双子だけの秘密
『幸と恵のものがたり』
第10話 双子だけの秘密
昭和十一年、冬。
長崎の港に吹く風は、朝から冷たかった。
海面には細かな波が立ち、沖へ向かう漁船が白い航跡を引いていた。
岸近くには、ワカメ養殖のための縄や浮きが並び、漁師たちは夜明け前から船を出していた。
その一隻に、篠田慶一の姿があった。
慶一は、息子・龍弥の父だった。
長年、長崎の海で漁業を営んでいる。
主な仕事はワカメの養殖。
季節になると、海中へ張った縄の状態を確かめ、育ったワカメを収穫し、市場へ運んだ。
漁のない日も暇ではない。
網を繕い、縄を点検し、浮きを交換する。
さらに、自分たちの命を乗せる漁船の整備も行った。
エンジンの音。
船底の傷。
舵の動き。
金具の緩み。
海へ出てから故障が起きれば、すぐに助けが来るとは限らない。
船の状態を確かめることは、漁そのものと同じくらい重要な仕事だった。
一 篠田家の朝
その朝も、慶一は漁から戻ると、船着き場で漁船の機関部を確かめていた。
船体の脇へしゃがみ込み、油のにじみやボルトの緩みを一つずつ見る。
そのそばでは、龍弥が工具を持って待っていた。
「父さん、これでよか?」
龍弥が差し出したのは、父に頼まれたレンチだった。
慶一は受け取り、ボルトへ当てた。
「よか。だが、道具ば渡す前に、自分でも大きさを見ろ」
「見たよ」
「本当に見たか」
「……たぶん」
慶一の手が止まる。
「たぶんで船に乗るつもりか」
龍弥はすぐに表情を引き締めた。
「もう一回確かめる」
「そうせえ」
慶一は息子へ工具を返した。
「海の上では、たぶん大丈夫は通らん」
龍弥は工具の大きさを確かめ、ボルトへ合わせた。
今度はぴたりとはまった。
「これです」
「なら、締まりば確かめてみろ」
龍弥は慎重に工具へ力をかけた。
ボルトは緩んでいない。
それでも慶一は、別の箇所も見るよう指示した。
「一つ大丈夫だったからって、全部大丈夫とは限らん」
「造船所でも同じことば言われた」
「どこでも同じたい。船は一か所だけで浮いとるんやなか」
船底。
骨組み。
鉄板。
機関。
舵。
金具。
それぞれが正しく働いて、初めて船は海を進む。
慶一は息子が造船所で働き始めたことを、口には出さず誇りに思っていた。
だが、甘やかすつもりはなかった。
龍弥は将来、造船技師になりたいと話している。
ただ部品を取り付けるだけではない。
船全体の構造を知り、安全に海を渡れる船を考え、造る人間になりたい。
その夢を慶一は応援していた。
だからこそ、中途半端な姿勢では認めなかった。
「龍弥」
「何?」
「造船技師になりたかとやろ」
「うん」
「なら、図面の上だけで船ば見たらいかんぞ」
慶一は漁船の船体へ手を置いた。
「実際に海へ出る船が、どがん揺れるか。波ば受けたら、どこに力がかかるか。漁師がどこで働き、どこを歩くか」
龍弥は父の手元を見た。
「船ば使う人のことまで考えろってこと?」
「そうたい」
慶一は海を振り返った。
「立派な船ば造っても、使う人間が怖うて乗れんかったら意味がなか」
龍弥は静かにうなずいた。
「覚えとく」
「覚えるだけやなくて、考え続けろ」
そのとき、船着き場の方から母の梅が声を上げた。
「二人とも、いつまで船ば触りよるとね。朝御飯が冷めるよ」
梅は、温かい汁の入った容器を手にしていた。
中には、平戸家から分けてもらった野菜と、篠田家で採れたワカメが入っている。
「今日はワカメの味噌汁たい」
梅が言う。
慶一が笑った。
「毎日ワカメやな」
「育てよる家が食べんで、誰が食べるとね」
「昨日もワカメやった」
龍弥が言う。
梅は息子を見る。
「嫌なら、お父さんの分まで食べてもらいます」
「嫌とは言うとらんよ」
「ほんなら、黙って食べんね」
篠田家の朝は、潮の匂いとワカメの味噌汁から始まった。
二 造船技師への夢
食卓へ着くと、慶一は息子の手を見た。
指には小さな火傷の痕がある。
溶接の練習中についたものだった。
