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久遠の果て、終わりの約束  作者: 船越小久乃
呼ばれるもの
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10/23

二、化ける

「これ、どう思いますか?」

 琥珀色に染まった板壁を背に、パソコンの前で、二人が難しい顔をして話し合っていた。


 渡辺啓輔(わたなべけいすけ)は、ずんぐりとした体つきに、丸い顔と垂れ下がった細い目を持つ。愛嬌のある顔立ちで、普段は穏やかな笑みを絶やさない男だが、いまは珍しく表情を曇らせていた。渡辺が、傍らに立つ占部檀弓(うらべまゆみ)を、困ったように仰ぎ見る。

 陶器のような肌に涼しげな瞳を持つ占部は、一見、近寄りがたい美女だ。だが、本人はそんな外見とは裏腹に気さくで、渡辺の椅子の背もたれに手をかけると、パソコンの画面を一緒に覗き込んだ。

「ヒトガタの怪異ねぇ」

 眉間に皺を寄せ、占部は億劫な様子を隠さずに、ため息をついた。


 窓から入る生ぬるい風が、占部の頬を撫でていく。

 季節は、残暑と呼ばれる頃だ。換気のためにクーラーを切って窓を開けたが、流れ込んでくる熱気と湿気で、部屋はじわじわと蒸し暑くなっていた。そろそろ窓を閉めてクーラーをつけ直してもいいかもしれない。

「幽霊じゃないんですかね?」

「この書き方だと、妖怪とか魔物の雰囲気あるわよねぇ」

 占部はしかめた顔をパソコンに向けたまま、顎に手をかけた。

「妖怪ですか、なるほど」


 渡辺は経験が浅い。霊力は強いが、神力はない。幽霊や残留思念は視えても、神格のある妖や、霊位の高い存在は視えない。

 そのせいか、渡辺にとって妖怪は、自分とは縁のない、遠い世界の存在なのかもしれない。

 占部の目には、渡辺が納得したような、そうでもないような、曖昧な相槌を打っているように見えた。

「でも怖いのは、この部分。山岳信仰みたいなものがあるって書いてある」

「何か問題でも?」

「こういう場合、神様が関わってる可能性が高くなっちゃうんだよねぇ」

 占部は、うんざりしたように髪を掻き上げた。

「え!? 神様?」

 渡辺が、仰天している。渡辺の職業を考えれば、いてもおかしくはないはずだが。とはいえ、実際にその存在に触れることになるとは、思ってもみなかったのだろう。

「うん、一番厄介で、一番めんどくさい」

 占部は、また、ため息をついた。


 渡辺がこれまで携わってきた仕事といえば、座敷童の調査や地縛霊の鎮魂、忌み地の浄化など、比較的平和なものが多かった。新人であるがゆえ、まだまだ経験不足なのは、否めない。

 座敷童の中には、高位ではないが、神格のあるモノも存在する。そして、それは一般的には、妖怪に分類される。渡辺がまだそのことに気づいていないのを、占部は、あえて言わずにいた。

「仕方ない。もうそろそろ、帰って来てもらいましょうか」

 占部は、諦めたように息を吐くと、携帯を取り出した。


 ―


「ちょっと、登紀姉(あね)、見てくれん? なんか、肩が重かっちね」

 その日、島で拝み屋を営む有川登紀子(ありかわときこ)の家に、気安い様子で訪れる客があった。


 居間には、使い込まれた卓袱台と座布団が並び、開け放した窓からは、稲穂の揺れる田んぼの向こうに、なだらかな稜線を描く山が見えた。風が吹き込むたび、青々とした草の匂いが、部屋の中まで流れてくる。


 近所に住む、登紀子の茶飲み友達だ。登紀子は、彼女をアキと呼んでいる。島では、年上の女性を「姉(あね)」と呼ぶ。アキが登紀子を姉と呼ぶように、隼斗もまた、アキを「アキ姉」と呼んでいた。

