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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第6章 第7管理区画・第0補助層

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第3話 分類――壊れ方が違うものを一緒に積むな

 目を覚ました時、誠二は昨日より少しだけ頭が静かなことに気づいた。


 頬に当たるやわらかさ。

 胸元へ沈んだ顔の角度。

 後頭部に添えられた手の重み。

 その全部は昨日とほとんど変わらない。

 違うのは、目が覚めた瞬間から未整理棚や保留棚の色帯が頭の中で暴れ出す感じが、少しだけ薄いことだった。

 完全に消えたわけではない。

 だが、昨夜リュシアに思考を切られた分、今日はその残り方がいくらか穏やかだ。


「……起きました」


 胸元へ顔を預けたまま言うと、頭の上から低い声が落ちてきた。


「うん」


 リュシアの声は朝の少し掠れた温度を残していた。

 抱えている腕は緩まない。

 誠二も急いで抜け出す気にならない。

 今日も業務の話になるのは分かっているのに、それでも、起きてすぐにこの近さがあると人の側へ少し戻れる。


「昨日よりだいぶ、静かです」


 誠二が言うと、後頭部を支える手がゆっくりと髪を撫でた。


「切ったから」


「ちゃんと効くんですね」


「効かせた」


 短いやり取りに小さく笑う。

 そう言い切られると、たしかにそうなのだろうと思える。


 誠二が少しだけ顔を上げる。

 近い位置にあるリュシアの目と合う。

 寝起きのせいでいつもより少しだけやわらかい。

 それでも視線の奥はもうかなり起きている。

 仕事の話に入れば、この人はすぐそちら側へ戻る。


「おはようございます」


 誠二が言うと、リュシアは少しだけ顔を寄せた。


「おはよう」


 そのまま短いキス。

 確認のためでも、ためらいを埋めるためでもない。

 ごく自然な、朝の挨拶みたいな長さだった。

 短く触れて、離れる。

 それだけなのに、妙に落ち着く。


「昨日より普通ですね」


 誠二が言う。


「普通」


「こういうの、もう朝の一部になってます?」


「なってる」


「即答ですね」


「そう」


 その言い方が可笑しくて、誠二は少しだけ肩を震わせた。

 神界の仮眠室で、朝におはようのキスをして、そのまま仕事の話へ入る。

 冷静に考えるとかなり変だ。

 けれど、ここ数日の積み重なりの中ではひどく自然だった。


「まだ棚のこと考えてます」


 誠二が言うと、リュシアは小さく頷いた。


「顔」


「分かりやすいですか」


「かなり」


「保留棚と再分類待ちの位置が近すぎるな、とか」


「うん」


「未整理棚に戻り案件が混ざってるのが最悪だな、とか」


「うん」


「打ち切り確認待ちが“切れない”と“切らない”の両方で積まれてるな、とか」


 そこまで言って、誠二は小さく息を吐いた。


「やっぱりまだ考えてますね」


「知ってる」


 それでも、昨夜みたいにすぐ切りに来ない。

 今日はたぶん、考える方向が少しだけ整っているからだろう。

 ただ沈んでいるのではなく、整理のために頭が動いている。

 その違いはリュシアも見ている。


「でも、今日は昨日と少し違います」


 誠二が言う。


「棚の量に飲まれてる感じじゃない」


「うん」


「雑すぎる分類に腹が立ってる感じです」


 その言葉に、リュシアは目を細めた。


「そっちの方がいい」


「そうですか」


「仕事になるから」


 たしかにそうだ。

 嫌さや重さをただ受けるだけでは沈む。

 だが、雑さに腹が立つ時は、まだ直す側へ身体が向いている。


 しばらくそのままでいてから、二人とも起き上がった。

 いつものようにシャワー。

