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幸と恵の物語  作者: リンダ


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9/22

勝男の夢

『幸と恵のものがたり』


第9話 勝男の夢


昭和十一年、冬の入り口。


長崎の朝は、日に日に冷え込みを増していた。


港から吹き込む風は冷たく、路面電車を待つ人々は、手をこすり合わせながら電停に立っていた。


それでも長崎機関区の中だけは、季節が違っていた。


蒸気機関車の火室から漏れる熱。


燃え続ける石炭。


立ち上る白い蒸気。


鉄と油の匂い。


冬の冷たい空気と、機関車の熱気がぶつかり合い、作業場には薄い霞のようなものが漂っていた。


平戸勝男は、その日、いつもより早く機関区へ入っていた。


作業着へ着替え、帽子をかぶる。


工具の状態を確かめる。


手袋をはめ直す。


緊張のためか、普段なら一度で済む動作を何度も繰り返していた。


指導員の原田正勝が、少し離れた場所からその様子を見ていた。


「平戸」


「はい!」


勝男の返事が、必要以上に大きく響いた。


原田は眉を上げる。


「朝から元気だけはよかようだな」


「すみません」


「謝るな。声が出らんよりはよか」


原田は作業台の上に置かれた一本の工具を手に取った。


長い柄。


先端には、ボルトやナットへ合わせるための部分が取り付けられている。


勝男がこれまで使ってきた普通のレンチとは、少し形が違った。


「今日は、これを使ってもらう」


勝男は工具を見つめた。


「トルクレンチ……ですか」


「ああ」


原田は勝男へ差し出した。


受け取った瞬間、勝男は思ったよりも重いと感じた。


ただナットを回すための道具ではない。


どれだけの力で締め付けたかを確かめるための工具。


締め付けが弱ければ、走行中に緩むかもしれない。


反対に、力を加えすぎれば、ボルトや部品そのものを傷めることがある。


「強く締めれば締めるほど安全、ではない」


原田が言った。


「はい」


「弱すぎれば緩む。強すぎれば、ねじ山が傷む。部品へ余計な力がかかる」


原田は機関車の足回りへ視線を向けた。


「決められた力で締める。それが仕事だ」


勝男はトルクレンチの柄を握り直した。


「できます」


原田の目が細くなる。


「まだ何もしとらんうちから、簡単にできますと言うな」


勝男は言葉に詰まった。


「すみません」


「だから謝るな」


原田は短く息を吐いた。


「できるかどうかは、作業が終わってから決まる」


そして、勝男の肩を軽くたたいた。


「緊張するのは悪いことやなか」


原田の声が少し柔らかくなる。


「だが、緊張して手順を忘れたら意味がない。習ったことを、一つずつやれ」


「はい」


「まずは部品の確認からだ」


一 大村加工場から届いた部品


作業台の上には、数本のボルトとナットが並べられていた。


紙の札には、寸法と使用箇所が記されている。


原田はその一本を持ち上げた。


「昨日、納入されたものだ」


勝男は表面を確かめる。


きれいに加工されたねじ山。


目立った傷はない。


寸法を確認した印もつけられている。


「大村加工所からですか」


勝男が尋ねる。


原田が顔を上げた。


「知っとるのか」


「この前、聞きました」


「誰に」


「大村さんの……娘さんに」


最後だけ、少し声が小さくなった。


原田は勝男の表情を見た。


「娘さんねえ」


「何ですか」


「何も言うとらん」


原田はそれ以上からかわなかった。


部品の札を勝男へ渡す。


「納入される前にも検品されとる。機関区でも受け入れの確認をしとる」


「はい」


「だが、取り付ける者も、もう一度見る」


「何度も確かめるんですね」


「誰かが見たから、自分は見らんでよか。そう思った瞬間に、安全は崩れる」


勝男はうなずいた。


ボルトを手に取る。


表面を見る。


指先でねじ山をなぞる。


寸法を札と照らし合わせる。


そのとき、幸の姿が頭に浮かんだ。


父の加工場で、部品を測ったと話していた。


何度も寸法を確かめたこと。


妹の恵と一緒に帳面へ記録したこと。


一度間違え、最初から全部測り直したこと。


――この部品も、幸さんが検品したのかもしれない。


もちろん、勝男には分からなかった。


勝一が自分で確かめたのかもしれない。


別の職人が担当したのかもしれない。


幸が触れた部品ではないかもしれない。


