四、在る
「暑くなかとか?その格好」
スーツ姿で現れた伊佐は、焼き場から戻る頃にはさすがに上着を脱いでいた。
暑さを感じていないわけではないだろうが、彼の周りに熱気や湿気を感じさせる様子はない。
これも無駄に整った顔面の成せる技か。爽やかさが損なわれないのはどういうからくりだろう。
登紀子は首を捻った。
「ご挨拶にはスーツかと思いまして」
「結婚の挨拶でもなしに」
大袈裟である。
登紀子は本家に助けを要請したが、まさか伊佐本人が来るとは思っていなかった。
そしてこの様子であれば恐らく、隼斗を――
「似たようなものですよ。私にとっては。あなたから、隼斗さんを貰いに来たのですから」
やはり本命が他にあったのだ。
「やるつもりはなか」
隼斗はまだ高校に上がったばかりだ。
早すぎる。
「いいえ、返していただきます」
伊佐は微笑を浮かべたまま、キッパリと宣言した。
「私はずっと良い子にしていたでしょう?」
この男が隼斗の現状に納得していないことは、本家のみならず登紀子も知っている。
不満を抱えながらも、本家に逆らわなかったことも。そして、本家と登紀子を恨んでいることも。
「…隼斗が決めるこったい」
伊佐の冷たい目が、登紀子を射殺すように見ている。
登紀子は苦く眉間に皺を寄せた。
少年たちは風呂を終えた後、迎えに来た保護者に引き取られて帰った。
保護者は何度も登紀子に頭を下げた。
泣いている者もいた。
が、ダメになった畳の請求はしっかりとしておいた。
四人には肝試しの類いには二度と参加しないよう約束させた。
一度見入られたモノの扉は開きやすくなる。そう伝えられた四人が、約束を違えることはないだろう。
一
昼食をとるため、食卓に着いた伊佐は、濃いグレーのTシャツにゆるめのジーンズ姿で現れた。なんてことない格好なのに、妙に様になっている。
このままファッションショーのランウェイに出ても、違和感のないオーラが全身から放たれていた。
なんだよこいつ、ほんとに一般人か? 隼斗は面白くなかった。
この姿で島を歩いたら、浮きまくって仕方ないこと請け合いだ。
もういっそ島に1つしかない中規模ショッピングモールに連れて行って置き去りにしてやろうか、と黒いことを考える。
きっとおばちゃんどもの格好の餌食になるだろう。
「なに着替えてんだよ」
意訳、いつまでここにいるつもりだよである。
伊佐はその意図を正確に受け取ったようで、にっこりと笑うと
「まだ用事があるんですよ」と並べられていた箸を取った。
登紀子にいただきますと告げ、食事を始める。
昼食はうどんだった。かき揚げと海老の天ぷらに山菜が乗っている。
ごく庶民的な昼飯にも関わらず、目の前の男が食すと、田舎のうどんがイタリアンのパスタに化けたような錯覚を起こさせる。
うどんは啜るもんだぞ。
どっちかって言うと、この場合のマナー違反は目の前の男である。
啜って見せろよ。
なんやこいつ。まじでなんやこいつ。
隼斗はイケメン滅べの境地である。
「隼斗さんはこの後何か用事でも?」
「お昼寝の時間だよ」
意訳、お前に構ってる暇はない。
「では食後、散歩に付き合ってもらえませんか?」
え? 聞いてた? と隼斗は思った。
「嫌だけど」
「本当なら最初のデートはもう少し気のきいたところを用意したかったんですが、島ですしせっかくの自然を楽しむのも良いかと思いまして」
外来語か?