「昨日の溶接はどうやった」
慶一が尋ねる。
龍弥は箸を置いた。
「一回目は、手の動きが遅くなった。二回目は少しよくなったって」
「失敗したとね」
梅が心配そうに見る。
「練習用の鉄板やけん。大きな失敗ではなかよ」
「大きい、小さいの話やなか」
慶一が言う。
「失敗した理由は分かっとるか」
龍弥は少し言いにくそうに答えた。
「途中で……別のことば考えた」
梅の目が細くなる。
「別のこと?」
「何でもなか」
「女の子ね」
龍弥の箸が止まった。
慶一も息子を見る。
「女の子?」
「違うって!」
否定する声があまりに早い。
梅は楽しそうに笑った。
「その反応は、当たりね」
「本当に違うけん!」
「名前は?」
「言わん!」
「名前まで知っとるとね」
龍弥は、自分で墓穴を掘ったことに気づいた。
慶一は味噌汁をすすりながら、静かに言う。
「仕事中に気ば取られたらいかんぞ」
龍弥の表情が真面目に戻る。
「分かっとる。指導員にも言われた」
「ならよか」
「お父さん、そこはもっと聞かんと?」
梅が尋ねる。
慶一は首を傾げた。
「何ば」
「どこの娘さんか、とか」
「龍弥が話したくなったら話すやろ」
龍弥は少し意外そうに父を見た。
慶一は続けた。
「ただし、人の娘さんに失礼なことばするな。それだけたい」
「せんよ」
「なら、仕事も人付き合いも、まっすぐやれ」
「うん」
梅は少し不満そうだった。
「私は名前だけでも知りたかけどね」
龍弥は答えず、ワカメの味噌汁を飲んだ。
頭に浮かんでいたのは、大村恵の静かな笑顔だった。
三 休日の待ち合わせ
同じ朝。
大村家では、幸と恵がそわそわしながら支度をしていた。
幸は鏡の前で髪を結び直し。
恵は制服ではない外出着の襟を、何度も確かめていた。
節子は台所から二人を見ていた。
「今日は二人で買い物ね」
「うん」
幸が答える。
「何ば買うと?」
「いろいろ」
「いろいろとは?」
「必要なものたい」
恵が横から助け舟を出す。
「文房具とか、糸とか」
「この前、糸ば買うって言って忘れたもんね」
幸が言う。
恵は姉の腕をつねった。
「痛っ。何すると!」
「余計なこと言わんの」
節子は二人の様子を見て、何かを察しているようだった。
「遅うならんようにね」
「はい」
二人はそろって家を出た。
玄関を離れたところで、幸が小声で言う。
「お母さん、気づいとるかな」
「姉ちゃんの顔ば見たら分かるやろ」
「恵だって、今日は何回も襟ば直しよったやない」
「曲がっとったけんよ」
「気持ちのところが?」
以前、自分が使った言葉を返され、恵は黙った。
幸は勝ち誇ったように笑う。
「夢見る乙女さん」
「姉ちゃん、坂道から転がすよ」
「怖っ」
二人は言い合いながら路面電車へ乗り、長崎駅の近くへ向かった。
勝男とは、駅前の時計が見える場所で会う約束をしていた。
「待ち合わせ」とは言っていない。
ただ、休日に駅の近くへ行く。
勝男も、同じ頃にそこへ来る。
そう話しただけだった。
だが、誰が見ても待ち合わせだった。
幸は時計を見る。
まだ約束した時刻より早い。
「早く来すぎたね」
恵が言う。
「路面電車が早う着いたと」
「いつもと同じ時間やったよ」
「今日だけ速く走ったんやろ」
「電車まで姉ちゃんの恋ば応援しよると?」
「恋とは言うとらん!」
そのとき、駅の方から勝男が歩いてきた。
今日は作業着ではない。
きちんとした上着を着ている。
顔にも煤はついていなかった。
幸は、一瞬誰だか分からないような顔をした。
勝男が二人へ気づく。
「幸さん。恵さん」
「お、おはようございます」
幸の声が少し上ずる。
勝男は頭を下げた。
「お待たせしました」
「うちらも今来たところです」
恵が答える。
幸は勝男の顔をじっと見た。
「何ですか?」
「いや……今日は顔が白いなと思って」
勝男が少し困ったように笑う。
「普段から白くはなかですが、煤はついとらんですね」
「そ、そういう意味やなくて!」
