終息
維心は、炎嘉の目の前で巻物の内容の記憶を全てヴァレリーの頭から抜き去り、その玉を手に皆が待つ部屋へと戻って来た。
そして、皆が見つめる中で、それを宙に浮かせて一気に焼き消し、それは一瞬でジュウという音だけ残して消え去って行った。
維心は、黙って見守っていた、皆に言った。
「…これで、ヴァレリーの頭には巻物の内容は全くない。巻物を見て受けた印象は覚えておるが、内容は全く頭に上らぬ状態ぞ。」と、ヴァルヴァラを見た。「後は、主の持つ問題の禁書の巻物だけ。それを消せば、残りは月の宮にしかないことになる。月の宮は、我ですら破れぬ結界に守られた地。なので問題ない。ヴァルヴァラ、戻ってすぐに禁書を確かに月の宮へ引き渡すとここで約せるか。月が見ておるゆえ、偽りは申せぬぞ。」
ヴァルヴァラは、頭を下げた。
「は。我が知りたかった内容は、ここにイゴール殿が転写してくだされたものにございます。確かに戻ってすぐに、月に立ち会ってもらい、禁書を引き渡します。」
維心は、頷いてイゴールを見た。
「残りは主の頭の中だが、主は己の血族を利用されて己のせいにされるのだから、使う事はなかろうし、そもそも主にはそんな術など必要なかろう。次にこの術が使われたら主だと思うぞ。良いな?」
イゴールは、答えた。
「我はもう、隠居しようとしておる身。イグナートにもこの術のことは言わぬつもりぞ。」
ヴァルラムが、脇から言った。
「まだそのようなことを。イグナートがどれほど難儀しておったと思う。いきなりに譲位だと言われて、何も分からぬからうちのヴェネジクトに指南を頼んで参ったのだぞ?こっちは良い、思う通りになるゆえな。だが、主はそれで良いのか。ここは一枚岩だとか言うておったのではないのか。マトヴェイもアルファンスもフレデリクも、案じておったのだぞ。」
それを言われると、痛い。
イゴールは、顔をしかめた。
「あやつは事もあろうにドラゴンに助けを求めておったのか。」
ヴァルラムは、頷いた。
「皇子の立ち合いで顔を合わせて仲良うなっておるらしいゆえ。ヴェネジクトなら、一度王座に座っておるし分かろうかと思うたのだろう。」
…ならばしばらくは譲位はできぬな。
イゴールは、諦めてため息をついた。
「…分かった、あやつを育てる事に尽力する。それで良いな?」
ヴァルラムは、頷いた。
「それで良い。己の気持ちだけで回りに迷惑を掛けるでないわ。我とて面倒でも他に居らぬから王をやっておるのに。」
みんな同じ気持ちだ。
漸が、言った。
「…もう良いか?」え、と皆が漸を見ると、漸は続けた。「犬達が、鹿が駄目なら虎でもとか話し合っておるのが聴こえて参るのだ。我は鹿も虎も食わぬと教えて来ねばならぬ。」
虎を狩って来ようと言うのか。
しかも、ここらの虎とはベンガル虎だろう。
炎嘉が、慌てて言った。
「止めて来い!こっちもさっきから遠く何やらカラスが皆を叱責しておる声が聴こえて来るのだ。我が止めねばあれらも何を持って来るか分からぬから。」
そういえば、遠くカラスがギャアギャア言っているのが聴こえて来ていた。
維心は、ため息をついた。
「…では、これで終いぞ。」と、足を戸口に向けた。「大騒ぎになる前に、我らはここから去らねばな。」
「もうなっておるわ。」
炎嘉が言って、外へと向かう。
やっと、この件は解決したと皆の心は晴れやかだったが、炎嘉と漸は大変そうだった。
外へと出ると、家の前には今度は山ほど何かの幼虫やら、先ほどより大きな木の実やらが積み上げられてあった。
ヴァルヴァラが、う、という顔をする。
外で待っていたアンジェラとアイーシャも、そこから離れて立ってこちらを見ていた。
「あの…先ほどから多くの鳥が飛来してはここへ落として参るのです。」
アンジェラが、報告する。
炎嘉が、目を見開いて森の方へと叫んだ。
「だから!我は食わぬと申しておろうが!いい加減にせよ、大概迷惑ぞ!」
しかし、イシードが言った。
