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幸と恵の物語  作者: リンダ


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空の上の汽車

『幸と恵のものがたり』

 第50話 空の上の汽車


 昭和二十年八月十八日。


 夕方。


 寺の本堂へ差し込んでいた光が、少しずつ弱くなっていた。


 壊れた窓。


 煤で黒ずんだ柱。


 畳の上に並ぶ負傷者。


 水を求める声も、家族を呼ぶ声も、昼間より少なくなっている。


 静かになったのではない。


 声を出す力を失った人が、増えていた。


 恵は、薄い布の上へ横たわっていた。


 高熱。


 止まらない出血。


 皮膚に浮かぶ紫色の斑点。


 浅く、不規則になった呼吸。


 目を開けていられる時間も、少しずつ短くなっていた。


 その隣には龍弥がいる。


 龍弥自身も高熱を出していた。


 鼻血。


 頭痛。


 吐き気。


 全身を鉛のように重くする倦怠感。


 それでも、妻の手を握り続けていた。


 恵が息をするたび。


 龍弥も一緒に息をする。


 次の呼吸が来るまで。


 祈るように待つ。


 一 医師の言葉


 医師は、恵の胸へ耳を当てた。


 脈を取る。


 瞳を見る。


 傷口を確かめる。


 その表情だけで。


 龍弥には分かってしまった。


「先生」


 医師は、すぐには顔を上げなかった。


「何とかしてください」


「できる限りのことはしています」


「まだ何かあるでしょう」


「水も、薬も、輸血も足りません」


「なら、俺の血ば使ってください」


 龍弥は腕を差し出した。


「俺のを全部使ってよかです」


 医師は首を横へ振る。


「あなたも高熱を出しています」


「俺はどうでもよか!」


 龍弥の声が、本堂へ響いた。


「恵さんば助けてください!」


 恵のまぶたが、わずかに動いた。


 龍弥は、すぐに声を落とす。


「すみません」


 医師は膝をつき、龍弥の目を見た。


「今夜を越えられるか、分かりません」


 龍弥の顔から表情が消えた。


「何を」


「呼吸が弱っています」


「傷だけではありません」


「体の内側で、何かが急速に進んでいます」


「何かって何ですか」


「私にも分かりません」


 また。


 分からない。


 この戦争の中で。


 何度聞いたか分からない言葉。


「分からんまま」


 龍弥の声が震える。


「恵さんが死ぬとですか」


 医師は答えられなかった。


 二 龍弥の拒絶


 医師が離れたあと。


 龍弥は恵の手を両手で包んだ。


「聞かんでよか」


 恵が、かすかに目を開ける。


「何……?」


「先生の話」


「聞こえた……」


 龍弥は首を横へ振る。


「間違っとる」


「龍弥さん……」


「恵さんは治る」


「北海道へ行く」


「函館で泊まる」


「羊蹄山を見る」


「札幌でうまいもの食べる」


「旭川も」


「富良野も」


「稚内も」


 声が次第に大きくなる。


「まだ何も終わっとらん!」


 恵は、弱い指で龍弥の手を撫でた。


「うん……」


「そうやろ」


「うん……」


 龍弥は、その返事へすがった。


 三 旭川へ


「北海道の続き、話そう」


 龍弥は言った。


「札幌から汽車へ乗って」


「旭川へ行く」


 恵の目が、少しだけ開く。


「旭川……」


「あぁ」


「北海道の真ん中に近い町」


「大きな駅があって」


「そこから、さらに北へも東へも行ける」


「勝男さん……喜ぶ……」


「絶対、構内図ば見始める」


「お姉ちゃんが……置いていく……」


「また荷物持ちは俺ですね」


 恵の唇が、ほんの少し笑みの形になる。


「旭川では」


 龍弥は続けた。


「温かいもの食べよう」


「何……?」


「汁物」


