一、拝み屋
有川隼斗は、祖母の登紀子に命じられ、庭木の散水をしていた。
暑い。
土から立ち上る熱気を冷ますべく、なるべく広範囲に水を撒く。
額から頬を伝う汗が鬱陶しい。
急に耳元で弾けるような音がした。耳の奥から頭の先に、金属音に似た音が鳴り響き、脳を刺激する。
目線を上げ、振り返る。東の方角には、いつも見慣れた小高い山がある。
山の上に、とぐろを巻いたような雲が見えた。
大量の烏が鳴きながら羽ばたいていく。
背後から、登紀子が歩いてきた。
ゆっくりと足を引き摺るように歩く。
特徴的な足音なので、登紀子だとすぐにわかる。
「視えるか?」
「んにゃ、何も見えねぇ。けど」
とぐろを巻いた雲の下、木々が激しく揺れているのが、此処からも見えた。あそこだけ、強い風が吹いている。
「なんか騒がしくねぇ?」
登紀子が、ふぅんと顎を撫でる。
「祠の方角か」
「祠? 松ばんとこの裏山じゃなくて?」
松ばんとは松おじさんのことで、この地の方言だ。
この辺の山は複数の管理者がいるのが普通だったが、あの山は確か松ばんが主な管理者だったと記憶している。
「あっこに祠がある」
「そんなんあったっけ?」
「どがんしろ良くねぇもんが来る。用意ばせんばいかん」
登紀子の客が来るということだ。
登紀子はこの村で、拝み屋のような仕事をしている。
登紀子の指示で、準備を始めた。
登紀子は禊を行うと言って井戸に向かう。隼斗は散水中であったので、そのままホースから流れる水を適当に頭からぶっかけた。
猪口に清酒を注ぎ、庭の榊から頂戴した葉を入れる。
登紀子は祝詞を奏上し、清酒を口に含んだ。隼斗は同様の所作を行った後、登紀子から風呂の準備を命じられた。
粗塩一袋と清酒を一瓶、お湯をためた湯船に混ぜ込む。
準備が一通り済んだ頃、玄関先で騒ぐ声がした。
客が来たのだろう。
駆け込んで来た村人は四人。少年を抱えている。二人は支えられながらもどうにか歩ける様子だったが、坊主頭とそばかす顔の少年は、横抱きにされて入って来た。
意識がないようだ。
登紀子は、歩いてきた少年たちを縁側の外へ出した。
それから榊の葉を入れた清酒を口に含ませ、桶に入れた二枚の紙の人形に吹き掛けるよう指示を出す。
全身にお清めの塩を振りかけて、大麻で祓った。
突然、少年たちが桶に向かって激しく嘔吐した。喉を焼く胃酸に苦しげに呻くが、自分の意志では止めることができないようだった。
一通り吐き終わると、大人たちが口を濯がせて、ぐったりとした二人を縁側に寝かせた。
残りの二人は意識がない。
登紀子は、塩を振りかけ、大麻で祓った後、二人の前に立ち、目を閉じて神楽鈴を静かに鳴らしながら祝詞をあげた。
高天原に神留り坐す皇吾親神漏岐神漏美命以ちて
皇神等の鋳顕わし給う十種の瑞宝を饒速日命に授給い
天津御親神は言誨え詔り給わく
汝命この瑞宝を以ちて
豊葦原の中国に天降り坐て
御倉棚に静め置きて蒼生の病疾の事有らば
この十種の瑞宝を以ちて
一 二 三 四 五 六 七 八 九十と唱えつつ
布留部由良由良と布留部
隼斗は少し離れた場所に控え、成り行きを見守った。
二人は暫くして意識を取り戻したが、まだ虚ろな様子だった。
登紀子は、先の二人と同じ手順で人形に穢れを移した。
彼らも同様に嘔吐した。
意識は先ほどよりもはっきりしたようではあるが、それでもまだ顔色は悪く、何かに怯えるように時々ビクッと身体を震わせる。背後を何度も確認していた。
登紀子は少年たちが身に付けている衣服、下着も含めてすべてを脱がせると、それらをゴミ袋に放り込み、隼斗に手渡した。
保護者には新たな服を用意させ、その間少年たちを風呂に入れた。
浴室の戸を開け放ちながら、隼斗はぶっきらぼうに言った。
「服が届くまで出てくんなよ」
そう言って、スポーツドリンクと水のペットボトルを少年たちに手渡した。
いま、風呂場は神域のような状態になっている。ここで汗を流せば、身体に入り込んだ穢れも少しは抜けるはずだ。
