魔糸使いになりました
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
顔を上げるのが怖くて、寧々はもっとキャップを深く被り、ずっとスマホのマップだけを見ながら歩いていた。
住宅街。
お寺。
見慣れていたはずの地元の景色なのに、外へ出るのが久しぶりすぎて、目に入るもの全部がなんだか落ち着かなかった。
でも、まだこの辺りはよかった。
人通りも少ないし、誰かとすれ違ってもすぐに離れていってくれるから。
問題は、上野公園が近づいてきてからだった。
「……っ」
人、多い……。
平日なのに、公園の周りにはたくさんの人が集まっていた。
観光客みたいな人や、学生っぽい人、スーツ姿の大人たち。
人の声が、やけに近くに感じる。
楽しそうな笑い声が聞こえるだけで、寧々の心臓は変にうるさく脈打ちはじめた。
俯いたまま、逃げるように足早に歩く。
……誰も、寧々のことなんて見ないで。
心の奥で、祈るみたいにそんなことばかりを思ってしまう。
なんであんな子が平日の昼間に歩いてるの、とか。
学校に行ってないのかな、とか。
悪いことでもしてる子なのかな、とか。
周りの人は誰もそんなこと言ってないのに、被害妄想みたいに勝手に頭の中へ浮かんできて、胸が苦しくなる。
久しぶりに通る上野公園。
前なら、綺麗な桜とか、賑やかな屋台とか、楽しそうな空気をもっと色々見ていた気がする。
でも今の寧々には、周りの景色を楽しむ余裕なんてどこにもなかった。
ただ、誰とも目が合わないように、必死に足を動かすだけ。
すれ違う人の視線が、刺さるみたいに怖かった。
『ぶりっ子』
『調子に乗るな』
『わがまま姫』
耳を塞ぎたくなるような昔の声が、頭の奥で勝手に響く。
思い出したくないのに、嫌でも記憶が溢れてきちゃう。
……寧々は、ただ。
好きなことを、好きだって言いたかっただけなのに。
好きな友達とたくさんお話しして。
可愛い洋服をいっぱい着て。
嫌な人には近づきたくなくて。
やりたくないことを、やりたくないって言っただけ。
それなのに。
距離感がおかしくてうざいとか。
もっと空気を読めとか。
喋り方がぶりっ子だとか。
いつの間にか、そんなトゲトゲした言葉ばっかり向けられるようになって、いつの間にか一人になってた。
「……っ」
気付けば、歩道の途中で足がピタリと止まっていた。
胸の奥が締め付けられるみたいに苦しい。
上手く息ができなくて、胸が苦しくなっていく。
過去の記憶から這い出てきた言葉たちが、冷たく身体に絡みついてくるみたいだった。
……怖い、お家に帰りたい。
泣きそうになりながら、寧々はすがるように自分のリュックの中へ手を入れた。
お茶を飲もう。
少しだけ、落ち着かなきゃ。
ガサゴソとペットボトルを探して取り出そうとした時、一緒に入れていた白い紙が視界に入った。
「あ……」
探索者登録の申請書。
ネットの見本を何回も確認しながら、間違えないように、間違えないようにって頑張って書いた紙。
変わりたいって思って。
こんな止まったままの世界から抜け出したいって思って。
震える手で、一生懸命に文字を埋めた大切な書類。
そこに並ぶ自分の不器用な文字を見ていたら、さっきまで鉛みたいに重かった足が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
寧々はペットボトルのキャップをあけて、冷たいお茶をひと口だけ飲む。
すうっと喉を通る感覚が、熱くなっていた頭を少しだけ冷静にしてくれた。
「だ、大丈夫……」
ぎゅっと書類を握りしめて、小さく自分に言い聞かせる。
「だ、大丈夫だから……ね、寧々は、いけるから……」
もう一度深く深呼吸をしてから、寧々は前を向いて歩き出した。
◇
上野――台東区役所。
「……ひ、広い……」
自動ドアを抜けた瞬間、ひんやりした空気が肌に触れた。
外とは違う、静かで固い空気。
床はぴかぴかだし、歩く人たちもみんな慣れた顔で動いていて、それだけでなんだか場違いなところに来ちゃったみたいな気持ちになる。
寧々はリュックの肩紐をぎゅっと握り締めながら、落ち着かない視線でおろおろと周囲を見回した。
……ど、どこ行けばいいんだろ。
案内板を見ても、文字が多すぎて頭に入ってこない。
住民課。
保険年金課。
税務課。
知らない単語ばっかりで、見ているだけなのに変に緊張してくる。
おろおろしながら歩いていると、少し離れた場所に新しい看板が見えた。