恵が横で笑いをこらえている。
「姉ちゃん、最初に言うことがそれね」
「だって、いつも黒かけん」
勝男も笑った。
ぎこちなさは残っている。
それでも、三人の空気は以前より柔らかくなっていた。
四 もう一人の青年
三人が駅前を歩き始めたときだった。
港の方角から、見覚えのある青年が近づいてきた。
篠田龍弥だった。
龍弥も休日のため、作業着ではない。
だが手には、漁船の部品らしい金具の入った包みを持っている。
恵が足を止めた。
「あ……」
龍弥も恵へ気づく。
表情が明るくなり、すぐに少し緊張した顔へ変わる。
「恵さん」
幸は妹を見る。
勝男も、龍弥を見る。
龍弥は三人の前へ来て頭を下げた。
「こんにちは」
恵の返事も、どこかぎこちなかった。
「こ、こんにちは。今日はどうしたとですか」
「父から頼まれて、船の金具ば修理に出しに来ました」
龍弥は幸へ目を向けた。
「こちらが、お姉さんですか」
「はい。姉の幸です」
恵が紹介する。
幸は龍弥をじっと見た。
「あなたが篠田龍弥さん?」
恵の顔が赤くなる。
「お姉ちゃん、何で名前まで知っとると!」
「恵が全部話したけん」
「全部は話しとらん!」
「チーズケーキのことまで聞いたよ」
「そこは言わんで!」
龍弥は戸惑いながらも笑った。
幸は勝男を紹介した。
「こちらは平戸勝男さん。長崎機関区で見習いばしよると」
勝男が頭を下げる。
「平戸勝男です」
「篠田龍弥です。造船所で見習いをしとります」
二人は少し緊張した様子で向き合った。
幸と恵は、互いに相手の気になる青年を初めて見た。
恵が勝男を見る。
普段は煤だらけだと聞いていたが、今日は落ち着いた印象だった。
幸が龍弥を見る。
恵の話どおり、真面目そうで、穏やかな目をしている。
数秒の沈黙のあと、勝男が龍弥の包みへ目を向けた。
「船の部品ですか」
「はい。漁船の手すりを支える金具です」
「ご家族は漁師さんですか」
「父の慶一と母の梅が漁業ばしよります。主にワカメの養殖です」
「ワカメですか」
「収穫だけやなくて、船の整備や網の補修もします」
龍弥は少し誇らしそうに話した。
「僕は造船所で働いとりますが、家では父の船の手入れも手伝います」
勝男がうなずく。
「船も、点検が大事なんですね」
「はい。海の上では、故障してもすぐ止めて降りるわけにはいかんけん」
「汽車も似とります」
二人の会話は、仕事の話をきっかけに自然につながった。
「平戸さんは、機関士になりたいとですか」
龍弥が尋ねる。
「はい。まずは機関助手として一人前になって、それからです」
「僕は造船技師になりたいです」
龍弥は港の方を見る。
「船の一部だけやなく、船全体を考えられる人になりたい」
「大きな夢ですね」
「平戸さんの夢も、大きかですよ」
互いに違う仕事。
だが、大勢の命と荷物を運ぶ乗り物に関わる点では似ていた。
勝男は汽車を走らせる。
龍弥は船を造る。
二人は少しずつ打ち解けていった。
幸が恵へ小声で言う。
「龍弥さん、よか人そうやね」
「勝男さんも」
「でも、今日は顔が白すぎて慣れん」
「姉ちゃん、それ本人に聞こえるよ」
勝男が振り返った。
「聞こえとります」
幸は顔を赤くした。
龍弥と恵が同時に笑った。
五 初めての四人歩き
せっかく会ったのだからと、四人は一緒に町を歩くことになった。
長崎駅前。
路面電車の走る通り。
商店の並ぶ道。
港が見える場所。
四人で歩くのは初めてだった。
並び方も定まらない。
幸が勝男の隣へ行こうとすると、恵と場所が入れ替わる。
恵が龍弥と話そうとすると、幸が間に入る。
しばらくして、ようやく自然に二組へ分かれた。
前を歩く幸と勝男。
少し後ろを歩く恵と龍弥。
幸は、先日の作業について尋ねた。
「初めてトルクレンチば使ったんですよね」
「はい」
勝男はうれしそうに話し始めた。
大村加工所から届いた部品だったこと。
表面や寸法を確認したこと。
決められた力で締め付けたこと。
