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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第6章 第7管理区画・第0補助層

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第5話 可視化――誰が何を抱えているか、先に出す

夜勤で予約ミスってました('ω' ;)

時間ズレ申し訳ないです。

 目を覚ました時、誠二は頬の横にある熱で、まず自分がまだ仮眠室にいることを思い出した。


 胸元へ顔を預けたままの姿勢は、いまではもう説明なしに身体が受け入れている。

 後頭部を支える手。

 背中へ回る腕。

 布越しに伝わる呼吸の上下。

 その全部が、ここ数日の神界での朝の形として静かに定着していた。


 ただ、今朝は少しだけ空気が違う。

 昨日見た数字が、まだ頭のどこかで引っかかっている。

 抱案件数。

 高危険度件数。

 引継不能率。

 打ち切り確認待ち。

 その偏り。

 その偏りの中心にあるリュシアの名前。


 誠二は、胸元へ顔を埋めたまま少しだけ息を吐いた。

 数字は冷たい。

 だが冷たいからこそ、言い逃れの余地が薄い。

 見たくなかっただろう。

 見せたくもなかったはずだ。

 それでも見た。

 その重さが、まだ朝の静かな体温の奥に残っている。


「……起きてます」


 少し低く言うと、頭の上から短い声が落ちてきた。


「うん」


 そのまま、すぐに顔の近くへ影が寄る。

 唇が触れた。

 いつもより長い。

 寝起きの挨拶にしては少し深く、少し長く、確かめるように重なる。


 誠二は目を開けたまま、その熱を受けた。

 深くなる。

 朝の空気には似つかわしくないくらい、静かに長い。

 離れたあとで、少しだけ息を整えながら言う。


「朝から深いですね」


 胸の上から、低い声が返る。


「今日、嫌だから」


 その答えが妙にリュシアらしくて、誠二は目を細めた。


「正直ですね」


「嫌な日」


「数字の続きですからね」


「うん」


 そう言ったあと、リュシアはもう一度だけ短く触れた。

 今度はさっきほど長くない。

 けれど、言葉の続きの代わりみたいなキスだった。


「そんなに嫌ですか」


 誠二が訊く。


「見えると刺さる」


「それでもやる」


「やる」


 短い会話。

 だが、それで十分だった。

 嫌だと思っている。

 それでもやると決めている。

 そしてその前に、少しだけ深く触れておく。

 それが今朝のリュシアのやり方なのだろう。


 しばらくそのままでいてから、二人とも起き上がった。

 ベッドの上に残った二つの枕が、いかにも何事もなかった顔で並んでいる。

 だが、今朝の空気は昨日までより少しだけ重い。

 仕事の重さが私的な時間へ滲んでいる。

 それでも滲んだまま切れないのが、いまの二人だった。


 朝のシャワーを浴びて作業区画へ戻ると、リュシアはもう結晶板を開いていた。

 昨日の可視化表がそのまま残っている。

 管理官ごとの抱案件数。

 高危険度。

 保留日数。

 再派遣判断件数。

 打ち切り確認待ち。

 引継不能率。

 代理対応可否。

 精神負荷自己申告。

 数字は昨日見たままなのに、朝一番で見ると妙に硬い。


「今日はこれを固めます」


 誠二が言う。


 リュシアは結晶板を見たまま答えた。


「嫌」


「でしょうね」


「かなり」


「でも、ここを固めないと止める線が引けません」


「分かる」


 誠二は結晶板の横へ新しい欄を出した。

 昨日見えたのは偏りそのものだ。

 だが、偏っていると分かっただけでは、次に何を止めるべきかまでは見えない。

 どこからが過積載なのか。

 どこで強制停止を入れるべきか。

 どの案件なら引き継げるのか。

 誰が代われるのか。

 それを決めるためには、“多い”“重い”をもう少し具体に分解する必要がある。


「件数だけでは駄目です」


 誠二が言う。


「軽い十件と、重い十件は別です」

「一日置いても大丈夫な案件と、一日遅れるだけで腐る案件も別です」

「保留も、“待っている”のと“止まっている”のと“誰も責任を持たないから置いてる”のでは全部違う」


 リュシアが腕を組む。


「だから保留理由」


「ええ。理由を見えるようにする」

「再派遣も回数だけではなく、差戻し理由と再判断の滞留時間が要ります」

