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破壊者は絆を断ち切らない  作者: 唐紅 那智
『闇色の巫女』
43/53

2-9 黒衣の誘惑者


 前回から引き続き、多少の流血描写があります。

 苦手な方はご注意ください。

 


 パシャ…と、小さな水音。足元を遊ぶ波にすらよろめきながらも、ティアは浜へと上がった。

 呼吸のたびにヒュウヒュウと音が鳴り、胸が鈍く痛む。水に濡れた服が重くて鬱陶しい。潮の香りと鉄錆に似た匂いが混じって、気持ち悪い。

 妙に薄暗い視界の中、よろめき倒れそうになるのを辛うじて耐えて、ティアは体を引きずるように歩く。せめて、見つかりやすい砂浜でなく、人目につかない場所へ行きたかった。

 ぼんやりとした視界の中、映るのは暗緑色の塊。何度か目を瞬かせ、かろうじてそれが何かを判断する。

 そこにあったのは、小さな森。今にも倒れそうにずるずると足を擦りながら、ティアは森へと向かっていった。


 森の入り口、かろうじて体は隠せる程度の場所で、木の一本に体をもたせ掛けて、ティアはそのままずるずると崩れ落ちる。

「はは…情けねぇの……」

 意識を繋ぎとめるために漏らした一言は、みっともないほどに掠れていた。同時に口の中に血の味が広がる。

 危ない状態だと判断して、ティアは魔術を準備する。闇属性治癒魔術。それでこの傷が治るかどうかは不安ではあった。闇属性の治癒能力は高いとはいえ、ここまでの重傷の治癒を自分自身に施したことはない。

(外傷は、このナイフだけだけど…内蔵が結構、やられてるな…)

 そうして覚悟を決めて、脇腹に刺さったままのナイフを抜こうとすると…


「無茶をなさいますこと」

 声が、聞こえた。


 ゆっくりと視線を向けると、そこには黒いドレスの女の姿。昨日の夜港で会った、あの女だ。

 相変わらずベールをつけている。瞳の色はわからないが…髪の色も、何色なのか判別に困った。白のような、銀のような…しかし、所々、光の反射でか赤や青や、他の色にも見える、不思議な色。

 彼女の声は、どこか怒ったような、悲しそうなものだった。

「このようなお怪我までされて、その上海に飛び込むだなんて。貴女は死ぬ気なのでございますか?」

「うるせぇよ…。こいつ…オレの腹の中にいる『何か』、仕込んだのはお前…だろ」

 それは問いかけですらない。ティアは、確信を持って彼女に言う。彼女は、悪びれもせずに首を縦に振った。

「ええ。でも、貴女があの時港に近づかなければ、それが発動することはありませんでしたのよ? わたくしは、『邪魔しないで下さい』と言ったはずですわ。…ああ、動かないで下さいませ。今、治して差し上げます」

「信じ…られるか……。お前の手は、借りない…」

 そっと伸ばされる手を払って、ティアは彼女を睨みつける。

「もう、何も致しませんわ…我が神の名に誓って」

「口だけなら、何とでも…言える、だろう…。神に誓って、なんて、信じるほうが馬鹿、だ…」

 途切れ途切れに言いながらも、体は一刻も早い治療を求めている。身をよじった拍子に体に走る鈍い痛みに、ティアは小さく呻いた。

 しかし、ティアの拒絶を無視して彼女は手を伸ばしてきた。ティアは再び振り払おうとするが、今度は、簡単に押さえ込まれてしまう。

「離、せ…」

「少し、お静かに」

 女の冷たい手がふわりと温もりを帯び、ティアに触れる。そのまま一息に腹のナイフを引き抜くと、痛みを感じる前に、温もりに包まれた。そして、何かが消えるような感覚。知らず、ティアは深い息をつく。

