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久遠の果て、終わりの約束  作者: 船越小久乃
呼ばれるもの
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16/23

八、解き放つ

 占部と伊佐はどちらも喫煙者だ。

 ホテルに戻った後、二人は喫煙所で落ち合うこととなった。


 扉を開けて中へ入ると、思いのほか広い部屋だった。

 壁沿いの細いカウンターに肘をつき、占部はアイコスを咥えた。

 背後には古びたソファと、縦型の灰皿。

 人気のない空間に換気扇の低い唸りだけが響いていた。


 扉の開く音がした。振り返らなくても誰なのかはわかった。

 この男はただ部屋に入ってくるだけで、空気の密度を変える。

 伊佐だった。

 部屋の中をひと巡りするように見渡し、占部に目を向けた。

 何食わぬ顔で軽く片手を挙げ、占部の隣に並んだ。

 胸ポケットから取り出したのは、小ぶりな金属の缶だった。鳩の意匠(いしょう)が刻まれた蓋を親指でぱちりと開けると、行儀よく並んだ煙草の列から甘く重い香りが立ちのぼる。

 缶入りの煙草など今どきそう見かけない。時代に取り残されたような古めかしさが、この男の手にかかると、妙に様になっていた。

「そんなのどこで買うのよ」

「滅多にないからこそ、あったら買うんだろ」

「相変わらず、年寄りくさい趣味ね」

「趣味がいいと言ってくれ」

 伊佐は一本くわえて火をつけた。紫煙がゆるりと天井へ昇っていく。

 濃く甘い香りが、喫煙所にゆっくりと広がった。

「お前は相変わらず趣味が悪いな」

 伊佐の視線の先には、占部の手の中のアイコスがあった。細身のデバイスから立ちのぼるのは、紫煙とも呼べない薄い蒸気だけだ。

「そんな不味いもん吸うくらいなら、いっそのことやめたらいい」

「余計なお世話よ」

 占部は言い返す代わりにわざと大きく息を吐き、薄い蒸気を伊佐のほうへ流した。

「あんたは巫覡(みこ)を迎えに行ったもんだと、私は思ってたんだけど」

「間違ってないな」

 伊佐は深く煙を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出した紫煙が、換気扇へ吸い込まれていく。

「じゃあ、なんで隼斗くんに何も説明していないのよ」


 伊佐は答えず、紫煙を細く吐いた。

 確かに、説明はしていなかった。

 あの島で、隼斗に本家へ戻るよう伝えたのは、たった一度きりだ。


 登紀子の作った夕食を囲みながら、伊佐は切り出した。

「あなたのお父上が危篤ですので、本家にお戻りください」

 隼斗は一瞬驚いた顔をした。だがすぐに何か思うところがあったのか、箸を止めて尋ねてきた。

「それって、本家のか?」

 登紀子は黙って食事を続けている。

 口を挟まず、成り行きを見守っていた。本人に任せるつもりなのだろう。

「遺産相続とかそういう話なら、俺はいらないから断っておいてくれ」

 隼斗は何事もなかったように食事を再開した。

 会いに行くつもりはない、ということだ。


「あなたには、お役目があります」


 食い下がっているように聞こえたかもしれない。

 実際、ここで引くわけにはいかなかった。

「俺に父親はいないし、本家なんて遠い家のことだ。俺には関係ない」

 隼斗ははっきりと拒絶した。

 まあ、そうなるだろうな、と伊佐は思った。

 隼斗の存在を、事情があったとはいえ遠ざけたのは、隼斗の父親である現当主だ。

 そしておそらく、その原因の一端は伊佐にある。


 短くなった煙草を灰皿に押しつけた。

 乾いた音が喫煙所に響いた。

「……話はした。一度だけな」

「たった一度?」

 占部の声が跳ね上がった。

 伊佐はそれにはすぐ答えず、缶から新しい煙草を一本抜き取り、火をつけて深く吸い込んだ。


「もしも彼が阿竹(あたけ)の家で生まれ育っていたなら、いまの彼は存在しない」

 ぽつりと落とした声は、思いのほか静かだった。

 まったく別の人間になっていただろうことは容易に想像がつく。

 伊佐の言葉を聞いて、占部はしばらく黙っていた。

 その表情から何を考えているのかまでは、伊佐にはわからない。

 ただ納得していないことだけは伝わってきた。

「だから何? 巫覡を諦めるってわけ?」

 伊佐は自分でもよくわからなかった。

 諦めるわけがない。

 そんなことはあり得ない。

 隼斗は巫覡だ。

 それは役割でも使命でもない。彼が負わねばならない責任だ。

 たとえ、彼自身には何の咎(とが)もなかったとしても。


 その血が脈々と続く限り。

 我々を縛り続ける限り。


 他の二人にも増して、血の契りに囚われた伊佐は、それを容認できるはずがなかった。

 だが隼斗の無邪気な顔を見るたびに、彼を解き放ってやりたいとも思った。

 同時に彼の顔が苦しみに歪むところを、見てみたいとも。


 伊佐は自覚していた。

 この時間がもっと続けばいいと、願っていた。

 離れがたかったのだ。

 ただ、今の隼斗と、もう少しだけ同じ時を過ごしたかった。


 占部はもう一度、薄い蒸気を吐き、じっと伊佐を見据えた。

「あんたなら、有無を言わさず攫(さら)ってくるかと思ってた」

「男相手に、どうやって?」

 伊佐が鼻で笑った。

 占部はすかさずやり返した。

「女だったら、惚れさせられるとでも?」

 確率が上がるであろうことは認めざるを得ない。

 だから余計に癪に障る男だった。

「隼斗さんは、男に生まれたことを感謝するべきだな」

 軽口のような言葉だった。

 けれどそれがただの軽口ではないことを、占部は知っている。


 それは愛なのか、執着なのか。

 あるいは、もっと別の何かなのか。

 占部にはもうわからなかった。

 ただ、そのどれであったとしても、まともな感情ではないように思えた。


 薄気味悪さを覚え、占部は苦い顔をした。

 何も言わずアイコスを口に運んだ。

 吸い込んだ蒸気は、いつにも増して苦かった。

主人公が女性だったら、年齢指定制限があったかもしれないですね。

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