第二部 絆——きずな
「嘘、だろ……」
午後12時。
終業式が終わって、放課後の、僕たち五人全員が所属する二年一組の教室。
未だ晴れぬ曇り空以上に湿気を帯びたそんな独り言を、僕は呟いた。
「………」
椅子と机を突き合わせ僕同様、『それ』を見つめる蓮、菊乃、すみれは何も言わない。
悲しんでいるような、怒っているような、困惑しているような、そんななんとも言えない表情をしている。
僕達四人の机の真ん中、その中心には、一枚の紙があった。
二年一組の生徒の名簿だ。
二回ほど席替えをしたため枚数は三枚あるが、それぞれの座席に名前が記されていて、先生が一目で生
徒の居場所を確認できるようになっている。
なんてことない、普通の名簿。
そう――
「本当に、消えたって言うのか……ひまわりの存在が」
――越谷ひまわりの名前が、どこにもないことを除けば。
……もちろん、印刷ミスなどではない。
その可能性はもう何度何度も検証した。
しかし、名簿は間違いなくウチのクラスのもので、僕の名前も蓮の名前も菊乃もすみれの名前もしっかり載っている。
なのに、ひまわりの名前だけが、そんなものは最初からなかったかのように綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
そしてそれは――名前だけじゃない。
「ああ。それに、本当に全部消えちまってるんだ。ひまわりの名前も、昨日までこの教室にあったひまわりの椅子と机も、ひまわりの連絡先も、ひまわりと撮った写真も、俺たち四人以外……確認はできてないけど多分、ひまわりの親も含めた皆のひまわりに関する記憶も、全部」
僕に聞かせる、と言うより、胃に溜まった気持ち悪い物を吐き出すように、蓮はそう言った。
そう。
蓮の言う通り、本当にとにかく。ひまわりの全て。
僕達が覚えているひまわりの記憶以外、この世に存在していたひまわりの全てが、この世から消えてしまっていた。
……ホームルーム前。
僕が遅刻ギリギリだったせいで時間がなかったため、終業式が終わってから、つまりさっき聞いたばかりの詳細なのだが、二回目の今でも、そしておそらく何度目だって信じられない。
けど、どうやら全部、本当のことらしい。
きっかけは今朝のこと。
普段は絶対に学校を休まないひまわりが珍しく学校に来るのが遅かったため、茶化してやろうと蓮がLINEを開いたところ、ひまわりのLINEのアカウントが何故かなくなっていたらしい。
一緒にいたすみれや菊乃にも確認を取ったところ、同じように二人のアプリからもひまわりのアカウントは削除されており、不審に思ったすみれが、同じくひまわりのLINEを持っているクラスメイトに尋ねたところ、「こしがやひまわり?誰、それ」と尋ね返された。そして調べていくうちに僕達四人のひまわりの記憶以外、ひまわりに関する全てのものがなくなっていたことが発覚したらしい。
朝、僕のスマホに大量に着信が入っていたのも、そういうことだ。
蓮はひまわりのことを訊きたかったのと、そしてひまわり同様、珍しく学校に来るのが遅い僕を心配して、何度も何度も電話をかけていたようだった。
僕もひまわりみたいな目に遭っているのではないかと。
幸いなことに僕は無事だったけれど、しかし、あの時サボって連絡を返さなかったことは今思うと本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。
「まぁでも、累だけでも無事でよかったよ。もう。電話にはちゃんと出てよね」
すみれは、今のこの場に全くそぐわないテンションでそう言った。ネガティブの敵みたいなすみれだ。きっとグループの空気が重くなるのが嫌だったんだろう。けど、今はそれがとにかくありがたい。きっとすみれがいなければ、僕達はただしんみりするだけになっていただろうから。
「それじゃ、状況も整理できたし、早速考えようか」
「? 考える? 何を?」
「ちょっとしっかりしてよ累。何でこうなったのか。そして、ひまわりは今どこにいるのか、それを考えるに決まってるじゃん」
「あ……そうか。いや、でもそういうのって警察の仕事じゃないの。もちろん僕達にもやれることはあると思うけど」