「じゃがいもが入っとる」


「人参も」


「肉も」


 恵の目が揺れる。


「そんなに……食べてよかと……?」


「あぁ」


「戦争は終わった」


「もう、腹いっぱい食べてよか」


 恵は、夢の中で椀を持った。


 湯気。


 柔らかな野菜。


 温かな汁。


 母・節子が作ってくれた雑炊の味。


「お母さんにも……食べさせたか……」


 龍弥の声が止まる。


「うん」


 それしか答えられなかった。


 四 富良野の花畑


「次は富良野」


 龍弥が話す。


「どがんところ……?」


「広い畑があるらしい」


「夏には花がいっぱい咲く」


「紫」


「白」


「黄色」


「赤」


「見渡す限り、花」


 恵の呼吸が、少しだけ穏やかになる。


「きれいやろうね……」


「あぁ」


「恵さんに似合う」


「花畑が……?」


「うん」


「何で……?」


「きれいやけん」


 恵の眉が、わずかに動く。


「また……そがんこと……」


「本当たい」


「恵さんは、どんな傷があっても」


「今でも一番きれいです」


 恵の目から涙が流れた。


「花……摘んだら……いかん……」


「見るだけ?」


「うん……」


「なら写真に撮る」


「写真機……あると……?」


「戦争が終わったけん、いつか買える」


「龍弥さん……写すの下手そう……」


「まだ撮ってもないとに」


「顔……切れる……」


「それは幸さんの絵と同じ扱いですか」


 恵が、ほんの少し笑った。


 五 稚内へ向かう汽車


「富良野の次は」


「うん……」


「また旭川へ戻って」


「そこから北へ」


「ずっと北へ」


「稚内まで行く」


「日本の……一番北……?」


「あぁ」


「長い線路」


「雪原」


「小さな駅」


「風で雪が線路へ積もって」


「汽車はゆっくり走る」


「止まらん……?」


「止まってもよか」


「急ぐ旅やなかけん」


 恵は、目を閉じた。


 心の中に。


 雪の原野が広がる。


 黒い蒸気機関車。


 白い煙。


 車輪の音。


 客車の窓へ張りつく霜。


 向かいには幸と勝男。


 隣には龍弥。


「お姉ちゃん……寒いって……騒ぐ……」


「毛布ば全部取りますね」


「勝男さんが……困る……」


「俺たちの分まで取りそう」


「うちが……怒る……」


「お願いします」


 恵は、弱く笑った。


 六 四人掛けの席


「席は四人掛け」


 龍弥が言う。


「幸さんが窓側」


「勝男さんがその隣」


「俺と恵さんが向かい」


「お姉ちゃん……窓ば開ける……」


「寒いのに?」


「景色見たかって……」


「なら俺が閉める」


「お姉ちゃん怒る……」


「恵さんがツッコむ」


「勝男さんが謝る」


「何で勝男さんが」


「いつも……そうやけん……」


 二人は、ほんの少しだけ笑った。


 その笑いは。


 高熱と痛みの中に残された。


 二人だけの小さな灯りだった。


 七 汽笛の音


 遠くから。


 汽笛のような音が聞こえた。


 本当に列車が走っていたのか。


 壊れた機械の音だったのか。


 誰かの声だったのか。


 分からない。


 恵の目が、わずかに開く。


「汽車……」


 龍弥は耳を澄ませた。


「うん」


「北海道行きの汽車たい」


「ほんと……?」


「ホームに来た」


「白い蒸気がいっぱい」


「切符も四枚ある」


「荷物は?」


「俺が持つ」


「全部……?」


「全部」


「重かよ……」


「幸さんの分が多そう」


「お姉ちゃん……何持っていくと……」


「食べ物」


「楽器」


「着替え」


「それから、あの飛行機の絵」


 恵の唇が、わずかに動いた。


「いらん……」


「北海道で展示するそうです」


「恥ずかしか……」


「もう止められません」


 八 幸の声


 恵は、しばらく黙っていた。


 やがて。


