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CHANGE!  作者: ヒ日
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32/33

9

 

「……ね。……て。……ね」


 得も言われぬ心地よい温かさが、僕を包み込んでいた。 


「…さね。…きて。…ってば」


 (あたた)かいが、かと言ってお風呂のようにその温かさが熱さに変化することはない。


 体温に対応する形で、適温が永遠に供給されているような感覚。


 時々揺さぶられる感覚もあるものの、幼少期の体験故か、それもゆりかごめいていて、心地よさに拍車をかけていた。


「累。起きて。起きてってば。起きないと――」


 そう。それはまるで、布団の中。それも目覚ましが鳴る五分前に起きてしまい、未だ魔の手を伸ばして

くる睡魔と闘っていると、猫がお腹の上でいびきをかき始めたような――


「起きないと、キスしちゃうぞ?」


 ――否、そこは本当に布団の中だった。


「……うわぁ!? ……っ!?」

「いったぁ!」


 唇と唇がキス――ではなく、おでことおでこがキスしてしまった。


 目を覚ますと、目の前には目を閉じて唇を近づけてくるすみれの顔。そしてそんなすみれを目の当たりにしてバネ仕掛けの人形のように驚き跳ね起きた僕は、そのまま彼女とごっつんこしてしまったのだ。


「な、なんですみれが、僕の上に……?」


 ベッドの上で、おでこを押さえながら呻き転がる僕達。ぐおお。


「むー、せっかく旦那をビスで起こす新妻ごっこをやってみたのに……思ってたのと違うー!」


 うわーんと、わざとらしい叫び声をあげるすみれ。それを言うならキスだろう。ビスで起こしたら大変だ。僕は本棚か何かか。


 未だ痛みを引きずるおでこを押さえながら起き上がる僕。


 そこでやっと自分が置かれている状況に疑問を持ち始めた。


 そうだ。何ですみれがここにいるんだ? 何で僕はベッドの上で寝てたんだ?というか、ここはどこだ? さっきまで僕達は箱根にいたはず。


 まずは現状を確認しようと僕は首を回した。そして――


「……な、に、これ?」


 ――絶句した。


 そこはまるで、現代アートの作品みたいな部屋だった。


 僕とすみれもいる一つの子供部屋に、他に5体、人間の像がある。


 そこは、見慣れた部屋。


 フローリングの中心に置かれた丸テーブル。角の勉強机。その上に置かれた花瓶に入ったすみれの花。見なくても想像で思い描けるほど見慣れた、すみれの部屋だ。

 

 だから部屋自体にそこまでの驚きはない。


 だから驚いたのは――その空間の中にいる像の方だった。


 その像は――僕たち、つまり、僕とすみれと蓮と菊乃とひまわりの姿をした像だった。


 服装や、丸テーブルに置かれた機材や資料を見る限り、おそらくこれは一年前のコミケの準備をしている頃のものだろう。


 丸テーブルの左端では、蓮と菊乃が何やら言い合っている様子で、それを僕とひまわりが止めようと身を乗り出し、その様子をすみれが心配そうに見つめている。


 そういう意味では芸術作品と言うよりも、流していたテレビドラマを一時停止して、その中に潜り込んでしまったような、そんな光景だろうか。


 とにかく、そんなあまりにも現実的過ぎる現実離れした光景が、僕の目の前には広がっていた。


「これは累の忘却した記憶だよ」 


 呆然とする僕にすみれはあっけらかんと告げた。僕の、記憶?


「うん。累、忘れている記憶、あるでしょ?」

「……!」


 確かに、ある。


 それは、菊乃と蓮と二回目の疎遠を経験した時のこと。


 コミケの進捗を巡って喧嘩、とまでは言わないまでも冷戦状態みたいになってしまった時のこと。


 箱根でそのことを菊乃と話そうとしたら急に頭痛が激しくなって、思い出すことができなかった、あの時のこと。


 それが目の前の光景だというのなら、確かにそうなのかもしれない。よく見れば見覚えがあるような気もする。だけど、


「だけど、何でその記憶の中に僕たちが? 僕たちはさっきまで箱根にいたはず」

「さっきまでいた世界は私を生き返らせるために作られた世界だからね。私が死んだことを累が見抜いてしまった以上、元の世界に戻るしかない。そして元の世界に戻るには、記憶も元の世界仕様にしなくちゃいけないの。だからその記憶を今から見るんだよ」