「いや、これは人からしたら拾って食すような木の実で。」と、何かの幼虫を突いた。「場所が場所なら、蛋白源としてこれらを採集して食べる人も居るのですよ。そういった物が多いですな。」
つまりは、人がいろいろ採集しているのは鳥たちも見ていて知っていて、今度はそれらを選んで持って来たということだからだ。
炎嘉は、大きなため息をついた。
「そうか。悪気はなかったのだの。しようがない、これはイシードがどうにでもせよ。」と、森の方へと飛んだ。「少し、話して参る。カラスがどう決めたのかも気になるしな。うちの島の烏とうまくやれるのならあちらへ連れて参るのも考えておるが、あやつらの場所も決めねばならぬし、少々手間取る。」
維心は、頷いた。
「待っておるゆえ、早うせよ。我は帰りたい。」
我だって帰りたいわ。
炎嘉は思いながら、森の方へと飛んで行った。
炎嘉が飛んで行く方向へと、森の木々の上にとまっていた鳥たちが、一斉に移動して行くのが、黒い塊のように見えて少し不気味だ。
背後では、漸が犬達に必死に言って聞かせていた。
「だからの、我は何も食さぬのだというに。鹿が嫌いとかそういう問題ではない。…いや虎も食わぬと申すに。そもそも、ここにベンガルの王が居るのにようそんな事が言えるの、主らは。」
イゴールが、顔をしかめる。
「容赦ないの、我が結界内で我が眷属に繫がる主人を持っておるのに。」
漸は、それらを手でいなしながら言った。
「許してやるが良い、イゴール。これらは神になろうとしておるとはいえ、まだ赤子ぞ。獣としての本能が抜け切れておらぬし、そもそも神とは何なのかも分かっておらぬ。雷嘉は覚醒した瞬間のことを覚えておるだろう。急に視界が開けるのではないか?」
雷嘉は、頷いた。
「は。誠にそんな感じで。覚醒の少し前から、喉の奥がむずむずとしました。言葉を発することができるような心地になって、回りの人や神の言葉が、それまで漠然としていたのにハッキリ意味をなして全て理解できるように。そこから、一気に目が開かれて何もかも理解できるようになりました。遂に声が出るようになった時には、人型に変化していました。」
漸は、頷いてはしゃぎ回る犬達を見た。
「これらはまだ時が掛かりそうだのう…。何しろ、今の生活が楽しいようだしのう。」
ヴァルヴァラが、言った。
「我らにはよう分からぬのですが、そこらの犬でもこれほど簡単に神格化しようとするのですか?」
漸は、首を振った。
「いや、滅多にない。雷嘉はまあ、生まれた時から素質のあるやつで、我も遠く島から認識しておったほどであったが、これらは主の母が可愛がったゆえ、後からその素質が芽生えた変わり種ぞ。後天的なものなので、雷嘉ほど神格化が早くはないのよ。本来、主の母に仕えて使徒として働き、神格化を目指すものなのだが、ヴァレーリアはここにおらなんだゆえな。これらも中途半端になってしもうて。」と、イゴールを見た。「イゴール、良いのか?カラスを手懐けたら主にとり統治が格段に楽になるぞ?何しろあやつらはどこにでも潜めるし、眷属達が見た事を言語化してこちらに伝える事ができる。虎よりよほど目立たず情報を集められるのに、炎嘉について行ったらそれを手にできぬぞ?」
イゴールは、首を振った。
「便利なのは分かっておるが、面倒ぞ。鳥は鳥族の王に従うゆえ、おっても恐らくこちらの動きを炎嘉殿に全て流してしまうだろうて。それにカラスから我に従う気がないと言われておるのに。そんなものを内に飼っておる方が気になるわ。」
漸は、頷いた。
「炎嘉と繋がらぬうちなら上手いことやれたのにの。今はならぬ、やはり鳥は鳥、犬は犬の神に従うようにできておる。側の神に世話になっておったらこの限りではないが、主は何もしておらなんだのだからの。ならば恐らく、あやつらは炎嘉についてあちらへ参るかのう。」
遠く、炎嘉が鳥達に囲まれているのが見える。
こちらの皆はしばらくそこで、炎嘉の話が終わるのを待っていたのだった。