「お姉ちゃんの声……」


 龍弥が顔を近づける。


「聞こえると?」


「うん……」


「何て言いよる?」


 恵の目は、龍弥ではない場所を見ていた。


「遅かよって……」


「北海道行きの汽車……出るよって……」


 龍弥の胸が締めつけられる。


「幸さんらしいね」


「勝男さんも……おる……」


「うん」


「木の機関車……持っとる……」


 結婚式の日。


 龍弥が勝男へ贈った、小さな木製機関車。


 広島の官舎に置かれていたはずのもの。


「大事に持っとったとですね」


「うん……」


「原田さんの……手紙も……」


「全部持ってきたと?」


 恵は、かすかにうなずいた。


 九 龍弥の不安


 龍弥は、恵の手を強く握った。


「まだ行ったらいかん」


 恵の視線が戻る。


「龍弥さん……」


「幸さんが呼んでも」


「まだ待ってもらって」


「俺がおる」


「一緒に北海道へ行くって約束した」


「俺ば置いていかんで」


 声が崩れる。


「頼むけん」


 恵は、弱く指を動かした。


 龍弥の頬へ触れようとする。


 腕は上がらない。


 龍弥が自分から顔を近づけた。


「ここにおるよ」


「うん……」


「ずっと」


「うん……」


 十 生きる約束


「恵さん」


「うん……」


「俺たち、結婚してから」


「ちゃんと一緒に暮らしてない」


「うん……」


「まだ夫婦喧嘩もしてない」


「した……」


「いつ?」


「手紙……来んって……怒った……」


「あれは心配たい」


「喧嘩……」


「なら、もっと大きな喧嘩せんば」


 恵が、かすかに笑う。


「何で……?」


「普通の夫婦になるため」


「御飯の味が薄いとか」


「俺が靴下脱ぎっぱなしとか」


「恵さんが何でも抱え込むとか」


「龍弥さんが……頑固とか……」


「それは否定します」


「頑固……」


「ほら、もう喧嘩になりそう」


 龍弥は泣きながら笑った。


「まだ、いっぱい残っとる」


「だから生きよう」


 十一 呼吸の間


 恵は、返事をしなかった。


 一度。


 息を吸う。


 長い間。


 次の呼吸が来ない。


「恵さん」


 龍弥の顔が青ざめる。


「恵さん!」


 小さく胸が動く。


 呼吸が戻る。


 龍弥は、息を吐いた。


「驚かせんで」


 恵の唇が動く。


「ごめん……」


「謝らんで」


「眠かっただけ」


「なら、俺が話す」


「聞いとくだけでよか」


 十二 最北端の海


「稚内に着いたら」


 龍弥は続けた。


「港へ行く」


「また……船……」


「俺の旅やけん」


「新婚旅行……」


「夫婦の旅たい」


「なら……半分ずつ……」


「分かりました」


「港の向こうには、さらに北の島が見えるらしい」


「どがん島……?」


「遠くに、影みたいに見える」


「風が強くて」


「海が冷たくて」


「でも、空は広い」


「長崎より……?」


「長崎の空も広い」


「でも、稚内は、どこまでも続いとるように見える」


 恵は、心の中でその空を見た。


 爆撃機のいない空。


 警報の鳴らない空。


 何も落ちてこない空。


 ただ。


 鳥が飛び。


 雲が流れる。


 平和な空。


「見たか……」


「うん」


「二人で見よう」


 十三 空の上の汽車


 恵の目が、ゆっくり天井へ向いた。


「龍弥さん……」


「うん」


「もし……」


「もしは言わん約束」


「でも……」


 声が細くなる。


「聞いて……」


 龍弥は唇をかみ。


 うなずいた。


「うん」


「幸姉ちゃんと……」


「うん」


「勝男さんが……」


「うん」


「空の上で……汽車に……乗っとったら……」


 龍弥の目から涙が流れた。


「うん」


「うちの席……」


「空けてもらう?」


 恵は、かすかにうなずく。


 龍弥は首を横へ振った。


