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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第5章 第七管理区画・第99世界

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第21話 余熱――終わった次の日のはじまり

 目を覚ました時、誠二は最初に、自分が少し深く眠っていたことに気づいた。


 ここ数日、眠れていないわけではなかった。だが、眠りの底まできちんと落ちる前に、会議の断片や各国の顔つきや、記録の数字が頭のどこかで浮いては沈んでいた。今日は違う。目が覚めるまで、ほとんど何も見ていない。沈んで、起きた。それだけだった。


 頬にやわらかい熱がある。

 鼻先をくすぐる呼吸がある。

 後頭部には軽い重み。

 胸元へ顔を預けたまま、いつものように抱えられている。


 もう驚く理由もないし、起きた瞬間に慌てて離れる必要もない。むしろ、この位置で目を覚ますこと自体が、ここしばらくの朝の形として自然に馴染み始めていた。


 誠二は、そのまま少しだけ目を閉じたまま息を整えた。

 体温が近い。

 静かだ。

 神界の仮眠室は相変わらず音が少なく、外の世界の気配をほとんど持ち込まない。だからこそ、抱えている腕の重みや、呼吸の温度みたいなものがやけにはっきり分かる。


「……起きてます」


 少しだけくぐもった声で言うと、頭の上で気配が動いた。


「うん」


 リュシアの低い声が落ちてくる。

 寝起きの少し掠れた響き。

 それだけで、妙に落ち着く。


「今日は、かなりよく眠れました」


 誠二が言うと、後頭部へ添えられていた手がゆっくりと髪を撫でた。


「終わったから」


「たぶん」


 少しの間、二人とも黙っていた。

 昨夜、短いけれど曖昧ではない言葉を交わした。

 それで今朝の何かが劇的に変わるわけではない。

 胸元へ顔を埋めて起きて、抱えられて、しばらくそのままでいる。

 やっていることはほとんど同じだ。

 それなのに、何かが少し違う。

 急に甘くなるわけでもない。

 ただ、曖昧だったものの輪郭が少しだけはっきりして、そのぶん余計な遠慮が一枚減った感じに近い。


 誠二が少しだけ顔を上げようとすると、後頭部の手が軽く押さえた。


「もっと下に居てもいい」


 朝から変わらない言い方だった。

 誠二は胸元へ額を預けたまま笑う。


「まだ言いますか」


「今日は業務ない」


「そうですけど」


「急いで起きなくていい」


 その一言に、誠二は少しだけ息を吐いた。

 仕事がない。

 当たり前のことなのに、ひどく久しぶりな気がする。

 昨日までの流れでは、起きた瞬間から今日の会議の空気が頭のどこかに居座っていた。今日は違う。仕事のために体を起こす必要がない。そう思うだけで、抱えられたまま少しだけのんびりしてしまうのも仕方ない気がした。


