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久遠の果て、終わりの約束  作者: 船越小久乃
呼ばれるもの
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22/23

十四、祈り

 喫茶店のマスターが、占部の前にベイクドチーズケーキの乗った皿を置いた。こんがりと焼けた表面から、バターの甘い香りが立ちのぼる。

 占部は温くなったコーヒーを下げてもらい、今度は紅茶を注文した。タイミングがおかしいだろ、と伊佐にツッコまれても、占部は気にする様子もなかった。

 隼斗の皿には、苺とクリームのクレープが、半分ほど残っている。


 喫茶店には、隼斗たちの他にも数人の客がいた。皆思い思いに時間を過ごしているらしく、時折人の声がするものの、店内は比較的静かだった。

「でも、あのお婆さんが、やまんと様だったなんてねぇ」

 占部が、カップを傾けながら言った。

「実は、僕には視えていませんでした」

 渡辺が、頭を掻きながら、何も報告しなかったことを詫びた。

 あの山の長椅子に向かって三人が挨拶をする中、渡辺だけは頭を下げるだけに留めていた。何かがいることは、三人の様子から察していた。ただ、邪魔をしてはいけない気がして、その場では何も言えなかったのだと渡辺は告げた。

「視えないモノを、視ようとしてはいけない」

 渡辺は、占部との誓いを口にした。

「忘れてないです」

 占部を見て微笑む渡辺に、占部もまた笑みを返した。


「でも子供たちはなぜやまんと様が視えたんですかね?」

 渡辺は苺パフェをつつきながら、隼斗を見た。

 なぜ俺に聞く、と隼斗は思った。隼斗だってわからない。

 同じことを思ったのだろう、伊佐が会話を引き継いでくれた。

「やまんと様が子供たちを神域に引き入れたからかもしれないな。まぁ、俺にも理屈はわからんが」

 伊佐はそう続けたものの、すぐに適当に放り投げた。

「魂だけだったからねぇ。やまんと様の加護で、一時的な眷属(けんぞく)のようなものになったのかもね。子供は純粋で、まだ魂の穢れが少ないから」

 占部はそう言いながら、いそいそとフォークでケーキを切り分けていた。そのまま一口食べ、幸せそうに顔をほころばせた。

「んー、美味しい」

 頬に手を当てた。

 占部のケーキに向いた隼斗の視線に目敏(めざと)く気づいた伊佐が、メニュー表を隼斗に差し出した。隼斗はまだクレープを食べている途中だったが、素直にそれを受け取った。ページをめくり、少し迷ってから、チーズケーキの写真に指を置く。

 伊佐が片手を挙げて、マスターを呼んだ。

 向かいでは、占部の考察を受け、なるほどと渡辺が頷いていた。苺パフェの長いスプーンが、グラスの底でかちりと鳴る。そして、またふと何かに気づいたように顔を上げた。


「ヒトガタは、なぜやまんと様に化けたんですかね?」

 だっておかしいと思いませんか?と、渡辺は続けた。

「ヒトガタが魂を必要としているなら、もっと近づきやすい存在に化けるべきでしょう。なぜわざわざ、会ったら逃げろと伝えられるようなモノの形をとったのでしょう」

 そこまで一気に言って、渡辺はまた思考するように顎に手をかけた。

 こいつ考察厨かな、と隼斗は思ったが、同時に隼斗の脳を掠めるものがあった。

 あれ? 何だっけ?


「化けたんじゃなく、そう視えただけだろう」

 伊佐の元に、二杯目のコーヒーが運ばれてきた。

「視えただけ?」

「子供たちの中で、やまんと様の怪談が流行っていたって言っていただろ?」

 伊佐がコーヒーを口に運んだ。ソーサーの上に、砂糖とミルクが残ったままだ。

「あぁ、つまり先入観みたいな話?」

 占部がフォークを置いて、紅茶を口に運んだ。

「恐らくな。たまたまタイミングが重なったのか、意図して流されたのかはわからないが」

 伊佐は、ふぅ、と一息ついて、腰を伸ばした。

「やまんと様の怪談を無意識下に刷り込まれた子供たちは、得体の知れない存在に、やまんと様を重ねてしまったのかもしれない」

「あのヒトガタを、やまんと様と思い込んだということですか?」

「思い込んだというか、脳が勝手にそう認識したんだろうな」

 隼斗の持つフォークの先が、僅かに揺れた。


 そういえば、自分も子供の頃、何かにひどく怯えていたことがあった。

 ぼんやりと脳が何かの輪郭を描き始める。


 あれは誰だ?

 人の形が浮かんでいるのに、ノイズだらけでその像をうまく結べない。

 背が高く、髪色は明るい。ローファーにスラックス。ただのスラックスではなく、チェック柄が入っている。見たことがある柄だ。

 あれは――


「隼斗さん」

 伊佐の声が耳元で響いた。

「な、ぅ゛」

 振り向いた隼斗の頬を、伊佐の大きな手が掴んで潰してきた。変な声が出た。

 恥ずかしさに、隼斗の耳が赤くなる。ベシベシと伊佐の手を叩くと、伊佐は笑って手を放した。

「聞いてなかったでしょう」

 そのまま伊佐が、隼斗の頭を自然に撫でてきた。

 伊佐は普通の人より距離が近い。最初はその距離の近さが気持ち悪くて、必要以上に近づかないようにしていた。それがいまではもうすっかり諦めの境地だ。でも伊佐のこの瞳だけはいまだに慣れない。やたらに柔らかい目で見てくるのは、やめてほしい。

 ゾワゾワというか、ソワソワというか、落ち着かなくて逃げ出したくなるのだ。

「触んな」

 と伊佐の手を払いのけ、視線を戻すと、向かいの二人が呆れた顔でこちらを見ていた。


「隼斗くん、伊佐のことで相談があればいつでも言って」

「大丈夫ですよ。いざとなれば、法律が守ってくれます」

 占部と渡辺が口々に言うのに、伊佐はしれっとした顔で、カップを持ち上げていた。

「何言ってるんだ。俺が守るに決まってるだろ」

 法律?