 熱い湯を浴びてリビングへ出ると、結晶板がもう出ている。

 神界へ移動する前の短い確認みたいなものだ。


 リュシアは結晶板に昨日の補助層の概略図を出していた。

 未整理。

 保留。

 再分類待ち。

 再派遣待ち。

 打ち切り確認待ち。

 色帯だけ見ても、もうだいぶ嫌な並びだ。


「今日、どこから触ります」


 誠二が訊く。


「分類」


「やっぱりそこですね」


「棚を動かす前に線を引く」


 それはかなり正しい順番に思えた。

 棚をいじる。

 人を動かす。

 負荷を分ける。

 その前に、何がどう壊れているかを切り分けないと、結局また“困っているもの”で一括りになる。


「昨日見た感じだと、今の分類は粗すぎます」


 誠二が言う。


「長期難航」

「要観察」

「保留」

「高危険度」


 並べてみると、ひどく曖昧だった。

 どれも状態ではあるが、壊れ方ではない。


「これだと全部後手になりますね」


 リュシアが短く頷く。


「うん」


「“何が起きたか”しか見てなくて、“何でそうなったか”が見えてない」


「そこ」


「結果で積んでるから、次にどこを止めるべきか分からない」


「うん」


 神界へ移動する光が足元に出る。

 誠二は一度だけ深く息を吸って、それからリュシアと一緒に補助層へ入った。


 朝の第0補助層は、昨日よりさらに疲れて見えた。

 時間の流れがあるのかないのか分からない神界でも、業務の重さだけは蓄積するらしい。

 未整理棚の量は一晩で整理されるどころか、むしろ少し増えている。

 保留棚の光も濁っていた。

 誰かが片付けた形跡はある。

 だが、片付けた量より流れ込んだ量の方が明らかに多い。


「増えてますね」


 誠二が言う。


「毎日増える」


「嫌ですね」


「かなり」


 今日は見学ではない。

 ただし、いきなり棚を動かすわけでもない。

 リュシアは、奥の比較的空いた小さな作業区画へ誠二を連れて行った。

 個別に結晶板を広げられる簡易スペースだ。

 机らしい机はない。

 だが、案件を仮展開して比較するには十分な広さがある。


「ここで切る」


 リュシアが言った。


 切る。

 その言葉が今日はかなりしっくり来た。


 まず最初に、リュシアは四つの案件ログを並べた。

 色帯は全部同じ。“長期難航”。

 だが、中身を少し開くだけで、同じ棚にいる理由が分からなくなる。


 一つ目。

 勇者隊が前線判断を独断で重ね、本部との報告線が切れたまま現地支援が追いつかず、救援側も巻き込んで崩れている案件。


 二つ目。

 王命と宰相府の指示が食い違い、現地に二重命令が落ち続けて誰も決められなくなった案件。


 三つ目。

 聖女一人に浄化、調整、祈祷、医療、象徴役が全部集まり、その人間が倒れた瞬間に現地全体が止まった案件。


 四つ目。

 輸送路が崩れ、支援物資も回復資源も届かず、現場の努力とは別のところで崩壊し始めた案件。


 誠二は、四枚の結晶板を見比べてから小さく言った。


「これ、同じ棚にいる理由が“困ってる”しかないですね」


 リュシアがすぐに返す。


「うん」


「ひどいですね」


「かなり」


「長期難航って、要するに“まだ誰も切れない嫌なもの”の別名じゃないですか」


「そう」


 リュシアはそこで追加の二件を出した。

 今度は色帯が“高危険度”と“保留”だ。

 だが中身を見ると、さっきの四件よりさらに嫌だった。


 一つは、現場そのものはまだ持っているのに、評価制度が歪んで失敗報告を上げた人間が損をするせいで、何も上へ上がらず手遅れに近づいている案件。

 もう一つは、支援そのものが必要なのに、上位側の再確認と判断保留が続いているせいで、派遣の可否が出ず、時間だけ流れている案件。


 誠二はその二件も見たあとで、少しだけ眉を寄せた。


「これ、危険度も保留も、結果の貼り札でしかないですね」


