闇
「お父様!」維月が、いきなり叫んだ。「お父様、十六夜を起こして!」
維心と鵬が、ギョッとした顔で維月を見る。
何とか維月を落ち着かせた維心が、居間へと出て来て二人並んで椅子に座り、鵬に今日の予定を聞いていたところだったのだ。
「維月?どうした?!」
維心が言うと、碧黎の声が言った。
《…今起こした。が、こやつは何も分からぬぞ。これまで寝ておったのだからの。》
十六夜の声が割り込んだ。
《なんでぇ、寝てた?!おい親父、どれぐらい眠らせやがった!地上は…》と、一旦途切れてから、続けた。《お、ルシウスの奴が上手いことやってるな。人気のないとこに霧を集めてくれてる。消しとこ。》
呑気な言葉に、維月は言った。
「だから!闇なの、闇が居るの!人と神の半神の中に隠れてたから見えてないのよ!」
「「「ええ?!」」」
維心も鵬も、十六夜も言う。
《どこだ?!どこなんでぇ?!》
ルシウスの声が割り込む。
《北ぞ。ベンガルの結界内、人里の方の森の中。》
十六夜は、言った。
《暗いんだよ、あっちは夜だし。あ、イゴール達が居る。あそこか?…どこに闇が居るんだよ。半神って、こいつ?》
維心には、なんとなくそれがヴァレリーだろうと分かったが、鵬には分からず狼狽えている。
維月は、構わず言った。
「居るでしょ、その半神の子よ!中に闇を飼ってるの…どうやらイゴール様に憑けないから、その子に憑いたみたいなの!早く消して!」
十六夜は、答えた。
《なんか分からんが、確かになんか居そうだ。浄化してみらぁ。》
十六夜が言う。
維月は、ゴクリと唾を飲み込んで空を見つめている。
維心にも鵬にも、何のことやらいまいち分からなかった。
犬達が吠え続けている。
「…我の責か。」イゴールが、言った。「我の心の闇から生じた霧がこやつに。」
ヴァレリーは、到底同じ神とは思えないほど醜悪な笑みを浮かべた。
「主のお陰で我は意思を持った。が、主はそれほどの闇を抱えながら我の甘言には惑わされず、憑く事ができなんだ。やる気も何もないゆえな。が、この男は人で、強くはない。それなのに神としての強い気は孕んでいて、その上心に主と同じ大きな闇を抱えていて好都合だった。もうすぐこれを食い破って闇として生まれ出るつもりよ。主らには我を追い出す事などできぬわ。これ自身が我を受け入れておるゆえな。」
イゴールは、歯ぎしりする。
エフィムもマトヴェイも、身動きできずにそこに立ち尽くしていた。
何しろもしここでヴァレリーを殺しても、闇が現れてすぐにこちらに憑くかもしれないからだ。
その時、キラと空が光ったかと思うと、空から光の柱がドスンと降りて来て、ヴァレリーを包んだ。
「うおおおお!?」ヴァレリーが、信じられないほど低いしわがれた声で叫んだ。「しまった、月…!!月に気取られた…!」
ヴァレリーはなんとかその柱から逃れようと転がり回るが、柱は綺麗にそれを追ってスポットライトのように回った。
「おおおおお!!」ヴァレリーは、突然にパタリと倒れた。《月…!月め…!!》
倒れたヴァレリーの目から鼻から口から、堪らず闇がヌーッと出て来て逃れようとするのが見える。
神達が思わず後ろへ退く前で、光の柱はその闇をまるでバターのように溶かして行くのが見えた。
《ぐわあああ!後少し、後少しであったのに…!!》
その言葉を最後に、闇は綺麗に消えた。
ずっと聴こえていた犬達の咆哮が、そこでピタリと止む。
辺りは、シンと静まり返って、転がり回って土だらけになったヴァレリーだけがそこに残されていた。
「ヴァレリー!」イシードが、急いでヴァレリーに駆け寄った。「ヴァレリー、無事か!」
イシードがヴァレリーを抱き起こすと、ヴァレリーの胸が上下しているのが見える。