『探索者登録窓口はこちら』
「あ……」
それを見つけた瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。
よ、よかったぁ……。
寧々はほっと息を吐きながら、その案内矢印に従ってトボトボと歩いていった。
1階の奥のほうに作られた、ついたてで区切られた簡易的なスペース。
新しく増設されたみたいな窓口の前には、簡単な椅子がいくつか並べられていた。
一般開放が始まったばかりだからなのか、たまたま寧々の前で待っている人は誰もいない。
静かな窓口の前まで来たところで、寧々は緊張しながら小さく声をかけた。
「あ、あの……」
「はい、どうされましたか?」
顔を上げたのは、優しそうな女性の職員さんだった。
にこっと柔らかく笑われて、少しだけ肩の力が抜ける。
「た、探索者登録を……し、したいんです、けど……」
「かしこまりました。では、こちらへおかけください」
促されるまま椅子へ座る。
「書類はご用意されていますか?」
「は、はい……」
寧々は慌ててリュックを開け、中に入れていた書類を取り出した。
一生懸命に書いた申請書。
寧々の身分証。
それから、ママに書いてもらった同意書。
落としちゃわないように両手でしっかり持ちながら、そっと職員さんへ手渡す。
職員さんはそれを確認しながら、小さく頷いた。
「未成年の方ですね。親御さんの同意書も確認できていますので、大丈夫ですよ」
「……っ」
ちゃんと書けてたんだ。
その一言だけで、少しだけ安心する。
「では、こちらに手を置いてお待ちください」
机の上には、変わった機械が置かれていた。
黒い台座の上に、半円形の透明な水晶みたいなものが乗っている。
ニュースで見たことあるかも。
自分の能力を調べるための、解析魔道具……だったかな。
寧々は恐る恐る、その水晶へ手を乗せた。
「…………」
触れた瞬間は、ひやりと冷たかった。
けれど次の瞬間、身体の奥を何かが流れていくような、不思議な感覚が広がった。
血管の中を、温い水がゆっくり巡っていくみたいな感覚。
「……っ」
初めての感触に、思わず肩が小さく揺れる。
でも痛くはない。
変な感じがするだけ。
しばらくそのままでいると、職員さんが優しく声をかけてきた。
「はい、結構ですよ。ありがとうございます」
寧々はそっと手を離した。
「では、登録証が発行されるまでの間に簡単にご説明しますね」
職員さんが机の端末の画面を見つめながら、トントンとキーボードを叩いて話し始める。
「枢木さんのジョブは、『魔糸使い』。魔力の糸を使うジョブですね」
「……い、と?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
剣士とか、魔法使いとか。
そんな華やかなものをほんの少しだけ想像していたのに。
糸って……なに……?
そんなのじゃ、モンスターに勝てないんじゃ。
ここから変わることも、強くなることもできないんじゃ。
不安がじわっと胸の中へ広がっていく。
そんな寧々の不安な様子に気付いたのか、職員さんは優しく微笑んだまま言葉を続けた。
「あとで『ステータス』と強く念じてみてくださいね。そうすれば、枢木さん自身の詳しい力をいつでも確認できますから」
「す、ステータス……」
ゲームみたい。
自分の身体のことなのに、まだ全然現実感が湧いてこなかった。
「このあと、簡単な講習があります」
職員さんはそう言いながら、紙を一枚差し出してくる。
「ダンジョンに関わる基本的な知識や、注意事項についてですね。1時間ほどで終わる簡単なものですが、命に関わる内容ですので、しっかり聞いておいてくださいね」
「は、はい……」
「場所は3階の小会議スペースになります。開始のお時間まで、あちらのエレベーターから上がってお待ちください」
寧々はぺこりと小さく頭を下げて書類を受け取ると、案内された場所へ向かって歩き出した。
エレベーターで3階へ上がる。
人が乗ってくるたびに緊張してしまって、ずっと俯いたままだった。
ようやく辿り着いた小スペースの前には、簡易的な椅子がいくつか並べられている。
寧々はその端っこの席へ、そっと腰を下ろして、膝の上で、ぎゅっとリュックを抱きしめる。
「……魔糸使い、かぁ」
小さくぽつりと呟いた声は、誰にも聞かれることなく、静かな廊下の空気に溶けるみたいに消えていった。
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