「うん」


「何が危険なのか」

「何で保留なのか」

「どこを止めれば次が止まるのか」


 言いながら、結晶板へ軽く指を触れる。


「それが見えない」


「見えない」


「見えないから、全部後手」


「そう」


 補助層の中を流れる処理音が、少し遠くに聞こえていた。

 この小さな区画だけ、別の種類の静けさがある。

 雑多な案件群の中から、誠二は少しずつ“同じように見えて全く違う壊れ方”を抜き始めていた。


「結果で積むから駄目なんですね」


 誠二が言う。


「“壊れた”“危ない”“止まってる”だけで棚に入れると、次に何を止めるべきか分からなくなる」


 リュシアは腕を組んだまま聞いている。

 誠二は、さらに別のログもいくつか引き出した。

 今度は“要観察”帯。

 見ていくと、監視対象の意味が全然違う。


 まだ壊れていないが属人依存が強すぎる案件。

 現場より上位命令の揺れが危ない案件。

 補給線だけが細っている案件。

 支援が遅れたまま、見守るしかなくなっている案件。


「これも同じです」


 誠二は言った。


「“見てる”でまとめてる。

 でも、見てる理由が違う。

 崩れ方が違うなら、止める場所も違う」


 そこでようやく、頭の中の線が少しまとまり始める。

 結果ではなく要因。

 壊れた後の見た目ではなく、壊れ方そのもの。


 誠二は、結晶板の一枚を空白に戻した。

 そこへ手を置く。

 線を引くみたいに、項目を一つずつ置き始める。


「現場暴走型」


 最初に置いたのはそれだった。


「現場判断だけが先に走って、止める人も戻す線もなくなって崩れる」

「勇者隊や騎士団、実働部隊が強い案件に多い」


 リュシアが頷く。


「うん」


「次に、上位命令不全型」


 誠二は続けた。


「王や宰相、神託機関、本部側が揺れて、現場の動線が死ぬ」

「二重命令、判断保留、責任線不明」


「属人集中型」


「一人に全部集まりすぎる」

「勇者、聖女、王族、象徴役。

 その人間が止まると、案件全体が止まる」


「補給崩壊型」


「現場の質ではなく、物資と伝達と輸送で壊れる」

「頑張っても届かないものがある」


 結晶板へ項目が増えるたび、頭の中の霧が少しずつ薄くなる。

 少なくとも、“全部困ってるもの”ではなくなる。


「評価制度暴走型」


 誠二はそこで少しだけ声を低くした。


「これ、かなり嫌です」

「失敗を上げた方が損する、報告した人間が切られる、成功だけが評価される。

 こういう制度だと、現場が死ぬまで上に何も来ない」


 リュシアがそこで少しだけ目を細めた。


「それ好き」


 ぽつりと落ちた一言に、誠二はわずかに口元を緩めた。


「嫌な分類ほど必要ですね」


「うん」


「見たくない壊れ方ほど、先に名前を付けないと止まらない」


 そのやり取りだけで、この回の方向が一気に定まる。


 誠二は続けた。


「手遅れ型」


 この言葉だけは、少し空気が重くなった。


「もう何をしても戻らない段階。

 それを救済棚に残すと、まだ間に合う案件の初動を食う」


「支援遅延型」


「助ける力はあるのに、判断が遅くて間に合わなくなる」

「再派遣待ちとか保留に混ざってると、特に見失う」


 最後に、少しだけ間を置いてから、誠二は言った。


「善意過積載型」


 リュシアの視線が少しだけ動いた。

 誠二は気づいていたが、そこには触れずに続ける。


「有能な人、真面目な人、優しい人に全部が乗る」

「その人がいる間だけ回る」

「でも、回るから余計に寄る」

「最終的に、その人ごと壊れる」


 言い終えてから、誠二は一度だけ息を吐いた。

 これは案件だけの分類ではない。

 補助層そのものにも刺さる分類だった。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 結晶板の上に八つの分類が並んでいる。

