第2話 家族からの断罪
スマホの通話ボタンを押した瞬間、鼓膜を劈くような怒声が響いた。
『あんた! なんてことしてくれたのよ!』
お母さん? 思わずスマホを耳から離す。
泣きながら事情を説明しようと思っていた私の口は、出鼻をくじかれてパクパクと動くだけだ。
「え、あ、お母さん……? 私、会社をクビになっちゃって……」
『そんなこと知るもんですか! 今すぐ帰ってきなさい! 説明しなさいよ、この恥知らず!』
ガチャリ。ツーツー。
一方的に電話は切れた。
呆然と画面を見つめる。心配してくれるどころか、「恥知らず」と言われた。
……まさか、実家にも連絡がいっているのか。
嫌な予感が背筋を駆け上がる。けれど、私にはもう行くところがなかった。
直接会って、目を見て話せばわかってくれるはずだ。
私はやっていない。潔白だ。家族なら、信じてくれるはずだ。
そう自分に言い聞かせ、私は電車に飛び乗った。
***
実家の玄関を開けた瞬間、重苦しい空気が肌にまとわりついた。
リビングに入ると、両親と兄夫婦がテーブルを囲んで座っていた。まるで通夜のような雰囲気だ。
そして、テーブルの中央には――私が見たくもない、あの「白い封筒」が置かれていた。
「帰ってきたわね、家の恥さらしが」
開口一番、母が低い声で唸った。
いつもは穏やかな母の顔が、鬼のように歪んでいる。
「お母さん、違うの。信じて。私、不倫なんてしてない。人違いなの」
「人違い? 弁護士がわざわざ戸籍か何かを調べて、ここの住所に送ってきたのよ? 間違いなわけないでしょ!」
母がテーブルを叩く。
その隣で、兄のリョウタが冷ややかな視線を私に向けた。
有名私大を出て、県庁に勤める自慢の兄。子供の頃から、私は兄の「おまけ」のような存在だったけれど、ここまで冷酷な目で見られたのは初めてだった。
「ヒカリ。俺が今、昇進前の大事な時期だってわかってるよな?」
「お兄ちゃん……」
「公務員一家の身内から不倫騒動なんて出たらどうなると思う? 俺の顔に泥を塗る気か」
「だから、やってないんだってば!」
「火のない所に煙は立たないんだよ!」
兄の怒鳴り声に、私はすくみ上った。
誰も、「事実かどうか」なんて気にしていない。
気にしているのは「世間体」と「自分への被害」だけだ。
悔しさと情けなさで、涙がボロボロとこぼれる。
「……汚らわしい。泣けば許されるとでも思ってるのか」
兄が舌打ちをして、私に詰め寄ろうと立ち上がった。
その時だ。
「あなた、やめて。暴力はいけないわ」
兄の腕を掴み、制止したのは義姉のアヤさんだった。
アヤさんは、兄を座らせると、優しく私の肩に手を置いてくれた。
この四面楚歌の状況で、唯一、私に触れてくれた温かい手。
「ヒカリちゃん。怖かったわよね」
「義姉さん……っ」
「でもね、相手には弁護士がついているの。証拠だってあるはずよ」
「ち、違うんです。本当に身に覚えが……」
アヤさんは困ったように眉を下げ、諭すように言った。
「ヒカリちゃん。やってないって言い張って、もし裁判沙汰になったらどうなると思う? ご近所にも知れ渡るし、お義兄さんの職場にも噂が広まるわ」
「……え?」
「ここはね、素直に認めて謝っちゃったほうがいいの。そうすれば穏便に済むわ。お金のことなら、私たちがなんとかしてあげるから」
アヤさんの言葉は、優しかった。
けれど、言っていることは母や兄と同じだった。
認める? 嘘をついてまで?
アヤさんは、私の無実を晴らすことよりも、この場を丸く収めることを優先しようとしている。
「……嫌です」
「ヒカリちゃん?」
「やってない罪を認めるなんて、できない。私は、やってない……!」
私が首を振ると、アヤさんは「あちゃあ」という顔をして、兄の方を振り返った。
それを見た兄の中で、何かが切れたようだった。
「この期に及んでまだ! いい加減にしろ!」
ドカッ、と鈍い衝撃。
兄に突き飛ばされ、私は廊下まで転がった。
「出ていけ! お前みたいなアバズレは、もううちの家族じゃない!」
「待って、お兄ちゃん、お母さん!」
「近所の恥だわ! 二度と敷居をまたがないで!」
追いすがる私の目の前で、無情にも玄関のドアが閉められた。
ガチャン、と鍵をかける音が、心臓に杭を打たれたように響く。
投げ出された鞄と、私だけが、夜の闇に残された。
***
シンとした住宅街。
家の中から漏れる明かりが、ひどく遠いものに感じられた。
数時間前まで、私には仕事があり、帰る家があり、家族がいた。
それらすべてが、跡形もなく消え去ってしまった。
寒い。
体も、心も、凍りついて感覚がない。
唯一の味方になってくれるかもしれないと思ったアヤさんでさえ、「認めろ」と言った。
もしかして、私が間違っているの?
私が知らないうちに、私が悪いことをしたの?
もう、何もわからない。
膝を抱えてうずくまる。
暗い絶望の底で、ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。
――もう、死んでしまいたい。