「精神負荷も、自己申告だけだと抜けるので、高危険度比率と引継不能率と組みます」


「嫌な表」


「かなり嫌な表ですね」


 それでも必要だった。

 嫌なものほど先に形へ落とさないと、職場は“まだ回っている”の言い訳で人を潰す。


 補助層へ降りると、朝の光は相変わらず均等に冷たい。

 昨日と同じようでいて、今日は視線の向け方が少し違う。

 棚を見る前に、人を見る。

 いや、人というより、人へ乗っている重さを見る。


 作業区画へ入ると、他の管理官たちも昨日より少しだけ誠二を見るようになっていた。

 分類表を立てたことで、補助層の中に小さなざわつきが生まれているのだろう。

 外部から来た臨時補佐が、ただ視察するだけでなく実際に線を引き始めた。

 それが便利か面倒かはまだ分からない。

 だが、無視できる段階ではなくなっている。


 誠二は一つずつデータを整理し始めた。

 結晶板を何枚も並べる。

 管理官別。

 案件種別。

 危険度別。

 滞留日数。

 保留理由。

 再派遣回数。

 精神負荷自己申告。

 代理可否。

 引継不能件数。

 それぞれを重ねていくと、昨日よりさらに嫌なものが見えてくる。


 単純な件数だけなら、それほど極端には見えない人間もいる。

 だが高危険度案件だけを重ねると、一気に偏る。

 保留理由の複雑さを見ると、さらに寄る。

 引継不能率を重ねると、ほとんど同じ名前ばかりになる。

 精神負荷自己申告は、むしろ偏りが見えにくい。

 高負荷の人間ほど低く出している疑いがある。

 そこへ未処理日数を重ねると、今度は“壊れかけているのにまだ抱えている”人間が浮かび上がる。


「見えると嫌ですね」


 誠二が、画面を見たまま言う。


 隣でリュシアが短く返す。


「嫌」


「かなり」


「かなり」


 数字の偏りは、感覚で見た時よりさらに冷たかった。

 しかも、ただ忙しい人がいるのではない。

 “切れる人”へ切る判断が寄っている。

 “止められる人”へ止める判断が寄っている。

 “雑にしない人”へ差戻し案件が寄っている。

 そして、そういう人間の多くは代理可否が低い。

 つまり、その人が止まった時に詰まる。


 誠二は、リュシアの区画を開き直した。

 昨日も見た数字だ。

 だが、今日の表で重ねるとさらにひどい。


 高危険度件数。

 再派遣判断。

 打ち切り確認待ち。

 保留理由複雑度。

 代理不可。

 引継不能率。

 それぞれが、高い位置でまとまっている。

 総件数が多いというより、“嫌な案件の密度”が高すぎる。


「ここまで出るんですね」


 誠二が静かに言った。


 リュシアは目を逸らさずに画面を見ている。

 だが頬の筋肉だけがほんの少し硬い。


「昨日も寄ってるとは思いましたけど」


 誠二は続けた。


「今日は、誤差じゃないです」

「偏りです」


 リュシアはしばらく黙ったあと、小さく言う。


「見えると嫌」


「ええ」


「数字だともっと嫌」


「でしょうね」


 画面の上では言い逃れがしにくい。

 忙しい。

 仕方ない。

 人が足りない。

 そういう言葉は全部本当だろう。

 だが本当であることと、偏りを放置していいことは別だ。


 誠二は新しい表を立てた。

 仮の停止基準表だ。


 抱案件数の上限。

 高危険度比率の上限。

 保留日数の上限。

 打ち切り確認待ち件数の上限。

 引継不能率の警戒値。

 精神負荷自己申告の強制面談ライン。

 代理対応不可案件の累積上限。


 リュシアが眉を寄せる。


「多い」


「多いです」


「そこまで見る?」


「見ます」


「嫌」


「分かります」


 誠二は視線を上げた。


「でも、見えないまま潰れる方が嫌です」


 その一言のあと、空気が少しだけ変わった。

 ざわついていた周囲の音が、妙に遠くなる。

 これは昨日も言った言葉だ。

 だが、今日は数字の上で言っている。

 感覚ではなく、目の前の偏りを見た上で。


 リュシアは答えなかった。

 すぐには答えられないのだろう。

 その代わり、腕を組み直して画面へ視線を落とした。

 沈黙が長い。

 けれど逃げてはいない。


 誠二はそこで、他の管理官のデータも開いた。

 同じような偏りが、濃淡は違えど他にもある。

 一部の管理官に、嫌な判断が寄る。

 一部の管理官に、差戻し案件が寄る。

 一部の管理官に、途中で止まった案件の後始末が寄る。

