エピローグ2 三つの結末
シルドラを出てしばらくして、ティアは魔術を解いた。それまで全く感じられなかった存在感が取り戻されると、ティアはフードをしっかりと下げ、道が見えるあたりの木にもたれかかった。
「さて、どうやってアクラルーシェに行こうか…」
頭に浮かんだルートは2つ。商都テオリーテから商船に紛れ込むことと、密航。密航は危ないと思いつつも、テオリーテのあまりの遠さにそちらを選びたくなる。
「あんた…」
「ぅわっ!!」
唐突にかけられた声に、ティアは体をびくりと跳ねさせた。見ると、そこに立っていたのは一人の男。あまり特徴のある顔ではないが、ティアは彼を覚えていた。
「あ、無事だったか。よかった」
それは、少し前にティアが救った男。水の魔物を避け町から離れていったはずだが、どうやら戻ってきたようだ。
「あ…あのな、その…」
相当の距離を空けた位置で、もごもごと口を動かす男。ティアはそこから動くことなく、男から僅かに視線を外していた。視線の端に見える男の手が震えている。『終焉属性』を恐れているのだろう。ティアはふと息を吐き出して、なるべく穏やかな声で言った。
「町なら、もう大丈夫だ。魔物は全部追い払った」
男は弾かれたようにティアを見つめる。
「あんたが、やった…のか?」
「半分以上セフィの…連れの手柄だ」
「…あのな、8番港に、観光船が泊まってるんだ」
口をもごもごさせていた男が、意を決したように切り出す。ティアは意味が分からず首を傾げるが、男はまくし立てる。
「うちの町とスウォルの町を往復してる、アクラルーシェの船だ。だから、つまり…あんたがアクラルーシェの船に乗って出てくなら、その…」
ティアはようやく男の意図を悟った。口元に柔らかな笑みを浮かべて、言う。
「ありがとう」
「っな…! か、勘違いするな! 俺はあんたを追っ払いたいだけだ!」
「それでも、見逃してくれるんだろ? 終焉属性のこと」
男は黙り込む。やがて、その口からぽそりと言葉が吐き出された。
「恩は、返す。それだけだ」
それだけを言い置いて、男は町に駆けていく。ティアは、銀の瞳に暖かな光を宿して、その背を見送った。
やがて、道に再び静寂が戻って。ティアは天を仰いで呟いた。
「オレ、やっぱり好きだよ、この世界が…」
どんなにつらい目にあっても、その中で出会えた小さな温もりがある限り…それはきっと変わらない。
だから…
「だから、ティーナ…お前の手は、取れない」
その声を聞くものは、いない。
「…そう、あなたはそのままで…わたしたちのきぼう」
「姫巫女様?」
「なんでもない」
振動の少ない、高級品とわかる馬車の中で、ロゼは呟いた。
「しかし、御身に大事なくて幸いでした。セフェウスがいた以上、当たり前やもしれませんが…」
「アルおにぃちゃん。ロゼはアルおにぃちゃんが、セフィおにぃちゃんとした『やくそく』をまもってくれるとしんじているよ」
アルと呼ばれた赤毛の剣士は、自分より二周り以上も年下のロゼの言葉に、苦虫を噛み潰したかのような表情で答える。
「…約したのは、『この町を出るまで』です」
「セフィおにぃちゃんたちは、かならずノーヴィアレナにやってくるよ。いまはまたないとだめ」
「それは、予言ですか?」
「よげんだよ。ロゼはそのために、ここにいたのだから」
馬車は静かに走る。ロゼはそっと窓から外を眺めた。穏やかな街道の向こうに、海が見える。
それは、とても平和な風景だった。
「あ、いたいた。ティアさーん!」
町から出て少し行った場所でティアを見つけ、セフィは足をそちらに向ける。ひらりと手を振って返したティアは、木から背を離してセフィに歩み寄った。
「よ。おかえり」
「ティアさん、何かいいことありましたか?」
ティアは、首を傾げつつも、ふふ、と笑った。
「ちょっと、な」
セフィは不思議そうにティアを見つめるものの、ティアは何も言わない。やがてセフィも諦めたのか、それとも何かを思い出したのか、懐を探って小さな袋を引っ張り出した。
「ティアさん、手を出していただけますか?」
「ん?」
差し出した手の上に、何かが転がり落ちてくる。ティアはそれを指先でつまんで、光にかざした。
「ピアス? これは…紫水晶か。魔術の気配がするが…」
「はい。先ほど知り合いに会ったんですが、丁度その人が霊属性だったので」
ティアはますます首を傾げる。セフィは呆れたような笑いをこぼした。
「ほら、言っていたじゃないですか。その目を隠すために、瞳を別の色に見せる術をかけてもらったんですよ」
「え!?」
「ほら、付けてみてください!」
「あ、あぁ…」
穴の開いていない右耳にピアスを当てて、一息で貫く。僅かに滲んだ血も、闇の魔力に癒されてすぐに消える。
「どう、だ…?」
恐る恐る聞いてみると、「完璧」との答え。ただしあくまでこの術は人の目を欺く術であるため、自分自身を鏡で見れば銀のままに見えるとのこと。若干不安ではあったが、セフィの言を信じてティアはフードを取った。
「あー、まぶし」
そういいながらも、遮るもののない視界が嬉しいのか、ティアは笑顔だ。
「さて、これなら何とかなるか」
「何とか?」
「ああ、8番港にアクラルーシェ行きの船があるんだってさ。それに乗ろうと思う」
言いながら歩き出す。町の中ではどうしてもまだ身を隠さなければならないだろうが、それまではこの明るさを堪能しよう。
そう決めて、ティアはゆっくり歩き出す。
見渡す海の向こうには、うっすら見える島影。
アクラルーシェ…そしてその先へ続く道へ。また二人で歩き出す。
それは、どこかに影を抱えてはいたけれど…とても楽しい道であった。




