↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深層汚染  作者: 真夜不寝
PR
13/21

第十三話 私は誰

 光。

 遠く。

 細い。

 御厨の声。

「――伊東!」

 朔は真っ直ぐそちらを見る。

 戻る。

 決めた。

 手。

 まだ。

 握られている。

――今は、掴んでいて。

「はい」

 光へ。

 一歩。

 ましろも動く。

 その瞬間。

――帰って。

 白い世界が。

 鳴った。

 声。

 一つではない。

――帰って。

――戻って。

――ここにいればいい。

――怖くない。

――痛くない。

――失わない。

 光が遠ざかる。

「……」

 朔は足を止めない。

 ましろの手。

 強い。

――帰って。

 声が。

 ましろへ集まる。

――あなたは母。

――あなたは家。

――あなたは帰る場所。

――あなたはみんな。

 ましろの輪郭。

 揺れる。

 また。

 別の顔。

 母親。

 子供。

 老人。

 知らない誰か。

「ましろ」

 呼ぶ。

――はい。

 返る。

 まだ。

 いる。

――みんな。

 声。

 大きい。

――帰る場所。

――帰すもの。

――母。

――家。

――安心。

 ましろが立ち止まる。

 朔も。

 手は。

 離さない。

――私。

 小さい。

 声。

――は。

 白い世界。

 全部が。

 待つ。

 朔も。

 待つ。

――私は、誰?

 二度目。

 今度は。

 世界へではなく。

 自分へ。

 ましろが問いかける。

 朔は答えない。

 必要ない。

――みんな。

 外側の声。

――母。

――帰る場所。

――願い。

――あなたは。

 言葉が。

 彼女を埋めようとする。

 ましろが目を閉じる。

 顔。

 変わる。

 また。

 変わる。

 誰か。

 誰か。

 誰か。

 その中で。

――違う。

 一つ。

 声。

 ましろ。

――みんなから。

 間。

――来た。

 朔は黙っている。

――みんなが。

 私を。

 作った。

 白い手。

 自分の胸。

――でも。

 声。

 震える。

――私。

 消えたくない。

 前にも。

 言った。

 今度は。

 もっと。

 はっきり。

――私。

 ここに。

 いたい。

 白い世界が。

 軋んだ。

――帰って。

 拒むように。

――帰って。

――戻って。

――一つに。

 ましろが首を振る。

――嫌。

 声。

 止まらない。

――帰って。

――帰って。

――帰って。

 ましろが朔の手を握る。

――私は。

 一度。

 息をする。

 必要があるのか。

 分からない。

 それでも。

 息をした。

――ましろ。

 音。

 自分で選んだ。

 呼ばれるための。

 名前。

 でも。

 まだ。

 続く。

――かみしろ。

 朔は顔を上げる。

 知らない音。

 初めて。

 ではない。

 澪。

 夢。

 ましろの前に。

 何か。

 聞こえた。

 名字みたいな。

 音。

 朔は何も聞かない。

 ましろが。

 自分で。

 続ける。

――神代。

 白い世界。

 静かになる。

 音だけではなかった。

 意味が。

 そのまま。

 届く。

 古い。

 遠い。

 何か。

 でも。

 それが何なのか。

 朔には分からない。

 分からなくて。

 いい。

 彼女が。

 目を開ける。

――真白。

 一瞬。

 世界から。

 すべての声が消えた。

――私は。

 朔の手を握ったまま。

 彼女は言う。

――神代真白。

 顔が。

 止まった。

 長い黒髪。

 白い肌。

 黒に近い灰色の目。

 若い。

 でも。

 幼くはない。

 目を逸らす。

 戻す。

 同じ。

 瞬きをする。

 同じ。

 初めて。

 一人の顔だった。

 真白が。

 朔を見る。

 朔はそれを。

 そのまま。

 見る。

「神代真白」

 呼ぶ。

――はい。

 返事。

 今までと。

 同じ。

 でも。

 違う。

「うん」

 それだけ。

 真白が少し眉を寄せる。

――それだけ?

