↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/23

一、拝み屋

 有川隼斗(ありかわはやと)は、祖母の登紀子(ときこ)に命じられ、庭木の散水をしていた。


 暑い。

 土から立ち上る熱気を冷ますべく、なるべく広範囲に水を撒く。

 額から頬を伝う汗が鬱陶しい。


 急に耳元で弾けるような音がした。耳の奥から頭の先に、金属音に似た音が鳴り響き、脳を刺激する。

 目線を上げ、振り返る。東の方角には、いつも見慣れた小高い山がある。

 山の上に、とぐろを巻いたような雲が見えた。

 大量の烏が鳴きながら羽ばたいていく。


 背後から、登紀子が歩いてきた。

 ゆっくりと足を引き摺るように歩く。

 特徴的な足音なので、登紀子だとすぐにわかる。


「視えるか?」

「んにゃ、何も見えねぇ。けど」

 とぐろを巻いた雲の下、木々が激しく揺れているのが、此処からも見えた。あそこだけ、強い風が吹いている。

「なんか騒がしくねぇ?」

 登紀子が、ふぅんと顎を撫でる。

「祠(ほこら)の方角か」

「祠? 松ばんとこの裏山じゃなくて?」

 松ばんとは松おじさんのことで、この地の方言だ。

 この辺の山は複数の管理者がいるのが普通だったが、あの山は確か松ばんが主な管理者だったと記憶している。

「あっこに祠がある」

「そんなんあったっけ?」

「どがんしろ良くねぇもんが来る。用意ばせんばいかん」


 登紀子の客が来るということだ。

 登紀子はこの村で、拝み屋のような仕事をしている。


 登紀子の指示で、準備を始めた。

 登紀子は禊(みそぎ)を行うと言って井戸に向かう。隼斗は散水中であったので、そのままホースから流れる水を適当に頭からぶっかけた。

 猪口に清酒を注ぎ、庭の榊から頂戴した葉を入れる。

 登紀子は祝詞(のりと)を奏上し、清酒を口に含んだ。隼斗は同様の所作を行った後、登紀子から風呂の準備を命じられた。

 粗塩一袋と清酒を一瓶、お湯をためた湯船に混ぜ込む。


 準備が一通り済んだ頃、玄関先で騒ぐ声がした。

 客が来たのだろう。


 駆け込んで来た村人は四人。少年を抱えている。二人は支えられながらもどうにか歩ける様子だったが、坊主頭とそばかす顔の少年は、横抱きにされて入って来た。

 意識がないようだ。


 登紀子は、歩いてきた少年たちを縁側の外へ出した。

 それから榊の葉を入れた清酒を口に含ませ、桶に入れた二枚の紙の人形(ひとがた)に吹き掛けるよう指示を出す。

 全身にお清めの塩を振りかけて、大麻(おおぬさ)で祓った。

 突然、少年たちが桶に向かって激しく嘔吐した。喉を焼く胃酸に苦しげに呻くが、自分の意志では止めることができないようだった。

 一通り吐き終わると、大人たちが口を濯(すす)がせて、ぐったりとした二人を縁側に寝かせた。

 残りの二人は意識がない。

 登紀子は、塩を振りかけ、大麻(おおぬさ)で祓った後、二人の前に立ち、目を閉じて神楽鈴を静かに鳴らしながら祝詞(のりと)をあげた。


高天原(たかまのはら)に神留(かみづま)り坐(ま)す皇吾親神漏岐(すめらがむつかむろぎ)神漏美命(かむろみのみこと)以(も)ちて

皇神等(すめがみたち)の鋳顕(いあら)わし給(たま)う十種(とくさ)の瑞宝(みづのたから)を饒速日命(にぎやはひのみこと)に授給(さづけたま)い

天津御親神(あまつみおやのかみ)は言誨(ことをし)え詔(の)り給(たま)わく 

汝命(いましみこと)この瑞宝(みづのたから)を以(も)ちて

豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)に天降(あまくだ)り坐(まし)て

御倉棚(みくらたな)に静め置きて蒼生(あおひとぐさ)の病疾(やまひ)の事有らば

この十種(とくさ)の瑞宝(みづのたから)を以(も)ちて

一(ひと) 二(ふた) 三(み) 四(よ) 五(いつ) 六(むゆ) 七(なな) 八(や) 九十(ここのたり)と唱えつつ

布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)と布留部(ふるべ)