「これで…外も中も、完璧に治っているはずですわ。貴女に仕込んだものも、消しました」

 礼を言うべきか、とも思ったが、結局は全部彼女が悪いのだと思い、ティアは彼女を睨みつける。フードは外れていたが、それはもう今更のことだ。

 恐らくとっくに、終焉属性だと気付かれているだろう。多分…昨日、港で会ったときから。

 すぐに飛び起きようとも思ったのだが、それより先に、彼女がそっと手を伸ばしてきた。

「綺麗ですわね、あなたの瞳。純粋な銀色…時の果ての色ですわ」

 彼女がぽつりと呟いた。ティアの顔を両手で包み、うっとりとした微笑を浮かべている。何故か今度は振り払えずに、ティアは視線だけを地に落とす。

「ずっと、探しておりましたのよ。わたくしの対にして同胞、たったひとりのお友達を」

「意味、わかんねぇ…」

 苦々しく呟くと、彼女はクスリと笑った。

「だって、貴女はまだ目覚めておりませんもの。

 この生き辛い世の中で、ずっとあなたは耐えていらっしゃったのでしょう? 例えば、あの町。そこに住む人々。『貴女』という本質は何も変わっていないのに、瞳を曝しただけで貴女を迫害して。悲しくは、ありませんの? 悔しくは、ありませんの? …憎くは、ありませんの?」

 女の言葉は、妙に心地よく響く。しかし、ティアは首を横に振る。

「あらあら、お優しいのね。でも…彼らは、裁かれるに値する罪を犯しましたわ。貴女には、彼らを罰する権利がありますのよ?」

 彼女は、優しく微笑む。恐ろしく甘い声。思考を痺れさせるような彼女の言葉に、ティアはそれでも首を横に振った。

 そして、地に落としていた視線を上げる。ベール越しに、彼女のものと絡まる視線。

「罪だとか、罰だとか…そんなの、知らねぇよ。でも…オレは、誰かを傷つけるだけのものには、なりたくない」

 今度こそ、女の手を振り払って、ティアは呟く。

「対だとか同胞だとか、目覚めたとか目覚めてないとか、オレには意味わかんねぇ。お前が、オレに何を求めてるのか、オレには全然わかんねぇよ。オレとお前が友達って、まだ会ったばかりなのに、って。本当に…わかんないことだらけだ」

 何となく、ティアの直感が告げている。『この女の言葉に、乗せられてはダメだ』と。

「だけど…これだけは解る。あの『魔物』を操ってるのは、お前。そして、オレに何か仕込んだのもお前だ。そんな奴の言葉を、オレは聞かない」

 彼女の目を見て、ティアは宣言した。


「あらあら。わたくし、すっかり信用をなくしてしまいましたのね」

 困ったように首を傾げる女。

「…あれで信用しろって方が、無茶だ」

 呟いた言葉に、彼女はころころと上品に笑った。

「いいですわ。わかりました。今回は退きます。…けれど、忘れないで下さいませ。わたくしは、いつでも貴女を受け入れます。

 では、ごきげんよう、わたくしのお友達」

 それに、ティアは眉を顰めた。

「変な風に呼ぶな」

「だって、わたくし、貴女の名前を知りませんわ?」

 ティアは深々と溜息をついて、名乗る。

「アストランティア、だ。せめて名前で呼べ。『お友達』はやめろ」

 何故名乗ったのかは、ティア自身にもよくわからない。しかし、不思議と彼女は憎めない雰囲気があった。そのせいであろうか。

「アストランティア様…」

 教えたばかりの名を呟いて、彼女は何とも嬉しそうに笑った。

「アストランティア…『星の花』、ですね。素敵な名前」

「オレの名前って、そんな意味だったのか…?」

 ティアが思わず呟くと、女は頷いて優雅に一礼した。

「それでは、改めまして。ごきげんよう、アストランティア様。またお会いできる日を、楽しみにしておりますわ」

 そして、女の足元から立ち上る、何ともいえない色の光。

「あ、おい、ちょっと!!」

 そもそも、重要なこと何も聞いていない、と、ティアは慌てて彼女を呼び止める。

「ああ、申し遅れました。わたくし、名をリュスティナと申します。親しみを込めて、ティーナと呼んで下さいね」

 瞬間、彼女の姿は消える。

(……言い逃げか? 言い逃げなのか!?)

 一瞬町から逃げてきたことも忘れて、見つからないようになんて配慮の欠片もなしに、やり場のない思いを叫んだ。


「そんなこと、聞いてねぇんだよぉっ!!!!」



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