禁書
龍の宮へと帰って来た維心は、政務へと出て行った。
維月は、とりあえずヴァルヴァラの命は助かったのだが、ヴァレリーがどうなるのか、まだ気を揉んでいた。
北を窺うも、まだ動きはないようだ。
ヴァルヴァラは精力的にあちこちに文を出して、皆に報告を済ませていた。
あちらは夜なので、ここからは動きはなさそうだった。
維月がため息をついていると、十六夜が声を掛けて来た。
《…とりあえずひと安心だろ。何ため息ついてんだ。》
維月は、答えた。
「まだヴァレリーのことが残ってる。ヴァレーリアの生き方を見たから、できたら生かして幸福になって欲しいと思うんだけど…性質を知らないものね。イシードのことは知ってるわ、だって涼香の件の時に雷嘉を連れて来てくれてたもの。あのイシードが育てたんだし、悪い子じゃないと思いたいけど。」
十六夜は、答えた。
《分からねぇなあ。まだ寝てるしよ。お前は子なんて言ってるけどよ、もういいおっさんだぞあいつは。その歳まで独身貫いてるわけだし、どっか心に影があるんじゃねえの。霧が憑いてたぐらいだし。》
維月は、空を睨んだ。
「こら!おっさんとか言わないの。私達の方が数段年上なんだからね。それより…ヴァレリーの事を聞きたいかな。雷嘉は知ってると思う?多分知ってるよね、犬だった時の記憶はあるんでしょ?」
十六夜は、頷いた。
《多分知ってるだろ。昔散歩してたのは見てるから。あの中に雷嘉が居たかどうかは分からねぇねけどさ。》
維月は、言った。
「じゃあ、未だに義心に文が来るみたいだし、義心から聞いてもらおうかな。ヴァレリーがどんな子だったのか。」
十六夜は、面倒そうに言った。
《別に聞かなくてもそのうち分かるだろうが。気になるのは分かるが、せっかちなのは昔から変わらねぇな。オレは最近、待つことも覚えたぞ。気長に待てよ。》
確かにそうだけど。
維月は、むっつりと黙った。
すると背後から、維心の声が言った。
「…漸に聞いてみるか?」え、と振り返ると、維心がそこに立っていた。「我も何か問題があるやつなら、先に知っておきたい心地ではあるし。」
維月は、慌てて頭を下げた。
「維心様。申し訳ありませぬ。お戻りになっているとは気付かず。」
維心は、首を振った。
「良い。」と、維月の肩を抱いた。「我も気になって、後は維明に任せて会合を抜けて参ったのだ。確かに雷嘉なら、ヴァレリーの事も見知っておるやも知れぬしな。漸に雷嘉を連れて来いと申すわ。どうせ炎嘉も、今朝報告したら詳しい話を聞きに来ると連絡して来ておった。ついでに話しておいても良いやもしれぬ。」
維月は、言った。
「炎嘉様が来られるのですか?ならばお着替えをしておかねば。」
維月は侍女に頷きかける。
侍女達は、維心の着物を取りに急いで出て行った。
維心は、言った。
「午後からの。政務が終わったら来ると書で申しておったゆえ。漸にも書状を送らせるわ。」
維心は、今度は侍従に目配せした。
侍従は、頭を下げて急いで出て行った。
十六夜が言う。
《…漸は暇にしてるみたいだが、いきなり呼び付けられるなんて気の毒だな。お前ちょっとは相手の都合も考えろよ。自分は宮から出ねぇで、話が聞きたいから来いってんだろ?》
維心は、維月を伴って定位置の椅子へ向かいながら、言った。
「今更であるぞ。我は身分がら己から出掛けると相手が慌てるのだ。呼ぶ方が思いやりというものぞ。」
椅子に座ろうとすると、侍女達が着物の載った厨子を捧げ持って入って来た。
維月が、言った。
「先にお着替えをしておきましょう、維心様。さあ、こちらにお立ちになって。」
維心は、仕方なく従った。
「面倒だの。政務の着物なのだから良いではないか。いちいち来客用に換えねばならぬ意味が分からぬ。」
そう言いながらも、素直に着替えに応じる。
十六夜は、言った。
《それはオレも同意。オレも最近は洋服より着物で居る事のほうが多いけど、面倒で仕方がねぇ。》
維月が、維心を着替えさせながら言う。