工具から合図が伝わった瞬間、さらに力を入れそうになり、原田に止められたこと。
「難しかったです」
「怖かった?」
「怖かったです」
勝男は正直に答えた。
「この一本が緩んだらって考えたら、手が震えそうになりました」
「でも、最後までできたとでしょう」
「はい」
「よかった」
幸は心から安堵したように笑った。
勝男はその顔を見て、少し照れた。
「もしかすると、幸さんが検品した部品かもしれんって思いました」
幸が目を見開く。
「作業中に?」
「最初だけです。原田さんに、仕事中は集中しろって叱られました」
幸は申し訳なさそうになる。
「うちのことなんか考えんでよかとに」
「でも、幸さんたちが確かめたかもしれんと思ったら、きちんと取り付けんばって」
勝男はまっすぐ前を向いた。
「作った人の仕事ば無駄にしたくなかったとです」
幸は何も言えなくなった。
ただ、口元に小さな笑みが浮かんだ。
後ろでは、龍弥が恵へ溶接の話をしていた。
「最初は、手の速さが途中で変わってしもうた」
「緊張したと?」
「それもあるけど……」
龍弥は少し言いにくそうにする。
「恵さんのことば考えそうになりました」
恵の足が止まりかけた。
「うちの?」
「はい」
「ど、どうして?」
「前に、仕事の話ば真剣に聞いてくれたけん」
龍弥は正直に答えた。
「ちゃんとできたって、話したいと思って」
恵の頬が赤くなる。
「でも、仕事中は作業のことだけ考えんば危なかですよ」
言葉だけは冷静だった。
龍弥はうなずく。
「指導員にも同じことば言われました」
「怒られたと?」
「怒られました」
「なら、次は気をつけんばね」
「はい」
龍弥は少し笑った。
「でも、恵さんならそがんふうに言うと思っとりました」
「うちは厳しかと?」
「真面目なんです」
「それ、褒めとる?」
「褒めとります」
恵も少し笑った。
六 双子だけの秘密
昼を過ぎ、四人は坂の途中にある小さな店で軽い食事をとった。
会話は次第に増えていった。
勝男が機関区で原田に叱られた話。
龍弥が漁船の整備中、父の慶一に「たぶんで船に乗るな」と言われた話。
幸が算術の授業で数字との相性を語った話。
恵が糸を買うという嘘をついて、幸と勝男を二人きりにしようとした話。
「恵、それ言うと?」
幸が驚く。
「もう秘密にしても意味なかやろ」
「平戸さんに聞かれたやない!」
勝男は耳まで赤くなっていた。
「僕も……幸さんが来るかもしれんと思って、仕事が終わるたび駅の方ば見とりました」
幸の声が止まる。
恵と龍弥が同時に笑った。
今度は勝男が困った顔になる。
「笑わんでください」
「二人とも同じやったとね」
恵が言う。
幸は恥ずかしそうに俯いた。
そのあと、龍弥が恵へ向かって小さく言った。
「僕も、出島の近くを通るたび、恵さんがおらんか見よりました」
今度は恵が固まった。
幸がすぐに反応する。
「夢見る乙女さん」
「姉ちゃん、黙って」
「顔が真っ赤よ」
「寒いけんたい!」
「うちと同じ言い訳しよる」
双子は互いをからかい、勝男と龍弥は顔を見合わせて笑った。
恋は、まだ家族には秘密だった。
少なくとも、四人はそのつもりだった。
七 父の厳しい目
夕方。
幸と恵は、勝男と龍弥を大村家の近くまで連れてきた。
二人が家の仕事について興味を示したため、加工場を外から少し見せることにしたのである。
「お父さんには、友達ば連れてきたって言えばよかよね」
幸が言う。
恵は不安そうだった。
「男の人を二人も連れてきて、通るかな」
「友達は友達たい」
「姉ちゃん、声が震えとるよ」
「恵だって」
四人が家の前へ着くと、加工場から金属を削る音が聞こえていた。
幸が戸を開ける。
「ただいま」
作業をしていた勝一が機械を止めた。
「お帰り」
そして、娘たちの後ろに立つ二人の青年を見る。
勝男と龍弥は同時に背筋を伸ばした。
「お父さん。この人たちは――」
幸が紹介しようとする。
だが勝一は、二人の姿を静かに見た。
長崎機関区の見習い。