隼斗はその後、祓所として使用している畳の間に戻り、ゴム手袋を装着すると、少年たちの服の入ったゴミ袋と吐瀉物まみれの桶を回収し、庭に出た。
庭の一角には焼き場がある。
ドラム缶を縦に半分に切った物で、中には薪と切り幣を用意しておいた。そこに回収したゴミ袋と桶を放り込み、塩と清酒を振り掛けた。
切り幣に火を移し、ドラム缶に投げ入れた。
火が上がった。ゴミ袋の端が黒く縮み、白い煙が立ち上った。
隼斗は炎の前で背筋を伸ばし、目を閉じた。
掛けまくも畏き伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓え給いし時に生り坐せる祓戸の大神等
諸の禍事罪穢れ有らむをば
祓え給い清め給えと白す事を聞食せと
恐み恐みも白す
祝詞を奏上して、柏手を打った。
登紀子に仕込まれた手順は、もう何度も繰り返してきて慣れたものだが、正直少し面倒だ。
しかしこれを怠ると、後々もっと面倒になることが多いので、サボらず任務を遂行した。
ゴム手袋を外して手を洗い、居間に戻ると、登紀子は電話中だった。
入って来た隼斗の顔を見て、眉をひそめて口をへの字に曲げた。相手方への話し方は平時のままだ。
しかめっ面は、電話の相手が面倒だと、隼斗に知らせるためのものである。
ということは、隼斗にも何か関係があるのだろうか。
「明日朝イチで本家から人が来っぞ」
電話を切った後、登紀子がため息をつきながらそう言った。
「なんで?」
隼斗は向かいの椅子に腰を下ろし、食卓の盆にある登紀子の豆菓子を口に放り込んでいる。
「あれはおっには全部は祓えねぇ」
来たる面倒事を慮りながら、登紀子は茶を啜った。
―
風呂から出て来た少年たちは、少しスッキリとした様子であった。
坊主とそばかすも顔に血色が戻っている。
「米には神が宿る。内側から神に守ってもらえ」
おかずはなく、味付けは塩のみだったが、少年たちは文句も言わず、黙々と飯を食った。
祓所の掃除を終えた隼斗は、穢れと汗を流すため、井戸の水を被る。
夏場の蒸し暑さの中でも、井戸の水は冷たい。
水で重くなった頭から水滴を振り落とすと、身体が軽くなったような心地がした。
空は相変わらずの快晴である。アブラゼミの競うような鳴き声が耳を射す。
物忌みが起こったとは思えないほど、夏の空には濃い青と白い雲が広がっていた。
少年たちは、祓所で一晩を過ごすこととなった。
隼斗は縁側に続く障子と廊下側の襖を、登紀子とともに一枚ずつ閉めていった。
「もし外から開けろち言われても、絶対に開けちゃいかん。用があっときは、こっちから開くっから」
「一人にせんで」「電気は消さんで」と少年たちが口々に訴えたが、登紀子は「灯りば点けとったら、逆に呼び寄せる」と一言で切り捨てた。
少年たちは、あちら側との扉を開いてしまった。
彼らはもう見つかってしまったのだ。今夜恐らく怪異は、彼らを迎えに来るだろう。
少年たちが怪異の存在を認識していることを、あちら側に気付かれたら引っ張り込まれる。
登紀子が共にいることが知れれば、怪異はそう認識する。
なぜなら登紀子は、もう既に扉を開いているからだ。
「何かが来ても絶対に反応するな。声を上げるな。耳をふさげ。奴らの言葉に反応するな。無視ばしろ」
何かが。
四人は青くなって固まった。
怖い。
そばかすの少年はとうとう泣き出してしまった。
「今日ば乗り越えたら終わっと。明日には家に帰るっばい」
登紀子が慰めるように少年の背を叩く。
「ごめん。巻き込んで」
坊主もそばかすと一緒に泣き出した。
「怖がるな。なにくそと思え。奴らは弱った心に付け込んでくる。反対に心が強か奴にゃ何もできん」
登紀子がそう言うと、二人は嗚咽を堪えながら前を向いた。
「トイレに行きたくなったらどうするの?」
青い顔をして、少年の内の一人が尋ねた。
登紀子が空のペットボトルを四本手渡す。
泣き止んだはずの少年たちは、再び泣きそうな顔でペットボトルを見つめていた。