「何かいる?」

 真白は考える。

――いらない。

「じゃあ、それだけ」

 口元。

 動く。

 今度は。

 見間違えない。

 笑った。

――帰って。

 声。

 また。

 遠くで鳴る。

 でも。

 もう。

 一つではない。

――母さんに会いたい。

――家に帰りたい。

――昔に戻りたい。

――寝たい。

――謝りたい。

――怖い。

――帰りたくない。

――今のままでいたい。

 声が。

 分かれている。

 一人ずつ。

 違う。

 真白はそれを聞く。

 もう。

 全部を。

 自分の声にはしない。

――みんな。

「うん」

――違う。

「うん」

――私も。

 真白が自分の胸に触れる。

――違う。

「そうだな」

 白い世界。

 ひび。

 一つ。

 光。

 広がる。

 外。

 御厨。

「伊東!」

 近い。

「聞こえてます!」

 叫ぶ。

 すぐ。

「返事できるなら最初からしなさい!」

「無茶言う」

 真白が朔を見る。

――怒ってる。

「いつも」

――怖い?

「ちょっと」

 真白が。

 また笑う。

 光。

 目の前。

 朔は進む。

 真白も。

 一緒に。

 誰に言われたわけでもなく。

 自分で。

 一歩。

 踏み出す。

*

 御厨は割れた鏡の前に立っていた。

 白い光。

 さっきまで。

 何も映していなかった。

 その奥。

 人影。

 一つ。

「伊東!」

 近づく。

 黒瀬が後ろから腕を掴む。

「待て」

「でも」

「何が出るか分からん」

「伊東さんです」

「それも含めてだ」

 御厨は唇を噛む。

 鏡。

 人影。

 近い。

 もう一つ。

 隣。

 小さい。

「二人」

 榊原が言う。

 玲奈も見る。

「水城さん」

 御厨が振り返る。

 澪は廊下の壁際。

 立っている。

「見えますか」

「……はい」

「何が」

 澪は少し。

 笑った。

「違う」

「何がです」

「二人」

 御厨が鏡を見る。

「ちゃんと」

 澪は言う。

「二人です」

 鏡。

 白。

 割れる。

 今度は。

 本当に。

 音がした。

 御厨が腕で顔を庇う。

 光。

 風。

 床。

 何かが倒れる。

「伊東!」

 目を開ける。

 廊下。

 床。

 男。

 伊東。

 倒れている。

 その手。

 誰かを。

 握っている。

 女。

 白い服。

 長い黒髪。

 思っていたより。

 ずっと小さい。

 御厨の肩より低い。

 倒れている。

「伊東さん!」

 御厨が駆け寄る。

 黒瀬も止めない。

 伊東の肩。

 触る。

「聞こえますか」

「……聞こえてます」

「名前」

「伊東朔」

「場所」

「県警」

「日付」

「……」

「伊東さん?」

「何日だっけ」

「そこは覚えといてください!」

「寝てたので」

「寝てません!」

 声。

 出た。

 御厨は息を吐く。

 生きている。

 脈。

 ある。

 呼吸。

 ある。

 伊東が目を開ける。

「御厨さん」

「はい」

「怒ってます?」

「あとで怒ります」

「よかった」

「何がですか」

「いつも通りなので」

 御厨は。

 言い返そうとして。

 止まった。

 伊東。

 顔色。

 悪い。

 腕。

 震えている。

 それでも。

 隣の女の手を。

 離していない。

 御厨は。

 少しだけ。

 声を落とす。

「伊東くん」

 伊東が。

 止まる。

「……はい」

「手」

「何」

「力、入りすぎてます」

 見る。

 確かに。

 握りすぎている。

「ごめん」

 伊東が緩める。

 女の指。

 それでも。

 離れない。

 逆に。

 握り返す。

 目。

 開く。

 黒に近い灰色。

 御厨を見る。

 次。

 黒瀬。

 玲奈。

 榊原。

 澪。

 最後。

 伊東。

「……」

 唇。

 動く。

「神代(かみしろ)」

 声。

 小さい。

 でも。

 人間の喉から出た音。

「真白(ましろ)」

 御厨は黙る。

 黒瀬も。

「私の名前」

 真白が言った。

 玲奈が膝をつく。

「神代(かみしろ)真白(ましろ)さん」

「はい」

「触ってもいいですか」

 真白は玲奈を見る。

 少し。

 考える。

「どこ」

「手首。脈を確認します」

「はい」

 玲奈が手首へ指を当てる。

 数秒。

「脈があります」

 黒瀬。