それでも、そう考えると、手の中のボルトが急に身近なものに感じられた。


どこから来たのか分からない鉄の部品ではない。


誰かが削り。


誰かが測り。


誰かが傷の有無を確かめ。


機関区へ送り出したもの。


その誰かの中に、幸がいたかもしれない。


「平戸」


原田の声が飛ぶ。


「はい!」


「部品を見ながら、別のことを考えるな」


勝男ははっとした。


「すみません」


「人の命ば預かる作業の最中だ」


原田は厳しい目で勝男を見る。


「大切な人のことを思うのは勝手だ。だが、仕事中は、その人を守るためにも作業へ集中しろ」


勝男は驚いた。


心の中を見透かされたようだった。


「分かりました」


今度は、ボルトだけを見る。


表面。


ねじ山。


寸法。


取り付ける場所。


一つずつ、頭の中で確認する。


「異常ありません」


勝男が言った。


原田はうなずいた。


「なら、始めろ」


二 初めての締め付け


勝男は機関車の足元へしゃがみ込んだ。


取り付けるのは、動輪周辺の機構を支える部品の一つだった。


巨大な車輪。


鋼鉄の棒。


複雑に組み合わされた金属部品。


機関車が走れば、激しい力が繰り返しかかる場所である。


まず、ボルトを手で入れる。


いきなり工具を使ってはいけない。


斜めに入っていないか。


ねじ山が正しくかみ合っているか。


指先で感触を確かめながら、ゆっくり回していく。


「急ぐな」


原田が後ろから言う。


「はい」


「引っかかったら止めろ。無理に回すな」


勝男は慎重にボルトを進めた。


抵抗はない。


正しく入っている。


次に通常の工具で仮締めする。


部品がずれないよう、位置を確かめる。


原田が指示した締め付け値を、トルクレンチへ設定する。


勝男の手には汗がにじんでいた。


火室の熱ではない。


緊張による汗だった。


「柄の端を持て」


原田が言う。


「途中を握れば、正しく力をかけられん」


勝男は持つ場所を直した。


「ゆっくりだ。勢いをつけるな」


トルクレンチをナットへ合わせる。


息を吐く。


ゆっくりと力を加える。


ナットが少しずつ回っていく。


腕へ抵抗が伝わる。


もう少し。


さらに少し。


カチッ。


工具から、小さな手応えが伝わった。


勝男は反射的に、さらに力をかけそうになった。


「止めろ」


原田の声。


勝男の手が止まる。


「今の合図が出たら、それ以上締めるな」


「はい」


勝男は工具を離した。


自分の呼吸が荒くなっていることに気づく。


ただ一本のナットを締めただけ。


それなのに、長い距離を走ったように疲れていた。


原田が取り付けた箇所を確認する。


目で見る。


工具を当てる。


部品の位置を確かめる。


しばらく沈黙が続いた。


勝男は判定を待った。


「よし」


原田が言った。


その一言で、勝男の肩から力が抜けた。


「できた……」


思わず小さく口にする。


原田はすぐに返した。


「まだ一本だ」


勝男は姿勢を正した。


「はい」


「汽車には、同じように確かめる場所がいくつもある」


「はい」


「一本できたからといって、次を軽く考えるな」


「分かりました」


勝男は次のボルトを手に取った。


一本目と同じように確認する。


しかし、同じ作業だからと油断してはいけない。


部品の状態は一本ずつ違う。


取り付ける場所も違う。


角度も、姿勢も変わる。


二本目。


三本目。


勝男は、何度も手順を頭の中で唱えた。


見る。


触る。


合わせる。


仮締め。


設定確認。


ゆっくり力を加える。


合図が出たら止める。


それを繰り返すうち、最初の強い緊張は少しずつ集中へ変わっていった。


幸の顔は、もう作業中には浮かばなかった。


だが、心の奥には残っていた。


この部品を確かめた人の仕事を無駄にしない。


この汽車へ乗る人を、無事に送り届ける。


その思いが、勝男の手を支えていた。


三 造船所の火花


同じ日の午後。


長崎の造船所では、篠田龍弥が溶接作業の指導を受けていた。


広い作業場には、金属を打つ音が響いている。


巨大な船体。


組み上げられていく鉄板。


高い足場。


クレーンで運ばれる部材。


数多くの職人たちが、それぞれの持ち場で働いていた。


龍弥の前には、二枚の鉄板が置かれていた。


今日は練習用の材料で、実際の船体に使うものではない。


それでも指導員の表情は厳しかった。