「前の世界? 生き返る? それ、さっきも言ってたけど、いったいどういうことなの? というか、僕の記憶の中なのに、なんですみれがいるの?」

「さぁ、多分、累が呼んだんじゃないかな。累一人じゃあ、逃げちゃうと、累自身が思ったから」

「僕が、逃げる?」

「まぁ、それも見たら分かるよ。……それじゃ、よーい、アクション!」


 言うと同時、パン、とすみれはまるでカチンコを鳴らす映画監督みたいに手を叩く。


 すると――


『遅いって……誰のせいだと思ってるの! あなたがBGMを変えたいって言い出したせいでシナリオを書き直さないといけなくなったんじゃない! シナリオはそんな簡単に直せるものじゃないの! むしろ一から書くよりも詰まることがあるの! 少しは考えて物を言いなさい』

『お前だって前のシナリオに満足してなさそうだっただろうが。だから曲調変えて、ストーリーもヒロインが亡くなったことで主人公が精神的に強くなるってオチにすることにしたんだろ。お前はシナリオつくりゃそれまでだろうが、こっちは完成した後も微調整とかあんだよ!』


「うわあ!?」


 突然、目の前に落雷が落ちてきたような、そんなあまりに衝撃的で理解不能な光景に、僕は思わずベッドの上で飛びのいた。


 そう。さっきまで銅像のように動かなかった『僕達』が、動き出し、しゃべりだしたのだ。  


「いやー。相変わらずだねーこのお二人は。ほんと喧嘩するほど(いさか)いとはよく言ったものだよ」


 そんな僕とは対照的に、すみれはいつの間にかベッドの上で僕の隣に座り、家族ムービーをテレビで見ているかのような気楽な口調で楽しそうにうんうん頷く。それを言うなら『喧嘩するほど仲がいい』だ。喧嘩するほど(いさか)いはただの喧嘩だ。いや、そうではなく。


「記憶を見るってこういうことなの?」

「そ。今みたいに累の忘れていた記憶が流れ続けるから、それを見ていくの」

「これ、あっちからは僕達のこと見えてないの?」

「見えないよ。だってあっちはただの記憶。記憶に自我なんてあるわけでないでしょ」


 それもそうか。

 

 すみれがさっき、映画監督がカチンコを鳴らすように手を叩いていたけれど、まさしくこれは映画を見ているようなものなのだ。だから映画の中にいる俳優が視聴者を意識して演技を止めることはないように、彼らもこっちを認識することはない。


 僕は、そんなことを考えている間にも言い争いを続けている菊乃と蓮を鑑賞する。そして、ようやくもう一人の僕とひまわりが止めに入った。


『ちょっと落ち着こうよ。二人とも』

『そうだよ。菊乃、ちょっと休憩しよ? ね?』


 しかし、


『あなたにも原因はあるのよ。ひまわり。前にすみれが出したイラストの修正、終わってないでしょう。早くしてくれないと累が編集できないわ』

『それは……ごめん』

『お前もだぜ、累。プログラム初心者つっても流石に遅すぎねぇか?』

『分かってるけどさ……』


 菊乃と蓮の怒りは収まることなく、僕たちにまで飛び火して、くすぶっていたそれは徐々に徐々に大きくなっていく。


 そうだ。ここから蓮だけでなく、菊乃とも気まずくなって距離を置くようになってしまったんだ。


「いやいや酷いね。この時の私。後ろであわあわしっぱなしだよ」


 おちゃらけたようにすみれは言っているが、声音と表情からは罪悪感と悲しみが隠しきれていない。きっとこの時何かしてあげられていたら、と気にしてるんだろう。だけどそれは気にしすぎだ。すみれは監督兼ラインプロデューサーとして、きちんと皆のスケージュールを把握し、ちゃんとこなせる量の仕事を配分していた。だからこれは、僕達全体の問題だったんだ。

 

「え!? な、なんだ!?」


 と、ようやく言い争いが終わり、一段落かと思った瞬間、突如すみれと僕以外の景色がマーブル色に変化した。


 さっきまでいた部屋や、僕達の像がぐにゃんぐにゃん曲がって、全ての色のペンキを一箇所にぶちまけたような光景になる。そしてそれも束の間、世界は輪郭を取り戻し、また新たな世界を作り始める。瞬きした後には、そこはとあるカフェになっていた。