「まだ予約だけ」


「恵さんは、まだ地上の汽車に乗る」


「俺と一緒に」


 恵は、やさしく笑った。


 十四 姉への呼びかけ


「幸姉ちゃん……」


 恵が、天井の向こうへ呼びかける。


 声は、ほとんど息だった。


 本堂が静まる。


 龍弥。


 原田。


 伊藤。


 近くにいた救護の女性。


 皆が、その声を聞いていた。


「幸姉ちゃん……」


 もう一度。


「うち……」


 恵は長く息を吸った。


「まだ……龍弥さんと……北海道……行きたか……」


 龍弥の手へ力を込める。


「でも……」


「でも何?」


 龍弥の声が震える。


 恵は、空を見つめたまま。


 途切れ途切れに話した。


「……もし、もう会えんのやったら……」


 龍弥の呼吸が止まる。


「せめて、空の上で一緒に……汽車ば見よるけん……」


 本堂の誰も。


 声を出せなかった。


 十五 戦争のない空を


 恵は続けた。


「戦争なんか……二度と来んごと……」


 息が苦しい。


 龍弥が体を支える。


「ゆっくりでよか」


 恵は、焦げた幸の手紙へ指を置いた。


「神様に……ようけお願いしとくけん……」


 声が少しずつ途切れがちになる。


「恵さん」


 龍弥は、必死に呼びかけた。


「まだ話さんでよか」


「休んで」


 だが恵は、首をわずかに横へ振った。


 言わなければならない。


 姉へ。


 未来へ。


 戦争のない時代へ。


 十六 龍弥への言葉


「龍弥さん……」


「ここにおる!」


「聞こえとるよ!」


「大好き……」


「俺も大好き!」


 龍弥は恵の手を、自分の頬へ押し当てた。


「愛しとる」


「ずっと」


「何があっても」


 恵の指先が、わずかに龍弥の頬を撫でた。


「北海道……」


「行こう!」


「羊蹄山も見る!」


「函館も!」


「札幌も!」


「全部行く!」


 恵は、ほんの少しだけ笑った。


 十七 最後のひと言


 呼吸が、さらに弱くなる。


 一度。


 二度。


 長い間。


「恵さん」


 龍弥は妻の名前を呼ぶ。


「ここにおるよ」


「一人やなか」


 恵の唇が動く。


 声は、ほとんど聞き取れない。


 龍弥は耳を近づけた。


「何?」


「もう一回言って」


 恵は、残された力を集めた。


 そのひと言だけは。


 はっきり届いた。


「幸姉ちゃん……」


 龍弥の涙が、恵の頬へ落ちる。


「うち、先に行っとるけん……」


 小さく息を吸う。


「……怒らんでね……」


 唇が。


 かすかに笑みの形を作った。


 十八 止まった呼吸


 そして。


 恵の指から、力が抜けた。


 龍弥の頬へ触れていた手が。


 ゆっくり落ちる。


 呼吸が止まった。


 龍弥は、しばらく動かなかった。


 理解できなかった。


「恵さん」


 返事はない。


「恵さん?」


 もう一度。


「北海道の続き」


「まだ旭川までしか話してない」


「稚内にも着いとらん」


「切符も買っとらん」


 声が震える。


「恵さん」


 妻の肩へ触れる。


「起きて」


 返事はない。


「お願いやけん」


「目ば開けて」


 龍弥は、何度も名前を呼んだ。


「恵さん」


「恵さん」


「恵さん!」


 本堂へ。


 愛する人の名が響いた。


 十九 龍弥の叫び


「嫌や!」


 龍弥は、恵の体を抱きしめた。


「約束したやろ!」


「二人で治るって!」


「北海道へ行くって!」


「四人分の切符買うって!」


 涙が止まらない。


「俺ば一人にせんで!」


「恵さん!」


「返事して!」


「怒ってよ!」


「頑固って言ってよ!」


「何でもよかけん!」


「声ば聞かせて!」


 だが。


 恵は、穏やかな表情のまま動かなかった。


 二十 空の上の汽笛


 そのとき。


 遠くから。


 汽笛が聞こえた。