「練習だから失敗してもよか、とは思うな」


造船所の指導員が言う。


「はい」


龍弥は厚い手袋をはめ、保護面を確認した。


「今、雑な癖をつければ、本番でも同じ動きをする」


「はい」


溶接は、ただ鉄を熱でつなげるだけではない。


接合する部分の汚れを落とす。


鉄板の位置を合わせる。


すき間を確認する。


熱をかける速さ。


角度。


移動する手の動き。


少しでも乱れれば、見た目はつながっていても、内部に弱い部分が残ることがある。


その弱さは、完成した直後には分からないかもしれない。


海へ出たあと。


波を受け。


船体が繰り返し揺さぶられ。


長い年月が経ったとき、ひびとなって現れるかもしれない。


「船は海へ出る」


指導員が言った。


「陸の上なら、異常があれば止まって直せることもある。だが、海の真ん中で船体に問題が起きたらどうなる」


「大勢の人が危険になります」


「そうだ」


指導員は、遠くに見える建造中の船体を指した。


「乗組員だけやなか。荷物も運ぶ。人の生活も、国の仕事も背負って走る」


龍弥は鉄板を見た。


勝男が汽車へ乗る人の命を考えるように。


龍弥も、船へ乗る人々の姿を思い浮かべた。


「一度つないだら終わりではない」


指導員が続ける。


「自分の作ったところを、最後まで疑え」


「疑うんですか」


「自分は完璧だと思う職人ほど危ない」


龍弥はその言葉を胸へ刻んだ。


「自信は持て。だが、確認は怠るな」


「はい」


「始めろ」


龍弥は保護面を下ろした。


視界が狭くなる。


手にした器具を鉄板の接合部分へ近づける。


緊張で、指先がわずかに震えた。


火花が散る。


青白い光。


熱。


金属が溶ける独特の匂い。


龍弥は手の動きを一定に保とうとした。


速すぎれば、十分につながらない。


遅すぎれば、熱が加わりすぎる。


角度が変われば、溶け方も変わる。


まっすぐ。


焦らず。


一定に。


そのとき、恵の言葉が頭に浮かんだ。


――二人で助けよるとです。


坂道で荷物を支えたときの声。


姉と見分けてくれたことを、うれしそうに受け止めた表情。


造船所で見落としをしないよう、毎日ものをよく見ると話したとき、真剣に聞いてくれた。


龍弥は一瞬、気持ちがそちらへ引かれそうになる。


だが、すぐに鉄板へ意識を戻した。


今は作業の時間だ。


恵に胸を張って会いたいなら、まず目の前の仕事へ向き合わなければならない。


火花が途切れる。


龍弥は器具を離した。


指導員が接合部分を確認する。


表面を見て、道具を使い、つながり方を確かめる。


「途中で少し手が遅くなったな」


「はい」


龍弥は正直に答えた。


「自分でも分かりました」


「理由は」


「緊張しました」


「それだけか」


龍弥は少し迷った。


「別のことを考えそうになりました」


「仕事中にか」


「はい」


指導員は龍弥を見た。


「気づいて戻れたなら、次は最初から入れるな」


「はい」


「人を思う気持ちは悪くない。だが、その人を守りたいなら、作業を雑にするな」


勝男が原田から言われたのと、よく似た言葉だった。


龍弥は深くうなずいた。


「もう一度やらせてください」


「最初からだ」


「はい」


龍弥は新しい鉄板の前へ立った。


今度は恵の顔を追い払うのではなく、心の奥へ静かに置いた。


そして、目の前の接合部分だけを見る。


四 幸と恵の検品


その頃、大村家の加工場では、幸と恵が父・勝一の仕事を手伝っていた。


長崎機関区へ納める部品は、すでに前日に送り出されている。


今日は新しく加工されたボルトの寸法確認だった。


幸が測る。


恵が記録する。


前回と同じ役割である。


「次、長さ」


恵が言う。


幸は測定器具を当てた。


「これで……」


目盛りを読む。


「七寸と――」


「姉ちゃん、斜めになっとるよ」


幸が器具を見る。


「あ、本当や」


「そのまま読んだら間違うやろ」


「まだ読んどらんけん、大丈夫」


「危うく読もうとしよったやろ」


幸は器具を正しく当て直した。


「恵は厳しかねえ」


「お父さんの部品が汽車に使われるんやろ」


「分かっとるよ」


幸は今度こそ、正しい数字を読み上げた。


恵が帳面へ記録する。


勝一は別の作業をしながら、二人の様子を見ていた。


「前よりは手つきがよくなったな」


幸の顔が明るくなる。


「本当?」


「ああ。ただし、慣れた頃が一番危ない」


幸の表情が引き締まる。