造船所の見習い。
勝一は、それぞれの服装や手を見ただけで、おおよその仕事を理解した。
「中へ入りなさい」
低い声だった。
四人は居間へ通された。
節子は驚いたが、すぐに茶を用意した。
勝男と龍弥は座布団の上へ正座した。
幸と恵も、その隣で小さくなっている。
勝一は二人の青年へ尋ねた。
「名前は」
「平戸勝男です。長崎機関区で見習いをしとります」
「篠田龍弥です。造船所で働いとります」
「年は」
「十五です」
「十六です」
勝一は二人を見た。
「娘たちとは、どういう関係だ」
部屋の空気が凍った。
幸が口を開く。
「友達たい」
「お前には聞いとらん」
「はい……」
勝男は緊張しながら答えた。
「駅の近くで何度か会って、話すようになりました」
龍弥も続く。
「僕は、恵さんと一緒に、荷物を持った方を助けたのがきっかけです」
勝一は黙って聞いていた。
怖い顔をしている。
幸は父の横顔を見ながら、内心で祈っていた。
追い返されるかもしれない。
もう会うなと言われるかもしれない。
だが勝一が次に聞いたのは、仕事のことだった。
「平戸君。機関区では何を習っとる」
勝男は初めてトルクレンチを使った話をした。
締め付ける力が弱すぎても、強すぎてもいけないこと。
一度確認した部品でも、取り付ける者が改めて確かめること。
原田正勝から、汽車に乗る人の命を考えろと教わっていること。
勝一は、時折短く質問した。
「締め付けたあと、どうする」
「翌日にもう一度確認します。走行前と走行後にも状態ば見ます」
「なぜだ」
「取り付けた直後と、部品がなじんだあとでは、状態が変わることがあるけんです」
勝一は小さくうなずいた。
次に龍弥へ向く。
「篠田君。造船所では」
「溶接を習い始めました」
龍弥は、鉄板の位置合わせや、熱をかける速度について話した。
見た目はつながっていても、内部に弱い部分が残ることがある。
船が海で波を受け続ければ、その小さな弱さが大きな損傷へつながるかもしれない。
「将来は、造船技師になりたいです」
龍弥ははっきりと言った。
「船全体の構造と、乗る人が安全に働ける形を考えられる技師になりたいです」
「父親は何をしとる」
「漁師です。篠田慶一といいます。母は梅です。主にワカメの養殖をしながら、漁船の整備もしています」
「漁師の家で育ったから、船か」
「はい」
龍弥は少し考えて続けた。
「父の船が、いつも無事に港へ戻ってくるような船ば造りたいと思いました」
勝一の厳しい表情が、わずかに緩んだ。
八 父の言葉
質問を終えると、勝一は四人を見渡した。
「娘たちと会うなとは言わん」
幸と恵が顔を上げる。
勝男と龍弥も息をついた。
だが、勝一はすぐに続けた。
「ただし、仕事を疎かにしてまで会うことは許さん」
「はい」
勝男と龍弥の返事が重なる。
「娘たちも同じだ。勉強を忘れて浮かれるなら、外出はさせん」
幸が小さく言う。
「浮かれとらんよ」
恵が横から囁く。
「朝から髪ば四回直しよったやろ」
「今それ言うと?」
勝一が二人を見る。
「何か言ったか」
「何でもありません」
双子の返事がそろう。
勝一は、勝男と龍弥へもう一度目を向けた。
「人と付き合うなら、相手の時間も家族も大事にしろ」
若い二人は、真剣に聞いていた。
「鉄道も船も、一人で動かすものではない。暮らしも同じだ」
勝一は加工場の方を見る。
「自分だけがよければよか、では続かん」
「覚えておきます」
勝男が答える。
「僕もです」
龍弥も頭を下げた。
節子が、張り詰めた空気を和らげるように言った。
「せっかく来てもらったんやけん、夕飯を食べていったら?」
四人が一斉に勝一を見る。
勝一はしばらく黙ったあと、ため息をついた。
「好きにしなさい」
幸の顔が明るくなる。
「お父さん、ありがとう!」
「ただし、遅くなる前に帰すぞ」
「はい!」
九 六人の夕食
その夜、大村家の食卓には六人が並んだ。
節子が用意した煮物。
魚。
味噌汁。
