2-11 覆い尽くす水の魔
「ごめんなさい、おにぃちゃんたち。おはなしきいてたの…ゆるしてくれる?」
幼い仕草で首を傾げるロゼに、セフィは歩み寄って微笑んだ。
「謝らなくてもいいですよ。怒ってませんし、ね」
するとロゼは、セフィの服を掴み、真剣な眼差しで、言う。
「あのね、ロゼね。今、おはなししなきゃいけないことがあるの。だから、ここにいるの。
…だいじな、おはなし」
ロゼが、セフィと男を見て。最後に…『目が合った』。確かにロゼは、ティアを見ている。気配消失・感覚霍乱を超えて。
それを理解した、その瞬間…ティアは身を翻して、その場から走り去った。
走る、ひたすらに走る。どうして走っているのか、それすら解らなくなるほどに無我夢中で走って。そうして…町を抜けた海沿いの道で、ティアはようやく足を止めた。
誰も、追ってきている様子はない。一つ息をついてティアは独白する。
「あーあ…一体何したいんだよ、オレは…」
考えに沈みこみそうになった、次の瞬間。
不意によぎったのは、猛烈な悪寒。そして、あの女…ティーナの魔力の気配。
咄嗟に振り向いた、その瞬間。
ずるり、ずるりと音を立て、それは姿を見せた。
のっぺりとした、手も足もない塊。潮の匂いを更に生臭くしたような異臭を放ち、たぷたぷと震えながら這いずるそれ…おそらく、水の魔物の一種は…
その半透明の体の中に、ひとりの男を取り込んでいた。
あまりのおぞましさに一瞬硬直していたティアは、しかし、中の人間の指が弱弱しく動いたのを見て、正気に返った。
(まだ生きてる。なら、助けないと!)
剣を抜き放つと同時に、剣に宿る銀光。呪文を唱える暇も惜しんで、ティアは『それ』を断ち切った。
終焉の力を直接当てたわけではない。しかし魔力で創られたそれは、剣に宿る力に自らを構成する魔力を乱され、形を失いただの海水に戻る。
水から解放された男はしかし、既に息は無く、その場に崩れ落ちる。小さく一つ舌打ちして、ティアは男の胸を思いっきり押した。
げほ、と大きく咽て、男は大量の水を吐き出す。呼吸が戻ったのを確認して、フードを被りなおすと、今度はちゃんと呪文を唱えた。
「闇は我が思いを導く…万障災禍を払う、安息の闇を満たせ」
それは、ティアが使える回復術の中で一番強力な術。男が再び咽こんで…
「気がついたか?」
ぼんやりとしていた男の目が、徐々に焦点を結んでいく。
「…ぅ……ぅあぁぁぁっ!? 終焉の化け物っ!!」
「は?」
何故知っている!? と疑問を込めて、ティアはフードをしっかり被っていることを確認する。しっかりと視線を遮っていることを確かめた後、まじまじと男の顔を見てみる。と、何となくどこかで見たような気がしてきた。
「…ああ。あの時、港にいた奴か」
納得して男を解放する。しかし、それはともかくとして、ティアは男に疑問をぶつけた。
「なぁ、何があった?」
男が完全に溺れ死んでなかったところから、あの中にそれほど長い間いたわけではないとわかる。ということは、この真夜中に近くまで出歩いてたってことである。何かがあったと、容易に想像がつく。
しかし、男は蒼ざめて震えるだけで、何も言わない。
(まあ、普通怯えるか。でも、何があったのか知らないと動くに動けないしなぁ…)
と、ティアは思いついたように手を叩いた。
「…そうか。こういう時は、むしろ脅すべきかな。今からお前を脅すから、何があったか教えてくれないか?」
全く脅しになっていない脅しだが、それでも男は泡を食ったように話し始める。
「み…水の魔物が、町に押し寄せてきたんだよっ!! もう、町はあいつらで一杯だ!!」
「水の魔物、って…マジかよ!?」
ティアが町を出たのはつい先ほどのこと。その時は、確かに何もいなかったというのに。
(もしかして……オレがいたから、ティーナは仕掛けてこなかった、のか? …いや、まさかな)
「おい、お前」
考え事をしている間にじりじり後ずさっていた男に、ティアは声をかけた。
「ヒッ!!」
「逃げるなら、海とか、水には近づくなよ。あと、もしあの水の魔物に捕まりそうになったら、属性はなんでもいいから、魔力を叩きつけるといいぞ。構成する魔力を乱せば、最悪しばらく動きは止まるからな」
ティアは男に簡単な対策を告げる。
「……」
と、男は何故か逃げるでもなく、呆気にとられたようにティアを見つめた。
「どうかしたか? ここも、それほど安全じゃないぞ」
「あんたが…やったんじゃ、ないのか?」
ティアは溜息をつく。どこまで終焉属性は誤解されているのか、わからなくなってきた。
「オレはこんなことできない。…まあ、信じる信じないは、お前の自由だがな」
それだけ言って、ティアは走り出す。さっきと同じ道を、今度は町に向かって。
セフィとロゼが何者かなんて、今はどうでもよかった。
ただ二人の無事を祈って、ティアは町へと急いだ。




