。

 嫌ではない。

 椅子。

 座る。

 鏡の中。

 自分。

 同じ顔。

 同じ目。

 同じ髪。

 美容師が後ろから髪を持ち上げる。

「かなり長いですね」

「長い」

「どのくらい切ります?」

 真白は鏡を見る。

 分からない。

 短い。

 長い。

 似合う。

 似合わない。

 何を基準に決めればいい。

 隣の席。

 御厨。

 雑誌を読んでいる。

「御厨」

「はい?」

「どのくらい」

 御厨が顔を上げた。

 一瞬。

 何か言おうとする。

 でも。

「私が決めるんですか?」

「分からないから」

「じゃあ」

 御厨は真白を見る。

「何が嫌なんです?」

「乾かすの長い」

「なるほど」

「顔にかかる」

「はい」

「寝る時、下になる」

「分かります」

「邪魔」

「ずいぶん明確ですね」

 真白は鏡を見る。

「じゃあ」

 御厨が自分の肩あたりを指す。

「このくらいなら、かなり楽になります」

「短い?」

「今よりは」

「乾く?」

「かなり早いです」

 真白は美容師を見る。

「ここ」

 肩。

 指す。

「肩くらいですね」

「はい」

「前髪は?」

 また。

 新しい問題。

 真白は眉を寄せる。

 御厨が笑った。

「一個決めると次が来ますよ」

「めんどう」

「人生そんなものです」

「嫌なこと言う」

「事実です」

*

 鋏。

 音。

 髪。

 落ちる。

 黒い。

 長い。

 床へ。

 真白は鏡を見る。

 自分の身体から。

 何かが。

 切り離されていく。

 痛くない。

 血も出ない。

 なのに。

 少し。

 変な感じがした。

「大丈夫ですか?」

 美容師が訊く。

「はい」

「切りすぎた?」

「違う」

 真白は落ちた髪を見る。

「戻らない?」

「髪なら伸びますよ」

「同じもの?」

「……同じというか」

 美容師が困る。

 御厨が横から言った。

「今それ聞きます?」

「気になった」

「伸びても、今落ちた髪そのものではないでしょうね」

「そう」

 真白はもう一度見る。

 自分で。

 切ると決めた。

 だから。

 なくなった。

 失った。

 でも。

 怖くない。

「何か?」

 御厨。

「何でもない」

「そうですか」

 鋏。

 また。

 音。

*

 一時間後。

 鏡。

 肩に触れる黒髪。

 軽い。

 首。

 見える。

 頭を動かす。

 髪が遅れて揺れる。

「どうですか」

 美容師。

 真白は右を見る。

 左。

 戻る。

 同じ顔。

 でも。

 少し。

 違う。

「軽い」

「それはよかったです」

 御厨も見る。

「似合ってますよ」

「似合う?」

「はい」

「本当に?」

「そこで疑うんですか」

「朔は何でも『いいんじゃない』って言う」

「伊東さんに聞く相手を間違えてます」

「御厨は」

「私は似合ってると思います」

「そう」

 真白は鏡を見る。

「私は」

 少し。

 考える。

「好き」

 御厨が一度だけ。

 小さく笑った。

「なら、それが一番です」

*

 夕方。

 家。

 玄関。

 朔が出てくる。

「あ」

 見る。

「切った」

「見れば分かる」

「どう」

 朔は真白を見る。

 髪。

 肩。

 顔。

「いいんじゃない」

 真白は無言で御厨を見る。

「言ったでしょう」

「本当に言った」

「何が」

 朔だけ分かっていない。

「朔」

「何」

「質問」

「うん」

「乾かす時間、どのくらいになる?」

「五分?」

「それはいい」

「そこ?」

 真白は自分の髪を触る。

「そこ」

 御厨が笑う。

「理由として十分でしょう」

「そうなんだ」

「本人がいいならいいんです」

 朔は少しだけ真白を見る。

「じゃあ」

「何」

「いいんじゃない」

「二回目」

「何で怒られてるの」

 真白は靴を脱ぐ。

 髪。

 軽い。

 首。

 少し寒い。

 でも。

 嫌ではなかった。

SS 了

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