平戸家から以前もらった野菜。
篠田家から龍弥が持ってきていた乾燥ワカメ。
農家の野菜。
漁師のワカメ。
金属加工の家。
鉄道員の見習い。
造船技師を目指す青年。
一つの食卓へ、異なる暮らしが集まった。
「このワカメ、龍弥さんの家で育てたと?」
幸が尋ねる。
「はい。父と母が養殖しとります」
「おいしかねえ」
節子も味噌汁を味わった。
龍弥はうれしそうだった。
「母に言ったら喜びます」
勝男は勝一へ、納入された部品について話した。
「先日のボルト、よか部品でした」
勝一は平然と答える。
「当然だ」
幸が口を挟む。
「うちも検品したかもしれんよ」
「幸さんが測った部品かもしれんと思って、緊張しました」
勝男が言う。
食卓が静かになる。
幸の顔が赤くなる。
「そがんこと、みんなの前で言わんでよ」
「すみません」
恵が笑う。
「二人とも分かりやすかね」
龍弥が恵を見る。
「恵さんも、溶接の話ば聞いてくれたけん、頑張ろうと思いました」
今度は恵の顔が赤くなる。
幸がすぐに返す。
「夢見る乙女さん」
「姉ちゃん、黙って食べんね」
節子は笑い、勝一は味噌汁を飲みながら目を閉じた。
厳しい父の前で秘密を守ることなど、最初から無理だった。
恋はまだ始まったばかり。
本人たちにも、はっきりとは分からない。
けれど、互いを大切に思い始めていることは、もう隠しきれなかった。
食事のあと。
勝男と龍弥が帰る時間になった。
幸と恵は家の外まで見送った。
「今日は、ありがとうございました」
勝男が頭を下げる。
「緊張しました」
龍弥も苦笑する。
「うちも、お父さんがあんなに質問するとは思わんかった」
幸が言う。
恵は二人へ向かって微笑んだ。
「でも、認めてもらえたみたいでよかった」
龍弥が尋ねる。
「また会えますか」
恵はうなずいた。
「はい」
勝男も幸を見る。
「今度は、機関区の仕事の邪魔にならん日に」
「うちも勉強ば終わらせてから行きます」
幸は答えた。
「約束です」
「はい」
二人の青年は、並んで坂道を下りていった。
途中で勝男は機関区の方向へ。
龍弥は港の方向へ別れていく。
幸と恵は、その姿が見えなくなるまで立っていた。
「姉ちゃん」
「何ね」
「もう、双子だけの秘密やなくなったね」
幸は苦笑した。
「お父さんにもお母さんにも、全部ばれたね」
「姉ちゃんが顔に出すけんよ」
「恵もたい」
二人は顔を見合わせた。
「でも」
幸が言う。
「少し安心した」
「うちも」
こっそり会わなければならない関係ではない。
家族の前で名乗り、夢を話し、仕事への姿勢を見てもらった。
恋人と呼ぶには、まだ早い。
けれど二人の青年は、大村家の食卓へ座った。
それは幸と恵にとって、大きな一歩だった。
夜。
遠くから汽笛が聞こえた。
港からは、漁船の機関音も響いていた。
汽車と船。
畑と海。
鉄道と造船。
四人の夢は、それぞれ異なる場所へ続いている。
けれど今は、同じ長崎の町で、互いの未来を応援し始めていた。
戦争の影は、まだ遠くにあるように見えた。
誰もが、自分の努力で未来へ進めると信じていた。
幸と勝男が結婚の約束を交わす日も。
恵と龍弥が互いの夢を支え合う日も。
まだ遠い先に、確かに待っているはずだった。
次回予告
大村家の夕食へ招かれ、勝一の厳しい問いに自分の夢を語った勝男と龍弥。
四人の関係は、家族にも知られることとなった。
そして季節は冬から春へ。
幸と恵は十四歳になる。
勝男は機関助手の見習いとして、初めて走行中の機関車へ乗り込む機会を得る。
龍弥は父・慶一の漁船へ乗り、海から造船所を見つめる。
陸で船を造るだけでは分からない、波と風の力。
一方、幸と恵は女学校で、自分たちが大人になる頃の未来について語り合う。
次回、第11話。
「夏祭りの約束」
汽車で遠くへ行きたい幸。
安全な船を造りたい龍弥。
家族を支えたい恵。
そして、幸を自分の運転する汽車へ乗せたい勝男。
四人は初めて、未来の約束を言葉にする。