 今度こそ。


 どこかで動き始めた汽車の音だったのかもしれない。


 龍弥は、恵を抱いたまま顔を上げた。


 長く。


 細く。


 夜空へ伸びていく汽笛。


 龍弥の心には。


 一両の蒸気機関車が見えた。


 空の上。


 白い蒸気。


 四人掛けの座席。


 窓側には幸。


 その隣に勝男。


 幸が、大きく手を振っている。


「恵、遅かよ!」


 そう言いながら。


 泣いて。


 笑って。


 妹を迎える。


 恵は、龍弥の方を振り返る。


「龍弥さん」


 そう呼びながら。


 だが、汽車はまだ出ない。


 恵はホームへ立ち。


 空の上から。


 地上に残る龍弥を見守っている。


 龍弥は、妻の手を握った。


「待っとって」


 声が震える。


「俺は」


「まだ、こっちでやることがある」


「恵さんのお願い」


「全部、守るけん」


「いつか」


 涙をぬぐう。


「四枚目の切符ば持って行くけん」


 二十一 原田の記録


 原田は。


 焦げた帳簿の裏へ。


 恵の最後の言葉を書き留めた。


『もし、もう会えんのやったら。


 せめて、空の上で一緒に汽車ば見よるけん。


 戦争なんか、二度と来んごと。


 神様に、ようけお願いしとくけん。


 幸姉ちゃん。


 うち、先に行っとるけん。


 怒らんでね。』


 文字が。


 涙でにじんだ。


 それでも。


 原田は書き直さなかった。


 にじんだ跡も。


 その夜の記録だった。


 二十二 二十二歳の旅立ち


 大村恵。


 二十二歳。


 父・勝一と母・節子の娘。


 大村幸の双子の妹。


 篠田龍弥の妻。


 洋服を縫い。


 家族を支え。


 姉へツッコミを入れ。


 戦争の中でも笑うことを忘れなかった女性。


 北海道へ行きたかった。


 函館の夜景を見たかった。


 羊蹄山を見たかった。


 札幌で、お腹いっぱい食べたかった。


 龍弥との子どもを育てたかった。


 普通の夫婦喧嘩をしたかった。


 それらすべてを。


 戦争と原子爆弾によって奪われた。


 だが。


 恵が最後に残したのは。


 憎しみではなかった。


 二度と戦争が来ないようにという願いだった。


 二十三 空の上の汽車


 夜空の向こう。


 幸と恵。


 勝男。


 そして。


 まだ地上に残る龍弥のための席。


 四人掛けの座席は。


 一つだけ空いていた。


 恵は、窓側へ座った幸へ言う。


「お姉ちゃん、相変わらず声大きか」


 幸が笑う。


「遅れて来た妹が何言いよると!」


 勝男は、木製機関車を膝へ置き。


 静かに二人を見守る。


 車窓の向こうには。


 戦争のない空。


 爆撃機のない空。


 警報の鳴らない町。


 ただ。


 白い雲の間を。


 蒸気機関車が走っていく。


 汽笛を響かせながら。


 次回予告


 二十二歳で生涯を閉じた恵。


 龍弥は、妻の亡骸を抱いたまま、夜が明けるまで手を離さない。


 幸。


 勝男。


 勝一。


 節子。


 そして恵。


 家族は、戦争によって次々と奪われた。


 だが、悲しみに沈む龍弥自身の体にも、見えない傷が広がっている。


 高熱。


 出血。


 紫色の斑点。


 意識の混濁。


 伊藤もまた倒れ。


 原田は、家族と仲間を救いながら、限界へ近づいていく。


 それでも龍弥は、恵の最後の願いを守ろうとする。


「四人分の北海道行きの切符を買う」


「人を運ぶ船を造る」


「広島と長崎で起きたことを伝える」


 だが。


 生き残ること自体が、彼にとって次の戦いとなる。


 次回、第51話。


「四枚目の切符」


 妻を失った男は。


 生きる理由を失ったのではない。


 妻から、生きる理由を託された。

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