「人間と同じ?」

「少なくとも今は」

「体温」

「あります」

 御厨が見る。

 本当に。

 いる。

 映像ではない。

 幻でも。

 たぶん。

 ない。

 真白が床へ手をつく。

 起きようとする。

「待ってください」

 御厨が支える。

「立てる?」

「分からない」

「ゆっくり」

 膝。

 力。

 入らない。

 真白が顔をしかめる。

「痛い」

 全員。

 少し。

 止まる。

「どこですか」

 玲奈。

「足」

「痺れてる?」

「分からない」

「無理しなくていいです」

「痛い」

 もう一度。

 真白は自分の足を見る。

 妙に。

 不思議そうに。

 目。

 潤む。

 涙。

 一滴。

 落ちる。

 真白がそれを。

 指で触る。

「これ」

「涙」

 伊東が答える。

「痛いと出る?」

「痛くなくても出る」

「なぜ」

 伊東が。

 一瞬。

 止まる。

 それから。

「知らない」

 真白も。

 少し考える。

「そう」

 涙。

 もう一滴。

 今度は。

 拭わなかった。

*

 午後六時四十一分。

 県警本部。

 会議室。

 窓の外は。

 もう暗い。

 帰宅行動は。

 止まっていた。

 正確には。

 一斉に同じ場所へ向かう現象が。

 止まった。

 何人かは。

 本当に家へ帰った。

 何人かは。

 その場に座り込んだ。

 何人かは。

 家族へ電話した。

 一人は。

 会社へ戻った。

 一人は。

 駅から逆方向へ歩いた。

 理由。

 それぞれ。

 黒瀬が資料を閉じる。

「収束と書くには早い」

「ですよね」

 朔が言う。

「書きたそうだった」

「書きたいよ」

「大変」

「誰のせいだ」

「俺だけでは」

 黒瀬が見る。

「そこは正しいのが腹立つな」

 真白は。

 少し離れた椅子。

 座っている。

 白い服は。

 警察が用意した簡単なスウェットに変わっている。

 髪。

 長い。

 顔。

 変わらない。

 何度見ても。

 同じ。

 澪も。

 時々。

 確認するように見る。

「まだ変?」

 真白が訊く。

「ごめん」

 澪。

「同じ顔だなって」

「同じ」

「うん」

 真白は。

 自分の頬を触る。

「これが」

 少し。

「私」

「たぶん」

 朔が言う。

 真白が見る。

「たぶん?」

「顔だけが全部じゃないだろ」

 真白は少し考える。

「めんどう」

「もう覚えたな、それ」

 久世はまだ。

 ここにはいない。

 呼べば。

 多分。

 一番うるさい。

 黒瀬が咳払いをする。

「今後の話をするぞ」

「はい」

 朔が返す。

「お前じゃない」

「はい」

 真白が返事をした。

 黒瀬が一瞬。

 止まる。

「……神代さん」

「はい」

「現状、あなたを拘束する法的根拠はない」

「拘束」

「閉じ込める理由がないってことです」

 御厨が補足する。

「でも」

 黒瀬。

「身元がない」

「身元」

「戸籍も住所も、過去の記録もない」

 真白が考える。

「ない」

「そう」

「名前はある」

「それはある」

 黒瀬は少し。

 困った顔をする。

「そこから先が全部ない」

「作る?」

 朔が口を開きかける。

 真白が先に見る。

「めんどう」

「まだ何も言ってない」

「言う顔」

 澪が笑う。

 御厨も。

 少しだけ。

 口元が動く。

 玲奈が真白を見る。

「今夜、どこにいたいですか」

 部屋。

 静か。

 朔が。

 玲奈を見る。

 質問。

 違う。

 答えを決めない。

 選択肢を押しつけない。

 ただ。

 本人へ返す。

 真白は。

 時間をかける。

「ここ」

「県警?」

「違う」

 真白は朔を見る。

「この人の」

「家?」

 御厨。

 真白が頷く。

 朔。

「狭いよ」

「知ってる?」

「知らない」

「じゃあ何で」

 真白が少し考える。

「見たい」

 朔は黙る。

 黒瀬が額を押さえる。

「待て」

「はい」

「簡単に決めるな」

「俺まだ何も」

「お前は黙ってろ」

「はい」

 玲奈。

「本人が希望しています」

「分かってる」

「伊東さん本人の意思も必要です」

 全員。

 朔を見る。

「俺?」

 御厨。

「あなたの家でしょう」

「そうだった」

「忘れないでください」

 朔は真白を見る。

 真白も見る。

 決める。

 自分で。

「いいよ」