 僕達がよくゲームの舞台の取材に行った後なんかに寄っていた、個人経営の小さなカフェだ。そこで、僕とすみれの像が二人、まずそうにコーヒー飲んでいる。


「ここも、僕の記憶?」


 いつの間にか、像の僕達とは違う席に座っていた僕は、同じく前の席に座るすみれに問う。


「そうだよ。これはさっきの喧嘩で落ち込んだ累を、私が励ましてあげてる場面かな」

「……そっか。うん。そうだった気がする。けど、何で記憶は飛んだの?」

「そりゃ記憶だからね。記録ではなくて、あくまで記憶。累は頭がいいからこれでも正確な方だけど、一言一句、過去の記憶を時間に沿って全て覚えている人なんていないでしょ?」

「あ、そっか」


 これは録画じゃないんだ。あくまで僕が覚えている範囲の記憶。飛び飛びになるのは仕方ないってことか。

 

 すみれがまたカチンコのように手を叩く。再び記憶の中の僕とすみれは動き出し、しゃべり始めた。


『どう、すればいいのかな。一応、スケジュール的には余裕はあるけど、こんな雰囲気じゃあ絶対に終わらない。二人とも全然話聞いていてくれないし』

『大丈夫。なんとかして二人には私が仕事させるから。累は自分の分の仕事だけ頑張って』


「あはは。この時の累は酷かったね。天照大御神(あまてらすおおみかみ)かと思ったもん」

「……天岩戸(あまのいわと)。たしかに拗ねてるね……」


 たしかこの時は落ち込んでいた僕を見かねて、すみれがどこか遊びに行かないと誘ってくれたんだっけ。


 この時すみれも相当忙しかったはずなのに。


 なのに、いつでもすみれは一切そんな素振りを見せず、グループ全員を気遣ってくれていた。……ただ一人、自分の体のことだけを除いて。


「ねぇ、すみれ」

「ん?何?」

「この時、励ましてくれてたの、僕だけじゃないんだよね?」

「……そっか。昨日、菊乃が言っちゃってたね」


 同じ笑顔でも、さっき僕を天照大御神に例えた時とは全く違う種類の笑みを、すみれは顔に貼り付けた。

 

 やっぱり、そうなのか……。


『去年の夏休みのこと、覚えてるかしら? あの時、私と蓮が喧嘩したことでグループの空気が悪くなっちゃったじゃない? そんな時、すみれは私たちにそれぞれ一対一で悩みや愚痴を聞くために会いに来てくれた。覚えてる?』


 昨日。あの庭園で、菊乃が言っていたことだ。


 自分の仕事もあったのに、なんとか時間を作ってすみれは僕達に会いに来てくれていた。


 そしてそのおかげで——


『『『『『かんぱーい!』』』』』

 

 五人の大歓声が、お店の中に響いた。


 記憶は移り変わり、場所は焼き肉屋。


 ――そう。そんなすみれの尽力のおかげで、コミケは無事成功。


 売上もかなりのものを叩き出し、調子に乗った僕達は学生の身分では入口で門前払いを受けそうな焼き肉屋で打ち上げを楽しんだのだ。


 楽しかった。


 きっと、人生で、一番。


 けど。


 けど、それを見る僕とすみれに、笑顔はない。


 そうだ。


 思い出した。


 思い出してきた。


 この、後だ。

 

『すみれ!私、絶対頑張る! 絶対プロのイラストレーターになってすみれのために皆と一緒にゲームを作る! だから、待ってて!』


『俺もだ! ちくしょう……! 俺のせいで……! 俺も、絶対すみれに恩返しする! 最高の音楽を作って、こいつらと最高のゲームを作ってお前に届ける!』


『ごめんなさい……私、私のせいで……! 絶対に、私はもっともっと上手くなる。そして、絶対に最高の物語を書いて、皆と一緒に作ったゲームをすみれに届ける!』


「嘘、だ……」


 去年の1月1日。午後17時。


 すみれが亡くなった病室に移動した僕は、まるで床に吸い込まれるように、その場に崩れ落ちた。


 そうだ。

 

 元々病弱だったうえに、とんでもない仕事量と僕たちへの気遣いに忙殺(ぼうさつ)されたせいで、すみれは、


 ――佐倉すみれは、亡くなったんだ。


 そして僕同様、危篤(きとく)を知らされた時からずっとすみれの傍にいた、ひまわりと蓮と菊乃は、さっきみたいに、すみれの死を(いた)んでいた。

 