 隼斗は少し離れた場所に控え、成り行きを見守った。

 二人は暫くして意識を取り戻したが、まだ虚ろな様子だった。

 登紀子は、先の二人と同じ手順で人形に穢(けが)れを移した。

 彼らも同様に嘔吐した。

 意識は先ほどよりもはっきりしたようではあるが、それでもまだ顔色は悪く、何かに怯えるように時々ビクッと身体を震わせる。背後を何度も確認していた。

 登紀子は少年たちが身に付けている衣服、下着も含めてすべてを脱がせると、それらをゴミ袋に放り込み、隼斗に手渡した。

 保護者には新たな服を用意させ、その間少年たちを風呂に入れた。


 浴室の戸を開け放ちながら、隼斗はぶっきらぼうに言った。

「服が届くまで出てくんなよ」

 そう言って、スポーツドリンクと水のペットボトルを少年たちに手渡した。

 いま、風呂場は神域のような状態になっている。ここで汗を流せば、身体に入り込んだ穢れも少しは抜けるはずだ。


 隼斗はその後、祓所(はらえど)として使用している畳の間に戻り、ゴム手袋を装着すると、少年たちの服の入ったゴミ袋と吐瀉物まみれの桶を回収し、庭に出た。

 庭の一角には焼き場がある。

 ドラム缶を縦に半分に切った物で、中には薪と切(き)り幣(ぬさ)を用意しておいた。そこに回収したゴミ袋と桶を放り込み、塩と清酒を振り掛けた。

 切(き)り幣(ぬさ)に火を移し、ドラム缶に投げ入れた。

 火が上がった。ゴミ袋の端が黒く縮み、白い煙が立ち上った。

 隼斗は炎の前で背筋を伸ばし、目を閉じた。


掛(か)けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に

御禊(みそぎ)祓(はら)え給(たま)いし時(とき)に生(な)り坐(ま)せる祓戸(はらえど)の大神等(おおかみたち)

諸(もろもろ)の禍事(まがごと)罪(つみ)穢(けが)れ有らむをば

祓(はら)え給(たま)い清め給(たま)えと白(もう)す事(こと)を聞食(きこしめ)せと

恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(もう)す


 祝詞を奏上して、柏手を打った。

 登紀子に仕込まれた手順は、もう何度も繰り返してきて慣れたものだが、正直少し面倒だ。

 しかしこれを怠ると、後々もっと面倒になることが多いので、サボらず任務を遂行した。


 ゴム手袋を外して手を洗い、居間に戻ると、登紀子は電話中だった。

 入って来た隼斗の顔を見て、眉をひそめて口をへの字に曲げた。相手方への話し方は平時のままだ。

 しかめっ面は、電話の相手が面倒だと、隼斗に知らせるためのものである。

 ということは、隼斗にも何か関係があるのだろうか。


「明日朝イチで本家から人が来っぞ」

 電話を切った後、登紀子がため息をつきながらそう言った。

「なんで?」

 隼斗は向かいの椅子に腰を下ろし、食卓の盆にある登紀子の豆菓子を口に放り込んでいる。

「あれはおっには全部は祓えねぇ」

 来たる面倒事を慮りながら、登紀子は茶を啜った。


―


 風呂から出て来た少年たちは、少しスッキリとした様子であった。

 坊主とそばかすも顔に血色が戻っている。

「米には神が宿る。内側から神に守ってもらえ」

 おかずはなく、味付けは塩のみだったが、少年たちは文句も言わず、黙々と飯を食った。


 祓所の掃除を終えた隼斗は、穢れと汗を流すため、井戸の水を被る。

 夏場の蒸し暑さの中でも、井戸の水は冷たい。

 水で重くなった頭から水滴を振り落とすと、身体が軽くなったような心地がした。

 空は相変わらずの快晴である。アブラゼミの競うような鳴き声が耳を射す。

 物忌みが起こったとは思えないほど、夏の空には濃い青と白い雲が広がっていた。


 少年たちは、祓所(はらえど)で一晩を過ごすこととなった。

 隼斗は縁側に続く障子と廊下側の襖を、登紀子とともに一枚ずつ閉めていった。

「もし外から開けろち言われても、絶対に開けちゃいかん。用があっときは、こっちから開くっから」

「一人にせんで」「電気は消さんで」と少年たちが口々に訴えたが、登紀子は「灯りば点けとったら、逆に呼び寄せる」と一言で切り捨てた。


 少年たちは、あちら側との扉を開いてしまった。

 彼らはもう見つかってしまったのだ。今夜恐らく怪異は、彼らを迎えに来るだろう。

 少年たちが怪異の存在を認識していることを、あちら側に気付かれたら引っ張り込まれる。

 登紀子が共にいることが知れれば、怪異はそう認識する。

 なぜなら登紀子は、もう既に扉を開いているからだ。

「何かが来ても絶対に反応するな。声を上げるな。耳をふさげ。奴らの言葉に反応するな。無視ばしろ」


 何かが。

 四人は青くなって固まった。

 怖い。


 そばかすの少年はとうとう泣き出してしまった。

「今日ば乗り越えたら終わっと。明日には家に帰るっばい」

 登紀子が慰めるように少年の背を叩く。

「ごめん。巻き込んで」

 坊主もそばかすと一緒に泣き出した。


「怖がるな。なにくそと思え。奴らは弱った心に付け込んでくる。反対に心が強か奴にゃ何もできん」

 登紀子がそう言うと、二人は嗚咽を堪えながら前を向いた。

「トイレに行きたくなったらどうするの?」

 青い顔をして、少年の内の一人が尋ねた。

 登紀子が空のペットボトルを四本手渡す。


 泣き止んだはずの少年たちは、再び泣きそうな顔でペットボトルを見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。