 まだ粗い。

 仮線だ。

 だが、少なくとも“困ってるもの”で一括りにしていた時より、どこを見ればいいかが見える。


「まだ増えると思います」


 誠二が言う。


「複合型もあるし、境界にいる案件もある」

「でも、最初の軸としてはこれでいい」


 リュシアは頷いた。


「うん」


「良さそうですか」


「良い」


「即答ですね」


「見えやすい」


 その言い方が、かなり嬉しかった。

 補助層は嫌な場所だ。

 積まれたものはどれも重い。

 それでも、初めて“壊れ方ごとの棚”が頭の中に立つと、扱える余地が少しだけ戻る。


 誠二はさらに、仮基準を書き足していく。


 主因と副因を分ける。

 手遅れ型は他と混ぜない。

 善意過積載型は属人集中型と重なっても別印を付ける。

 支援遅延型と補給崩壊型は似るが、遅延理由が内因か外因かで切る。

 評価制度暴走型は、現地だけでなく管理側にもかかる可能性あり。


「そこも入れる?」


 リュシアが訊く。


「入れます」


「補助層側も」


「むしろ必要です」


 誠二は結晶板の余白へ、小さく注記を入れた。


 内部処理要因あり


「世界だけ壊れてるわけじゃない」

「補助層の遅さや雑さで悪化した案件もある」

「そこを最初から見ないと、分類が嘘になります」


 リュシアは、そこで少しだけ長く沈黙した。

 そして低く言う。


「それも好き」


「嫌な分類ですね」


「かなり」


 誠二は苦笑した。

 褒められているのに、やっていることはどんどん嫌な方向へ深くなっていく。

 でもそれでいい。

 嫌なものほど先に名前を付けないと、全部が“後で困るもの”の山に戻るだけだ。


 昼に近い頃には、仮の再分類表が第一版としてまとまっていた。

 まだ試作品だ。

 だが、昨日まで第0補助層にあったのは、結果ラベルの山だった。

 今日はその横に、壊れ方ごとの地図が立っている。


 リュシアが数件を試しに割り振る。

 長期難航帯から三件。

 要観察帯から二件。

 保留帯から四件。

 今まで一緒に置かれていたものが、分けた瞬間に“同じ場所にいない方がいい理由”を持ち始める。


「これ、見え方変わりますね」


 誠二が言う。


「うん」


「同じように困ってたものが、違う棚に行く」

「そうすると、次に何を止めるかも少し見える」


 たとえば現場暴走型なら、現地へ“止める線”を先に入れるべきだ。

 上位命令不全型なら、現場より先に命令系統の一本化だ。

 属人集中型なら、役割分散。

 補給崩壊型なら、英雄でも聖女でもなく物流。

 評価制度暴走型なら、まず報告して損しない線。

 手遅れ型は切る勇気。

 支援遅延型は再派遣判断の時間。

 善意過積載型は、抱える人間を守る設計。


 全部が違う。

 だから一緒に積んではいけない。


 午後に入っても、今日はまだ本格運用には入らなかった。

 それも正しいと思えた。

 いま無理に棚を動かすより、まずは壊れ方の地図を補助層に置く方が先だ。

 雑な職場ほど、最初にいじるべきは“人”ではなく“見取り図”なのだろう。


 夕方に近づくと、誠二はようやく椅子代わりの簡易台から身体を離した。

 肩が少し重い。

 けれど昨日とは疲れ方が違う。

 量に圧されているのではなく、線を引き続けた疲れだ。


「どう」


 補助層を出る前に、リュシアが訊く。


 昨日と同じ問いだった。

 だが、今日の誠二はすぐに答えられた。


「まだ入口だけですけど」


「うん」


「少し、見取り図は描けました」


 リュシアが頷く。


「うん」


「かなり嫌な分類ばかりですけど」


「必要」


「ですね」


 誠二は、補助層の通路を歩きながら、もう一度背後を振り返った。

 雑に積まれた結晶板の山は、まだ何も減っていない。

 未整理棚も、保留棚も、打ち切り確認待ちもそのままだ。

 けれど今は、少なくとも“全部同じ困り方ではない”と分かっている。

 それだけでも昨日よりだいぶ違う。


 仮眠室へ戻った頃には、さすがに頭が少し熱かった。

 飲み物が用意される。

 リュシアはいつものように横へ座る。

 近い。

 でも今日は、身体の熱より頭の方がまだ働いている。


「どう」


 また同じ問い。