 そして、そういう人間ほど代理が立たない。


「みんな忙しいんじゃないですね」


 誠二が呟く。


 リュシアは反応しない。

 だから誠二はそのまま言葉を続けた。


「忙しい人と、壊れるまで使われる人が分かれてる」


 これもかなり重い事実だった。

 補助層全体が忙しいのは本当だ。

 だがその忙しさは均等ではない。

 忙しさの中に“嫌なものを引き受ける係”ができてしまっている。


 近くの別区画で作業していた管理官が、一瞬こちらを見た。

 聞こえていたのかもしれない。

 だが誠二はそこで声を潜めなかった。

 職場の壊れ方は、誰か一人の気分へ配慮して見えなくしてはいけない。


「これ、信頼じゃなくて過積載です」


 昨日と同じ言葉を、今日は数字の上で置く。

 ようやく、ただの印象論ではなくなる。


 リュシアが低く返す。


「回ってはいる」


「ええ」


「止まってない」


「まだ、ですね」


 誠二はゆっくり言った。


「止まってないから大丈夫、で寄せ続ける」

「それを信頼って呼ぶと、最後の停止は全部事故になります」


「……」


「止める基準が無いから、誰も止められない」

「見えないから、まだ振れると思われる」

「壊れてからしか分からない」


 リュシアは、そこでようやく少しだけ息を吐いた。

 不機嫌そうにも見える。

 だが完全な拒絶ではない。

 刺さっているから嫌なのだ。


「頑張れば回るところもある」


 ぽつりと、そう言う。

 自分への言い訳でもあり、この職場全体の言い訳でもある声だった。


「そこが危ないです」


 誠二はすぐに返した。


「“まだ回る”で寄せると、最後は誰も触れなくなる」


「でも、止めると詰まる」


「止めなくても詰まってます」


 そのやり取りは、少しだけ硬かった。

 怒鳴るでもなく、決裂するでもない。

 けれど、互いに譲れない線へ触れている音があった。


 誠二は、そこで少しだけ声を落とした。


「止まるのが怖いんですよね」


 リュシアが目を上げる。

 その視線に、ほんの少しだけ警戒が混じる。


「……」


「分かります」


 誠二は続けた。


「止めたら、その間に壊れるかもしれない」

「回していれば、少なくとも今は回ってるように見える」

「でも、それで寄せ続けると、止まった時に全部詰まる」


 リュシアは短く言う。


「知ってる」


「知ってるから嫌なんですね」


「嫌」


 その一言で、ようやく少しだけ空気が緩んだ。

 分かっている。

 分かっているからこそ刺さる。

 そういう段階に入れたのなら、まだ仕事は前へ進む。


 午後は、可視化した負荷をどう見せるかに時間を使った。

 数字を並べるだけでは、ただの告発になる。

 止めるための線として使うには、見方が要る。


 誠二は表を二段構造にした。

 上段に全体件数。

 下段に“嫌な重さ”の密度。

 さらに色分けで、停止基準未設定案件、引継不能案件、代理不可案件を重ねる。


 そうすると、ようやく見えてくる。

 抱えている量だけではなく、抱えている質。

 そして、その質が誰へ偏っているか。


「これで、やっと止める話ができます」


 誠二が言う。


「件数だけだと“みんな忙しい”で終わる」

「でも質まで出すと、“誰が壊れる前提で回してるか”が見える」


 リュシアは、画面を見たまま言った。


「見えると嫌」


「何回も言いますね」


「何回見ても嫌」


 その返しは少しだけ可笑しかった。

 誠二も思わず口元を緩める。


「でも、見せる相手は増やした方がいいです」


「嫌」


「でしょうね」


「かなり」


 それでも、見せるしかない。

 補助層が自分たち自身の壊れ方を見ない限り、案件の分類だけ整っても、処理する側が先に潰れる。


 作業を終える頃には、結晶板の上にもう一つ別の地図ができていた。

 案件の壊れ方の地図ではない。

 補助層の中で、誰が何をどれだけ抱え込み、どこが偏り、どこで止まるかの地図だ。

 数字にされると、もう“頑張っているから”では済まなくなる。


 補助層全体が、初めて自分たち自身の壊れ方を見た。

 そんな感覚があった。


 神界の仮眠室へ戻る道すがら、二人の会話は少なかった。

 沈黙が気まずいというより、数字の冷たさがまだ言葉へ変わり切っていない。

 それでも距離は離れない。

 並んで歩く速さは自然に揃う。

 そういうところで、切れていないのだと分かる。


