エピローグ
「ここは……?」
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
上半身だけ起こし、首を巡らせる。
味気のないシングルタイプのベッド。
制服と少ない私服がかかったクローゼット。
姿見ぐらいしかない、最低限の調度品。
勉強用机と、その上に異常なくらい堂々と鎮座する、編集とプログラムを勉強するため、貯金箱をぶっ壊して買ったデスクトップパソコン。同じく机の上に置かれている、時刻を記すデジタル時計は午前七時半を記している。
日付を表す日めくりカレンダーは1月13日の顔をしていた。カーテンを閉め切っているせいもあってか、朝日は入ってきているものの、周りはとても薄暗い。
要するに、僕の部屋だった。
「……! すみれ!」
意識が徐々にクリアになってくると同時に、僕はそこを定位置にしている、勉強机の上に置いているスマートフォンに飛びついた。
ロックを解除し、通話の履歴を開く。
そこには、やはり、12日前、菊乃と交わした通話履歴が記録されていた。
もしかしてなくても、それはすみれの危篤状態を知らせる電話だった。
その連絡を受けた後、病院に行き、すみれが亡くなったことを知り絶望した僕は、自分の部屋に閉じこもり、すみれがいない学校生活が始まることが信じられず、すみれの葬式や墓参りにさえ行かず、この世界では昨日、すみれが生きている世界線を作り出し、しばらくその殻に閉じこもった。そして、
「そうか……帰って来たんだ、僕。すみれのいない、この世界に」
ふいに、体がよろけた。
なんとか目の前にあった姿見をつかむことで転倒を防ぐ。
目の前には、泣きはらした不細工な顔を晒す僕がいる。
……あれは、本当に僕が作った世界の出来事だったんだろうか。
あれは本当は、そんな大層なものじゃなくて、僕が見ていた夢だったんじゃあないだろうか。
すみれが死んだことによるショックで、無意識にすみれの夢を見ていただけだったんじゃあないだろうか。
……だったら。
だったら――もう一度寝れば、すみれに出会えるんだろうか?
そう思った瞬間だった。
『絶対累は大丈夫! だって、累は、私が大好きな人なんだから!』
突如、そんな声音と共に、姿見にすみれの姿が映った気がして、僕は姿見を穴が開くほど見つめた。
けど、姿見にも、振り返っても、すみれはいない。外に誰かがいると思って見ても、廊下は無人。もちろんドッペルゲンガーなんてものもいない。
……けど、そうだ。
扉を閉じて部屋に戻って、考える。
あれはきっと、夢なんかじゃなかった。
軟弱な僕だ。夢であれば、あるいは妄想の類であれば、もっと自分に甘いものになったはずだ。
けどあれは、決して都合のいい夢なんかじゃなかった。
僕が作った、都合のいいすみれなんかじゃなかった。
だからあれは――僕が作ったすみれなんかじゃなかった。
……あの世界のルールでは、ドッペルゲンガーに消されたひまわりや蓮や菊乃の記憶は、その世界の住人の記憶から消される仕組みになっていた。
元の世界から来た、僕たちを除いて。
だけど、その仕組みは三度だけ、まともに機能していない時があった。
――何故すみれは、ひまわり達が消されても、彼らの記憶を覚えていたんだ?