 あの夢は夢ではなく現実で、僕の記憶でもあったんだ。 


 ――けど、僕が崩れ落ちた原因は、それとは『まったく別のもの』だった。


 

 「な……に……やってるんだ……!『僕』は!」

 

 僕は、叫んだ。

 

 病室の床に手をついて。

 

 届くわけがないと分かっていながら。


 その相手に。

 

 ——ただ一人、泣きもせず、悲しみもせず、笑いもせず、ただひたすら、光の抜け落ちた瞳で、呆然と突っ立って、すみれと、すみれに寄りそう彼らを見ているだけの、『僕』に。


 そして——



『こんなの、絶対嘘だ』



 記憶は、すみれを弔った葬儀場でもなく、お墓でもなく、あまりにも見慣れた場所。僕の家の、僕の部屋へと移っていた。


 すみれの死から11日後。夕暮れの中、今年の1月12日、三学期が始まる前日を示すひめくりカレンダーの前で、棒でつつけばそれだけで倒れてしまいそうな『僕』が、ぶつぶつと、譫言(うわごと)のような(ひと)(ごと)を呟き続けている。


『こんなの絶対嘘だ。すみれがいないまま学校が始まるなんて。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ』


 カレンダーの日付の部分を右手で覆い隠し、『僕』は祈るように、あるいは呪詛のように、ずっと、ずっとそんな二文字をぶつぶつ呟き続けている。


 そして——


 そして——


 顔を上げた、『僕は』——


 僕は——



『だったら、すみれがいる世界を作ってやる』

 


 ――僕は、すみれが生きている世界を創造し、そこに蓮と菊乃とひまわりを連れて行った。


 

 ――冬休みが終り、二学期が始まっても、すみれがいる世界で、みんなと一緒に、これまでと、何ら変わらない日常を過ごすために。



「…………」

 

 息をするのさえままならず、僕はただ、自分の部屋のフローリングの上でうなだれるだけだった。


 ……ああ。そうだ。 


 全部、思い出した。


 そうだ。


 そうだったんだ。


 すみれが死んで。


 そのことを信じられなくて。


 逃げて。


 すみれのいない生活が、変わってしまうのが嫌で。


 塞ぎ込んだ僕は。



 ——すみれが生きている世界を作り出し、すみれが死んだという記憶を僕と菊乃と蓮とひまわりから消し、そんな彼らを僕の世界に連れて行ったんだ。



「…………」

 

 記憶の場所が、移動した。


 不可思議な灰褐色の空気に包まれた、三角錐を逆にしたような形の建物の前に、移動した。


 コミックマーケットの会場、国際展示場の会議棟の広場の前だ。イベント(ごと)に人でごった返すここは、今は僕とすみれ以外、誰もいない。


 ここは記憶の中ではないんだろう。忘れていた記憶はあれで全てだ。だからここはおそらく記憶の世界と元の世界の狭間。ここに移動したのは、僕の中で最も印象が強い場所だからだろうか。


 僕は、何も言わず、自分の服が汚れてしまうのも厭わず、僕の前に座ってくれているすみれに(すが)るように訊いた。


「……だから、あの世界は消えたんだね。僕がすみれの死を暴いてしまったから。ドッペルゲンガーも、あれはほんとは、ドッペルゲンガーじゃなかったんだね。彼らは、本物を取り戻しに来ただけの、ただの世界の法則に従っただけの、そういうシステムだったんだ……」


 僕は、箱根湯本駅のトイレで蓮のドッペルゲンガーが出た後、その対策のための話し合いの中で、菊乃が言っていた台詞を思い出す。


『パラドックス』と菊乃は言っていた。


 つまり、世界に同時に同じ人間が二人以上存在することは、世界の法則に矛盾することになる。だからどちらか一方が消えることになる。だからドッペルゲンガーは本人を消すことができるし、逆に消されることにもなるのだと。


 しかし、これは逆に捉えることもできるのではないだろうか。


 つまり、世界から人が、現存する物理法則以外で消えることは許されない。


 しかし、僕はそれをしてしまった。


 世界の法則に抗い、勝手に世界を作り、勝手に蓮と菊乃とひまわりの記憶を改変し、本物の蓮と菊乃とひまわりを連れて行ってしまった。


 だとすれば、元の世界は、いったいどうしただろう。


 消えてしまったひまわりや蓮や菊乃の穴を、どうやって埋めたのだろう。

 