「慣れると油断するけん?」


「そうだ」


勝一は加工機を止めた。


「最初は誰でも怖い。慎重になる。だが、何度も同じことをすると、自分はもう大丈夫だと思い始める」


恵が帳面から顔を上げる。


「そのときに間違えると?」


「間違いやすくなる」


勝一は二人の前へ来た。


「怖がりすぎて手が動かんのも困る。だが、怖さを全部なくしてもいかん」


幸は、勝男の仕事を思い浮かべた。


今日、機関区では何をしているのだろう。


原田から何を教わっているのだろう。


もしかすると、昨日送り出した部品を使っているかもしれない。


「お父さん」


「何だ」


「昨日の部品、誰が取り付けるとかな」


「機関区の担当者だろう」


「平戸さんもするかもしれん?」


勝一の手が止まる。


恵が姉を見る。


幸は、自分が口に出してから恥ずかしくなった。


「いや、何となく思っただけたい」


勝一は少し考えた。


「見習いなら、指導を受けながら作業へ入ることもあるだろう」


「そっか」


幸は、手元のボルトを見た。


自分が測った部品を、勝男が取り付ける。


そんなことが本当にあるかもしれない。


自分の確認と、勝男の確認が、一本の汽車の中でつながる。


そう思うと、胸が高鳴った。


だが同時に、怖くもなった。


自分が間違えたら。


勝男が困る。


汽車へ乗る人たちが危険になる。


幸は測定器具を握り直した。


「もう一回、最初から確認してもよか?」


恵が尋ねる。


「どうして?」


「間違っとらんと思うけど、もう一度見たい」


恵は少し笑った。


「うちもそう思っとった」


双子は、確認済みの部品をもう一度並べ直した。


勝一は何も言わず、二人のために作業台の明かりを少し近づけた。


五 初めての仕事を終えて


夕方。


長崎機関区では、その日の作業が終わろうとしていた。


勝男は、取り付けを終えた部品の前に立っていた。


原田が最終確認をしている。


やがて立ち上がり、勝男へ言った。


「今日取り付けたところは、明日もう一度確認する」


「今日、正しく締めたのにですか」


「一度で終わりと思うな」


原田は工具を片づけながら答える。


「部品がなじんだあと、状態が変わることもある」


「はい」


「走行前にも見る。走ったあとにも見る。異音があればまた見る」


勝男はうなずいた。


「汽車が無事に着くまでが仕事」


以前、原田から言われた言葉を口にする。


原田は小さく笑った。


「覚えとったか」


「はい」


「なら、忘れるな」


勝男はトルクレンチを丁寧に拭き、決められた場所へ戻した。


初めて使った工具。


初めて自分の手で締め付けた部品。


緊張で何度も手が止まりそうになった。


だが、最後まで終えることができた。


「原田さん」


「何だ」


「今日の部品、大村加工所から来たものですよね」


「ああ」


「よか部品でした」


原田は勝男を見る。


「それを作った人に言え」


「いつか言います」


「娘さんにか」


勝男の顔が赤くなる。


「作ったのは、お父さんです」


「そうか」


原田はそれ以上何も言わず、口元だけ少し緩めた。


勝男は機関車を見上げた。


大村家で作られ。


幸や恵が確認したかもしれない部品。


それを、自分が原田の指導を受けながら取り付けた。


一台の機関車の中で、互いの家の仕事が重なった。


それは偶然にすぎない。


だが勝男には、幸との距離が少し近づいたように感じられた。


「幸さん」


小さく名前を口にする。


今度会えたら、今日のことを話そう。


初めてトルクレンチを使ったこと。


緊張したこと。


大村加工所の部品が、きちんと機関車へ取り付けられたこと。


そして、よい部品だったと伝えよう。


六 龍弥の溶接


造船所でも、一日の作業が終わろうとしていた。


龍弥は、二度目に溶接した鉄板を前に立っていた。


指導員が確認を終える。


「一度目よりよか」


「ありがとうございます」


「だが、まだ手の動きにむらがある」


「はい」


「毎日繰り返せ。火花に慣れろ。熱に慣れろ。ただし、危険には慣れるな」


龍弥は深く頭を下げた。


「はい」


保護具を外すと、冷たい空気が顔に触れた。


緊張で汗をかいていたことに気づく。


作業場の外へ出ると、港の向こうへ夕日が沈みかけていた。


鉄骨の間から見える赤い光。


建造中の船体が、巨大な影となって浮かんでいる。


龍弥は自分の手を見た。


まだ一人前の職人の手ではない。


溶接の線も安定していない。