……僕が、ひまわり達が消えても、ひまわり達のことを覚えていたのは、僕もひまわり達と同じ、元の世界の住人だったからだ。
でも、すみれは違う。
すみれは、僕が作ったはずの人間だ。
だってそのためにあの世界は作ったのだから。
だからすみれは、本当はひまわり達が消えれば、彼らの記憶を忘れるはずだったんだ。
でも、すみれは覚えてた。
何故か。
――やっぱり、すみれは元の世界から来た住人だったからだ。
……けど、それはすみれが本当は生きていたということじゃあない。
やっぱりすみれは死んでいたし、それは今の僕が知っている。
これはもう完全に推測になってしまうけれど、すみれはおそらく、僕が作り出したすみれに、すり替わったか、もしくは、言い方は悪くなってしまうけれど、幽霊になって取り憑いていたんじゃあないだろうか。ドッペルゲンガーが現れる世界だ。そういうこともあるだろう。
それに、そう考えれば、辻褄が合うこともある。
あの世界に、僕のドッペルゲンガーがいなかった理由だ。
あの世界にドッペルゲンガーが出てきていた理由は、僕が前の世界から、つまり今の世界から、僕を含めたひまわりと蓮と菊乃を、僕が作り出した世界に連れて行っていたことが原因だった。
そう。だから本来ならやっぱり、僕もドッペルゲンガーに連れ戻される立場にあるはずなのだ。
なのに、僕のドッペルゲンガーは結局、影も形も現さなかった。
何故か。
やっぱりそれは、すみれがそうしてくれていたからじゃないだろうか。
だって、僕の前に、僕のドッペルゲンガーが現れ、僕を消してしまえば、その世界が、僕が作った世界である以上、すぐに滅びてしまう。
そして元の世界に戻った僕は、きっとこう思うだろう。すみれがいない? だったらまたすみれがいる新しい世界を作ろうと。
だからすみれは、僕のドッペルゲンガーが出現することを防いだ。
思えば、蓮がすみれに須雲公園にまで連れ出され、蓮のドッペルゲンガーに消された時、気が付いてもよかったはずなんだ。
だっていかに人気のない場所だとは言っても蓮は逃げようと抵抗するはず。
それを防ぐには、蓮のドッペルゲンガーと女の子のすみれだけでは心許なさすぎる。
かと言って、女の子の菊乃のドッペルゲンガーでも、やっぱり頼りない。だから、きっといたはずなのだ。女の子よりも力があるくらいの人物で、蓮を消すのに協力するような人物が。
そう。
――僕の、ドッペルゲンガーが。
そして、そんなことさえ悟らせず、すみれはあの世界で僕を変え、改竄した僕の記憶を僕に見せ、この世界に返した。
全部全部、僕のために。
弱い僕を、変えるために。
「すみれ、君はほんとうに……」
涙が出てきた。
笑うしかなかった。
自分の不甲斐なさとか。
世話焼きなんて、そんな次元をとっくのとうに通り越してしまっているすみれの愛情とか。
そんな様々な感情が渦巻いて、笑うしかなかった。
もう一度、すみれに言われた台詞を思い出す。
『絶対累は大丈夫!だって、累は、私が大好きな人なんだから!』
「……!」
パジャマの袖で、乱暴に涙を拭った。
姿見の前には、前よりマシどころか、更に顔が不細工になった猫背の男がいる。
そうだ。
僕は何をしている?
すみれはこんな僕を大好きと言ってくれた。
だったらそいつは何をするべきなんだ?
悲しんだまま塞ぎ込むことか? 違うだろ!
変われ!
「っ!」
そう言い聞かせると同時、僕はクローゼットを開ける。
パジャマをちぎる勢いで脱いでコーディネートもクソもないほど、てきとうな服を肌の上に引っ掛ける。
机の引き出しを開ける。
財布を取り出し、自分の部屋の扉をこれでもかと言うほど力強く開いた。いや、開いたというより、ぶち抜いたと言った方が正しいかもしれない。
しかしそんなことは一切気に留めず、僕は階段を一段飛ばしで降りていく。何事かとリビングから出てきた母親がこれまで聞いたこともないような怒声を浴びせてきたが、それさえ無視して靴を履いて、これまた玄関の扉をぶち抜き走り出す。
走る。走る。走る。とにかく走る。死ぬまで走る。死んでも走る。
商店街にあるような店は無理だろうが、きっと、駅前のでかいショッピングモールの中にある店舗なら、かなり早めに開くはずだ。
「はっ……! はっ……! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
泣き叫び、走り続ける僕を、通行人は何事かと白い目で見てくる。
けど、そんなのはどうでもいい。
笑いたければ笑え。
貶したければ貶せ。
僕はただ、花屋の営業時間に間に合えば、それでいいんだ。
それでいい。
ただ、それでいい。
そして。
そして。
僕は花を持って、佐倉すみれの墓参りに行くのだ。
ご一読ありがとうございました。
これにて『CHANGE!』終幕となります。
ここまで読んでくださった皆様、そして、頑張ってくれた彼らに最大限の感謝を。
本当にありがとうございました。