「リュシア」


「ん」


「こういう朝、けっこう好きかもしれません」


 正直にそう言うと、ほんの少しだけ腕の力が増した。


「知ってる」


「知ってたんですか」


「だいぶ前から」


 その返しも、もういちいち気恥ずかしくない。

 慣れたというより、受け取り方が変わったのだろう。

 この人が短く言うことの中身を、前より少し素直に取れるようになっている。


 しばらくして、ようやく二人とも起き上がった。

 ベッドの上には、やはり2つの枕が並んでいる。

 それはもう、いまさら説明の必要がない光景だ。

 仮眠室に泊まることも。

 業務外でもここにいることも。

 そして、今朝みたいに起きることも。


 シャワーを浴びる前、リュシアが確認室の方へ歩きながら言った。


「今日は計算する」


「計算ですか」


「報酬」


「ああ」


 仕事が終わった翌朝にそれをやるのは、いかにもリュシアらしい気もした。

 感傷より先に締めの処理。

 それでいて、事務的に片づけるだけではなく、ちゃんと誠二へ見せる。

 そういう距離感だ。


 熱いシャワーを浴びて戻ると、確認室の結晶板には数字が並んでいた。

 リュシアは椅子へ深く座り、机へ肘をついたまま、いかにもやる気があるようには見えない姿勢をしている。

 だが、表示内容はきれいだった。


「通常勤務時間、155時間」


 リュシアが読み上げる。


「現実報酬、244,900円」


 淡々としている。

 その数字の大きさと読み方の温度差が少し可笑しい。


「打ち上げ18時間分」


 続ける。


「28,440円」


「ちゃんと出るんですね」


「業務扱いだから」


 その返しも短い。

 さらに結晶板の表示が切り替わる。


「超勤加算、19時間分」


「7,505円」


 そこまで読み上げてから、リュシアがようやくこちらを見る。


「合計、280,845円」


 誠二はしばらく黙って、その数字を見ていた。

 頭の中で、金額の実感が少し遅れて入ってくる。


「……多すぎません?」


 思わずそう言うと、リュシアは小さく肩をすくめた。


「重かったから」


「かなり」


「かなり」


 その答えに、誠二は苦笑する。

 確かに重かった。

 重かったが、それにしても数字として並べられると妙な感じがする。

 世界が燃えかけるのを止める仕事に時給が付く。

 そして、ちゃんと打ち上げの1時間まで入っている。

 現実味があるようで、やはりどこかおかしい。


「寿命も戻る」


 リュシアが言った。


 その一言で、誠二の意識は金額から少しだけ別の方へ移る。


「勤務時間分だけ」


 リュシアが結晶板を示す。


「155時間分」


「打ち上げは入らないんですね」


「遊んでる分は戻らない」


「厳しい」


「そこまで甘くない」


 たしかにそうだろうと思う。

 寿命復元は、あくまで勤務時間に対する報酬だ。

 打ち上げまで業務扱いではあっても、寿命にまで換算されるわけではない。

 その線引きが妙に管理官らしかった。


「でも、155時間分戻るのは大きいですね」


 誠二が静かに言うと、リュシアは頷いた。


「削った分、少し返る」


 短い言い方だった。

 だが、それで十分だった。


 仕事をすると寿命が戻る。

 この案件に最初に呼ばれた時からそういう条件ではあった。

 けれど、数字として示されると、少しだけ違う手触りがある。

 金額より、そちらの方がじわりと効く。

 削られた分が少し返る。

 疲れ切った身体が急に若返るわけではない。

 だが、削られた時間がほんの少しでも返ってくるという感覚は、妙に現実的だった。


「思ったより、ちゃんと残りました」


 誠二が言うと、リュシアは結晶板を消しながら返した。


「うん」


「制度も」


「うん」


「報酬も」


「うん」


「寿命も」


「かなり」


 そこで二人とも少しだけ笑う。

 大笑いではない。

 でも、ようやくこういう軽い話を軽いまま話せる空気が戻ってきている。


 確認室の空気は、朝の光の代わりに、神界特有の柔らかい明るさで満ちていた。

 業務の締め処理が終わると、不思議なくらい手持ち無沙汰になる。

 昨日までなら次の会議や修正案が頭のどこかに浮いていた。

 今日はない。

 だから少しだけぼんやりする。


「何しますか」


 誠二が訊くと、リュシアはほとんど考えずに答えた。


「感想」


「雑ですね」


「でも要る」


 それはそうだと思った。

 数日間ずっと、世界の重たい断面ばかり見てきた。

