空間
アマゾネス城では、ヴァルヴァラが、アンジェラの血から気を補充し、顔を上げた。
アイーシャが、急いでそのヴァルヴァラの口元を自分のハンカチで拭い、ダリヤはアンジェラの手首の傷口を、術で塞ぐ。
アンジェラは少し顔色は悪かったが、それでもしっかりと立っていた。
「…3分の1ほど気が復活した。」ヴァルヴァラが、アイーシャのハンカチを手に言った。「良い心地ではないが、体は楽になった。アンジェラ、礼を申す。」
しかし、ヴァルヴァラの瞳は薄っすらとグレーに濁り、髪は黄金からグレー掛かった金髪になっていた。
アイーシャが、心配そうに言った。
「ですが…穢れは消せませぬ。お姿が変わりつつある。長くは同じ方法を続けられぬでしょう。」
サイラスが、言った。
「それでもそれしか生き残る術はないわ。我とて最初からこんなに髪が黒かったわけではない。元はヴァルラムのようなシルバーぞ。それが、何年も穢れを受け続けた結果黒髪になり、そこから戻らぬ。瞳もこんな色ではなかったが、穢れを祓って後に見たら赤くなっていた。闇の化身達が同じような見た目であるのを見て、我も似たようなものなのだと思うた。これが代償、他の命をもらって生き延びたのだからの。」
イラリオンが、驚いた顔をした。
「それが後に変化したものであるのなら、なぜに我はこのように?」
サイラスは、笑うように唇を歪めた。
「恐らくはそれは我が血族の呪いよ。ヴァンパイアの王族は他の命を奪い、生き延びた事をその姿で他に知らしめておるのだろうよ。まあ、己自身が忘れぬようにこうなっておるのやもしれぬ。鏡を見る度に思い出すためにな。」
イラリオンは、黙り込む。
ヴァルラムは、言った。
「とにかく、これで時はできた。これからは主らが順にヴァルヴァラに血を分けて行けば、命は永らえるだろう。問題は、膜が消えるのかどうか…このまま、未来永劫同じ事を続けるわけには行くまい。膜を被ったままで女王はできぬ。エフィム達は、無事にイシードに会えたのかの。」
そんな話をしていると、そこに臣下のエゴールが駆け込んで来た。
「女王!エフィム様が!イゴール様と共に、お戻りになりました!」
ヴァルヴァラは、頷く。
「すぐにこれへ。主は下がっておれ。」
エゴールは頷いて振り返ると、もうエフィムがそこに居て駆け込んで来た。
「ヴァルヴァラ!」と、その姿を見て驚いた顔をした。「なんだどうした?!何故にそんな色になっておるのだ?!」
ヴァルヴァラは、答えた。
「我は穢れを受けておる。アンジェラの血から気を補充したゆえ。主は離れておれ。」
エフィムは、一瞬怯んだが、それでもヴァルヴァラに近寄ると、その手を握った。
「…それでもヴァルヴァラぞ。よう生き延びる決断をしてくれた。皆が主が生きる事を望んでおる。お祖父様も来てくださっていたが、こちらへ戻る前に城へ帰って頂いたのだ。」と、懐から巻物を出した。「これが、禁書。主の母が残したものぞ。」
見付かったのか。
ヴァルヴァラは、それを受け取った。
「…やはりヴァレリーか?」
エフィムは、頷く。
「そう。あれが持ち去っていた。詳しい事は…本人が意識を失っておるゆえ、分からぬのだ。」
イゴールが、進み出て言った。
「我はそれを読んだ。」え、と皆が驚く顔をするのに、イゴールは続けた。「それを読めるのは我だけぞ。なぜなら、我はその術が無くとも同じ術を放つ事のできる唯一の神なのだ。主に時間ができたようなので、分かった事を説明しよう。」
ヴァルラムが、言った。
「ヴァレリーは、術を放った犯人か?」
イゴールは、頷く。
「その通りよ。順を追って話す。」
そうして、イゴールはヴァレリーと、闇との事を話して聞かせた。
そして、禁書を見た結果、魔法陣に膜を消す手掛かりがありそうだということも。
アイーシャが、それを聞いてダリヤを見た。