隼斗が通訳を求めて登紀子を見るが、登紀子は素知らぬ顔で食事を進めている。
「俺の知ってるデートとは違う意味のやつ?」
「ああ、隼斗さんはまだ女性とお付き合いしたことがないですよね」
「いまこいつ俺のことバカにした?」
登紀子に問う。
「ほんとのこっじゃろうが」
いや、論点はそこじゃない。まぁでもこの際、それもどうでもいい。
「絶対に行かねぇ」
隼斗が憮然と拒否する。
「隼斗さんは東屋のかき氷が食べてみたいんですよね?」
最近、島のショッピングモールの一角に、都会から来たカフェなるものがオープンした。
島ではなかなか見たことがないオシャレなスイーツメニューが並ぶ中、隼斗の目を引いたのは、『雪のような口溶け』が謳い文句のかき氷であった。
しかしそのかき氷は、この田舎においてなかなかの高額嗜好品で、財布の紐の固い登紀子は絶対に食べさせてくれない。もちろんカフェにも連れて行ってもらったことはない。
「散歩の後は東屋で食事でもどうですか?」
「………奢りか?」
「隼斗さんに払わせるわけがないでしょう」
なんだろう。気持ち悪い。めっちゃ気持ち悪い。デートっぽく言ってくるのがすごく癇に障る。
「よく食べる人が好きなんです。沢山食べてくださいね」
お前の好みなんか知るか。激しくどうでもいい。
隼斗が胡乱げな目で伊佐を見た。
一
乾いた地面を蹴り上げると土埃が舞う。かしましく鳴き続ける蝉の声が煩い。低い位置にある枝を払うと、猛烈な鳴き声を上げて、蝉が飛び去って行った。煩いはずだ。
そこかしこにいる。
「嘘だろ。こんなくそ暑い中で祠探しかよ」
隼斗がうんざりと空を見上げると、青を覆っていた雲の厚みが増しているように見えた。
もうすぐ雨が降るのかもしれない。
「根を断たねばまた同じことが繰り返されます」
山の中は気温が低く、日陰も多いので思ったよりは暑くない。
とは言え、体力は相応に必要になる。隼斗は山歩きに慣れているが、伊佐が平気な顔をしているのは意外だった。
伊佐はいかついという程ではないが、肩幅は広く、胸板もある。
背が高くスラリとしているので細身に見えるが、袖から見える上腕には、しっかりと筋肉が付いていた。
着痩せするだけで、脱いだら意外と良い身体をしているのかもしれない。
性格以外は欠点なしかよ、とまた面白くない気持ちに襲われる。
「俺は祠なんて見たことねぇぞ」
セイタカアワダチ草をなぎ倒しつつ進んでいく。大きな樹が鬱蒼と囲いを作って、行く手を阻んだ。
樹木の間に僅かに開いた場所がある。
伊佐はそこを覗き込むように屈んだ。背が高いため、屈まなければ入れないのだ。
「呼ばれねば視えない小屋、でしたね」
伊佐が隼斗に向かって手を差し出した。
「あなたこそ"視えない"のではなく、"視ない"のでしょう?」
隼斗は差しのべられた手を無視した。しかし、伊佐が入り口を塞ぐよう立つため、先に進めない。
手を取るまで、退くつもりはないらしい。
「なんだよ、この手」
「繋いでください。私があなたの目になりますから」
見えてますけど?
隼斗がこれ見よがしに眉を顰める。
「…嫌なんだけど」
伊佐がからかうように意地悪に笑んだ。
「照れてるんですか?」
「普通に嫌だろ、男同士で。しかも俺、あんたとさっき会ったばっかなんだけど」
「意外と段階を踏むタイプか」
ふむ、と納得した後、
「身持ちが固いのは良いことですよ」
伊佐が無理やり隼斗の手を取った。
「ちょ、やめ」
隼斗が慌てて離れようと距離をとるのを捕まえて、余った左手で肩を抱かれる。
パーソナルスペースどうなってんだ! と叫ぶ隼斗に目配せして、木立の奥を指し示した。
前方にあばら家が現れた。
巨木の隙間から、こちらを覗くように建っている。
「視えますか?」
隼斗が目を瞬かせる。
幻覚かとも思ったが、目を擦っても頬をつねっても、あばら家はそこにある。
「なんだあれ。さっきまで無かったぞ」
「認識できましたか?」
伊佐が隼斗の顔を覗き込んだ。
隼斗が頷くと、ふいに掴まれていた手が放された。
伊佐はその手を目線の高さにまで上げ、ひらりと振って見せる。
「在る」
一度認識してしまえば、確かにそこにそれは在る。
先程まではなかったはずだ。
にも関わらず、一度あると認めてしまうと、消えずにそこに存在し続けた。