 答えは――本物の彼らを取り戻すための、彼らにそっくりな人間を生み出した――ではないだろうか。


 ……そう考えれば、なぜひまわりが消えても、僕や蓮や菊乃は彼女のことを覚えていたのかにも説明がつく。


 ここは、僕が作り出した世界で、住人も僕が作ってしまった人間だ。


 だけど、僕たちグループのメンバーは違う。


 僕が元の世界から連れて来た人間で、もともとはこの世界の住人ではなかった。


 だから、ひまわりや蓮や菊乃がドッペルゲンガーに僕が作った世界から消され、僕の世界の住人は忘れてもしまっても、僕たちは覚えていた。だって僕達は、前の世界の住人なのだから。


 あのドッペルゲンガーも、僕らをいじめようとかそんな悪意を持って、ひまわり達を消そうとしているわけじゃなかったんだ。むしろ僕に連れ去られた本物を取り戻そうと、世界からの命令に沿って動いていただけの、正しいシステムだったんだ。


 ずっとオリジナルを消した後、ドッペルゲンガーはどうなっているのか疑問だったけれど、きっと彼らは本物を元の世界に戻した後はたちまちに消えてしまっていたに違いない。もともとそういう役目だったのだから。


 ……なのに、僕は、自らそんな環境を作っておいて、そんな当たり前の世界の法則を、正しい世界を悪者に見立てて、みんなと一緒に抗っているように思っていただけだった……。


 ああ。

 

 ああ……。


 なんて、笑っちゃうくらいに、マッチポンプだ……。


「すみれ、みんな……ごめん……ごめん……僕のせいで……」


 気が付けば、コンクリートには水たまりができていた。


 出てくるのはそんな涙と、謝罪の言葉だけ。


 だけど、許されるはずなどない。


 全部全部、僕が弱かったことが原因だったんだから。 


「累のせいだけじゃない。私も、悪かったんだよ」


 すみれは、うなだれる僕の頭をなでながら、言う。


「何言ってるの?すみれはちっとも悪くない。僕が全部――」

「ううん。私も悪かったんだよ。だって死ぬ前の私は、箱根に行く前の累と同じだったから」

「え?」


 ……箱根の前の、僕と、同じ?


「うん。菊乃と累が箱根で庭園を見て回ってるとき、菊乃が言ってたでしょ? 私と累は似てるって」


『多分私が皆を助けているのは、ほんとはみんなのために助けているんじゃなくて、私自身のために助けてるんだよ。だって皆を助けてさえいれば、ずっとこのままで、変わらないでいられるかもしれないから。でもきっと、それは無理なんだよ。だからこれからも皆と一緒にいるためには、私も変わるしかないんだろうね』

 

 そうだ。たしかそんなことを、菊乃はすみれに言われたと言っていた。

 

 そしてそれは、僕が箱根に行く前の晩、菊乃に話そうとしてやめた話と酷似していたから、菊乃は僕とすみれが似ているとも言っていた。


「累も、箱根に行く前、ひまわりが消える前までは、ずっと変わりたくないって、このまま皆と変わらないまま過ごしていたいって思ってたんでしょ? 私も同じだったんだ。助けを求めようと思えばできたはずなのに、そうしなかった。皆を助けることで、私も皆と同じ場所にいられる。このままの関係でずっと皆と一緒にいられるってそう思ってた。でもそれは、皆を助けているようでいて、皆を助けている自分を助けてただけだったんだ。ううん。助けたんじゃないね。目を瞑ってただけなんだ。日常が壊れるのが嫌で。変化するのが怖くて。それを認められなくて、目を瞑ってただけだった。だから、あれは、私のせい。私が、変わろうとしなかったせい。……でも、でもね——」


 突如、すみれは僕の首に両腕を回してきた。そして、耳元で、朝の陽ざしのような口調で、囁いた。


「――累は、変われたでしょ?」


「っ……!?」


 ふいに、箱根で温泉に入った後、すみれから言われた言葉を思い出した。


『累は、今日、私たちを多少の危険に晒してでも、私たちグループのことを考えて作戦を実行してくれたでしょ? それは、今までの累なら絶対にできなかったことじゃないかな?』