どうやら、命はあるようだった。
《…なんか知らんが消したぞ。》空から十六夜の声が聴こえて来た。《闇寸前の意思を持つ霧だった。霧が短時間でここまで育つのは神の気を食らった時だ。そいつは半神だし、全部喰らわれてたわけでもねぇから、そいつだけの力じゃねぇ。誰が育てたんでぇ。》
イゴールは、息をついて十六夜を見上げた。
「…我。」皆がイゴールを見るのに、イゴールは続けた。「闇が言うておった。我の気を喰らって成長し、我には憑けぬゆえこやつに憑いた。我はアマゾネスを恨んでおったからの…ヴァレリーももしや同じくアマゾネスを恨む心地があったのではないのか?人に落とされたとはいえ同じ血筋であるゆえ、共鳴してこちらへ呼び寄せられたのだろう。つまりは、こやつが恐らく膜の術を使ったのだ。」
イシードは、気を失っているヴァレリーを悲痛な目で見た。
つまりは、ヴァレリーを殺さねばならぬのか。
皆が、黙り込む。
しかし時はなかった。
ヴァレリーをとにかく家に運んで寝台に寝かせると、辺りを見回っていたマトヴェイが言った。
「…これではないのか。」と、机の上から何かの巻物を取り上げた。「『禁書』。ヴァレーリアと共に葬られていたとかいう。」
イゴールが、それを受け取る。
確かにそこには、背に『禁書』と書いてあった。
注釈として、『王の血に繫がる者だけに許す』と書いてある。
「…ヴァレリーも確かに王の血に繫がるわな。」イゴールは、言ってヴァレリーを見た。「ここにあの面倒な術の詳細が書かれておるのだろう。消すか。」
マトヴェイが、慌てて言った。
「待て、もしかしたらこれを殺さず消す方法が分かるやも知れぬではないか。中を確認するべきぞ。」
イゴールは、マトヴェイを睨んだ。
「アマゾネスでさえ、これを王族だけに継いでおったほど危ない術ぞ。知ったらその存在ごと消されるやも知れぬのだぞ。主にこれを見る覚悟があるのか。」
マトヴェイは、それを聞いて黙り込む。
エフィムが、言った。
「我にはありまする。」と、その巻物を受け取った。「持ち帰ってヴァルヴァラに開けさせる時がない。我が見ます。」
イシードが言った。
「お待ちを、ヴァレリーは見ておるのです。ヴァレリーならば、解く術があるのなら知っておるはず。これに聞きましょう。そのような危険を冒されるのはリスクが高過ぎる。」
エフィムは、イシードを睨んだ。
「何を申す!これは寝ておるではないか!起きるまで待ってはおられぬわ!本当なら今すぐにこやつを殺したいのに!」
イゴールが、言った。
「待て。」と、イシードからその書を取った。「我が見る。どうせ我はその術のもとになる術を使えるのだ。同じことぞ。この中でそれが必要ないのは我だけなのだ。」
確かに、イゴールはその術を使えるのに使わない選択をしている唯一の神だ。
エフィムは、仕方なく頷いた。
「…ならばそのように。」
イゴールは頷いて、チラとまだピクリとも動かないヴァレリーを見てから、巻物を開く。
皆がそれを固唾をのんで見守っている中で、イゴールは巻物をじっと見つめてどんどんと先を開いて行った。
そして、言った。
「…なるほど。ヴァレーリアはかなり賢しい奴だったのだ。これを作った奴は解けぬと諦めていたが、ヴァレーリアはもしかしたらの方法を見つけていた。あの、魔法陣ぞ。」
エフィムが、困惑した顔をした。
「あの魔法陣?どの魔法陣でありますか。」
イゴールは、巻物を閉じた。
「主の父母を殺したあの魔法陣よ。あれに答えがあるやも知れぬとヴァレーリアは言い残している。つまりは、空間を捻じ曲げるあの方法が、あの膜をこじ開ける唯一の道ではないかと言うのだ。」
あの魔法陣が…!
皆が、息を飲んだ。
しかしあれは諸刃の剣だった。




