二、招かれざるモノ
かぁごめ かぁごめ
かぁごのなぁかのとぉりぃはぁ
坊主の少年が、真っ暗い闇の中で一人立ち竦んでいた。
少年の目は自らの手で覆われている。
子供たちが自分を囲んで、周りを回っている足音がする。
無邪気な声が、右から左から、後ろから前から響いてくる。
楽しげに歌っているのに、なぜだかとても恐ろしい。
いぃつ~いぃつ~
でぇやぁる~
怖い。どんどんと迫ってくる。子供たちの軽い足音とはしゃぐような歌う声。
夜ぉ明ぁけぇ"の晩ン"にぃ
無邪気だったはずの声が、ぐにゃりと音を変えた。舌ったらずな子供の発声に、大人の声が混じる。
気持ち悪い。
時折入り込むノイズと共に声色が変わっていく。子供の声から甲高く野太く、はしゃいでいた声は笑い声に。足音と共にこちらに迫ってくる。
つぅるとかぁ"め"がぁ"
すぅべっぇえ"だぁ"
前に、後ろに、右に、左に、
どんどん、どんどん近付いてくる。
目を覆う手がじっとりと汗ばむ。
汗をかいている。
なのにとても寒い。
う"ぅうぅ"うしぃ"
嗄れて野太くなっていく声。近付いてくる。
足が震える。
逃げ出したい。
ダメだ、ダメだダメだダメだ。
反応するな反応するな反応したら、
(連れて行かれる)
「ゔぅ"じろの正面だぁれ」
最後は女の声だった。
左耳の鼓膜が揺れる。
すぐ横にいる。
絶叫が響いた。
少年たちが飛び起きる。
そばかすが坊主の口を塞いだが、既に遅かった。
縁側に続く障子から声が聞こえた。
「おぅい、どうしたっか。何かあったっか」
登紀子の声だった。
しかしその声は平坦で抑揚がない。
「何ばしちょっとか。こっば開けれ」
障子に影が映る。シルエットだけ見れば、登紀子である。
だが、登紀子ではない。
縁側の先は庭だ。屋内からここへ来るなら、どうしたって庭を通らなければならない。窓は開いていない。足音もなかった。生温い湿気も入ってこない。むしろ寒いくらいだ。
「おぅい。聞こえちょっちゃろうが」
少年たちは必死に自分たちの口を押さえる。押さえなければ漏れ出してしまう。声が。嗚咽が。
カタカタと身体が震える。寒い。寒いのに、身体中から汗が噴き出す。
「おぅい、ここば開けんか」
声が変わっていく。平坦だった声に抑揚が出てきた。もう本物の登紀子の喋り方に近い。
「大丈夫じゃけん、開けんか。はよ」
トントンと何かを叩く音がする。
これは何の音だろう。障子に貼られている紙を叩く音ではない。では障子の引戸の部分を叩いているのだろうか。
いや、違う。
登紀子らしきモノがいる場所は、障子の召し合わせ框の部分から離れて立っている。
ちょうど障子一枚分の真ん中だ。
「はよ開けんか」
焦れるように言う。
はよ開けんか
はよ、はよ、
「はよ!」
声が速く、荒くなっていく。
「はよ開けんか!」
ドンッ!!と唐突に障子が揺れた。
ドンッドンッドンッ!!
派手な音が響くのに、障子が突き破られることはない。
まるで障子の外に、何かの膜があるかのように、障子全体がビリビリと揺れる。
その度に、ミシミシと家鳴りがした。
どうしようどうしようどうしよう。
障子が内側にしなる。外に膜があるのだとしたら、それに呼応して押し出されているように見えた。
このままでは、障子が外れてしまう。
そうしたらどうなる。
障子が外れて、その先のモノの姿が見えてしまったら。
その先のモノと、
(目が合ってしまったら)
想像で口から何かが飛び出しそうになる。嗚咽が漏れそうになる。ダメだ、ダメだダメだヤメロ
声が
坊主の口が戦慄く。無茶苦茶に叫びだしたくなる衝動に駆られる。
「うっるせぇな! なんだってんだ! こんな夜中に!! 騒いでんじゃねぇぞ! ガキども、ごら!」
スパンッ!と廊下の襖が開いた。
隼斗である。
途端に、縁側の障子の音がピタリと止んだ。
「さっさと寝ろ! 何時だと思ってんだ!」
隼斗が憤懣やる方ない様子で、ズカズカと室内に入って来ると、障子の外の気配がスッとなくなった。
少年たちは口を押さえたまま泣いていた。必死に嗚咽を噛み殺し、ガタガタと震える身体を押さえつけている。
隼斗を見て、何かを言おうとするが、思いとどまり首を振った。
隼斗はふと障子に目をやると溜息を吐き、
「ほら寝るぞ」
と言って、そのまま布団の空いているスペースにダイブした。
何しろ四人固まっているので、布団には余裕があった。
少年たちは暫く身を寄せ合い震えていたが、隼斗の寝息が聞こえてくる頃には、随分落ち着きを取り戻した。
皆、隼斗の隣に寝たがったが、坊主とそばかすの状態が悪いのを理解していた残りの二人は我慢した。
登紀子が起床してすぐ祓所に向かうと、そこには隼斗を中心に眠る四人の姿があった。
二人は布団からはみ出して、畳の上に転がっている。
スペースが足りなかったのだろう。
なるほどその手があったか、と登紀子は膝を打った。
隼斗はあちらの扉を開いている。
それでも怪異を認識しない。隼斗の眼が閉じているからだ。
隼斗の扉は、常に開いている。
怪異からは隼斗が視える。だが、顔を間近まで覗き込んでも、隼斗と目が合うことはない。何も感じず、何も視えない。
それはつまり、恐れがないということだ。
怪異は恐怖に忍び込む。付け入る隙が隼斗にはないのだ。
隼斗は気付かぬまま怪異を通り抜けていく。力の弱いモノなら、逆に弾かれることさえある。
怪異が隼斗を不気味に思うのか、それとも隼斗に流れる血ゆえか。
力の弱い怪異や穢れは、隼斗を避けるような動きをすることがあった。
登紀子が布団をひっぺがすと、その内の一枚が小便で濡れていた。
坊主が失禁したのだ。泣きべそをかいて謝る坊主を誰も笑わなかった。
誰もが同じ状態になりうるほどの恐怖に襲われていたのだ。
少年たちは同情し、坊主を慰めた。