練習用の鉄板をつなぐだけで精いっぱいだった。


それでも、今日初めて一つの技術へ踏み出した。


「恵さんに会ったら、話せるかな」


龍弥は小さくつぶやく。


だが、格好よく話せる自信はなかった。


手が震えたこと。


途中で別のことを考えたこと。


やり直しを命じられたこと。


それでも恵なら、笑わずに聞いてくれる気がした。


――失敗したあとに、ちゃんとやり直すのは難しかと思います。


それは幸が勝男へかけた言葉だったが、恵も同じように言うだろうと龍弥は思った。


二組の若者は、まだ互いのことを多く知らない。


だが、少しずつ相手の言葉を想像できるようになっていた。


七 四人が思い描いた未来


その夜。


大村家では、幸と恵が父の加工場から戻り、夕食を囲んでいた。


幸は何度も食卓の端へ視線を向けていた。


「姉ちゃん、さっきから何ば考えよると?」


恵が尋ねる。


「昨日の部品、平戸さんが取り付けたかもしれんって」


勝一が味噌汁をすすりながら言う。


「そこまで気になるなら、本人に聞けばよか」


幸が父を見る。


「聞いてよかと?」


「仕事の邪魔にならんときならな」


節子が笑った。


「幸は、本当に平戸さんのことになると分かりやすかね」


「お母さんまで」


恵が横から言う。


「うちは今日、二回も最初から検品をやり直したとよ」


「平戸さんに迷惑ばかけたくなかったけん?」


「それもあるけど、汽車に乗る人のためたい」


幸は少し考え、付け加えた。


「でも、平戸さんが使うかもしれんと思ったら、いつもより緊張した」


恵は姉の正直な言葉に、少し笑った。


「うちも篠田さんが作った船なら、安心して乗りたいと思う」


今度は幸が妹を見る。


「龍弥さんのこと、もうそがんふうに思っとると?」


「姉ちゃんにだけは言われたくなか」


二人は顔を見合わせた。


勝一と節子は、双子の娘たちが少しずつ大人へ近づいていることを感じていた。


同じ頃。


平戸家では、勝男が両親に初めてトルクレンチを使ったことを話していた。


和徳は黙って聞いたあと、言った。


「畑でも、支柱を強く縛りすぎれば茎が傷む」


勝男が苦笑する。


「また畑にたとえると?」


「分かりやすいやろ」


真子は勝男の器へ煮物を入れた。


「無事にできてよかったね」


「まだ明日、もう一回確認する」


「なら、終わった顔をしたらいかんね」


「母さんまで原田さんみたいなこと言わんでよ」


平戸家にも笑い声が広がった。


篠田龍弥の家では、龍弥が夕食のあとも手を動かしていた。


木片の上で、溶接するときの手の動きを何度も確かめる。


一定の速さ。


一定の角度。


父親がその様子を見て尋ねた。


「今日、初めてやったのか」


「うん」


「怖かったか」


「怖かった」


龍弥は正直に答えた。


「でも、またやりたい」


技術を身につけたい。


いつか、自分がつないだ鉄板で一隻の船を支えたい。


そして、恵に胸を張って、自分は船を作る職人だと言いたい。


四人の若者は、それぞれの場所で未来を思い描いていた。


幸は、人を安心させられる女性になりたい。


恵は、家族を支え、誰かの苦しさに気づける人になりたい。


勝男は、汽車を安全に走らせる機関士になりたい。


龍弥は、海を渡る船を作る職人になりたい。


誰も、特別な英雄になろうとは思っていなかった。


ただ、自分の仕事を覚え。


大切な人と暮らし。


家族の待つ家へ帰り。


穏やかな日々を積み重ねていきたかった。


そのささやかな夢を、誰もが当たり前に持っていた。


戦争の影が、まだ町の遠くにあると思われていた頃。


若者たちは、自分たちの手で未来を作れると信じていた。



次回予告


初めてトルクレンチを使い、機関車の部品を締め付けた勝男。


初めて溶接の火花と向き合った龍弥。


二人は、それぞれの仕事の第一歩を幸と恵へ伝えようとする。


休日。


幸と恵は、長崎駅近くで勝男と待ち合わせることになる。


そこへ偶然、龍弥も現れる。


初めて顔を合わせる、双子の姉妹と二人の青年。


幸と恵は互いの緊張をからかい、勝男と龍弥も仕事の話で少しずつ打ち解けていく。


しかし、大村家へ戻った四人を待っていたのは、父・勝一の厳しいまなざしだった。


次回、第10話。


「双子だけの秘密」


恋はまだ、家族には秘密。


けれど、隠そうとするほど顔に出る。


四人のぎこちない休日が始まる。

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