隼斗は化かされたような感覚に陥った。
あばら家の扉は、打ち倒されて地面に転がっている。
入り口は開け放たれたままだ。
少年たちが飛び出して、そのままなのだろう。
「ここがそうなら、俺もああなるのか?」
坊主の少年を思い出す。登紀子の元に来てからの彼は、常に何かに怯え泣いていた。
「あなたが? まさか」
伊佐が入り口の木枠部分に手を掛ける。
「入れるわけがない」
言いながら、また隼斗の手を取った。
「視えますか?」
隼斗が室内に目を凝らすと、内壁や天井に大量の黒い虫が這っているのが視えた。
それは靄のように塊になって、ざわざわうねうねと室内の至る所を這い回っている。
隼斗は思わず呻いた。
「気持ちわりぃ、なんだあれ」
「よく視てください」
靄のようなモノではなく、恐らくは本当に靄である。
非現実すぎる光景に、脳が勝手に虫だと判断したようだ。
いくつもの靄が形を変えながら、くっ付いたり離れたり、膨らんだり縮んだりしている。
「いいですか? あれは雑魚です」
伊佐が隼斗の背に回る。後ろから肩を掴んで言い聞かせた。
「は?」
ギョッとした隼斗が振り向くと、伊佐はこの場にそぐわない慈愛に満ちた顔をしていた。
「あなたには恐れ多くて触れられません。試しに一緒に入りましょう」
いやお前まじで何言ってんのである。
顔で誤魔化そうとしてんじゃねぇよ! お前明らかに俺を盾にしてんじゃん、一緒じゃないじゃん! 俺の肩、めっちゃ押してくるじゃん!!
隼斗が猛烈に抗議するが、伊佐はどこ吹く風だ。
「大丈夫です。私が保証します。というか、私は前が嫌です。穢れるので」
「少しは本音を隠せ!」
道連れどころではない。こいつ、俺を犠牲にしようとしていやがる。
敷居を越えないよう踏ん張る隼斗の肩を掴む伊佐の手が肩に食い込む。のみならず、肩口でぐいぐい押してくる。
「大丈夫ですよ。怖くない」
「怖いのお前だろうが! まじで離せって」
ふっと身体にかかる圧が軽くなる。そのまま肩をぐいっと引き寄せられる。
背に伊佐の体温を感じた。
宙に浮いた右手に、伊佐の手が絡められた。
隼斗が呆気に取られてよろめいた瞬間、とんと肩を押されて室内に押し遣られた。
「さぁ、どうぞ」
ゾワワッと入り口付近の壁を覆っていた黒い靄が、逃げるように散っていく。
その光景は、大量の虫が一斉に大移動している様に似ていて、やはりグロテスクだった。
「て」
隼斗の唇が戦慄く。
「てっめぇ、ふざっけんな!!」
振り返った隼斗が伊佐に殴りかかったが、伊佐は数歩下がっただけで簡単に避けた。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
「でしょじゃねーよ! 大丈夫じゃなかったらどうするつもりだったんだよ! てめぇ責任とれんのか? あぁ?」
隼斗が怒声を上げても、伊佐は飄々としている。
「私はあなたを信じていましたよ。ちなみに責任をとるつもりはいつでもあります」
殴りかかった隼斗の拳を、伊佐が両手で包んで真剣な顔で言った。
「いらっねぇんだよ!!」
無駄なキメ顔である。隼斗が勢い良く手を振り払うと、伊佐はその肩を押して身体を反転させる。
「いやぁ、良い魔除けが手に入った。穢れを落とすのは面倒なので助かります」
隼斗は悟った。こいつは、話が通じない系の人間だと。
どういうことかはわからないものの、この男の言う『穢れ』とやらは、自分を避けている。
隼斗が一歩足を進めるごとに、足元の靄が散っていく。
うぞうぞと動く様は不気味だが、なるべく視界に入れないようにして、歩みを進めた。
上がり框の上に、煤けた祠が見える。その辺りだけ『穢れ』が少ない。
伊佐は祠に手をかけようとした。途端に何かに弾かれる。
「うーん、そうか」
木が軋む音が聴こえた。家鳴りだ。
「何、何だよ」
地面が揺れている。続いて何かが爆ぜる音が派手に鳴り響いた。
木板の壁が割れ、屋根が傾く。隼斗たちの後方に、瓦が雪崩れ落ち土埃を上げた。
「おい、これ」
「拒絶されてますね。変だな」
崩れ落ちた屋根の隙間から曇天が覗く。
「ちょっと待てこれ」
雲の隙間を青白い閃光が駆け抜ける。
屋根の隙間から見える巨木を、それが縦に引き裂くのが見えた。