「…ダリヤ、ならば主が。魔法陣に詳しいのは主であろう。」
ダリヤは、戸惑いながら頷く。
「その通りだが、アクサナ殿は我にはそんな事は何も。記憶にもあったであろう、ヴァレーリア様は何一つ膜の呪文のことについてはアクサナ殿にすら話さなかったし、アクサナ殿も聞かなかった。それはヴァレーリア様が単独で考えられていた事なのだ。魔法陣は、発動したら空間を捻じ曲げてそれがもとに戻ろうと反発する力を使って相手を攻撃する。ヴァルヴァラ様がそれに晒されて…ご無事でいられるのか分からぬ。気の膜は役に立たぬし…悪くしたら膜ごと粉々に。」
エラストの最後が、脳裏を過ぎる。
イゴールが、言った。
「…その魔法陣がエラストを殺した。つまりは主らがエラストを殺したのだの。」ダリヤとアイーシャが、硬い顔をした。イゴールはフンと鼻を鳴らした。「今更に驚かぬわ。マトヴェイが居らぬで良かったの。ここへ来るまでに、エフィムから話は聞いておる。マトヴェイはエミーリアがやったと思うておるし、あれの娘のマリーナ諸共主らが殺した事は、エフィムが何も言わぬのだし我からは改めて申さぬ。主がそうなっておるのも、元々は我が主らを恨んでおったゆえに生じた霧のせいなのだ。ゆえにヴァレリーを殺す事は許可できなんだ。責を負うのなら、我もであるからぞ。誰が悪いとは、今は言えぬ。」
ヴァルヴァラは、イゴールに頭を下げた。
「我ら、誠に歪んだ想いからいろいろなご迷惑をお掛けしてしまい申した。これも報いと思うておる次第。ただ、我は事実を知った今、死ぬわけには行かぬのです。」
ヴァルラムが、言った。
「…いろいろあっての。死んで逝った者達の、記憶の玉を見たのだ。今はアマゾネスの王族ばかりを責められぬ心地ぞ。主とて霧を生み出すほどにアマゾネスを恨んだのだろうが、これだけ苦しめれば良かろう。我らは目を瞑るつもりぞ。他ならぬエフィムが、父母を殺されたと知っておるのにヴァルヴァラを助けようとしておるのだ。ここは、知った事実は伏せて今を正常に戻す事を考えよう。」と、サイラスを見た。「サイラスとて、ベンガルをどれほどに憎んでおることか。それでも霧を生み出す事なく、世の平穏を選んでおるのだからの。イリダルやイサークに罪はあっても、主にはない。同じように、レイティアやヴァレーリアに罪があってもヴァルヴァラにはない。そう思うが良い。」
イゴールは、顔をしかめた。
そう言われてしまうと、そうだからだ。
イゴールは、息をついた。
「…分かっておる。今はヴァルヴァラの膜ぞ。その魔法陣、試してみるよりなかろう。イシードはヴァレリーだけはと必死に頼んでおったし、何よりヴァルヴァラの兄にあたる男だろう。あやつがなぜに闇に唆されてこんな事をしたのかまだ分からぬが、それは後のことぞ。もし、魔法陣でどうにもならぬのなら、ヴァレリーを諦めるよりないがな。」
ヴァルヴァラは、言った。
「…兄は父母に望まれて生まれ出た命。我のために命を奪うなど、できぬ心地でございます。ならば、今は魔法陣を使い、膜を破壊することを試してみようかと。」
エフィムは、心配そうにヴァルヴァラの手を握る手に力を込めた。
「ヴァルヴァラ…主とて形は違えどヴァレーリアと臣下に望まれて生まれ出たのだ。我は主が存在することに感謝しておる。生きる意味をくれたのだからの。失いとうないのだ。できたら、無理はせずに…ヴァレリーは、闇に憑かれておったとはいえ術を放った責がある。その責を負うだけなのだ。」
ヴァルヴァラは、首を振った。
「主には心労をかけるが、それでも我は兄を手に掛ける事はできぬ。未だ会ったこともないのに…できたら生き延びて、なぜにこんな事をしたのか、お互いに腹を割って話したいと思う。」
魔法陣を使うよりないのか。
皆が思っている中で、窓の外は薄っすらと白んで来ていた。




