収束
サイラスは、戻って来たイラリオンから話を聞いた。
ヴァルヴァラは、無事に命を繋いだのだという。
龍王の気の力は凄まじく、目の当たりにすると恐怖を感じてその瞬間は身動きも取れなかったとイラリオンは言った。
「まさかあれほどの気を一気に投下して全く動じない神がこの世に居るとは思いませんでした。」イラリオンは、サイラスに言った。「我の体の中の気を、全て外へ放出したかのような気の量で。」
サイラスは、ため息をついて頷いた。
「さもあろう。維心はこの世最強の神であるからの。そんな神が手を貸して、命を落とす方が難しかろうと最初から分かっておった。運が良かったの。月が味方をしてくれなんだら、維心はそんなにあっさり手を貸すとは言わなんだだろうて。」
イラリオンは、言った。
「ですが王よ、あちらも条件を出しておりましたでしょう。それを全て飲んだゆえの事では無いのですか。あちらにも利があるからと。」
サイラスは、呆れたようにイラリオンを見た。
「あの条件は、維心からの無理やりに作った口実ぞ。そも、龍王に奪えぬものなどないわ。ヴァルヴァラがその条件を飲めぬで死んでも、その後軍神に命じてさっさと仙術の情報を持ち去ってしもうただろうて。仙術担当の神とて、頭から記憶を取られてそれを利用されて残りは廃神。あの条件自体が、龍王からの厚意であると分からぬか。」
そうだったのか。
イラリオンは、黙り込む。
サイラスは、息をついた。
「まあ、主はこれからいろいろ学んで参れば良い。我の跡はイライアスが継ぐが、主はそれを補佐して行かねばならぬからの。我はかなりの長い時を生きておって、もうそろそろ休みたいと思うておるのだ。そのうちに老いが来るだろうと最近は予感しておるところ。我だって、解放されたいと望むもの。」
イラリオンは、それを聞いて悲し気な顔をした。
「王…我はまだ、お会いしたばかりで何も知らぬのです。そのようなお気の弱い事は仰らず、今少し見守ってはくださいませぬか。」
サイラスは、苦笑した。
「…まあ、今すぐではなかろう。こればっかりは、我にもどうしようもない事であるしな。ただ、もうそろそろと願っておるだけ。もうイライアスが生まれてから数百年願っておることであるのでな。」と、またため息をついた。「今の内容を、ヴァルラムにも書状にして送っておくが良い。あやつも案じておるはずであるから。」
サイラスは、そう言うと立ち上がって奥へと戻って行った。
イライアスは、その背に頭を下げてから、書状をしたためるためにその場を離れたのだった。
次の日、ヴァルラムは書状が来ておりますとドミートに起こされた。
昨夜は、明けて来る日を見ながらこちらへ戻って来たら、時差があるのでこちらはもう夕刻で、結局一睡もしないままに丸一日過ごしたのを知った。
その後、ドミートが何か言うのにも構わず、奥へ帰って泥のように眠りについたのだが、今朝はまだ眠り足りない心地だ。
それでも起き上がって居間へと出て来ると、ドミートが巻物を手に膝をついていて、ヴェネジクトがその隣りに立っていた。
「…どこからぞ。」
ヴァルラムが不機嫌に言うと、ヴェネジクトが答えた。
「ヴァンパイア城からです。イラリオン殿が、ご報告をと言うてきております。」
ヴァルラムは頷いて、手を差し出した。
「これへ。」
ヴェネジクトが巻物をドミートから受け取って、ヴァルラムに渡す。
ヴァルラムはそれを開いてサッと目を通すと、開いたままヴェネジクトに渡した。
「…ヴァルヴァラは命を繋いだ。月の宮で合流した維心が一度ヴァルヴァラの気を全て消費させ、また一気に補充したのだ。蘇生に成功したようぞ。」
ヴェネジクトは、渡された巻物に視線を落として言った。
「…ならば一安心かと。昨日はあちらで何がございましたか。王は帰られてすぐにお休みでございましたので。」
ヴァルラムは、答えた。
「疲れておったゆえ。とりあえず、詳しくは我も今言えぬ。どこまでを公表しようというのか、話し合いがまだできておらぬゆえな。とりあえず術者は見付かったが、面倒があるので殺す事もできぬで、維心が蘇生するという離れ業をやることに同意したのだ。これは、皆に言うでないぞ。龍王は滅多な事ではそのようなことはせぬのだ。あれができるとなれば、皆我も我もと大騒ぎになろう。人も神も死ぬ時は死ぬ。ゆえ、これからも龍王に頼ろうなどとは考えぬようにな。」