『累は変わったんだよ。勇敢になった。そして、今度こそ、私たちを助けようとしてくれてるんだよ。ありがとう』


「……!まさか。まさか、すみれ、それを僕に、伝えるために!」


 僕は、もう一つ、僕がさっき、なんですみれが僕の記憶の中にいるのと訊いた時、すみれが言っていたことを思い出す。


『さぁ、多分、累が呼んだんじゃないかな。累一人じゃあ、逃げちゃうと、累自身が思ったから』


 あの言葉を言ったのは、僕が今度こそすみれと、すみれの死と向き合うと、そのことをすみれが知っていたからじゃあないだろうか。


 前は虚構の世界なんてものを作って目を瞑っていた僕が、今度はこうしてすみれに会わせてもらうことで、その事実を受け止めると。


 すみれの死を、受け止めると。

 

 今度こそ目を瞑らず、受け入れる僕に、変化すると。

 

 そうだ。


 それを思えば、まだ一つだけ、分かっていなかったことがあった。


 いや、正式には分かったつもりになっていたこと。


 何故、わざわざすみれは蓮にあんなダイイングメッセージを送らせたのか。


 あれは、すみれからの蓮に対する情みたいなものだと思っていた。


 けど、違う。


 確信する。


 あれは、すみれからのヒントであり、そして、トリガーだったんだ。


 いつまでもうじうじしていた僕が、ことなかれ主義だった僕が、嫌なことがあればすぐに逃げてしまう僕が、何にも変わらない僕が、仲間であるすみれを疑い、それを本人に問いただすほど、強くなるようにするためのトリガーだったんだ。


 僕が変化し、強くなり、そして、忘れた記憶を今度こそ僕が受け止められるようにするための、全て、すみれの作戦だったんだ。

 

 ……ああ、なんて。


 なんて、大袈裟な。


 ドッペルゲンガーまで使って。


 ひまわりや蓮、菊乃まで消して。


 世界を崩壊させて。


 そんなことまでして、すみれのやりたかったことは、僕を変えることだった。


 情けない僕を、変えることだった。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 涙が止まらない。


 絶対に、僕が泣いちゃあいけないのに。


 それでも、すみれの肩を濡らすことを止められない。


 ごめんごめんごめんありがとうありがとうありがとう。


 そんな風に泣きじゃくる僕を、すみれは優しく、どこまでも優しく抱き留めてくれる。

 

 そして――その瞬間だった。


「っ……!? すみれ!」


 僕はとっさに抱き着いていたすみれの体から離れ、彼女の全身を見渡した。

 

 ――すみれの体が、謎の光に包まれていた。


「あ……うーん。そっか。もうお別れかー。せっかく生き返ったのになぁ」


 僕の首から腕を離したすみれは、寂しそうな笑みを浮かべ、光に照らされる自分の両手を眺める。


 お別れ……お別れって、まさか!


「そんな……すみれ!僕は……!」


 気が付けば僕はもう一度、彼女の体を抱きしめ、自分の体に抱き寄せていた。恥ずかしさなんてものはない。ただ、すみれを失ってはいけないと、ほんの少しでもこの場にすみれを繋ぎ止めていたかった。


「大丈夫だよ」

 

 僕を安心させるように、すみれは言う。


「大丈夫だよ累。累は、変わった。だから、私がいなくても、今度はきっと大丈夫」

「な……! 大丈夫なんかじゃない! 僕は、すみれがいないと――」

「ほんとに大丈夫だよ。だって累は変わった。そしてそれは、こうして私が消えることで証明された。でも………ごめん、最後に、ものすごく残酷なこと言っていい?」

「え?」


 すみれも同じように光り始めた僕の体を抱きしめて言う。そしてぽろぽろと、それだけが光の粒となっていない涙を流しながら、めいっぱい息を吸い込んで、


「絶対累は大丈夫! だって、累は、私が大好きな人なんだから!」

「っ……! 僕もだよ! 僕も! すみれのことが、大好きだ!」


 どちらからともなく、僕たちはお互いに唇を重ね合わせた。


 暑く、熱く、厚く。


 重ね合わせた。


 光が全身を侵食していく。


 消えていく。


 あるいは溶けていく。


 まるでお互いが一つになるかのように、光が同時に僕達の体を消し去る、その瞬間まで。


 その瞬間まで、僕達の唇が離れることは、なかった。 



ご一読ありがとうございました。よろしければ感想などいただけますと幸いです。

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