「洋服なんて、仕立ての神達はあまり縫わないのに困るじゃないの。あなたの着物はめっちゃあるんだからね。面倒でも着物を着てくれないと困るの。」
十六夜は、答えた。
《わーってるっての。洋服失くなったから仕方なく着物にしてるんだよ。》
維心は、息をついた。
「まあ、ヴァルラム達が気楽に着付けもなく短時間で着ておるのを見ると、時に洋服も良いかと思う時もあるが、体にピッタリ纏わりつくのに慣れぬでな。着物の方が楽であるわ。」
生まれた時から着物だもんね。
維月は思った。
神世で着られている着物は、体にピッタリしている物はなく、皆生地をふんだんに使っているので中で体は泳いでいる状態で、確かにとても楽だ。
帯も幅があまりないので、胸もそこまで苦しくない。
女性用では飾りにするので幅が広いように見えるのだが、結ぶ辺りは細く、途中から太くなっているので、重いのだが広く体を締め付ける苦しさはなかった。
とはいえ、生地をたくさん使うので、洋服より贅沢と言えば贅沢だった。
「…終わりましてございます。」
維月が頭を下げると、維心は頷いた。
「…では、炎嘉と漸が来るまで茶でも飲もう。」と、空を見上げた。「十六夜はそこで聞くのか?」
十六夜は答えた。
《降りてくのめんどくさい。また着替えだもんよ。ここで聞いてる。》
気持ちは分かる。
維心は頷いて、そうして維月と共に並んで座って、侍女達が茶を持って来るのを眺めて、言った。
「…そういえば、ヴァルヴァラはどうするつもりかの。」え、と維月が茶碗を手に維心を見ると、維心は続けた。「あの時、我は敢えて言わなんだが、理亜が差し出した厨子の中にヴァレーリアの禁書はなかった。理亜が掻き集められたのはあれだけであろうから、我もそこまで言及はせなんだが、ヴァレーリアの禁書にはヴァルヴァラに伝えたかった膜の呪文もあるのだろう?」
そういえばそうだ。
維月は、維心を見上げた。
「それはつまり、ヴァルヴァラはそれを隠しておったのですか。」
維心は、頷いた。
「あれがどうするのか見たいと思うて、あの時は申さなかった。見逃したのよ。あやつは上手く隠しおおせたと思うておるのやもしれぬがの。」
維心は、全て知っていて泳がせているのだ。
維月は、俄に緊張して来た。
「…気が付かずで。それでも維心様はヴァルヴァラを蘇生してくださったのですね。わざとできぬふりもできたのに。」
維心は、維月を見た。
「できぬフリをしても良かったのか?」維月が顔をしかめると、維心は笑った。「冗談ぞ。我はそこまで非情ではない。母親の遺した書を中身もあらためずに引き渡せとは言わぬわ。どうよ、十六夜?ヴァルヴァラは、それを焼いておるか。」
十六夜は、答えた。
《…いや、確かに開きもせず手に持ってるな。悩んでるみてぇな…あ、寝室のベッド脇の棚に収めた。まだ決めかねてるんじゃねぇか。》
維心は、息をついた。
「長く置けば置くほどまた、それを狙う輩が出て参る。場所は分かったし、もしまだ悩むようなら我が義心に命じて焼いてこさせるわ。いや…持ち帰らせて中身を見ておくか。」
維月は、言った。
「そこまでせずとも、蒼から禁書がないようだがと問い合わせさせまするわ。そうしたら、ヴァルヴァラも差し出すよりないでしょうし。とりあえず、まだ中身は無事なのです。十六夜も見ておってくれるでしょうし…。」
十六夜は、言った。
《オレは見てるけど、見てるしかできねぇぞ。また親父に眠らせられるのは懲り懲りでぇ。起きたら何が何だか分からねぇのに、あれこれやれって言われる面倒、お前も経験してみろ。》
まあ確かに十六夜にしかできないことを、いきなり叩き起こしてやれというのも理不尽だ。
そこへ、侍従が入って来た。
「王。炎嘉様がお越しになられました。」
もう炎嘉が来た。
維心は、頷いた。
「これへ。」と、維月を見た。「主は奥に。聞きたければ奥で聞いておれ。」
維月は頷いて、奥へと入って行った。
そうして、炎嘉が居間へと入って来たのだった。