ドナートが、言った。
「とはいえ、なぜに此度は龍王は手を貸してくださったのですか?北の神など、特に交流もありませぬのに。王がお頼みになったのでございますか。」
ヴァルラムは、首を振った。
「我は何も。結局は月が仲立ちをしてくれたからぞ。維月が大層ヴァルヴァラを気遣っておって、維心を説得したらしい。そうでなければ受けなかっただろうよ。」
ヴェネジクトが、言った。
「あの妃が申す事は、大抵龍王は聞き届けると聞いておるので。つまりはやはり、月を味方につけるのが、一番良いということでありますな。」
ヴァルラムは、苦笑した。
「月は誰にも同情的ぞ。だが、関与することを許されぬ。此度は大丈夫だったが、これからは分からぬぞ。安易に考えるでない。主は長く月の宮で厄介になって、蒼と友であるからそのように思うのやも知れぬがな。」
ヴェネジクトは、頷いた。
「は。無理は申すつもりはありませぬ。蒼の性質は知っておりますし、あれを困らせたくはありませぬから。」
ヴァルラムは、息をついた。
「とりあえず…ヴァルヴァラの危機は去った。だが、まだやることは残っておる。あの膜の術、ベンガルしか放てぬのに、確かに放って発動していた事実がえるゆえ、イゴールも知らぬで済まぬところがある。ヴァルヴァラとイゴールがまずは話し合う事になろうが、その場には立ち会わねばならぬ。」
ドナートは、顔をしかめた。
「またアマゾネスとベンガルの戦になどなりませぬでしょうな。せっかくに落ち着いたのに、この地で戦は見とうございませぬ。」
ヴァルラムは、答えた。
「戦はなかろう。被害者であるヴァルヴァラが、イゴールを責めようとは思うておらぬから。問題はイゴールよな。あやつは己が悪いと思うても、恐らくアマゾネスに頭は下げとうないだろうし。まあ、仲立ちするしかないわ。」と、手を差し出した。「書状を書く。ペンと紙をこれへ。」
ドナートが、慌てて侍女に頷き掛けた。
侍女達が、急いで紙とペンを探しに下がって行く。
ヴァルラムは、なんでも良いからとっとと終わらせたいと思っていたのだった。
ヴァルヴァラが膜から解放されて戻ったので、城では皆が喜んでヴァルヴァラを迎えた。
ダリヤが居ない事には、誰も気付いてもいない。
軍神一人のことなど、誰も気にしないのだとヴァルヴァラは残ってくれたダリヤを不憫に思った。
とはいえ、蒼は信じられないほどに大きな気を持つ王であったが、それでも落ち着いた穏やかな気を放つ男で、結界内は穏やかで正常な空間だった。
あの宮の領地でなら、ダリヤもすぐに快適に過ごせるようになるだろう。
そう願って王の居間へと帰ったヴァルヴァラは、急いで書状を各地に書いて送った。
まずは、面倒を掛けたマトヴェイ。
詳しい事は話せないが、無事に膜から解放された旨を書いて送った。
そして、ヴァルラム。
ヴァルラムからの情報がなければ、自分は魔法陣に粉々にされていたかも知れず、助かっていても膜に気を取られて死んでいた。
あのままでは、蘇生できていたかは分からなかった。
そして、サイラス。
約束した通り、必ず膜の呪文を知る者を一層し、その上で月の宮と協力して必ず対抗呪文を作り出す事を書いて送った。
最後に、イゴールだ。
イゴールには、近いうちに話し合いの場を設けて欲しいと願った。
ベンガルの結界内に居る、ヴァレリーと話さねばならないのだ。
その上で、イゴールとヴァレリーの処遇どうするのか、この事をどこまで公表するのかを取り決めねばならなかった。
やることは多いが、全てやり遂げねば先へ進めないのだ。
エフィムは、年明けに婚姻してこちらへ戻る予定だったが、もうそんな事は言っていられないので、もう城へ移って来ると言っていた。
ヴァルヴァラは、母の禁書を握りしめて、どうするのか悩んだ。
…これだけは、龍王にも引き渡してはいない。
ヴァルヴァラは、考え込んだ。
これを開いて読むべきか、それともここで燃やしてしまうべきなのか、まだ迷っていたのだ。
こちらは、もう夜になっていた。