 それを急に終わらせて、はいおしまい、と切り替えられるほど器用でもない。


 小瓶とグラスが出る。

 隣に座る。

 その流れも、今ではすっかり自然だ。


「結局、戦後は来なかったですね」


 誠二が言う。


 リュシアは一口飲んでから頷く。


「来ない」


「誰も許してないし、誰も認めてない」


「うん」


「でも、何も無いままじゃなくなった」


「そこ」


「記録が残るだけでも、だいぶ違うんですね」


「違う」


 短い会話を重ねながら、誠二は昨日まで見てきたものをゆっくりと頭の中で並べ直していた。


 勝者の論理。

 敗者の怨恨。

 帝国実務。

 役割拒否。

 薄い主権。

 核の誤読。

 その全部が解決したわけではない。

 それでも、燃えなかった1件があり、遅れた衝突があり、消えた口実がある。

 それだけで世界が救われるわけではない。

 だが、それだけでも置いた意味はある。


「裁けないなら、燃えない工程を置く」


 誠二がぽつりと言うと、リュシアが視線を向けた。


「そこ」


「結局、そこでした」


「うん」


「正しい終わりは作れませんでした」


「でも、燃えにくい続きは置いた」


 その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。

 そうだ。

 終わりではなく続き方。

 きれいな結末ではなく、延焼率の低い明日。

 この第99世界に置けたのは、その程度のものだ。

 だが、その程度のものだからこそ、本当に残ったのかもしれない。


「明日」


 リュシアが言う。


「はい」


「仕事じゃない方する」


 誠二は少しだけ目を瞬いた。


「デート、ですか」


「デート」


「もう確定なんですね」


「確定」


 そのやり取りが、妙におかしかった。

 世界の延焼率を下げる工程を置いた次の日の予定がデート。

 釣り合っているのかいないのか分からない。

 だが、すごく正しい気もする。

 こういう私的な明日があることで、ようやく仕事が本当に終わるのかもしれない。


「どこへ行くかは決めてるんですか」


「まだ」


「じゃあ本当にデートだけ確定してる」


「うん」


「強いですね」


「決まってる方が楽」


 たしかにそうだと思った。

 会議で全てを決めきれない世界の話をしてきたあとだからこそ、私的な予定くらいは短く確定している方が落ち着く。


 そのあともしばらく、二人はぽつぽつと話した。

 どこが一番嫌だったか。

 どこが少しだけ手応えになったか。

 リュシアは、アメリカの全部できるのにやらない感じが最後まで嫌だったと言った。

 誠二は、日本の海と陸の理屈が両方正しいまま噛み合わないのがやはり面倒だったと言った。

 そして二人とも、海で1件止まった時の感触が、思ったより深く残っていることを認めた。


 時間はゆっくり流れた。

 今日は会議の時刻も、提出の締切もない。

 それだけで、会話の息継ぎが変わる。


 夕方に近い柔らかい時間になってから、リュシアがふと思い出したように言った。


「今日は業務外だけど」


「はい」


「仮眠室、泊まっていい」


 誠二は、その言い方に少しだけ笑う。


「許可なんですね」


「確認」


「もう、たぶん断らないと思いますよ」


「知ってる」


「じゃあ確認いらないのでは」


「一応」


 その“一応”が、いかにもリュシアらしかった。

 当然みたいに抱き寄せることもできるのに、こういうところだけ少しだけ確認を残す。

 押しつけるだけではない、その半歩の余白が心地いい。


 夜になってから、いつものようにシャワーを浴びた。

 朝と夜のシャワーも、もう完全に生活の一部になっている。

 仕事の前に落とし、終わったあとに落とす。

 今日は業務外だけれど、それでも結局同じように熱い湯へ入るのが落ち着いた。


 戻ると、確認室ではなく、最初から仮眠室へ入る。

 業務外だからこそ、今夜はもう報告も整理もない。

 二つの枕が並んでいる。

 見慣れた光景。

 それなのに、今夜は少しだけ違う意味を持っている。


「恋人としての初日って感じ、します?」


 誠二が冗談めかして言うと、リュシアはベッドの縁へ腰を下ろしながら少しだけ考えた。


「しない」


「即答ですね」


「昨日までと、やること同じ」


 その通りだった。

 隣で飲む。

 近くに座る。

 キスをする。

 仮眠室に泊まる。

 胸元へ埋まって寝る。

 やっていることは、言葉にする前からかなり同じだった。

 変わったのは、意味だけだ。


「でも、それでいい気がします」


 誠二が言うと、リュシアは頷く。