 快活でお喋りなアキは、自分から積極的に話すことの少ない登紀子とも、なぜか馬が合うようだった。

 数日おきに家に来ては、なんだかんだと一方的にお喋りをして帰っていく。登紀子は、アキのためにお茶菓子を欠かすことはなかった。


 今日の来訪は、相談という形だった。とはいえ、そんな口実がなくても、定期的にやって来る客だ。アキにとっては、相談すら、ついでのようなものなのかもしれない。

 座布団に腰を下ろすなり、アキは肩をぐるぐると回してみせた。

 卓袱台の向かいでは、隼斗が茶菓子を頬張っていた。


 そこへたまたま居合わせた伊佐(いさ)嘉臣(よしおみ)が、アキの肩口で何かを、ひょい、とつまみ上げる仕草をした。

「失礼します」

 登紀子が座布団の上に膝をつき、アキの背後へ回り込む。アキの肩を、手で払ってみせた。

「どうね?」

 登紀子が尋ねたが、アキは、奥の縁側からふらりと姿を見せた伊佐に目を奪われ、聞こえていない様子だった。


 伊佐は何かと忙しい。この家に居着くようになって、まだ一月足らず。家にはアキがしょっちゅう訪れていたが、実際に顔を合わせるのは、これが初めてだった。

 しばらく呆けていたアキは、やがて乙女のように頬を染め、身悶えしながら一息にまくし立てた。

「あっらぁ、まぁまぁまぁ、良か男がおるじゃなかとね。なんね、めっちゃイケメンやないね。あらぁ、こんなイケメン初めて見たばい。あんた、ここらへんの人やなかやろ? 見たことなかもん。いや、こんなイケメンおったら、忘れんて。島にゃ、こんなイケメン、滅多におらんけんね」

 声の調子を、二段階ほど上げてはしゃぐアキを見て、肩はもう大丈夫だと判断したのだろう。

 登紀子は早々に腰を上げ、お茶の用意をすべく、台所へ向かった。奥から、水を汲む音が、かすかに聞こえてくる。


 一方、残された伊佐は、怒涛の勢いで喋り倒すアキに呑まれ、目を白黒させている。もしかしたら、おばちゃんという人種が、苦手なのかもしれない。

 隼斗は笑いを堪えながら、その光景を眺めていた。

 しかし、いつまでも興奮冷めやらぬアキに、逃げ腰の伊佐が、だんだん情けなく哀れになってきて、とうとう助け舟を出すことにした。

「どんだけイケメン言うんだよ。俺の顔、しょっちゅう見てんだから、もうそろそろ慣れろって、アキ姉」

 生意気なことを言う隼斗に、アキは、いま初めて存在に気づいたような顔をして、慰めるように肩を叩いた。

「あんら、隼斗もイケメンちゃイケメンばってん、都会の男はほら、より洗練されとるっちゅうか」


 そこはかとなく失礼である。

(イケメンに込める熱量の差よ)と、隼斗は、内心ツッコんだ。

 そうする間にも、アキは、恋する乙女の目で、伊佐を見つめている。伊佐が滝汗を流し始めた頃には、隼斗はとうに飽きて、二つ目の茶菓子に手を伸ばしていた。そのとき、突然、アキがハッと正気に戻った。

「あんらぁ! 私(おっ)としたことが、んまぁ、魂抜かれとったばい! そんな見つめんでぇ、照るっから!」

 伊佐は、見つめていたつもりはなさそうだったが、目を逸らせずにいたのも事実だった。

「登紀姉も、ありがとね。なぁんか、肩が軽くなったごちゃ!」

「アキよい、あんた、お茶飲んでいくね」

 登紀子が、湯呑みを盆に載せて、台所から顔を出した。湯気が、ふわりと立ちのぼる。

「あら、よかね? そいえば、こないだの柿の話やばってん」

 先ほどまでの様子が嘘のような切り替えの早さで、アキはいそいそと卓袱台の前に座った。湯呑みを両手で包み、一口すすると、すっと落ち着いた空気になる。もうすでに、新しい話題に夢中だ。


 あまりの変わりように、伊佐は、一人取り残されて、呆然としていた。今日はどうも、珍しいことばかり起こる日らしい。隼斗が、伊佐に憐れみの目を向けるなど、それこそ滅多にないことだった。