 隼斗の頭の中に、疑問符が飛んだ。警察に手錠をかけられる伊佐の姿が脳裏を駆け巡った。

 恐る恐る伊佐を振り返った。

「……え? お前、なんかしたの?」

 伊佐が危うくコーヒーを吹き出しかけ、何とか堪えた。プルプルと肩が震えていた。


 喫茶店の古びたベルが鳴り、また新しい客が入ってきた。人が増えてきた。

 そろそろお昼時だ。

 隼斗の前のチーズケーキは、いつの間にか皿から消えていた。クレープにケーキと甘いものが続いた隼斗は、そろそろしょっぱいものが食べたくなっていた。

 伊佐の顔を窺うと、伊佐はにっこりと微笑んで「好きなだけ食べていいですよ」と頷いてくれた。

 伊佐は気前がいい。大体の伊佐は鬱陶しいからあまり近寄りたくないが、こういうときの伊佐は好きだ。


「そういえばあの時、隼斗くんは、やまんと様と何を話していたの?」

 一緒にメニュー表を見ていた占部がふと思い出したように、隼斗に聞いてきた。

 隼斗が占部の顔を見ると、占部は思いのほか真剣な顔をしてこちらを見ていた。


 占部は思い出していた。

 あの早朝の山の中でのことだ。

 隼斗は、老婆と楽しげに会話をしていたが、その内容は占部にはまったく入ってこなかった。何かを喋っているのはわかるのに、風の音や虫の声のように耳を通り過ぎていく。そのときはそれが自然で、違和感を持つことさえなかった。

 占部は、それがずっと引っかかっていた。

「何って、特に大したこと話してなかったと思うけど」

 隼斗はうーんと考えるように頭上を見上げた。

「一緒にいたじゃん」

 聞いてただろ、と言わんばかりの顔で、不思議そうに占部を見た。

「呼ばれたんだろうな」

 ふと、伊佐がそう言った。


 その言葉の真意を、占部は測りかねた。

 だが、恐らくやまんと様は、隼斗としか話すことができなかったのだ。或いは、隼斗としか話す気がなかったのかもしれない。


 老婆の姿のやまんと様は、神に近い存在だった。

 阿竹によって神気を分け与えられたとはいえ、伊佐や占部に、神と言葉を交わすほどの力や霊位はない。

 神と言葉を交わし、触れることを許されているのは、生き神である巫覡の血を最も濃く継ぐ阿竹の者だけということなのかもしれない。


「隼斗くんは、やまんと様に、あの子たちの魂を返してほしいってお願いされてたの?」

 質問を変えてみた。

 隼斗は思い出しているのか、間を置いて首を振った。

「あいつらを押しつけられたのはまた別のとき」

 ますます謎が深まった。うーん、と占部は頭を抱える。

 和徳と話したときも思ったが、子供は説明が下手だ。隼斗は子供というほどの年齢ではないが、元来が口下手なのか、あまり長い話が得意ではない。

 別のときとはいつだろう。あの後に、隼斗はやまんと様と言葉を交わす時間があったというのだろうか。

(夢の中とか……?)

 隼斗ならあり得るとも思う。伊佐の言うように、もしも隼斗がやまんと様に呼ばれたのだとしたら、隼斗の夢に潜って会いに来たとしても不思議ではない。

 占部はそれ以上の追及を諦めて、短く息を吐いた。


 その向かいで、隼斗はふと、自分の手のひらに目を落とした。


 ――せめてその魂が穢れに覆われんよう、婆の祈りも持っていけ。

 そう言って、老婆は隼斗の手を包みこんだ。その温かな光が、まだ手のひらに残っているような気がした。


 あの神域で、老婆はどさくさに紛れて、隼斗に子供たちの魂を託した。子供たちは暴れて泣いて大変だった。

 隼斗はそのときのことを思い出し、うんざりと息を吐いた。

 老婆は彼らが帰りたがらないことを、わかっていた。

 だから、隼斗に任せたのだ。


 あの山はさぞかし居心地が良かったのだろう。陽だまりのような日差しに、柔らかい風。寒くも暑くもない。穏やかに時間が流れ、俗世(ぞくせ)とは切り離されている。

 心が乱されることはなく、楽しいという感情しかない。

 隼斗の中に残った、子供たちの魂の記憶の欠片は、心を温かくさせ、同時に大きな喪失を訴えていた。

 老婆は子供たちに愛情を注ぎ、無邪気な彼らは素直に懐いた。


 可愛かったのだろう。だから恐れた。手放せなくなることを。

 子供たちには現実がある。

 未来がある。

 人生がある。

 選択がある。

 愛していたからこそ、彼らを尊重し、手を放した。


 それぞれの場所に帰っていく魂を、あの山で老婆はどんな気持ちで見ていたのだろう。そう思うと、隼斗の胸も少しだけしくしくと痛んだ。

 隼斗は手のひらをそっと握りしめ、冷めたココアに口をつけた。

 ぬるい甘さが、舌の上にほのかに広がった。

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