 今日の感想を聞かれる位置はもう決まっているのかもしれない。


「かなり嫌な場所です」


 誠二が言う。


「うん」


「でも、分類を立てたらだいぶ見え方が変わりました」


「うん」


「同じように見えてた失敗が、全然違う壊れ方だった」


「うん」


「まだ入口だけですけど、地図は描けそうです」


 そこまで言ってから、誠二は小さく息を吐いた。


「少し、楽になりました」


 リュシアはそれを聞いて、ほんの少しだけ目を細めた。


「それ好き」


「好きって言いながら、内容はかなり嫌ですよ」


「嫌な分類ほど好き」


「管理官ですね」


「うん」


 その返しに、二人とも小さく笑う。

 笑ったあとで、疲れが少しだけ落ちる。


 誠二はまだ話し足りなかった。

 主因・副因の分け方。

 善意過積載型の基準。

 支援遅延型と補給崩壊型の境界。

 頭の中ではまだ線が増えていく。

 それを見て、リュシアが肩へ手を置いた。


「まだ考えてる」


「はい」


「今日はそこまで」


「でも今日は、沈んでる感じじゃないですよ」


「知ってる」


「整理したいだけです」


「それも知ってる」


 短い返事のあと、リュシアはグラスを机へ置いた。

 それから、少しだけ近づく。


「今は切る」


「またですか」


「必要」


「昨日も同じこと言われました」


「昨日は沈んでた」


「今日は」


「回ってる」


 誠二は少しだけ笑った。

 たしかにそうだ。

 昨日は量に削られていた。

 今日は線を引く方へ回っている。

 それでも、寝る前に回し続けると止まらなくなる。


「分かりました」


「ほんとに?」


「努力します」


「努力じゃなくて切る」


「その言い方、かなり便利ですね」


「便利」


 そのやり取りのあと、仮眠室へ移る。

 ベッドへ入る。

 抱き寄せられる。

 胸元へ顔が落ちる。

 いつもの位置。

 それが今はもう自然だ。


 今日の誠二は、昨日ほど深く沈んではいない。

 けれど頭の中の線はまだ動いている。

 現場暴走型。

 上位命令不全型。

 属人集中型。

 補給崩壊型。

 評価制度暴走型。

 手遅れ型。

 支援遅延型。

 善意過積載型。

 分類名が、眠る前の頭の中で静かに並び続けていた。


「まだ考えてる」


 リュシアが言う。


「はい」


「今日は昨日より静か」


「そうですね」


「でも切る」


 後頭部へ添えられた手が、ゆっくり髪を撫でる。

 急かさない。

 だが、思考の速度だけを落としていくみたいな手つきだった。


「嫌な分類ばっかりですね」


 誠二が言う。


「うん」


「でも、名前を付けたら少しだけ見える」


「うん」


「壊れたって結果だけで積むと、止める場所が毎回ズレるんですね」


「そう」


「だから、壊れ方を分ける」


「うん」


 短い返事が、今日は妙に心地よかった。

 理解されている感じがある。

 仕事の線も、思考の癖も、今夜は否定されない。

 ただ、ここまでにしろと静かに区切られる。


「リュシア」


「ん」


「今日、少しだけちゃんと始まった感じがします」


 抱える腕に、ほんの少しだけ力が入る。


「うん」


「第0補助層がただの残骸置き場じゃなくて、壊れ方を見直す場所に少しだけ近づいたというか」


「うん」


「まだ全然足りないですけど」


「最初は足りなくていい」


「そうですか」


「地図が先」


 その言葉で、ようやく胸の中が少しだけ落ち着いた。

 そうだ。

 今日はまだ入口だ。

 それでも、地図があるのとないのではまるで違う。


 額に短いキスが落ちる。

 おやすみに近い、軽いやつだ。

 そのまま胸元へさらに深く埋められる。


「今は寝る」


 リュシアが言う。


「はい」


「分類は明日」


「はい」


 雑に積まれていた失敗は、まだ何一つ減っていない。

 それでも誠二が壊れ方ごとに線を引いた瞬間、第0補助層には初めて“次に何を止めるべきか”の地図が生まれた。


 その最初の線の手触りを抱えたまま、誠二の思考はゆっくりと眠りへ沈んでいった。

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