2
「っ――!」
「蓮!」
僅かな沈黙の後、『蓮』が扉の前からいなくなるのと、蓮が『蓮』めがけて走り出したのはほぼ同時だった。
叫び、僕も慌てて後を追いかける。しかし、
「……おいおい、まじかよ……」
教室を出た廊下。
左右を見渡して、蓮は驚愕混じりに呟いた。僕も同じ気持ちだ。
――前後左右どこを見渡しても、あの気味悪い目をした『蓮』はいなかった。
左右の階段まではどんなに早く走っても5秒はかかるはず。
他の教室に隠れたのなら、扉を開ける音か、もしくは開きっぱなしの教室ならいきなり突っ込んできた『蓮』に驚いた生徒の声が聞こえてくるはずだ。中に生徒がいない教室はそもそも鍵が閉められていて隠れられない。ここは二階なので頑張れば飛び降りれないことはないだろうが、しかし廊下の窓は放課後というこもあり全て施錠されている。解錠して飛び降りる時間はなかったはずだ。もちろん天井に張り付けるわけもない。
なのに、いないし、聞こえない。
どこにもいないし、扉の音も、『蓮』の足音すら、聞こえなかった。
つまり、
「どうやら、累の予想は正しかったようね」
僕達の表情を見て察したのだろう。すみれと共に僕達の元へと歩いてきた菊乃がそう言った。
「……そう、みたいだな」
流石にここまで決定的なものを見せられれば流石に認めざるを得なかったのだろう。蓮も、そして、僕も頷く。
「……けど、何でひまわりじゃなくて俺にも……」
「分からない。でも、ひまわりの記憶を持っているから、じゃないかしら。他の人たちと違って、ひまわりの記憶を私たちが持っているから、口封じのため、あなたのドッペルゲンガーも準備して消しに来た。逃げたのはあなたを見つけたものの、多勢に無勢だと悟ったから。……いや、違う。こういう可能性もある。ひまわりが最初に消されただけで、元々あなたのドッペルゲンガーもいた」
「……!」
蓮の奥歯がきしむ音がした。
そして、それは僕も同じだ。とても他人事とはとても思えない。
ひまわりの情報のすべてが消え、そしてそれを記憶している一人である蓮のドッペルゲンガーが現れた。
ひまわりも合わせれば、ひまわりの記憶を保持している僕達五人の内、既に二人にドッペルゲンガーがいることになる。
だとすれば、残り三人にもドッペルゲンガーがいる可能性は決して低いとは言えない。
そしてその末路は菊乃が言っていた通り、ひまわりと同じように……。
「どうやら、全然望んだ形じゃあないけれど、情報は集まったみたいだね。じゃあ、これからどうしようか。累」
「え? 僕?」
二重に、僕は狼狽えた。
一つは既にすみれが次の段階について考えていること。こんなにも恐ろしいことが起きているのに、すみれは全く怖がっていない。いや、実際はすみれも怖いのだと思う。けど、みんなのためにすみれは恐怖を見せないようにしている。そのことに、僕は動揺した。
そしてもう一つはそんなすみれが、僕にこれからの進路をどうるべきか尋ねてきたことだ。なぜ僕なのか。
前に菊乃にも言ったけれど、僕はそんなに頭がキレるやつでも聖人君子でもない。頼るならそれこそ連や菊乃、そしてすみれの方が百二十倍くらいマシなはずだ。
けど、すみれは力強く、頷いた。
「うん、累だよ。累が自分のことをどう思ってるかは分からないけどね。累はとにかくすごいの! 累は私たちのことをすごいって言ってくれるけど、それと同じくらい累はすごいんだよ! 累がすごいって言う私が言うんだから間違いないよ! だからお願い! 力を貸して。もちろん何かあっても累一人のせいにしたりしない。ちゃんと考えて受け入れて託した私たち全員の責任なんだから」
「……!」
痛いくらいぎゅっと手を握られる。
太陽ぐらいエネルギーに満ちた視線を向けられる。
そして、もはや幼稚とも言えるくらいの、そんな純粋な言葉を耳の中に注ぎこまれれば、僕に選択肢は一つしかなかった。
「……分かったよ」
「うん! ありがと!」
僕が眉をハの字に曲げて苦笑すると、反対にすみれは口を音符の上や下についているアクセント記号のような形に変えて笑う。が、ようやく無意識に手を握っていることに気が付いたのか、「っ……!ごめん!」と、熱したフライパンに触れた時みたいにバッと手を放し俯いた。……こっちまで恥ずかしくなってしまうので、そんな顔をするのはやめてほしい。
とにかく迅速にこの微妙な空気を変えたかった僕は、性能のあまりよろしくない自分の脳内コンピューターをフル回転させ、
「……やっぱり、逃げるべきだと思う。でも、ただ逃げるだけじゃ駄目だ。そこそこ栄えてはいるけれど、あまり人気がない場所がいいと思う」
「? 逃げるのは確かに賛成だけどよ。それは誰かの家に籠るとか、そういうのじゃ駄目なのかよ?」
腕を組み怪訝な顔で蓮が問うてくる。確かにそれも考えた。けど多分、それだけじゃ危ない。
「今のところ、ドッペルゲンガーにどんな能力があって、どんな手段を使って僕達を消そうとしているのかは分からない。さっきの感じ、見ただけで相手を消せるってことはなさそうだけど、逆に何か、例えば暴力的な手段を使ってくる可能性もある。その場合、僕達の周りの人間にも被害が及ぶ可能性がある」
「……なるほどな。それで人気があまりない場所ってわけか。他にも人込みに紛れてやつらが襲ってくる危険性も緩和できるか。けど、そこそこ栄えてる場所っていうのは、何でだ?」
「それは単純に衣食住の問題。流石に何日も山とか海辺に籠るわけにはいかないし。宿泊施設と生活用品が揃えられる程度に店がある場所がベスト」
「それでも奴らがドッペルゲンガーなら襲ってくるだろうから、その度に身を守って情報収集しつつ戦うってわけか。それなら、どっかの観光地とかがいいだろうな。金も去年コミケで稼いだやつがそこそこあるし」
打てば響くように、いや、それ以上の音を奏でてくれる連。なんとも音楽家らしい。けど、一個だけ難点がある。しかし、それもすぐに解決した。
「じゃあ、そこそこ近いし。箱根の旅館とかにしましょうか。まだ本格的な夏休みに入る前だし、予約も取れると思うし。親に頼んでおくわ」
「さ、流石だねん。菊乃……けど、ありがと!」
「はいはい」
僕の手を握ったかと思えば今度は菊乃に抱き着くすみれ。それをてきとうにあしらうように菊乃がすみれの頭をなでる。
勉強だけしかできない僕とは違い、とにかく優等生の菊乃は親の信頼を得ているからか、こういう親の許可がなければ何もできない場面でとにかく頼りになる。去年のコミケの時もだいぶお世話になった。すみれ風に言えばうちのグループのエージェントって感じだろうか。
「ほんっと外面は良いんだよな。ほんとは舌に猛毒隠してんのに」
「聞こえてるわよ。毒殺されたいのかしら? あなただけ離れの部屋にしてあげてもいいのよ?」
「はいはいすいませんでした。……ったくたまの誉め言葉くらい素直に受け取れよな……」
後半の、近くにいた僕にしか聞こえないくらいの小声で述べられたその蓮の台詞が聞こえ終わる前に、菊乃は親に電話をかけて旅館の手配をし始めた。
……蓮、どう考えてもさっきのは誉め言葉にはなってなかったぞ。
ご一読ありがとございました。感想等いただけると幸いです。