「それは確かに戸籍とか情報があればそうだと思うよ。けど、ひまわりはもういない人になっちゃってる。そんな人間を警察が探してくれると思う? だから唯一ひまわりのことを覚えてる私たちが動くしかないんだよ」
「それは……まぁ、たしかに」
起きた出来事があまりにもぶっ飛びすぎていたせいで、そっち側に思考が及んでいなかった。
けど、そうだ。ひまわりはいなくなってしまったけれど、本当に消えたかどうかはわからない。
少なくとも、僕達はひまわりのことを覚えているのだ。
だからこうなってしまった原因さえ分かれば、もしかするとひまわりを再び見つけ出すことだってできるかもしれない。……うん。こんな状況だって言うのに。やっぱりすごいな、すみれは。
僕なんかと違って。
「とにかくまずは情報収集だね。皆、何かこうなった原因とか、そうじゃなくても最近のひまわりに気になる点があったとか、そういう情報があれば挙手の上どんどん教えてください。どんどんメモってくから」
シュバっとすみれが新品同然のノートを取り出し(おそらく授業中何も書き込んでいないからだろう)シャーペンを構えた。
しかし、菊乃からも蓮からも手は上がらない。
当然だろう。
まず起きた出来事が超常現象みたいな類の事案なのだ。そんな結果の原因や過程など思いつくはずもない。幽霊の存在を証明するようなものだ。
でも――だからこそ、僕は手を挙げた。
「はい! 累さん!」
本当はそういうキャラにでも憧れがあるのだろうか、すみれは委員長みたいな口調で僕を指差してくる。
僕は一度小さく頷き、昨日の夜のことを思い出しながら言った。
「実は僕、昨日の夜、ひまわりと会ったんだ」
「「「は?」」」
「え?」
突然テンションも文字も何から何までハモらせ、こっちをガン見してきた三人に僕は慌て、椅子の背もたれの付け根あたりまでお尻を引いた。え? いや、まだ肝心な部分には指一本触れていないんだけど……。
「ちょっとー累さーん。それはいったい、どーいうことかーなー?」
「ちょ、近い近いすみれ! 何!?」
隣に座る、ひきつった笑みを浮かべたすみれが、まるで金を貸している相手が夜の店で豪遊しているのを見かけたヤクザのように、僕に絡んできた。な、なんだ。僕は何かおかしいことを言ったか。すみれというものがいる以上、僕にそんな店に行く予定はない。……ん? 待てよ。夜……ひまわり……あ。
「ち、違うって! 昨日は本当にたまたまアイスを買いに行って、それで、公園で会っただけで……!」
「別にー。私、何も言ってませんけどー。全然気にしてないですしー。それに誰とも付き合ってない累が何しようと勝手だしー誰と夜中に逢引きしようと勝手ですしー。あー勝手に新幹線に轢かれればいいのにー」
滅茶苦茶気になっているようだった。
それはもう、右の掌と左手の甲を勢いよくこすり合わせて、僕が新幹線に轢かれてミンチになるジェスチャーを取ってしまうくらいに。そこまでなのか……。
いや、でも、しかし、そうだった……。
昨日起こったことがあまりにも奇天烈なせいで失念していたけれど、女子と公園で、しかも夜中に二人で会うなんてまさしくそういうことじゃないか。
こんな非常時に、そんな話をすればすみれが怒るのも無理はない。菊乃も給食のカレーが入った容器を全部廊下にぶちまけた給食当番を見るような目で、僕を見ているし……。
「ま、まぁ、落ち着けよ。二人とも。それで累。昨日偶然、ひまわりと会って、どうだったんだ。何かおかしいとことかあったから。それを教えてくれたんだろ」
流石にこれ以上の修羅場はごめんなのか、蓮が助け船を出してくれる。助かった。やけに『偶然』の部分を強調したところは若干気になる点ではあるけれど、とにかくありがとう蓮。ありがたくその船に乗せてもらおう。こういう時、頼りになるのは男友達だけだ。
……でも、なぜだろう。心なし、すみれや菊乃とは対照的に、蓮の声にはいつも以上に活気があるよう気がする。まるで何か、僕がひまわりと夜一緒にいたことが蓮にとって嬉しいことであるかのような……。
いや、流石に気のせいか。今までの空気が重すぎたせいで、マイナスがゼロになったことをプラスになったと勘違いしただけだろう。
そう。
きっと。
たぶん。
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