「うん」


「急に変わる方が変です」


「変」


 そのやり取りのあと、自然に近づいて、長いキスをした。

 深くて静かで、急がない。

 もう確認でも、ためらいの埋め合わせでもなく、近い位置にいることそのものを味わうみたいな長さだった。


 離れたあと、リュシアが少しだけ目を細める。


「今さら」


「はい」


「でも、こういうのは増える」


「それは嬉しいです」


「知ってる」


 ベッドへ入る。

 抱き寄せられる。

 誠二も、今夜は自分から少しだけ深く埋まった。

 片手を出すと、リュシアがそこへ自分の手を重ねる。

 そのまま指が絡む。

 恋人つなぎだった。


 誠二は、そこで少しだけ息を止めた。

 抱きしめられて胸元へ埋まるのは、もうかなり自然だ。

 けれど、この手のつなぎ方には、今夜なりの少し明確な意味がある気がする。


「……これ、かなり効きますね」


 正直に言うと、リュシアは髪を撫でながら返した。


「そう」


「分かってますね」


「分かる」


「ずるいですね」


「好きならいい」


 短いのに、逃げ場のない言い方だった。

 誠二は胸元へ顔を埋めたまま笑う。

 顔が熱い。

 でも嫌ではない。

 むしろ、今日の終わりとしてはちょうどいい熱だった。


「今日もここ」


 リュシアが言う。


「はい」


「明日も」


 少しだけ間を置いてから、続ける。


「デートだから起こす」


「そこは起こすんですね」


「寝坊すると困る」


「現実的ですね」


「大事」


 その返しに、誠二はまた笑った。

 世界の延焼率を下げた次の日に、寝坊防止の話をしている。

 妙に普通で、その普通さがとてもありがたかった。


 しばらく、二人とも黙ったままだった。

 恋人つなぎの手。

 胸元の熱。

 後頭部を支える手の重み。

 どれも静かで、落ち着く。


「リュシア」


「ん」


「これからも、たぶん、こういう感じでいく気がします」


「うん」


「大きく何か変えるんじゃなくて」


「うん」


「少しずつ、地味に」


 抱える腕に、ほんの少しだけ力が入る。


「それでいい」


 その言葉が、今日いちばんしっくりきた。

 世界も、たぶんそうだ。

 全部を変えない。

 地味に、燃えにくくする。

 自分たちも、急に何かへ飛ぶのではなく、こういう朝や夜を少しずつ重ねていく。

 それで十分なのだろう。


 誠二は、つないだ手の熱を感じながら静かに目を閉じた。

 大きな達成感はない。

 けれど、少し力が抜けた安心はある。

 呼ばれなくていい形を置いたこと。

 明日デートがあること。

 今夜ここに泊まること。

 全部が静かに並んでいて、そのどれもがちゃんと現実だった。


 そのまま、誠二はゆっくり眠りへ落ちていった。

第99世界編、ここまで読んでくださってありがとうございました。


今回は、勝つ話でも、救う話でもなく、燃えにくくする話でした。

誰かを完全に裁くこともできず、正しい戦後を置くこともできない。

それでも、何も無いまま次を迎えるよりは、少しだけ燃えにくい工程を置く。

そんな地味で、でもたぶん必要な仕事を書きたかった章でした。


この世界は、強い国が強いまま残り、弱い側の感情も未処理のまま積み上がっています。

だから、きれいな講和や、分かりやすい和解には進みません。

その代わりに、


会議が残る

記録が残る

誤認が減る

核の即断が少ししにくくなる


その程度の変化だけが残る。

でも、その「その程度」が無いと、たぶん次はもっと早く燃える。

今回はそこを描きたかったです。


誠二も、世界を変えた英雄というより、呼ばれなくていい形を置いた人として離れました。

本人的にも、たぶんそちらの方が合っています。

真ん中に立ち続けたいのではなく、少し整えて、次に呼ばれなくなる方がいい。

そういう主人公として、この第99世界はかなり誠二らしい仕事になった気がします。


そして私的な側では、リュシアとの距離も少しずつ進みました。

大きな告白や劇的な転換というより、重い世界を一緒に見たあと、自然に近くなっていった形です。

この二人はたぶん、派手に恋を始めるより、同じ場所で少しずつ“当たり前”を増やしていく方が似合うのだと思います。


次は少し空気を変えて、閑話に入る予定です。

張りつめた会議と記録の話が続いたぶん、少し息を抜ける時間も書いていければと思っています。


ここまで付き合ってくださって、本当にありがとうございました。

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