「慣れろ。多分、島中のババが、全部あんな感じになるぞ」

 若い人は多少自重するだろうが、この男の顔じゃ期待薄かもしれない。

 なにしろこの男、顔だけは本当に無駄に良い。


「ところで、それ、何持ってんだ?」

 つまむ指のまま、固まっている伊佐の手に、隼斗は卓袱台越しに身を乗り出して自然に触れた。

 この頃の隼斗は、伊佐にこうして触れることを、躊躇わなくなっていた。

 宙に浮いていただけの、伊佐の指の先。触れた途端、小さな鬼が出現した。

 小鬼は、伊佐の指から逃げようと、じたばたと手足を振り回し、もじゃもじゃの頭を左右に激しく振っている。

 その頭には二本の角。口には鋭い犬歯が見える。鬼のような姿だが、頭だけが異様に大きい。いわゆる二頭身というやつだ。

 伊佐は、鬼の首を、親指と人差し指で、きゅっとつまんでいる。

 鬼は、宙づりのまま、短い手足をばたつかせ、キィキィと甲高い声を上げた。

 苦しそうではないが、見た目がコミカルでキャラクターめいているので、なんだか普通に可哀想だった。

「離してやれば?」


 隼斗がそう言って顔を上げると、男はじっとこちらを凝視していた。

 少し、たじろぐ。伊佐が、ふと僅かに笑んだので、隼斗は肩の力を抜き、鬼の頭をちょいちょいと小突きながら、

「これ、鬼か?」

 と、念のため確認してみた。

 隼斗の指が触れた途端、小鬼が白蛇になった。まるで魔法が解けたようだ。伊佐の指先で、白い胴がするりと一度うねり、あとはすっかり大人しく指に巻きついている。

「変身した?」

 隼斗が目を瞬く。


「変化というか、幻惑みたいなものですよ。見る者を騙す。修験者みたいなモノです。人ではないですが」

 伊佐は、白蛇に視線を落としたまま続けた。

「長く生きた動物には、徳を積んで神を目指すモノがいます。神社や寺院などの神域にいる動物に、たまにそういうのが出てくるんです」

 隼斗は、少し距離を取るように後退った。蛇はあまり得意ではない。

「なんで、鬼になったんだ?」

「さあ、どうでしょう。からかったのか、咄嗟に正体を隠そうとしたのか」


 人間の視覚は、不確かなものだ。脳によって、見るものが形成される。

「人間はイメージが豊富なので、騙しやすいんですよ」

 脳に働きかける――隼斗は、ぼんやりとその言葉を反芻した。


 人間は、自分の中にある記憶やイメージを通してしか、目の前のものを捉えられない。だとすれば、幻惑が見せているのは、かけた側の正体ではなく、かけられた側自身の内面にある――そういうことなのかもしれない。


(じゃあ、あの鬼は、伊佐の頭ん中にあるイメージが、そのまま形になったってことか?)

 なるほどな、と、隼斗は、一人で納得した。

 なかなかにコミカルで可愛らしいものを、この男は生み出したものだ。

 そこまで考えて、隼斗は大きく伸びをした。

 まぁ、いいか。

 登紀子が淹れてくれたお茶を一口啜った。

 少し温くなっていた。


 一方!伊佐は、この小さな修験者が、ここにいる理由を考えていた。偶然ではない。修験者は、選んだのだ。アキを。隼斗にたどり着くために。

 隼斗が触れた途端、修験者の身体を黒く覆っていた靄は霧散した。

 浄化されたのだ。

 変化でも、幻惑でもない。

 ただ穢れが清められ、本来の姿である白蛇に戻っただけだった。


 伊佐は白蛇を手のひらに乗せたまま、縁側へ足を運んだ。

 庭には夏草が伸び放題になっている。踏み石の脇で、蝉の声が途切れることなく響いていた。

 伊佐は、白蛇をそっと庭へ離してやった。

 白蛇は、伊佐の顔を見るように一度頭をもたげた。そのまま縁の下へ、するりと滑り込み姿を消した。


 蝉の声の合間を縫うように、電子音が鳴った。


 伊佐の携帯だった。

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