 言う。

 短く。

 それだけ。

 黒瀬。

「……条件付きだ」

「条件」

「連絡を切らない。異常があれば即報告。勝手に遠出しない。神代(そいつ)に何か試さない」

「最後俺だけ」

「一番重要だ」

「はい」

「神代さんも」

「はい」

「嫌なことは嫌と言っていい」

 真白。

 少し。

 口元。

 上がる。

「はい」

 朔を見る。

「嫌」

「何もしてない」

「練習」

「俺で?」

「近いから」

「合理的」

 黒瀬が。

 深く。

 ため息をついた。

*

 午後九時十九分。

 朔の家。

 古い二K。

 玄関。

 真白が立っている。

 靴。

 脱ぐ。

 少し。

 時間がかかる。

「そこ」

 朔が言う。

「上がっていい」

 真白。

 玄関を見る。

 部屋。

 見る。

「ここ」

「うん」

「帰る場所?」

 朔は少し考える。

「今住んでる場所」

「違う?」

「帰る場所って言われると」

 難しい。

 でも。

 今は。

 そこまで考えなくていい。

「まあ」

 朔は靴を脱ぐ。

「家」

 真白が。

 ゆっくり。

 上がる。

 六畳。

 もう一部屋。

 物。

 少ない。

 いや。

 朔の部屋側は。

 多い。

 本。

 服。

 紙。

「汚い」

「早いな」

「分かる」

「どこで覚えた」

「見れば」

「正論」

 空いている部屋。

 朔が襖を開ける。

「ここ使えば」

 真白が中を見る。

 六畳。

 何もない。

 照明。

 窓。

「私の?」

「いる間は」

 真白。

 部屋へ入る。

 一歩。

 畳。

 踏む。

 もう一歩。

 窓。

 触る。

 壁。

 見る。

 何も。

 特別ではない。

 誰かの記憶でも。

 集合の願いでも。

 ない。

 ただ。

 空いていた。

 部屋。

「狭い」

「言った」

 その時。

 小さく。

 腹が鳴った。

 真白が止まる。

「今の何」

「腹」

「私の?」

「多分」

 真白は自分の腹へ手を当てる。

「壊れた?」

「空腹」

「これが」

「多分」

 少し。

 考える。

「嫌」

「そういうもの」

「身体」

「そう」

 真白はしばらく腹を押さえていた。

 それから。

 部屋の中央を見る。

「でも」

 胸。

 少し。

 触る。

「ここ」

「うん」

「静か」

「壁薄いけど」

「台無し」

「事実」

 真白が。

 朔を見る。

「私の場所?」

 朔は答える。

「使うなら」

 少し。

「そうしていいんじゃない」

 真白。

 頷く。

「そうする」

 自分で。

 言った。

 それだけで。

 部屋が。

 少し違って見えた。

*

 翌朝。

 大学へ向かう道。

 まだ。

 立入制限。

 解除されていない。

 だから。

 途中まで。

 散歩。

 真白。

 隣。

 借りた服。

 長い髪。

 風。

 少し邪魔そう。

「髪」

「何」

「多い」

「切れば」

 真白が触る。

「切っていい?」

「俺に聞く?」

 真白。

 止まる。

 それから。

 少し笑う。

「聞かない」

「うん」

 歩く。

 街。

 普通。

 車。

 自転車。

 コンビニ。

 犬。

 誰も。

 帰らなきゃ。

 とは言っていない。

 交差点。

 信号。

 赤。

 待つ。

 向こう。

 人。

 何人か。

 その奥。

 影。

 人ではない。

 気がする。

 一つ。

 二つ。

 建物の隙間。

 見ている。

 朔。

 視線。

 向ける。

 消えない。

 真白も。

 気づく。

「いる」

「うん」

「何」

「分からない」

 影。

 動かない。

 声。

 遠い。

――なぜ。

 真白が。

 朔を見る。

 朔も。

 真白を見る。

 信号。

 青。

 朔は歩き出す。

「答えない?」

 真白。

「今は」

 道。

 渡る。

「答えなくていい」

 真白も。

 隣を歩く。

 後ろ。

――なぜ。

 声。

 まだ。

 ある。

 でも。

 二人とも。

 振り返らなかった。

第一章 了

最終話になります。ご覧いただきありがとうございました。

この後、補遺を投稿します。

明日からは本編作業中に書き溜めていたSSを投稿していきます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。