 仮眠室で軽く飲み物を取る。

 いつものように横へ座る。

 リュシアの肩は少しだけ低い位置にあった。

 疲れているというより、数字の中へ自分が入った分、ほんの少しだけ重いのだろう。


「どう」


 また、いつもの問い。

 誠二は少しだけ考えてから答えた。


「かなり冷たかったです」


「うん」


「でも必要でした」


「うん」


「数字にしたくなかったですよね」


 そこで、リュシアは少しだけ目を細めた。


「嫌」


「分かります」


「かなり嫌」


「でも、見えないまま潰れる方がもっと嫌です」


 その返しに、リュシアはすぐには答えず、代わりに少しだけ身体を寄せてきた。

 言葉の代わりみたいな近さだった。


 誠二は、そのまま肩を受ける。

 しばらくしてから、リュシアが低く言う。


「分かる」


 短い。

 けれど、その一言に必要なものはほとんど入っていた。

 嫌だ。

 でも必要だ。

 そして、見せる相手が誠二なのは間違っていない。

 そういう種類の“分かる”だった。


 仮眠室へ移る。

 ベッドへ入ると、いつものように抱き寄せられる。

 胸元へ顔が落ちる。

 けれど今日は、リュシアの方が少しだけ先に深く寄ってくる気配があった。


 額へ短いキス。

 少し間。

 それからまた、今度は唇へ軽く。

 返事の代わりみたいなキスだった。


 誠二が少し顔を上げると、もう一度。

 短く、静かに。

 数で甘えるみたいなやり方は、この人らしいのかもしれない。


「今日は、よくしてきますね」


 誠二が言うと、リュシアは胸元へ誠二を抱えたまま返した。


「嫌だったから」


「数字、ですか」


「うん」


 また短いキスが落ちる。

 今度は頬に近い位置。

 それから少しだけ黙って、さらにもう一度。

 言葉を足す代わりみたいに、数度触れてくる。


 誠二は少しだけ息を整えた。

 刺さった日なのだろう。

 だから近くいたい。

 たぶん、本人もそこまで整理していない。

 ただ、今日は少しだけ甘えが前に出ている。


「見たくなかったですよね」


 誠二が静かに言う。


「嫌」


 短い返事のあと、またキス。

 今度は少しだけ長い。

 離れてから、リュシアが低く続ける。


「でも、見ないままはもっと嫌」


「ええ」


「だから見た」


 誠二は、その言葉に少しだけ胸が熱くなった。

 嫌だ。

 でも見た。

 それはかなり大きい。


「ちゃんと止める線を作ります」


 誠二が言うと、リュシアは目を閉じるように少しだけ顔を寄せた。


「うん」


「頑張れる人のまま置かれるの、だいぶ嫌なので」


 そこまで言うと、リュシアの抱き方がほんの少しだけ深くなった。

 腕の力が少しだけ増す。

 それもまた返事だった。


「見えると嫌だった」


 ぽつりと、リュシアが言う。

 いつもより少しだけ素直な言い方だった。


「でも、誠二でよかった」


 その一言に、誠二はすぐには返せなかった。

 大きい言葉は要らない気がした。

 だから少し間を置いて、できるだけ静かに言う。


「だったら、ちゃんと止める線を作ります」


 リュシアは短く頷いた。

 それから、もう一度だけ少し長めのキス。

 数度の短いキスの最後に、ようやく落ち着く場所を見つけたみたいな長さだった。


 離れたあと、リュシアはそのまま誠二の胸元へさらに深く寄ってきた。

 抱える側から、ほんの少しだけ寄る側へ揺れている。

 それが分かる近さだった。


「今日は、少しこのまま」


 短くそう言う。


「はい」


 誠二も腕を回した。

 いつも受けている近さを、今夜は少しだけ返す。

 押し返すほどではない。

 ただ、そこにいていいように抱える。


 数字は冷たかった。

 だが、その冷たさを見た夜だからこそ、いまの近さは少しだけいつもより温かく感じる。


「リュシア」


「ん」


「無理してる人が見えたら、次は止めます」


「うん」


「リュシアもです」


 そこで、胸元から少しだけくぐもった声が返る。


「知ってる」


 知っているのなら、それでいいと思った。

 仕事の線も、私的な線も、今日は少しだけ同じ方向へ伸びていた。


 見えると嫌だった。

 だが、見えないまま壊れるよりはずっとましだった。

 その重さを抱えたまま、今夜も二人はいつもの近さをやめなかった。

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