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久遠の果て、終わりの約束  作者: 船越小久乃
呼ばれるもの
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12/23

四、巫覡

 「少し外します」と席を立った占部は、村長宅の庭に出ると、人目を避けて家屋の陰へ回り込んだ。

 庭の端には背の高い植え込みがあり、軒下の影と重なった一角は座敷から見えにくい。

 占部はそこでアイコスを咥え、白い蒸気を細く吐いた。


「最初に受けた依頼内容からすると、随分大がかりになってきたな」

 電話の向こうで、伊佐が言った。

 占部が伊佐に送った調査報告の内容は、大きく二つだった。ヒトガタの怪異の究明と、意識不明の子供たちとの関連性の調査だ。

 入れ替わったとされる子供たちの存在は、新たに浮上した問題だが無関係ではないだろう。


「あんた、いまどこにいんの?」

 通話越しのガヤガヤとしたざわめきが気になった。

「サービスエリアだ」

「なに寄り道してんのよ。さっさと来なさいよ」

 空港からこの村までは、高速道路を使えば一時間ほどだ。わざわざ休憩を挟むような道のりではない。

「島にはサービスエリアがないらしい」

 サービスエリアどころか高速道路すらないのだが、占部にはどうでもいいことだ。

「連れて行ってやりたかった、とでも言いたいわけ?」

「頭の回転が速いな。話が早くて助かる」

「だから何だよ、殺すぞ」

 自分でも驚くほど低い声が出た。それでも電話の向こうから聞こえる伊佐の声は、相変わらずのんびりしたままだった。どこ吹く風と受け流している。その神経にはいっそ尊敬すら湧く。


 どうやら、サービスエリアでソフトクリームが食べたかったらしい。

(旅行かよ!)

 占部はギリギリと歯噛みした。だが、今の自分には怒鳴る気力もない。救援要請を出した頃は、まだ声を張る余力があったというのに。

「仕方ないだろう。俺はあの人には逆らえない」

「気持ち悪い言い方すんじゃないわよ!」

 占部は舌打ちした。

「さっさとすぐに速やかに合流しろ。今すぐに。すぐだ!」

 伊佐が喉の奥を鳴らすように笑った。

「わかったわかった。すぐに出るから。何か買って行くか? 食べたいものあるか?」

(呑気か!)

