第8話 謝罪する者、しない者
修羅場と化した実家を後にして、私たちは近くのファミリーレストランの駐車場にいた。
夜風が、火照った頬を冷やしてくれる。
「……三上さん。本当に、申し訳ありませんでした」
車の横で、藤堂カオルさんが深々と頭を下げた。
その姿には、先ほどまでアヤさんに掴みかかっていた鬼気迫る面影はなく、ただ純粋な後悔と謝罪の念が滲んでいた。
「確認もせず、あなたを追い詰めて……職場まで奪ってしまって。どんなに謝っても償いきれないことはわかっています。でも、本当にごめんなさい」
「……顔を上げてください、カオルさん」
私は静かに言った。
「カオルさんの怒りはもっともです。夫に裏切られ、愛人に挑発されていたんですから。悪いのは、私に罪をなすりつけた義姉と……それを信じた私の家族です」
「ヒカリさん……」
「それに、カオルさんが来てくれなかったら、私は一生、家族に騙されたまま搾取されていたかもしれません。真実を暴くきっかけをくれて、ありがとうございます」
私がそう伝えると、カオルさんは涙ぐみながら、もう一度深く頭を下げた。
その横で、弁護士の佐伯が気まずそうに咳払いをする。
「あー、私からも。……今回は業務上の過失というか、調査不足でした。すまない」
「…………」
私は佐伯を冷ややかな目で見下ろした。
この男は、まだ「過失」で済ませようとしている。
「あなたへの処分は、また後で考えます。今はカオルさんの弁護士として、義姉とご主人への請求を徹底的にやってください。少しでも手を抜いたら、許しませんよ」
「は、はい! もちろんです! 名誉にかけて!」
佐伯は脂汗を流して直立不動になった。
カオルさんが涙を拭い、強い瞳で私を見る。
「約束するわ。あのアヤとかいう女も、うちの夫も、社会的に終わらせてやる。絶対に許さない」
「はい。……お願いします」
私たちは握手を交わした。
奇妙な連帯感が、そこに生まれていた。
***
それから数日が過ぎた。
私はビジネスホテルを転々としながら、今後の身の振り方を考えていた。
スマホが震えたのは、チェックアウトの準備をしていた時だった。
画面には『兄』の文字。
これまで無視し続けていたが、あまりにしつこいので、私は一度だけ出ることにした。
「……なに?」
『おいヒカリ! 今どこにいる! すぐ帰ってこい!』
開口一番、心配の言葉などなく、命令口調だった。
私はため息をつく。
「帰るわけないでしょ。勘当されたんだから」
『屁理屈を言うな! 緊急事態なんだよ。アヤのやつ、離婚届を置いて逃げやがった!』
「そう。よかったじゃない、他人になれて」
『よくない! あいつがいなくなって、誰が家のことをやるんだ! 母さんも腰が痛いって言ってるんだぞ。お前が帰ってきて家事をしろ!』
耳を疑った。
アヤさんを追い出した(逃げられた)から、その穴埋めとして私を使おうとしているのだ。
『それに、カオルさんとかいう人から、法外な慰謝料を請求されそうなんだ! アヤの分まで俺に連帯責任があるとか言って……。お前、あいつと仲良くなったんだろ?』
兄の声が、焦りと苛立ちで裏返る。
『お前から頼んでこいよ。「家族なんだから勘弁してくれ」って。うまく丸め込むのが、妹としての務めだろ!』
プツリ。
私の中で、最後の「糸」が切れる音がした。
「……わかった。会いに行く」
私は短く告げて、通話を切った。
***
駅前の喫茶店。
指定された席には、両親と兄が待ち構えていた。
私が席に着くなり、兄が身を乗り出してくる。
「やっと戻る気になったか。まったく、人騒がせな奴だ」
「アヤさんの件は災難だったけど、雨降って地固まるっていうしね。ヒカリも反省したなら、また家に入れてあげるわよ」
母が偉そうに腕組みをする。
反省? 私が?
この人たちの頭の中では、まだ「ヒカリにも非があった」という設定になっているらしい。あるいは、そう思い込まないとプライドが保てないのか。
「それで、カオルさんへの説得はどうなった? 300万なんて払えるわけないだろ。お前が上手く言って減額させろ」
「そうよ。今まで育ててあげた恩を返す時よ。アヤさんの分まで働いて返しなさい」
当然のように要求を並べる家族たち。
私はテーブルの上にスマホを置いた。
画面には録音中のアプリが表示されている。
「……何それ」
「今の会話、全部録音したから」
私が冷徹に告げると、兄の顔が引きつった。
「お前、家族相手に何を……」
「家族? 誰のこと?」
私は首を傾げた。
「あなたたちを『家族』だと思うのは、もうやめたの」
「はあ!? 何言ってんだ、生意気な!」
兄がダンッとテーブルを叩く。
周囲の客が驚いてこちらを見たが、兄はお構いなしに怒鳴り散らした。
「俺はエリートだぞ!? 県庁の星だぞ! こんなことでキャリアに傷がついたらどう責任取るんだ! お前みたいな無職と違って、俺の人生は重要なんだよ!」
唾を飛ばして喚く兄。
かつては、この兄が怖かった。この兄に認められたかった。
けれど今、目の前にいるのは、自分の保身しか頭にない、ただの情けない男だった。
「……じゃあ」
私は立ち上がり、兄を見下ろした。
「その大事な人生、自分で守れば?」
「なっ……」
「私を不当に追い出したこと。精神的苦痛。名誉毀損。……私からも、あなたたち全員を訴えるから」
「う、訴えるだと!?」
「カオルさんの紹介で、良い弁護士さんを見つけたの。佐伯みたいな無能じゃない、本物のプロをね」
私はバッグを肩にかけ、呆然とする両親と兄に背を向けた。
「待て! ヒカリ!」
「お前、本気なのか!? 親を訴えるなんて!」
「本気よ。震えて待ってて」
呼び止める声を無視して、私は店を出た。
胸の中が、驚くほど軽かった。
空は青く澄み渡っている。
さあ、次は会社だ。
私をゴミのように捨てた、あの黒田部長との決着をつける時だ。