 電話口の伊佐にまだ何か言い返そうとしていた、そのときだった。


「機嫌を損ねた奥さんと、適当にいなす旦那さんみたいなやり取りですね」

 突然、背後から声がした。

 占部が振り返ると、いつもの穏やかな顔で、渡辺がペットボトルのお茶を手に立っていた。

「……いつからいたのよ」

「さっきです」

 渡辺は答えながら、ペットボトルを占部へ差し出した。

「お茶、どうぞ」

「……ありがと」

 受け取ったペットボトルは、まだ冷たかった。

 占部はアイコスを指に挟み替え、お茶を一口飲んでから渡辺を睨んだ。

「で、何が夫婦よ」

「いや、かなりそれっぽかったので」

 悪びれた様子もなく言う渡辺に、占部はさらにムカッ腹が立った。


 伊佐が長いバカンスを取った理由は、もちろん占部の知るところではある。

 伊佐や占部たちにとって、巫覡(みこ)という存在がどれほど大きなものなのかも。

 生まれてからずっと、胸の内にある正体不明の虚しさや、いかんともしがたい焦燥は、恐らく巫覡不在によるものだ。

 占部はアイコスを口から離し、ゆっくりと息を吐いた。

 これは、人である私たちが、生き神と呼ばれる特別な存在の巫覡と、血の契りを結んでしまったがゆえに背負うべき業なのだと、占部は思っている。


 庭の植え込みが風に揺れた。座敷からは、村長たちの話し声がかすかに聞こえてくる。

 占部はそちらに目をやり、それからまた視線を落とした。


 彼女は仕事人間だ。

 仕事が好きかと問われれば、稼業を継ぐしかなかった身なので、微妙なところだが。

 やりたかった仕事ではない。だが、やりがいは感じているし、誇りもある。

 だから、伊佐の今回の行動は、理解はできるが、納得はできなかった。

 仕事を放り出してまで、巫覡のお迎えとやらがそんなに大事なものだろうか。

 しかも巫覡は、まだ高校在学中ときた。卒業まで待ってやってもいいだろうに。何をそんなに急ぐ必要があるのか。


 占部はアイコスを指先で弄びながら、眉間に皺を寄せた。

 伊佐という男は、つかみどころのない人間だ。あまり感情を表に出すようなことはない。常に飄々としていて、何を考えているのかいまいちわからない。

 人生イージーモードみたいな顔して、九割ふざけている。

 そんな男が、異常に執着しているのが巫覡だ。

 その執着は、私たちが巫覡に抱くものと似ているようで、まったく別のもののように感じる。

 ――重さは比べものにならないけれど。

 そこまで考えて、占部は思考を打ち切った。

 伊佐のことは、伊佐にしかわからない。わからないことを考えるのは無駄なのだ。

 占部はアイコスを口に咥え直した。


 ―


 やっと合流できたのは、午後三時を過ぎた頃だった。

 村長宅の庭先に、砂利を踏む音を立てて一台のセダンが入ってきた。

 調子に乗って、高級車で乗りつけて来たらどうしようと思っていたので、無難なチョイスにほっとした。


 車が停まると、運転席から伊佐が降りてきた。続いて助手席から少年が一人、その背に隠れるように降りたが、誰の視線も伊佐に釘付けだった。

 庭先まで出迎えに来ていた村長たちが、一瞬息を呑むのがわかった。

「なんでこげんとこに芸能人のおらすとね?」

 村長たちは顔を見合わせ、明らかに動揺している。

「いや、あれはうちの調査員です」

 黙っていられなかったのか、渡辺がすかさずツッコミを入れた。


 伊佐のあの顔は、この仕事をする上で無駄でしかない。

 というか、伊佐には宝の持ち腐れだ。

 伊佐は、そこに立っているだけで人の目を奪う男だ。

 整った顔立ちもさることながら、纏う空気がまるで違う。同じ場所にいるはずなのに、彼の周りだけ光の当たり方が変わって見える。

 もっとも、生まれ持った色合いが派手なせいかもしれない。何世代か前に、海外の血が混じっていると言っていた。

 染めてもいないのに、陽が当たると黄金に輝く亜麻色の髪。色素の薄い、緑の混じった目。首は長く、肩幅は広く、胸板は厚い。神が定規で測ったような骨格で、所作も洗練されている。

 確かに、村ではひときわ浮いて見えた。

 だが、それはこの村に限った話ではない。

 伊佐は、どこにいても人の目を集め、どこにいても異質なのだ。

 占部はとうに慣れきっている。今日も余裕の静観を決め込んでいた。


 そう、余裕だった。


 彼の背後に立つ少年と、目が合うまでは。

 不意に視界が滲んだ。

 目の奥がかっと熱くなる。

 何が起きたのかわからない。

 気づいたときには、頬を熱いものが伝っていた。

 一度溢れた涙は、止まらなかった。拭う間もなく、後から後から溢れてくる。

 悲しくもなければ、痛くもない。

 だが、よくわからない感情の嵐が、胸の辺りで巻き起こっている。

 理由がわからないまま喉が引きつった。

「……っ」

 声にならない。

 次の瞬間、占部はしゃくり上げていた。

 人目もはばからない号泣だった。

 慌てふためく村長たちの声。

 息を呑む渡辺の気配。


 当の少年は、何が起きたのかわからないとでも言いたげな顔で、石のように固まっていた。

 その騒ぎの真ん中で、伊佐だけが凪いでいた。

 号泣する占部には一瞥もくれず、当初の予定どおりに打ち合わせを進めていく。

「では、その件についてですが――」

 まるで、何も起きていないかのように。


 渡辺が、黙ってハンカチを差し出してくれた。

 占部はそれを受け取り、顔に押し当てた。

 しばらくは、ただ嗚咽を吐き出すしかなかった。

 ようやく涙が引いた頃には、打ち合わせはすっかり済んでいた。


「では、病院で」

 伊佐は少年の背を押し車に乗せると、さっさと走り去った。

 挨拶一つさせてもらえなかった。

(あの野郎、まじでいつか殺したろか)

 腹の底で毒づきながら、まだ熱の残る目元を押さえる。

 だが、それよりも。


 巫覡だ。

 あれが次の、私たちの巫覡(みこ)だ。

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